小ネタ日記ex

※小ネタとか日記とか何やら適当に書いたり書かなかったりしているメモ帳みたいなもの。
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再録:思い出ひとつ4(笛/武蔵森)。
2005年10月20日(木)

 気付けば秋になっていた。








 残暑が続く時期とはいえ日が暮れれば気温は日中よりずっと落ちる。
 昼夜の寒暖差を皮膚に直接感じ、渋沢は半袖から伸びている腕をさすりながら寮の玄関先までやって来た。
 玄関のタタキの端に、非常灯に照らされた背中が見える。

「藤代」

 渋沢が声を掛けても背中は振り向かなかったが、背後に渋沢がいるという確信を持ったことは空気で伝わってきた。渋沢はそれ以上何も言わず、黙って藤代の隣に腰掛けた。

「……何スか」

 拗ねた要素が八割以上を占めた声で、わざとらしく顔を背けながら言ってくる。
 渋沢は予想通りの藤代の態度がおかしく、笑いそうになったがどうにか耐えた。息を一つ吸って口を開く。言葉はためいきにも似ていた。

「悪かった、藤代」
「…………」
「彼女は悪くないんだ」
「…………」
「…弱いんだよなぁ、俺が」

 どうしようもないな、と自分で自分を笑う元部長の様子に藤代は驚きその顔を見つめ返す。

「なんでですか?」
「なんでだろうな。俺にもわかってない」

 苦笑し、渋沢は両脚の間で自分の手同士を組んだ。
 秋の夜は空気が夏のそれより透明に思える。玄関のガラス扉の向こうに、月光が青白く影を落としているのが見えた。

「惚れた弱みともちょっと違うな。なんとなく、というのが一番正しいのかもしれない。だけど、頼られたら断りたくない。…そういう相手なんだ。だからといって秘密を守れなかった言い訳にはならないが」
「…………」
「本当にすまなかった」

 本気で、真剣に、真摯に。どの言葉でも当てはまる表情と声音を向けられ、藤代はまだ一言二言文句を言ってやりたかった自分を見失う。
 正面から謝罪する相手を、それでも尚赦さないのは度量の狭さを疑われる。十数年の人生であっても、藤代の人間性がそれを何気なく理解していた。

「…それって、ほんとに俺より川上が好きってことですよね」

 ぽつりと藤代が言うと、渋沢がやや困ったように口許に片手を当てた。

「結とお前とはまた全然違う対象だからなあ…。比べようがないぞ。お前だって家族と笠井どっちがいいかって訊かれたら困るだろう?」
「…でも、俺は」

 裏切られた気がした。
 そう言おうとし、藤代はその言葉のあまりの残酷さに気付き慌てて止めた。

「…見損なったか?」
「そう、じゃないですけど」

 それに近いものはあったと、藤代は自覚した。
 部全体の秘密だと大げさに思っていたのは自分だけで、周囲があまりにもあっさり渋沢のミスを受け入れ、本人も反省していると言う。ならそれでいいじゃないかと藤代に言ったのは笠井だった。
 けれど腑に落ちない。納得出来ない。そこまではわかっても、それ以上に自分の中にある靄のようなものを上手くかたちに出来ない。
 自分の気持ちを表現するのに知っている語彙が余りにも足りない。仕方なく藤代は一番近そうな言葉から並べ始めた。

「…なんか、悔しかったっていうかー…」
「ん?」
「先輩って、サッカー部ですよね?」
「そりゃ、他の部にいた経験はないが」

 生真面目に渋沢は答えた。藤代は自分の膝の上に顎を乗せ、眉を寄せた。

「うちの部の先輩なのに、なんで陸部にいいようにされてんだー…って、なんか、ムカついたのも、あったかもしれない、とか」

 自分の感情が理解し切れていないために、口調は必然的に自信の欠けた途切れがちなものになる。けれど口にした瞬間、それが真実だという確信にほんのわずか近付いた気もした。

「…いいようにされた覚えはないが」
「されてるじゃないですかー。しっかり川上に利用されて」
「されてない」

 自分と幼馴染みの名誉のために渋沢は強固に言い張った。

「だいたい、俺を利用するとかしないとか考えるタイプか?」
「…ああ、そうッスね」
「そんなに賢くないぞ」
「先輩…」

 クラスメイトの彼女を思い出し、藤代は納得し苦笑した。
 同時に別のことにも思い当たった。幼馴染みの好意につけ込んだようにも思えた今回の件が、普段の彼女のイメージとは違って感じ取れたので尚更嫌だったのだ。
 信じていたものが急にかたちを変えたような違和感。
 そして信頼していた先輩が、自分より彼女を選んだという嫉妬めいた感情。
 それらを咄嗟に打ち消せなかった自分はまだずっと子どもだと、藤代は膝に乗せた顔の視点から自分のつまさきに息を吹きかけた。
 その隣で渋沢は考えながら語り掛ける。

「…変なところ一本槍だからな。自分のところの先輩たちに『どうしても勝ちたいから頼む聞いてきてくれ』なんて言われたら、その先輩のために何とかしようって思ったんだろ」
「…そのぐらいで動いちゃうもんですか?」
「動く。…仕組んだ奴が裏にいるからな」

 まんまと載せられた自分を呪いたくなる気分で渋沢は覚えのある顔を虚空に浮かべた。

「仕組んだ?」
「ああ。…うちと陸部の話知ってるか?」
「部費取られた逆恨みがどうとか、って噂なら聞いたことありますけど」
「その鬱憤を今回のリレーにぶつける気らしい」

 種目の違う部同士がぶつかる機会といえば、体育祭の部対抗リレーしかない。
 まさか本気でやって来られるとは思わなかった、と付け加えた元部長に藤代は目を瞬かせる。

「そんなことで?」
「それだけじゃない。…今期、陸部が地区の大会で男女総合優勝したのは知ってるか?」
「知りませんでした」
「大半の生徒がそうだ。…同じ時期に俺たちが都大会で優勝したからな」

 渋沢ですら、自分が運動部の部長でなければ他部の話など知り得なかったかもしれない。
 ともかくタイミングが悪かった。渋沢はそうとしか思えないが、当事者たちには大分違うらしい。

「あそこは人数が少ないからな。個人単位じゃなくて団体総合優勝となると当然より難しかったわけだ。なのに優勝してみれば、他の部の話で自分たちのところが翳んだ。しかもそれが部費削減の要因になったサッカー部」
「八つ当たりじゃないッスか!」
「…それでも向こうは本気だ」

 知り合いでもある陸上部の元部長の無駄ににこやかだった笑顔を渋沢は思い出す。
 幼馴染みの件から遠回しに体育祭の部対抗リレーに話題を回すと、彼は笑いながら「窮鼠猫を噛む。忘れんなよ?」と言ってきたのだ。

「…なんか俺、ムカついてきたんですけど」
「同感だ」

 思いきり引っ掻き回されたエースに元部長もうなずく。

「こうなったら先輩! 強豪の意地見せてやりましょうよ!」
「当然だ。学校側に贔屓されているからこその苦労もあるんだ」
「援助されるってことは絶対負けられないプレッシャーも背負ってるんですよ俺たち!」
「それを知らない奴に勝手に八つ当たりされる筋合いはない。藤代、当日は思う存分、向こうに構うことなく叩きのめすぞ」
「はい!」

 燃え上がる闘志は、いつの間にやら麗しき先輩後輩の光景を作り出していた。
 秋の夜長に、少年たちの青春が熱い。










 同時刻、一つ角の向こう。

「……やっぱり燃えてますね」
「…お前、これ狙って渋沢に例のこと言わなかったのか」
「一番手とアンカーが燃えれば、真ん中が万が一トチったときの保険になります」
「…俺、陸部よかお前のほうが怖ぇよ」



 さてさてどうなる武蔵野森学園中等部体育祭。














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 その4。
 ちなみに、初出は2003年(……)。






再録:思い出ひとつ3(笛/武蔵森)。
2005年10月19日(水)

 当事者はいつの間にか広まっていた。








「キャプテン! 俺と川上どっちが好きなんですか!?」

 藤代は部屋のドアを開くなりなりそう言い放った。

「「は?」」

 同じ響きの声が同時に重なる。発したのは元キャプテンと、元司令塔だ。
 心配になって一応ついてきた笠井は、藤代の後ろでふかぶかとためいきをついた。
 数学のノートを開いていた三上が勉強机の椅子を回してそちらを見る。

「…藤代、てめ寝ボケてんのか?」
「起きてます!」
「…おい笠井、説明」

 呆然としている渋沢を置き去りに、さりげなく面倒見が良いため藤代を黙殺出来ない三上は、迷惑にならないよう部屋のドアを閉めた笠井に促した。

「えーとですね、ほら、例の渋沢先輩がうっかり情報提供しちゃったことについてなんですが…」
「ああ、どっかのバカが女に惑わされて情報漏洩したアレな」

 丁寧に言い換えられ、怯んだ渋沢はますます何も言えなくなった。

「それをさっき知ったんですよ、藤代が」
「あ? 今ごろか?」
「はい。俺もてっきり知ってると思ったんですけどね。そしたら」

「キャプテンなんで俺の情報売ったんですかー!」

「…こうなったというわけでして」

 いつの間にやら渋沢に詰め寄っている藤代を笠井がちらりと目線で示した。
 床に直接座って雑誌を読んでいたらしい渋沢は、藤代の剣幕にじりじりと後退しているようだったがすぐに壁に当たった。

「ふ、藤代、説明するから落ち着け」
「だってだってひどいじゃないッスか! 俺先輩が部対抗リレーについては誰にも言うなっていうから一生懸命秘密にしてたんスよ!? バスケ部にも野球部にも頼まれたって頑張って黙ってたし、バレー部に差し入れの菓子貰ってその代わりに言えって脅されたって必死で逃げ回ってたのに、たのにー!!」

 ううう、と咽び泣きそうな藤代の様子に、場の空気が気まずくなる。
 渋沢の罪悪感は三割ほど増えた。

「…すまん、藤代。今更何を言っても言い訳にしかならないが…」
「先輩! 先輩にとって俺ってなんですか!?」

 後輩以外の何がある。
 笠井は素直にそう思ったが、二人の様子に緊張を抱くよりもこの先が面白くなりそうなので黙っていた。三上はすでに割って入る努力を放棄していた。
 なぜか床の上に正座している渋沢と藤代の間で会話が進む。

「藤代…、そういう問題じゃないんだ。これは俺の意思が弱かったせいで」
「でも先輩は! 俺より、川上のほうを選んだんですよね!?」

「…比べること自体変だって気付けよ…」
「気付いてたらここ来ませんよ」

 ツッコミ役二人がぼそぼそ喋っているが、真面目に対応しようとする渋沢と衝撃のまま突っ走る藤代には聞こえない。

「どっちを選んだとか、そういうことでもなくて」
「そういうことです! 俺よりあっちのほうが大事だったんだ!」
「そんなことない」

 渋沢克朗は言い切った。おいおい、と三上と笠井は内心で思う。
 この場合問題にされるのは情報を洩らした渋沢のことであって、彼の幼馴染みと藤代との比較ではない。

「絶対そうです! だったらなんで俺の順番バラしちゃうんですかー!」
「…向こうがそれを言ってきたんだ」
「そうやって頼まれたら、いつだって川上の言うこと聞いちゃうんですか! そんなに幼馴染みって大事なんですか!」
「…………」

 パチパチパチ、と三上がやる気のない拍手をした。当然藤代に向けてである。

「俺だって、俺だって先輩たち最後の学年だから、キャプテンがトップでゴール出来るよう絶対頑張るつもりだったのに!」

 きっ、と藤代の黒い目がいつにない敵意を込めて渋沢を見た。

「もういいです、そんなキャプテン知りません! キャプテンのバーーカッ!!」

 捨て台詞を残し、藤代は立ち上がり来たときと同じぐらい猛烈な勢いで部屋を出て行った。
 慌てたのは渋沢のみだ。

「お、おい藤代! ちょっと待て!」

 藤代から数歩遅れるようにして、本来ならばもうキャプテンではない渋沢も部屋を出て行く。
 その場には台風一過のような落ち着きが戻った。

「…子供か、あいつは」
「良くも悪くもそうなんじゃないですか? 信じてたみたいですから」

 肩を竦め、笠井は「そういえば」と続けた。

「どこの部も、藤代が第一走者だって知ってるみたいですよ」
「陸部がバラしたんじゃねえの?」
「違います。そのへんはリサーチ済みです」
「…リサーチって、お前一体何やってんだ」

 どいつもこいつも、と三上はあきれた視線を向けたが、笠井は気にしない。

「だって必然的にそうじゃないですか。最初にバカ早いの持って来たほうが後が楽ですし、トリは渋沢先輩がいたほうが格好つきますしね。それに第一走者は目立ちます。最終走者が無理なら、第一になったほうが目立って面白い、って藤代なら考えそうだってどこの部も想定してましたよ。事実そうでしたしね。順番決めるとき藤代そう言ってたじゃないですか。それに、うちの部リレーの練習なんて休憩時間にちらっとバトンの受け渡し練習するだけじゃないですか、順番そのままで。それで極秘だなんて言うほうが無理です」

 笠井は怒涛の勢いで言葉を並べ立てた。息つぎをするとさらにまくし立てる。

「うちの部は基本はサッカーですから、部活でリレーの練習するときに陸部みたいに前後入れ替えてカモフラージュするみたいな芸当出来ません。つまり練習でやってる順番がそのまま登録順です。練習場の奥でこっそりやってるつもりでも、校舎の二階以上の窓から見れば丸見えです。どこの部も藤代対策に一番早いのを最初に据えて来るでしょうね。陸部はよくわからないですけど、それ見越して二番手ぐらいまで短距離専門の部員揃えるんじゃないですか? あそこもトリは元部長かもしれませんけど、あそこの元部長は本来短距離選手じゃなくて長距離選手です。要注意は地区記録持ってる二年生です。女子なんですけど100メートル12秒代なんです。それをどうにかやり過ごして、あまり距離を作らずにアンカーまで回せばそこそこ上手くいきますよ。うちの場合もうメンバーはほとんど見抜かれてるでしょうから、最初から力押しでガンガンいきましょう」

 情報から攻略まで組み立てた笠井は、どうだという顔をしていた。

「俺は走りませんから、せめてこのぐらい調べますよ。大所帯は大所帯なりの情報網があります。人海戦術ならお手の物じゃないですか」

 武蔵野森学園中等部サッカー部員は、50や60の数ではない。一つの学年で、どこのクラスにもサッカー部員は必ず数人いる。直接リレーに出ない彼らを情報収集に当たらせれば、隠密行動は出来なくとも数に物を言わせた情報が集まる。
 今回その影の統括役を務めたのがこの笠井竹巳本人だった。

「あ、陸部には三上先輩はアンカー一つ手前だってウソの入れ知恵しておきましたから」

 にこりと笑った笠井に、本当は三番走者の三上は彼が曲者だという予感をさらに強めた。
 しかし渋沢が彼女に言ってしまった情報が大した価値がないものだったということを、なぜ彼は藤代や渋沢に言っておかなかったのだろう。

「だって知ったら渋沢先輩が追い詰められないじゃないですか。最後まで逃げ切れてたらいいですけど、逆転しなきゃ勝てない状況なら渋沢先輩に本気で走ってもらわないと」
「…俺の考え読むんじゃねーよ…」
「すいません。…でも」

 殊勝に謝った笠井だったが、その直後ふっと剣呑な光が目に宿る。

「うちのキャプテンを利用されて、黙って見過ごしたらサッカー部の名が廃ります」
「………」
「やるなら完全勝利ですよ。三上先輩、頑張って下さいね」

 本来部活での成果を見せるためだけに作られた種目に、なぜこうも熱くなるのか。
 自分を差し置いて三上はふと思い、後輩の底知れぬ部分に内心で慄いた。
 競技の前から暗躍するのはスポーツ精神に則っているのかどうかは、この場合黙殺どころか瞬殺だ。勝った者こそが正義の世界がそこにある。

 青春とは純粋であるがゆえに、ときに恐ろしいものなり。









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 その3。
 基本的に森面子オール出演です。




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