小ネタ日記ex

※小ネタとか日記とか何やら適当に書いたり書かなかったりしているメモ帳みたいなもの。
※気が向いた時に書き込まれますが、根本的に校正とか読み直しとかをしないので、誤字脱字、日本語としておかしい箇所などは軽く見なかった振りをしてやって下さい。

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ソーダ色の夏時間(笛/藤代と三上)。
2004年08月08日(日)

 どこかで風鈴の音がした。








 武蔵森学園中等部男子サッカー部には、夏季休暇の間だけ昼寝の習慣がある。
 成長期著しいこの年代において、休息もなしに一日中動き回るというのは体細胞を破壊するだけであって、身体の成長に悪影響を及ぼす危険性がある。かつてはそういった練習日程も多かったが、身体医学の進展によって今では行われていない。
 昼寝の重要性を示唆されるようになったのも昨今だ。昼寝によって起こるノンレム睡眠によって成長ホルモンの分泌が促され、壊れた細胞に栄養が行き渡り、効果的なトレーニング効果が得られる。また怪我をしにくい体になるという根拠もある。
 運動・休養・食事はどんなスポーツの世界にいる者にとっても決して偏愛があってはならない三本柱だった。
 そのような事情で、午前・午後と練習がまたがる日のサッカー部員専用寮、松葉寮では真昼だというのに無音の時間があった。部員全員が一様に眠りについているとなると、寮の管理に関わる大人たちもその時間は出来る限り音を立てずじっとしている。
 ところが昼寝時間開始から三十分後、唐突に目を覚ました者がいた。

「………………」

 なんかヤな夢を見た。
 彼の寝起き最初の思考は、そんな言葉となって脳裏に浮かんだ。感情のままに、不快な表情を隠さない。自分でも眉間に皺が寄っているのがわかった。
 夢の残滓の、理由のない不安に襲われながら黒髪の彼は同室者のベッドをのぞき込んだ。ところが二段ベッドの上段では、笠井竹巳という少年が穏やかな寝息を立てているだけだ。
 彼、藤代誠二は落胆の息を吐くが、笠井が寝入っていることは想像の範疇だ。一時はこの暑い中、簡単には寝られないと二人で愚痴っていた頃もあったというのに、夏休みも佳境に入れば昼寝にもすっかり慣れ、空気をかき回す扇風機の音を子守唄に熟睡も容易い。
 もう一度寝なくては。
 自分にそう言い聞かせ、藤代は蹴飛ばしていたタオルケットを引き寄せ、背中から倒れこんだ。かすかにベッドが揺れたが、笠井はその程度では目を覚まさなかった。
 ところが己の理性に反して眠気が遠ざかっていく。それを感じつつ藤代は抗って目を閉じる。午後、太陽が傾きだした頃にはまた身体を動かすことになる。そのために休んでおくことは必要だ。成長期のいま、激しい運動は逆に成長の妨げになる。筋肉や身長を少しでも欲するなら、休養も立派なトレーニングの一貫だ。
 藤代の強い熱意に負けたのか、どうにか眠気が戻ってきてくれたのは二十分を経過した頃だった。うとうとと、室温や外の蝉の声も聞こえなくなるほどのまどろみが彼を襲う。
 ちりん、と風鈴がなるまでは。

「……ッ」

 弾かれたように身を起こす。
 たった一つの音。涼やかな風鈴の音が、得体の知れぬ不安と恐怖を呼び覚ますかのように、藤代の頭の中に突き刺してきた。
 何が怖いのかわからない。ただ、風鈴の音が莫大な何かを思い出させる。
 
「た…」

 竹巳、と呼ぼうとして藤代は思いとどまった。笠井は夏が苦手で、この時期は毎晩寝苦しいとぼやく姿をよく目にしている。そんな彼にとってこの時間は体力回復に勤しむべき時間だ。邪魔したくなかった。
 意を決し、藤代はタオルケットを跳ね上げた。裸足の足が床に触れると、ひやりとするが音は立てなかった。出来る限りそっと動き、部屋を出る。







 いつもは騒々しく誰かの声が聞こえる寮内はあまりに静かすぎた。
 ぺたぺたと裸足で廊下を歩きながら、藤代は漠然とした不安にためいきをつく。明るい日差しと暑い空気、誰かがいる気配はあるというのに、姿は見えず声は聞こえない。まるで呪いがかけられた眠り姫の城だ。存在があっても確認できない空気に、一種の寂しさを感じた。
 探せば、どこかしらの部屋に目を覚ましている部員はいるかもしれない。けれどそれを堂々と探すことは憚られた。昼寝は寮のルールなのだ。さきほどの笠井にしなかったように、安眠を阻害する者にはなりたくなかった。
 蝉の声に惹かれるように、藤代の足は玄関先に向かっていた。寮の敷地内から出ることはしないが、せめて太陽を直接仰げる中庭にいればこのわけもない不安も薄れる気がした。
 玄関の簡易式の下駄箱に突っ込んだままだった自分のサンダルを突っ掛けて藤代は外に出る。内側より一層暑く、眩しい光が目を灼いた。咄嗟に手を翳してその光を遮る。
 藤代の視界に入る自分の手の向こうで、ふと揺らいだ人影が見えた。
 げ、と好意的ではない響きの一音がまず届いた。

「…何やってんだよ」

 綿のTシャツにハーフパンツ。藤代と似たりよったりの格好で、コンビニの袋をぶら下げた相手は顔をしかめながらそう言った。午後少し過ぎの太陽はほぼ真上となって二人を照らす。
 自分よりもさらに濃い彼の黒髪が、夏の日差しを弾くのを藤代は呆然と見ていた。

「…三上先輩こそ」

 それでも話相手に巡り合えず寂しかった藤代には、奇妙なほど嬉しい偶然だった。声を出したことでいつもの調子が目を覚まし、藤代はにやっと笑いながら近づく。

「あのー、先輩?」
「なんだよ。起きてんじゃねぇ、寝てろバカ」
「確か、この時間って外出禁止ですよね?」
「渋沢が気づいてなきゃいいんだよ」

 へっと鼻先で笑う三上は、同室の部長を出し抜いたことに罪悪感はないようだった。大して大きくないコンビニの袋を藤代から隠すように、身体の影に入れた。当然藤代は見逃さない。

「何スか、それ」
「あーうっせー、寝よ寝よ」
「みーかーみーせん」
「バカ! でっけー声出すな!」

 小さくはあるが勢いのある声で、三上は藤代の言葉を遮った。誰か起き出してくる前に、と思ったのだろう。藤代の背中を軽く蹴って中庭のほうを向かせた。

「一個なら分けてやるから、黙ってろよ」







 白い半透明のビニール袋から取り出されたソーダ味の棒アイスを、藤代は歓喜の瞳で見つめた。声を出す前に、三上の釘刺しが入る。

「いいか? 渋沢には絶対言うなよ」
「くれるなら黙ってます」

 藤代は敬愛する主将への忠誠も、魅惑のアイスの前では目を瞑ってもらうことにした。尚も文句を言いたげな三上から受け取ると、つい笑みがこぼれる。座った中庭の生暖かい石も気にならなくなった。

「ったく、俺が苦労して抜け出して買ってきたってのによ」
「いただきます!」
「あ、こらテメ、俺より先に食ってんじゃねぇ!」

 ばりばりと袋を破いた藤代に三上が慌てて続いた。この暑さだ。三上が徒歩でコンビニから帰ってくるまでの道中で、保冷剤なしのアイスには霜がすべて溶けた水滴がついていた。
 さくりと歯で噛むと口の中いっぱいに冷たさが伝わり、そのうちに頬の表面も冷えてくる。外の暑さと中の冷たさ。そのアンバランスが爽快だ。

「うまいッスねぇ…」
「そりゃテメエの懐が痛まねぇんだから美味いだろーよ」

 ちくしょう、と悪態を吐きながら三上がざくざくと水色の氷菓子を貪る。融けて水滴が垂れる前に食べ切ってしまいたいのだろう。三上の黒髪の合間、こめかみのあたりから汗が一筋流れていた。
 しばらく無言が続いた。氷をかじる音と蝉の声しか聞こえない中に、太陽が世界を焦がす音も混じっているような気配がする夏。
 少しずつ小さくなり、最初の感動が薄れ始めたアイスの棒を右手に持ちながら、藤代は庭で咲いている名前を知らない百合の花をぼんやりと見ていた。

「お前、いつも起きてんの?」

 唐突に三上が話しかけた。驚いた藤代は百合から目を離す。

「え?」

 藤代の驚きを、三上は否定と解釈したらしい。すぐに「やっぱいい」と彼らしい文句で会話を続けることを拒否した。三上の目元に睫毛の影が落ちる。
 少しの間、藤代は三上の言いたかったことを考えた。結論はわりと簡単に出てきた。

「三上先輩は…いつも?」
「…たまにだ。まいんち夜だけの睡眠だったら死ぬぜ俺」

 顔をしかめた三上は、藤代のほうを見ていなかった。藤代はこっそり彼の横顔を盗み見る。二人は木の陰になっているところに座っているが、三上の横顔は日差しの中よりずっと大人びたものに見えている。黒髪は夜の闇に似ていた。
 三上がなぜ、皆が眠るこの時間に起きてしまうのか、藤代は訊けなかった。
 ただふと、自分が些細な風鈴の音で目を覚ました経緯を思い出した。

「…寂しくないですか?」
「あ?」
「たった一人で起きてるのって、なんか…寂しい気がします」

 みんないるのに、誰もいない。
 大声を上げて呼びたくてもそう出来ず、時間が過ぎるのを待つために彷徨う。自分だけが世界に取り残されたような錯覚。あのとき見ていた夢は、それに近いものだったのかもしれない。
 三上は皮肉げに笑ったようだった。

「慣れた」

 答えは簡潔だった。
 藤代はそうは思わなかった。黙ってあとほんの少しになった氷菓子を齧る。

「だいたいお前、一人で起きるのが寂しいって、そりゃガキの思考だぞ」
「えぇ? …そうかもしれませんけどー」
「俺は平気なんだよ」

 一人でも。
 そう続けた三上だったが、視線が揺らぐのを藤代は敏感に察した。
 この人は強がるのが好きだ。そう思った。哀れんでいるようで、とても口には出せないがかわいそうにも思えた。寂しいことを寂しいとは言えず、虚勢を張ることで忘れた振りをする。そうするしか出来ない人なのかもしれない。
 眩しい夏の日、起きたら一人きりで、目の前に広がる無音の空間。
 それをほんの少し、寂しいと口にする自分すら、三上は許さない。
 武蔵森の絶対階級制度を思い起こす。その一番上の群に属するためには外部の人間には計り知れない努力が必要で、そこに入れたからといって努力を弛ませることがあればすぐに転落の途が待っている。精神的に追い詰められ、自滅して部を去る人間も少なくない。三上もそれに近いという危惧を藤代は抱いた。

「三上先輩、いつかストレスでハゲちゃったりして」
「うっせ」

 親身になって慰めるのは、きっとこの人のプライドを傷つける。そう思った藤代はわざとずれた方向に、わざと明るい口調で言い放った。案の定三上はふんと鼻先で笑ってアイスを食らう。
 藤代も、三上のほうを見ずにアイスを食べた。夏の影は濃く、湿気た日本の夏の匂いがする。誰にも決して頼らないと無言で告げる先輩の姿が、少し切なかった。
 慰めも励ましも藤代には出来なかった。けれど、この暑い夏を乗り切って、出来る限り長く彼とサッカーを続けたいという思いは強い。この人が生み出す正確無比なボールの軌跡は、藤代にとって慣れ親しみまた充分尊敬に値する。

 その日藤代が見つけたのは、眩しく明るいだけではない孤高の夏の姿だった。
 けれど、知らないでいるよりはいいと、そう思った。








************************
 藤代の思考メインの話で、昼寝から一人だけ先に起きちゃったときの寂しさが書いてみたいなあ、と思ったんですけどね。
 …なぜ三上の苦悩に話が飛んでいるのか。

 夏とか昼寝してて、ふっと起きたら部屋にひとり、とか微妙に寂しい気持ちになりませんか? 私だけですか? そこまで人に甘えんなって感じですか。
 んでよくわからない夢とか見ると、無性に不安になったりとか。
 まあそういうのをね、書きたかったんですよ(達成しているのかどうなのか)。
 ほんと小ネタは力いっぱい好きなものを好きなように書いてます。

 で、今回もそうなんですけど随所に参考にさせてもらってる文献があります。
 一年前までの参考文献はこちら。
 一年前なので、それにさらに加わっています。ネット関係でさらった資料もあるのですが…。そろそろ全表記したほうがいい気がします。
 普段何も考えて書いていないようでね、たまにはね、使うんですよ。原作以外の資料も(本当にたまに)。全寮制中高一貫校のサイトとかで寮生活の規則とか。
 医学の進歩によって、学校部活動の方法もずいぶん変わってきたらしいですね。うちの父親の時代には、暑い最中の練習には絶対水を飲んではいけない、とか言われたらしいです。今じゃ考えられん。

 ところで、7日のアジア杯決勝戦。
 用事を出来るだけ早く済ませ、出来るだけ早く帰ってきたので前半の途中からどうにか見れました。また各所で誰かに迷惑をかけたかもしれぬ。
 7日の川口もきっちり活躍していて嬉しかったです。
 飛び出しプレーの危うさが好きだなあ、と改めて思いました。何ていうの、あの、何しでかすかわかんないところが川口の魅力です(その言い方もどうだろうか)。
 前回、前々回と、奇跡と言われたものを見てきたせいか、ちょっとあっさり気味風味な気がする決勝戦でしたが、あれぐらいが普通なんでしょうな。ええ、その前と前が劇的すぎた。
 ついでに、そろそろ主審について物言いをつけたい試合でした。
 観衆に呑まれるな主審。最高判定は自分だと胸張って言ってもらえるような厳正な審判を下して欲しいものです。
 中国のブーイングについては、まあどうにも。フェアプレーを尊ぶ精神と共に、相手のチームにも敬意を払う精神を求めたい。正直あの国でオリンピック開催はちょっと嫌かもしれない。
 だいたい試合内容ではなく、政治問題が持ち上がるスポーツ試合って間違ってると思います。なんで私が、試合の感想で国家について語らなきゃならんのだ。

 今回、見直したのは玉田でした(偉そうに言える立場か)。
 アイツ(秘密)よりマシだけど微妙な気も…、という印象を抱いていたのですが、なんだ、やれば出来るじゃない!みたいな(だからアンタなんでそう偉そうなの)。
 うちのかか様は、「あら、玉田って俳優みたいな顔ねぇ」とのほほんと申しておりました。そうね、かか様は中田浩二さんもお好きですもんね。でもヨン様は苦手よね。

 あ、そういえば数年振りにあった中学時代の友人が、ヨン様そっくりになっていて驚きました。






松葉牡丹が咲いた日(笛/渋沢と藤代)。
2004年08月05日(木)

 松葉寮に松葉牡丹が咲いた頃、彼女はやって来た。








 玄関先での押し問答はすでに十分を経過しようとしていた。

「藤代」
「ヤです」
「…藤代」
「イヤ、です」

 松葉寮の玄関はタイル張りになっており、両開きの厚いガラスドアを潜れば壁に沿って簡易型の靴箱が設置されている。土足で踏むことになるタイルからはすのこが敷かれ、そこから靴を脱いで上がることになっていた。
 そのすのこを隔て、スニーカーの藤代と、室内履きの渋沢が対峙していた。

「ふじし」
「嫌です」

 とうとう同じ一言を言い合う応酬にも飽きたのか、またはかたくなな藤代の態度に呆れ果てたのか、寮長として生徒間の問題に責任を負う渋沢が大仰なためいきをついた。
 渋沢が組んでいた両腕を外したが、藤代は自分の腹のあたりで組んだ手を離さない。
 その藤代の腕の中で、何かがもぞりと動いた。
 漆黒の毛並みを持つ仔猫が藤代の腕の中から顔を出す。その純真な瞳に渋沢は敢えて逆らった。

「…藤代、ダメなものはダメなんだ」

 当初は説得と叱咤が混じったものだった渋沢の声に、同情が混じった。
 半ばうつむきながら、腕の中の存在を決して手放そうとしない藤代の口許がきゅっと引き締められる。黒い目だけは叱られる子供そのものだ。

「ここで動物を飼うことは出来ない。規則で決まってるんだ。どうしても藤代が飼いたいなら、ここを出て行ってもらうしかない」

 退寮とはそのまま、サッカー部からの除籍を意味する。武蔵森学園は寮生活を過ごすことによって、通常の学校教育における学力向上と共に集団生活における協調性や精神の充実を計ることを学校教育の理念としている。特別な事情を除き、ほぼすべての生徒が寮に入ることになっている。
 その中で、この松葉寮はサッカー部員のみの特別寮だ。一般入学試験通過者ではなく藤代や渋沢のようにスポーツ特待生の枠に所属する生徒だけが入寮出来る。そこを出るということは、部員としての資格剥奪に近い。

「…だってこいつ、飼えないから保健所に連れてくって」

 すでに何度か聞いた、黒猫の事情を渋沢は黙ってまた聞く。

「かわいそうじゃないッスか。保健所連れてっても飼ってくれる人がいなかったら安楽死させるしかないって言うんスよ」

 飼い主が現れない野良猫や野良犬に、そういった運命が待ち受けていることは渋沢も知っている。だからといって、簡単に首を縦に振れない自分に彼は失笑した。
 ひょんなことから出会った子猫を見捨てられなかった藤代の心の優しさは認められる。しかし、現実は丸ごと全部受け入れられないのだ。

「仕方ないだろう、と言ったらお前は俺を罵るか?」

 まだ十五で、渋沢もこんな役割をしたくはなかった。
 鋭く顔を上げた藤代の目に相手を責め立てようとする正義感を見つけ、渋沢は意識的に表情を引き締めた。

「飼えないからといって捨てた相手を無責任だと言うが、そうやって一時の同情で猫を拾って、規則に反した場所で飼いたいと駄々を捏ねるお前はどうなんだ」
―――
「頼み込めは許してもらえるかもしれないからと安易な思いで拾ってきたお前は無責任じゃないのか」

 藤代が歯を食いしばって渋沢を睨んだが、言い返す言葉はやって来なかった。
 自分の発言が非情だと理解しても尚渋沢は続けた。

「可哀相なだけじゃ、どうしようもないことだってある」

 我ながら可愛くない意見だ。険しい顔で言う自分の裏側で、渋沢はほろ苦く、こうしか立ち回れない自分をやるせなく思った。
 悔しげに顔を赤くする藤代の腕の中、渋沢の手のひらに乗ってしまいそうなほど小さな猫が身じろぎしている。自分の運命を考えることも出来ないほど幼く無垢な命だ。
 母猫はどうしたのだろう。兄弟もいたはずだ。藤代が見つけたときはもうこの一匹しかいなかったという。無事に拾われたか、あるいは。
 人間社会に翻弄される生き物たちの運命を、渋沢は心の奥底で悼んだ。

「…でも、拾わなきゃこいつ死んでた」

 ぽつん、と水面にしずくが落ちるような藤代の声だった。
 敬語も忘れるぎりぎりの感情で、藤代の黒目にも水膜が出来ていた。

「すぐ俺が連れて帰るって言い出したら、ちょっとでもこいつが生きる可能性があったら拾った! 無責任でもいい! 見なかった振りして、仕方ないって言って見殺しにするよりよっぽどマシだ!!」

 憤りをそのまま声にした藤代の声は、夏の松葉寮に響き渡った。
 渋沢が目を見開くと、怒った顔の藤代が両手で子猫を渋沢に突き出した。

「俺は!! キャプテンみたいに大人になれなくてもいい!! わがままでどうしようもないって怒ってもいいから、こいつここで飼わせて下さい!!」

 藤代は溢れ返った感情に半泣きになっていた。言い草といい、とても頼む側の人間とは思えない。だが渋沢はそのひたむきさを目の当たりにして、数秒動けなかった。
 何事かわかっていない黒猫の金褐色の目。必死さと強情さが混ざった藤代の黒い双眸。
 二つの命が、渋沢を凝視していた。

「…ふじしろ…」
「お願いします!!」

 この様子では土下座も辞さない勢いだ。激高しすぎて真っ赤な顔になっている藤代に、渋沢は少しずつ笑い出したくなった。
 いつの間にか理屈と理性ばかり重んじるようになっていた。藤代のように自分の感情のまま動いても、良い方向になるわけではないと割り切るようになったのはいつからだっただろう。
 藤代は生き延びる可能性を選んだ。楽観視さえも超越する生命力と運に賭けた。
 彼だからこそ、出来たことだったかもしれない。
 渋沢は一度だけ息を吐き、姿勢を正した。

「それでも、ここで飼うことは出来ない」

 藤代が何かを言いかける前に続ける。

「だが、夏休みの間だけ置いてもらえるよう頼んでみる。その間に、飼ってもらえる人を探すんだ。これだけ人数がいるんだ、寮中の人間に全員聞けば飼ってくれそうな人を知ってる奴もいるかもしれない」

 言葉を進めるごとに、藤代の顔にいつもの華やぎと明るさが戻ってきた。
 渋沢はそれこそ仕方ない、と言いたげな顔で笑う。

「それでいいか?」
「はい!! ありがとうございますキャプテン!!」

 やったー、と手放しで喜ぶ藤代が、歓喜のあまりぐりぐりと腕の中の子猫をなでくり回す。

「よかったなー!!」

 子供を抱き上げる父親のように浮かれて、藤代は踊りだしそうな勢いだ。
 渋沢はこの数十分ですっかり凝った肩を自分で揉みながら淡く笑む。ここで飼えないとは言えても、結局渋沢は元の場所に置いてこいとは言えなかった。見殺しにしなくて済んだことに渋沢もかなり安堵していた。
 これから先、寮の管理人や学校側への説明など、雑多なところで骨を折るかもしれないが、藤代に酷なことをさせ罪悪感に浸るよりは遥かに楽なことだ。

「キャプテン、ありがとうございます!!」

 弾けるように笑う藤代が、早速靴を脱いで寮に上がる。

「じゃ俺! まずは竹巳に見せてきます!」
「待て」

 ここで終わるわけではない。渋沢は藤代を引き止めた。

「室内はダメだ」
「うぇ?」
「動物アレルギーの者がいないとも限らない。夕食前の点呼で確認を取るまでは、中庭だ」
「ええー?」
「それから、名前つけちゃダメだぞ」
「えっ」
「今名前をつけてそれに慣れたら、飼ってもらううちで新しく名前がついたときに困るだろう」
「そんなぁ」
「そのぐらい我慢しろ。後で諸注意一覧作って持って行くから、ちゃんと読むんだぞ。今何か箱を探して持っていくから、猫と一緒に中庭で待ってろ」

 一度決まれば後は渋沢の得意分野だ。矢継ぎ早に言うと渋沢はさっさと寮の事務室に足を向けた。
 後に残された藤代は、安堵と面倒さの中間で、子猫の顔をのぞきこむ。

「…やったな」

 やっぱキャプテンってやさしい。
 ほんの一時、冷酷だと思った自分を反省し、藤代は肩の力を抜いた。
 一度味方につけてしまえば、渋沢ほど頼りになる人間はいない。寮内でどれだけ反対する人間がいても、穏やかに根気よく諭してくれるだろう。藤代は心置きなく飼い主探しに没頭出来る。

 さすが俺らのキャプテン。

 我らがキャプテンのことを思い、藤代は自分もやれるだけのことをやる決意を固めた。
 玄関外の花壇で、松葉牡丹が咲いていた。








************************
 猫抱えて駄々捏ねる藤代が書きたかっただけなのですが、途中思いのほか深刻路線に傾きました。あら?

 昔うちの妹も、顔真っ赤にして子猫連れて帰ってきましてですね。
 そのとき我が家にはすでに一匹の犬と四匹の猫とそのほかカメやら魚やらがいまして、これ以上猫は飼えない状態だったんですが、話聞けば妹の友達が拾ってきてマンションだから飼えるわけがないと親に叱られてまた捨てるはずだった猫で。
 うちのほうがまだ飼えるかもしれないから、ということで妹は受け取ってきたという。
 結局知人のうちに引き取ってもらったのですが、それについて色々思うことはありました。

 …というのが本日の元ネタ。
 何かの生き物を飼うってことは、最期までその命に対して責任感を持つべきだと思います。
 子供の頃に動物を飼うことによって情操教育に役立つ、とかよく聞きますけど、うちの場合家に帰っても犬や猫がいることによって寂しさの緩和になった気がします。親がいなくても犬と猫たちは絶対いたものですから。
 まあそんな私の思い出話などどうでもいいのですが。

 キャプテンはなんだかんだ言いつつ、藤代に甘いぐらいでいいと思います(何突然)。

 ところでメモライズがどうやらまだ書き込めるようなのですけど。
 こっちは31日の夜に必死で1日に完全消滅してもいいように色々作業してたんですけど。
 なんだなんだなんだ。これで復活とかしちゃったら怒るよもう。エンピツさんにお金振り込んじゃったんだから!!
 まだ試運転中なのでしばらく(仮)状態です。

 あとですね、Web拍手なのですが。
 以前に拍手レスをつけてから、あちこちのサイトさんでこれについての意見をいろいろ目にしたのですが、うちでは拍手レスは行わないことにしました。
 わざわざ誰が見てもおかしくない場所でレスをするなら、掲示板を設置するのと同じだと思ったので。
 送りっぱなしで、誰が送ったかわからないところがあの拍手の利点だと考えました。
 …あとうちの場合、web拍手の公式理念と若干すれ違っているところがあるものですから。オマケメッセージをメインにすること自体、はっきり言って間違っているのです。
 気が向いたら押して下さるだけで結構ですし、メッセージメインとして扱うのも製作者様に悪い気がしますので、メッセージについての更新も記載しません。今も前と変わってないですよ。
 相変わらず穴だらけの管理で申し訳ないです。
 も、もうちょっと隙のないサイトを目指したい…。




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