小ネタ日記ex
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二つの月(笛/渋沢と三上ヒロイン)(大人編)。
2004年08月15日(日)
一億二千の光より、指折り数える星でいい。
夜八時の訪問者はオフホワイトのスカートを身に纏い、吐息を伴って、彼の新居に現れた。
「夜分に失礼します」
古い知り合いだというのに、ドアが開いた途端丁寧に頭を下げた彼女の態度は、心の底から申し訳なさを漂わせていた。彼女とは中高校と六年あまりを同じ場所で過ごした渋沢は、寛大な笑みをもってそれに応える。
「まだそんなに遅くないさ。こっちこそ悪かったな。仕事は大丈夫だったか?」 「ええ。ちょうど帰るところだったから。…奥様は?」 「出掛けてる」
帰りは遅いことを告げると、彼女の怜悧な面差しに安堵の色が過ぎった。 渋沢が玄関の内側に招きいれると、バックストラップがついたパンプスの踵がかろやかな音を奏でる。制服がない職場の女性らしく、ヒールの高さは控えめだが高さゼロというわけでもない。昔から何をしても有能然としていた彼女らしい通勤スタイルだった。
「それで」
彼女が内側に入ったことで、ドアを開けるため突っ掛けた靴を渋沢が脱ぐかどうかの頃に、彼女は背筋を伸ばして尋ねた。微笑みが浮いているが、それは怒気混じりだった。
「どこに?」 「向こうだ。まあ上がってくれ」 「お邪魔します」
前向きに靴を脱ぎ、家主に対し斜めの角度で床に膝をついて脱いだ靴を直す。渋沢の旧友は教本通りの作法を披露したが、その後の行動は渋沢より早かった。 さして長くもない廊下を大またで歩き、突き当たりのリビングへの扉を開く。そしてそのまま固まった。
「……………」 「…いや、ちょっと昼過ぎから飲んでたから、な」
無言になった女性が、部屋全体のどこを見ているのか背後からでも渋沢は知ることが出来た。リビングの中央を占める、脚の低いガラステーブル。その上に乱立する空の酒瓶と空缶を見れば、この部屋で男二人で何していたか大体の想像はつく。 軽く十秒単位で黙った彼女は、肺の空気すべて使ったようなためいきをついた。
「アスリートが二人して、昼間から酒盛り?」 「でも夕方まで他の友人たちもいたから、二人であの量というわけでも…」 「それでも、飲みすぎて熟睡するほど飲んだわけね」
その部屋に一歩も入らず、腕を組んだ彼女の視線と皮肉はソファで長い脚を投げ出して熟睡している黒髪の青年に向かっていた。
「試合休みの日に、ほかにすることないの?」 「面目ない」
言い訳せずに渋沢は苦笑しながら否定した。同じ歳の彼女が、こういった口調で非難するときに下手に逆らわないほうがいいと生徒だった時代から知っていた。 今度はさして沈黙になることもなく、彼女が意を決してその部屋に脚を進めた。キッチンとカウンターを隔てて続き間になっているが、テーブルの周辺以外は新婚家庭らしく新しい家具類が初々しい調和を保っていた。
「三上?」
彼女はソファの前へ回り、膝をついてその顔をのぞきこんだ。香る酒気も覚悟していたのか、顔をしかめることはなかった。おそらく渋沢が掛けた水色のタオルケットの上から肩を揺り動かすが、漆黒の睫毛が上がる気配はない。 渋沢も同じように近づくが、彼女はすぐに渋沢のほうを向き直る。
「起きなかったの?」 「ああ。たぶん、少し寝れば起きるとは思ったんだが、山口なら起こせるかと」 「無理よ」
あっさり黒髪の恋人を持った彼女は答えた。
「寝穢いもの」 「それは知ってる」 「まったく」
静かに肩を落とし、彼女はかろうじて残る三上の体に支配されていないソファの一部分に腰を下ろす。 伸ばした白い手が、汗ばみ乱れた黒髪を梳くのを渋沢はじっと見ていた。
「未だに自分の飲む量もわからないのかしらね」
言葉とは裏腹に、優しい口調と慈しむような仕草。 飲み過ぎて前後不覚に熟睡してるので暇だったら回収しに来て欲しい、と渋沢が電話口で頼んだときは心の底から「馬鹿じゃないの」と言った人間が、結局本人を前にすれば穏やかにならざるを得ない。
「随分呷ってたぞ」
カウンターの向こうの冷蔵庫に向かった渋沢が、肩越しにそう言うと、彼女は一瞬黙って目を伏せた。
「…そう」 「一月は飲ませなくていい」 「そうでしょうね」
吹き出すように、彼女は笑った。居場所を落ち着かせるため鞄を床に下ろしたが、三上のそばからは離れない。前髪をなでつけ、いつも通りにしてやる手もそのままだ。
「不調だと自棄になるのは、よくないことよね」
やけにひっそりと、寂しげに聞こえた声に渋沢は買い置きの緑茶をグラスに注ぐ手を止めた。面倒なので明かりをつけていないキッチンは薄暗い。明かりの点いているリビングの中央にいる二人が、まるで舞台上の俳優たちのように見えた。 主演女優は渋沢の目にも少し痩せたことが、この角度からははっきりわかった。
「…後は訓練するだけって本人は言ってたな」 「そうなんだけど、気持ちは身体ほど順調に治ってないみたい」
もう走れはするんだけど、と彼女は睡眠に身を浸している彼の顔を見ながら呟いた。
「全治三ヶ月のところを、二月ぐらいでここまで来たんだ。三上はそれほど弱くはないさ」 「わかってるけど、…相変わらず私にはあまり頼らないのよね」 「…そうか?」
そうだろうか、と渋沢は純粋な疑問を感じながら淡い萌黄色に染まったグラスを彼女の前のテーブルに置き、近くの一人がけの座椅子に座る。 彼女は三上から渋沢へと視線を移し、彼女らしくない頼りなげな笑みを見せた。
「自分一人で何とかするっていう気持ちはわかるけど、あんまり頼ってこないと、やっぱり私じゃ無理なのかなとも思う」 「何言ってるんだ。三上の怪我に感化されて、気弱になってないか?」 「…そうかもしれない」
眠りを妨げないようにひそやかな声で肯定しながら、彼女はゆっくりとまた三上のほうを見た。寝顔に手を伸ばすのは、そうしなければいられないような心境にあるからだ。 一度、二度、と指先を髪にくぐらせながら、瞳が細まる。
「私は渋沢や三上みたいに、自分のプレーを見た人のほとんどを勇気づけたり、感動させるようなことは出来ないけど」
白い指先が止まる黒髪の合間。夜の静寂に溶け込みそうな淡い声。
「せめて、一人ぐらいの支えになりたいって思うのは、傲慢かしらね」
一億二千に感動を与える女神にはなれなくとも、たった一つを幸福にする傍らの何かに。 涙より先に溢れ出しそうな愛情に、その横顔が濡れているのが渋沢には見えた。一時驚いたが、やがて渋沢は不謹慎なほど破顔した。
「何かと思ったら、そんなことか」 「そんなことって」
当然、彼女は自分の本気を嘲笑されたと思い柳眉を逆立てた。渋沢はそうういうことでもないと、手を振って否定する。
「そう思ってくれるだけで、三上には充分だ」
三上の口からはっきりと彼女への感謝の言葉を聞いたことはない。けれどそれは彼が不得手とする事であるだけで、心の奥底では支えにしていることぐらい、渋沢でもわかる。 大事なことほど、客観的になりきれない本人には伝わりにくいものだ。 渋沢の目を見つめ返すかつての同級生に、渋沢は同じくかつての自分を思い出す。危ういところのあった中学高校時代。可愛げなく成長してしまった自分と違い、時には己を顧みず振る舞い、一途すぎて暴力的な生き方をする三上を幾度救えるだろうかと思ったものだ。 彼の悩みが自分の存在にあると悟ったとき、自分に三上は救えないと痛感した。あのときの絶望とやるせなさ。三上の向ける視線に、嫉妬と憎悪がちらついていることに気づかない振りをするのが精一杯だった。 サッカーの世界に身を置く限り、渋沢は三上を絶対に救えない。それは今でも変わらなかった。
「…むしろ、そう思ってくれるだけで俺には有り難い」
傍らに寄り添い、性質にとらわれず慈しんでくれる存在。 いつかあの強情で一途な友を包み込んでくれる鞘のような人間が現れることを願ってきた。自分では出来ないことを、誰かがしてくれることを祈ってきた。 よかったな、と渋沢は眠る友の心中に語り掛ける。彼女はあの頃から、きっと三上の中にいた。気づかなかっただけで、ずっと。
「…この人もそうだといいんだけど」
苦笑に近い印象で、彼女は顔をほころばせた。 それでも先ほどよりは晴れやかな笑みだ。望むなら渋沢は彼女が信じるに値するだけの具体例を挙げてもよかった。気分が落ち込んだとき、自分を肯定してくれる言葉は心を浮上させるのに何より役に立つ。
「今度聞いてみたらどうだ?」
それでも渋沢は、三上の名誉を思って具体例は言わなかった。彼女はすこし考えて、そうねとさらに小さく笑った。
「ともかく、見捨てないでやって欲しい」 「そんなことまで渋沢が頼むの?」
彼女は呆れた声だったが、表情はやさしかった。そして、ふと目の色を楽しげに変える。
「そういえば、知ってる? この人、こっちが見捨てるつもりで立ち去りかけると、服の裾つかんで引き止めるような人なの」 「ほお」 「でもつかむだけで何も言わないの」 「タチが悪いな」 「でしょう?」
でも、と言いながら微笑む横顔の先。ただ静かに眠る黒髪の存在。
「考えたら、ずっと前からこういう人なのよね、三上は」
呆れたのではなく、諦めたのでもなく、ただ受け入れた声。 しょうがないからそばにいるのよ。そんな強気で憎まれ口を叩くような少女だった彼女は、あの頃よりさらに愛情を磨いてまろやかで穏やかなものへ変えた。 彼はもう大丈夫だ。彼女がいるのなら。
「世話が焼けるな」 「本当にね」
軽く笑い合う二人の間に、もう一人がいる。 同じ世代を生きる黒髪の青年の脇で、二人はただ笑った。
地球と同じ年月を傍らで見守ってきた月が、窓の外に出ていた。
************************ 三上寝っぱなし。 途中でだんだん書いていることがわからなくなって混乱しました。あぶないあぶない。でもなんだか、やっぱり書きたかったことからズレた気がします。え、いつものことですか?(その通りだ)
これまでちまちま書いていた、中学高校時代の渋沢と三上の関係のうち、渋沢が抱いていた三上の危うさと心配っぷりが解消されるとしたら、姉さんが常にいるようになってからかな、と(わかりにくい言い回し…)。 とか言っても、最近ここに来た方にはわかりませんよね。すいません。
三上は同世代より一際抜き出た天才渋沢に友情半分嫉妬半分で接していて、それをどっちかに統一できない自分に苛立ったり、鈍い(と思ってる)渋沢がそんな三上の葛藤に全く気づいていないことにさらに苛立ってて。 渋沢は渋沢で、三上が自分のことを奥底では嫌っているような気がして、それが性質とかじゃなくてサッカーの点で渋沢が同世代の頂点付近に常にいることへの嫉妬だって理解してまして、すごく複雑なんだけど三上のことは嫌いになれず(性格上で嫌われてるわけではないので)、逆に三上を傷つけまいと三上の嫉妬に気づかない鈍感を装っているのです。
いるのです、とか言っておいてまあとどのつまり私の妄想ですよ。 笠井と藤代にも似てますが、笠井くんは三上より穏やかな性質なのと、藤代は渋沢さんみたいに装ってるんじゃなくて本気で笠井の嫉妬に気づいてない、と。 性格上では嫌いではなく、むしろ好きなんだけど、そこにサッカーが混入することによって複雑になってしまう、という葛藤とかそういうのがね、うん。
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再録・あの空の向こう(笛/藤代と笠井)(高校生)
2004年08月13日(金)
光る雲の向こうまで共に行くのだと思っていた。
明るい灰色の雲が天に蓋をしていた。 わずかに落ちてくる太陽の光は、大地に完全な光明として届かない。雲の向こうを透ける陽光。夏の眩しさにはほど遠いのに、笠井は目を細めてそれを見上げていた。
「たーくーみーっ」
背後のほうから明るい声が笠井の名を呼んだ。 振り返らずとも笠井にはそれが誰かはっきりとわかる。道端に立ち止まったまま、駆け寄ってくる足音を聞いていた。 軽快な足取りは、その持ち主に朗報をもたらしたことを明確に告げていた。
「内定決まった!」
開口一番に笠井の友人は笑顔のままそう言った。 握らないように気をつけてもっている、A4版サイズの茶封筒。印字されている日本国内の球団の名称を見つけ、笠井は笑った。
「おめでとう」 「おうよ! これで俺も春からJリーガーだ!!」 「見習いみたいなものだろ」
笠井ははしゃぐ藤代をたしなめるような顔を作った。プロ入りを果たしても、すぐに試合に出れるわけでもない。そう言いたかったが、そんなものは所詮儀礼的に過ぎないと笠井自身がよくわかっていた。 きっと藤代はすぐに高みへと駆け上がっていくだろう。 惜しみない努力と、飽くなき情熱、そして天賦の才能と、掴み取った運で。 サッカーに愛された天才少年は、必ず至高の世界に辿りつく。長い間、笠井は隣でそれを確信していた。藤代は、自分には足りなかったものをすべて持ち得た者だ。
「おめでとう」
もう一度笠井は繰り返した。 強く、藤代が笑顔でうなずき返す。 寒い午後だ。乾いた東京の冬の空気。外気に触れた頬が冷たい。肺に落ちていく息も冷たく、笠井はかすかに目を伏せ、静かに言う。
「俺も決まったよ」
鞄のなかの入学願書を思い出して、笠井はコートのポケットに突っ込んでいた自分の手を出した。意味はない。ただ、止まったままでいたくなかった。 武蔵野森学園指定のダッフルコート。着るのは今年で最後だ。 藤代はきょとんとしたあと、わずかに目を瞬かせた。
「決まったって? 何が」
何のためらいもなく聞き返す藤代の率直さ。笠井はそれに苛立ったこともあった。けれど卒業が近づいてくる今、それは親友の代え難い美徳だと素直に思える。 6年前。中学に入学したときに出会い、二人は随分長く友人の関係を続けていたものだ。 同じ部活で、同じ学年。共通項は多かった。性格の面では大分遠い二人だったが、足りないところを補うように友達になった。 追いかけた夢や、語った未来。将来はまだ遠いところにしかなく、無邪気にいつかの自分を夢見ていたあの時間が終わったことを、笠井は痛切に感じた。
「大学。外部に推薦入学しようと思って」
すっと藤代の顔から明るい表情が消えた。 すぐに見て取れるほど、驚きだけではない様々な感情が彼のなかに沸き起こっている。仕方ないことだと、笠井は少し申し訳なくなった。これまで一度も藤代に外部の学校に進学志願していたことを言っていなかった。
「……え? だって、竹巳にだってどっかの球団から」 「サッカーは俺の生きる道じゃない」
笠井が言い切ると藤代が息を呑んだ。 これは残酷なことだろうか。笠井は正直そう思う。けれど酷だろうと、今の二人が生きるのは現実だ。少年期のあこがれと夢ではどうしようも出来ない。 強張った空気を少しでもなごませようと、笠井は小さく笑ってみせた。無駄な努力でもそうするしか出来なかった。
「俺はプロじゃ生き残れないよ」 「やってみなきゃ」 「わかる。俺は…渋沢先輩みたいにはなれない」
敢えて笠井は藤代のように、とは言わなかった。妬みの気持ちを少しでもこの親友に見せたくなかった。友達でいたかった。言いにくいことを先延ばしにするのが本当に友達なのか、という皮肉を自分自身に問い掛けながらも、笠井は藤代を一時でも憧れ、妬んでいた自分を知られたくなかった。
「俺は普通に進学するよ」
お前みたいにはなれなかったよ。 自分の歪んだ笑みのなかに、笠井は言えない本音をひた隠した。 お前がいたから、俺は自分の限界を悟ったんだ。
「指定校推薦の話があったんだ。東京じゃないけど、レベルもそこそこだし、就職率もいいから損はないと思って。学内選抜にパスしたから、あとは向こうの面接と小論文試験。指定校推薦だからまず落ちないって話だけど」 「…………………………」
黙った親友の顔。憤然としたものが動揺と混じっている。怒りが吹き出すまでの溜めの時間だと笠井はわかった。何を言えばいいのかわからない藤代の表情だった。 笠井は黙って藤代が何かを言うのを待った。笠井は告げた。ならば、その反応を知る権利が彼にはあった。 やがて、藤代は吹き上がる感情を必死で抑えた声を出した。
「…俺、聞いてなかったんだけど」 「うん。言わなかった」 「なんで! なんで言わなかったんだよ!!」
声を荒げた藤代に笠井は慌てなかった。藤代に不快ささえ与えるほど、落ち着き払っていた。 ひたと藤代を見据えたやや吊った双眸はひどく澄んでいた。藤代のほうがまるで問い詰められている気分になる。
「ひとりで決めたかった」
透明な声だった。 奥歯を噛み締めた藤代に向かって、笠井は慎重に言葉を選ぶ。
「誰にも言わないで、一人で考えたかった。俺の人生だから」
それが親友への裏切りだと笠井は熟知していた。 感情を素直に見せる藤代には、笠井が何も言わずに一人で決めたことを快く思うはずがない。重大であるはずの決断における迷いを、誰とも分かち合わない。藤代にとっては、きっと信頼に足りない人間だと言われたも同然だっただろう。 けれど笠井はわかって欲しかった。藤代にとってはそうでも、自分にとっては違うことを。 何も相談しなかったからといって、藤代を故意に傷つけたかったわけではない。 誰かに話し、その人の意見に自分が左右されない自信が笠井にはなかった。確固たる決意のない自分には、誰かの言葉に安直に揺らいでしまいそうだった。 だからこそ、一人で考え、一人で結論を下した。 何年も心血を注いでいたサッカーから離れ、別の道を模索するすべを。
「…ずっと言わなくて…ごめん」
すべて終わってから告げる卑怯さを笠井は自覚し、心底からの謝罪を口にした。 藤代の表情がひび割れた。
「な…んだよ、それ」 「藤代…」 「じゃあなんで先にそれ言わなかったんだよ! なんで俺に秘密にする理由があったんだよ! 俺には言いたくなかったのかよ!」 「違う。そういうことじゃなくて、俺は」 「そういうことだろ! 言わなかったってことは、言いたくなかったんだろ!」
鋭い声で糾弾され、笠井は口を噤んだ。今は何を言っても言い訳にしかならない。 進路の岐路に立ったときから、藤代のほうは笠井に多くを話していた。だというのに笠井は藤代に何も言わなかった。フェアではないというには多少違えど、藤代の心中には似たようなものが渦巻いているのだろう。 同じところにいると思っていた。これまでずっと、それは変わらないと信じていた。その藤代の信頼を裏切ったのは、笠井だ。 薄い光しかない真冬。二人の少年は互いの間に初めて距離を感じた。
「サッカーもやめるのかよ」
偽りを許さない親友の声は、咎めであり制止だった。 わかっていて笠井はうなずく。確かに。 嘘はつけなかった。
「やめるよ」
大学に入って趣味のレベルでは続けるかもしれない。けれど藤代が問うているのは、生きる道としてのサッカーだった。だとすれば笠井の答えはイエスだ。
「じゃあ! これまでやってきたのはなんだよ!」 「…全員が全員、プロの世界に入れるわけじゃない。わかってるだろ」
冷静に笠井は答えた。 笠井が言ったことは、藤代にもわかっているはずの事実だった。 有限である場所。入り込めるのは上から順番だ。笠井は自分がそこに到達していないことを一番よく理解していた。 なれなかった。藤代のようには。なりたかったけれど。 泣きたい気持ちで笠井は微笑んだ。
「いくら好きでも、どうしようもないことはあるよ」 「……ッ、でも! 諦めるなよ!」
藤代の言い方は持てる者の響きだった。 お前に何がわかる。 言ってはいけない言葉を笠井は最後まで言わなかった。持てる者に、持たざる者の気持ちは生涯理解してもらえない。しかしそれを言えば、必ず藤代は今以上に傷つく。そんな真似は出来ない。 ただ、少しだけ悲しかった。親友が自分の選んだ道を応援してくれないことが。 けれど譲れない。自分の人生を他者に非難されたぐらいで変えるぐらいなら死んだほうがましだ。サッカー推薦で武蔵野森学園に進学した12歳の頃も、同じことを思った。 12歳の自分が願った未来のサッカー選手は、きっと永久にやって来ない。だからこそ、もう一度自分の将来を見つめ直す選択が愚かだと笠井は思わなかった。そして藤代がそれをまったく理解していないとも思わなかった。彼と自分の価値観の差を見せつけられただけだ。 どれだけの言葉を弄し、いかほどの感情を傾けても、分かり合えない領域は少なからずある。 持てる者と持たざる者の境界線。 寂しくとも、いつかそれを譲り合える大人になりたいと笠井は思う。
「諦めなきゃいけないことだってあるんだ」 「…竹巳」 「諦めなきゃ進めないことだってあると俺は思った。だから、諦めた。プロにはなれない。それを認めて、諦めるのが悪いことだと俺は思わない。諦めても俺は後悔しない」 「でも…」 「藤代」
強い意志を込めた笠井の声は、静かで、まるで年上の人間の声だった。
「俺の人生なんだ」
藤代を見据える猫のイメージを宿した両の瞳。 いつの間にこの親友はそんな大人びた顔つきになっていたのだろう。唇を噛んで、藤代はまるで自分が子供のわがままを喚いている気分になった。 泣いて地団駄を踏めたら、どんなにすっとすることか。
「…なら、勝手にしろよ!」
それだけを叫ぶと、藤代は踵を返して走り出した。笠井は追わない。追ったところで、同じ押し問答を繰り返すだけだ。皮肉なまでの付き合いの長さがそれを知らしめていた。 遠ざかる後ろ姿が、完全に見えなくなるまで笠井は人通りのないアスファルトの上でたたずんでいた。
「…ごめん……」
胸に浮かぶのはそんな言葉ばかりだ。 けれどこうするしかなかった。藤代だけには、どうしても言えなかった。非難されるとわかっていたからだ。責め立てられ、自分が激情に駆られて本音を吐露してしまうことだけには、耐えられないと思った。 天才の間近にいたことで、自分がそこに届かないと徐々に理解していくしかなかった六年間。 心が暗い方向へ傾くたびに、羨望を超えた嫉妬と憎しみを他ならぬ友に抱いた自分を卑下し続けていたのは、笠井自身だった。すべては弱い自分のせいだ。 なりたい自分にはなれないと、認めるのが怖くて走り続けた。脚を止め、苦しみながら悩み、プロになる夢を手放したときの途方もない解放感。寂しさと安堵の両方をかみしめながら、現実を知った。 プロへの夢を諦めたことを後悔はしていない。けれど、親友とこんな仲違いをする方法を選んでしまったことだけは後悔した。 冷えきった冬の雲の向こうにあるはずの太陽。それを見上げる気も起きない笠井の目線の先に、白い花が落ちてきた。 雪だ。 笠井はそのまま、東京の街に落ちてくる六花を見ていた。
「俺も…諦めたかったわけじゃないよ」
粉雪ほどに小さな氷の欠片に、笠井は独白した。 言えなかった言葉。伝えられなかった気持ち。見せてしまったら、次に進む勇気が溶けてしまいそうだった。 サッカーが好きだと思う。出来ることなら一生携わって生きていきたかった。 けれど、現実の壁はそれを易々と許してはくれない。そして、サッカーを離れる進路を選んだ。間違いだとは思わない。かといって何の葛藤もないと言えば真っ赤な嘘だ。 諦めるのは、逃げることと同じではない。新たな挑戦だ。笠井はそれを信じている。 藤代にだけは、そのことをわかって欲しかった。 切なかった。友と分かり合えなかったことが、これ以上ないほどに。
「俺は…―――」
笠井の頬に六角の花が当たる。 体温に触れて溶けた水が、少年の涙に混じった。
************************ 季節とは全くそぐわないのですが。前日記からの再録です。
本日夏コミに行ってきまして、お会いした方とこの小ネタの話をしまして、懐かしくなって発掘してみました。ついでなので加筆修正などしてみました。 どんな人生でも本人が責任を取る覚悟があるのなら、他人がとやかく言う必要はないと、思います。人生の評価をするのは他人ではなく自分だと思う派です、私は。 いい就職いい結婚の定義が人それぞれなんだから、いい人生の定義だって人それぞれさ、と。 一番嫌いなのは現実が嫌だと言う割には変える努力をしない、ただの愚痴ったれです。…とか偉そうに言ってみる。私は最近つまんないな、と思ったらとりあえずバイトを変えるか、これまで読んだことのなかったジャンルの本に手を出します。視点の変わる物事なんて、世の中に結構ある気がします。
…だんだんよくわからない語りになってきましたぜ。
ええと、今日はともかく色々あった日でした。 午前と午後で全然違う一日を過ごした気分です。むしろ、午前分と午後分でそれぞれ通常の一日分のエネルギーを使った気がする。一日の間に三種類の名前で呼ばれた(本名・PN・HN)。 そもそも、13日の金曜日というこの日は、未明から波乱気味でした。
山本さんが敗戦監督になったよ。 アテネで無敗監督として名を馳せて欲しかったんだー!! すごく眠いのを頑張って起きて、頑張ってひとり日本で応援していたのに、4-3で勝敗が決定したとき、そのままテレビ消して寝ました。 敗戦の夜は、眠りに落ちる寸前の時間が無性に寂しい。 でも大久保は相変わらず面白いやつだなあ、と思いました。激情家なのね、良くも悪くも、と改めてしみじみ。点入れたら満開の笑みではしゃぎまくって、点取れなかったら見苦しいほど(失礼)喚いたり。 何しても見てて面白い人だ。いろんな意味で何するかわかんない系のキャラは嫌いじゃないです。頑張れストライカー。監督のために。 …で、プロフィール見たら大久保とものすごく歳が近いことを知ったよ。 世界で戦う同世代にちょっと焦ったのはなんでだか。
そして試合終了後、ほぼ四時間睡眠で起床。 半分目を閉じたまま支度をして、家の用事を長女として果たすために出陣。逃げやがった兄に恨みのメールを送ろうとして忘れた。 門を開ける。お盆の牛馬たちを置く。迎え火。線香。蓮の花。 大叔父が予定の時間に来なかったせいで、お経をあげに来て頂いたお坊さんまでお待たせしてしまい、何やら申し訳ないムードの中、半分船を漕ぐ私。 終わってから敷地内にある墓地に移動。犬まで連れてみんなで移動。民族大移動、という言葉を思い出す。 従姉が来ていないことに妙に腹立ち。家にいるなら来ようよ、と愚痴ったら伯母にあの子とあんたじゃ違うのよと言われる。あんまりだ。 ところで迎え火とかそういうのって、どのうちでもやるものじゃないんです、か、…もしかして。みんな言わないだけで、やってるもんだと思っていた私はもしかしなくても田舎者。
いろいろやって、辞去する理由を「就職の内々定先の実習があるから」と大嘘つく私。実習はあるが来週である。言わなきゃバレない。 再度自宅に戻って着替えをしてビッグサイトに向かったのは午前十一時過ぎ。 なぜか電車の中で読んでいたのは新潮文庫『赤毛のアン』。先日アニメ版をちょろっと見てしまったせいで、原作がまた読みたくなったようです。
午後一時過ぎ。ゆりかもめ有明駅到着。 待ち合わせの時間まであと十分ほどしかなく、走ってみるもののやっぱり遅刻。初対面の方もいるというのに、遅刻。かなりみっともない。申し訳ありませんでした。 その後、お会いしたお三方と会談。かっこよく言ってみましたが、実際は半ピクニック。ビッグサイトの芝生でまったり。 頂いたお菓子は帰宅後がっちり平らげてしまいました。美味しかったです。甘いものは苦手ですが激甘だったり生クリームかあんこでない限りは、結構平気です。本当にありがとうございました。 そして今日お話させて頂いたお三方には、楽しい時間をありがとうございました。
午後四時過ぎ、バイトのため東ホールへ移動。 バイト仲間(というか友人ズ)と合流。 小・中学時代の友人たちとチームを組んでまして(何の)6人だから、通称D6と呼びます。元ネタは勝利6人から。同人6、だからD6。 戦隊モノみたいにしようぜ!とか言ってた割には、アイドルグループのパクリ状態。高校時代の発想ですから。付き合い長いんです。
カンザキさんに会う(この人もD6)。君の伝説を話してきたよエリザベート七香(コスプレ名)、と報告。伝説を作ったつもりはないと反論を頂戴する。うんそうだね、豆大福をビーンズビッグハッピーと英訳した高校時代を忘れないよ友よ。 その後、仕事内容の都合で二人組になる際、カンザキさんと組むことに。お互いそれなりに長くコミケでのバイトをしてますが、彼女と組んだのはとても久しぶりで。行くぜ相棒。 ちょこまかでろりん(何だそれ)と働き、バイト終了。 給料もらってさあ帰ろう。 夕方七時半ぐらい。 帰宅は夜十時過ぎぐらいでした。
…こんな感じの一日でした。つかれたよ。 明日も帰りはこの時間とほぼ同じなので、東京湾の花火を帰り道の電車の中で見ることになるのかな。寝てさえいなければ。
で、これからオリンピックの開会式見ます。明日も本家行かなきゃならんのですが。 誰だ五輪開幕とコミケの日程重ねた奴は(誰でもない)。
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