ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2019年09月01日(日) やってみないと分からないこと

カレンダーを9月にしたら秋桜が咲いていた朝。

少しだけ青空が見えていたけれどにわか雨も。

そんな不安定なお天気がいつまで続くのだろうか。



午前中は川仕事へ。今日は個人別に漁場を分ける作業。

地区のお仲間さんたちとわいわいとにぎやか。

お仲間さんと言ってもみんな親戚だった。

じいちゃんのいとこがふたり。いとこの子供がふたりと

いとこの孫がひとり。若者がいてくれるのが頼もしい。

途中から雨が降り出してしまってみんなずぶ濡れになったけれど

順調に作業を終えることが出来てほっと帰宅する。


いとこたちと「後何年続けられるかな」と話したことだった。

後継者がいない。我が家も息子に継がせるつもりはない。

その前にいつまで青さ海苔の養殖が出来るのかも分からなかった。

ここ数年の不作続き。今年こそはと祈るような気持ちでいる。

「やってみないと分からないな」とみんなでうなずき合った。




午後はゆっくりと休むことが出来てお昼寝もした。

いつの間にか孫たちが帰って来てくれていて嬉しい。

めいちゃんを抱っこしたかったけれど

「もう赤ちゃんじゃないもん」と言わんばかりの様子。

お泊りをするたびに成長しているのが頼もしい。

もうすぐ5歳の誕生日。またいちだんとおしゃまな女の子になるだろう。


家族がみなそろっての夕食はやっぱり楽しい。

めいちゃんがデザートにアイスクリーム。

「おばあちゃんも食べたいな」と言ってみたら

「いいよ」と言ってくれて「あ〜ん」と口に運んでくれた。


甘くて美味しくてとても優しい味がした。










2019年08月31日(土) 母の幸せとは

青空にうろこ雲、思いがけないほどの朝の空だった。

とうとう8月も最後の日。なんと雨の日の多かったことか。

朝食後じいちゃんが土手まで散歩に出掛ける。

ほんの5分ほどだけれど良きリハビリになっているようだ。



今日は漁協の出役があってじいちゃんの代わりに川仕事へ。

地区別に漁場を振り分ける作業だった。

ほんの5月に撤収作業を終えたばかりだと言うのに

もう漁場の準備を始めなければいけない。

早いものだなと思う。そうして一年があっという間のこと。




午後はゆっくりと休みたかったけれど

母から電話があり入れ歯を洗うポリデントが無くなったとのこと。

毎晩使うものなので困るだろうと買って持って行く。

母に会うのは何日ぶりだろうと数えてもいなかった。

いつもベットの脇に置いてあった歩行器が無くなっていて

母がもう自力で歩けるようになっていることを知る。


「もうどこも悪くないから帰る」と言い出した母を

必死の思いで宥めたけれど素直に聞き入れてはくれない。

仕方なく秘密にしていたじいちゃんのことを話す。

そうしたら少しは私の立場も分かってくれたようだ。

「お願いだからもうしばらく辛抱していてね」と言うと

「うん、わかった」とやっとうなずいてくれる。


ほっとしながらも今後のことを考えると気が重い。

なるようにしかならない。きっとなんとかなるだろうけれど

いったいどうなると言うのだろうか。


母の幸せとはいったいなんだろう。

どうしてあげたらいちばん幸せなのだろう。


「もう無理して来なくてもいいよ」と母はさびしそうに言った。




2019年08月30日(金) 雨音を聴きながらぐっすりと眠ろう

朝のうちぽつぽつと雨が降っていたけれど

すぐにやんでくれて思いがけない青空になった。

とは言え湿度が高くなんとも蒸し暑い一日となる。


山里の職場に向かう朝の山道で

毎朝すれ違い手を振り合う知人がいた。

今朝も笑顔を交わしながら手を振り合う。

私よりも年上のその女性も仕事に向かっている。

定年退職がないのは自分だけではないのだと

毎朝元気をもらってとても励みに思っている。

もしかしたら知人も同じことを思っていてくれるのかも

そう思うととても嬉しくてならない。



月末の仕事を早めに終わらせていたので

今日はとても気楽でのんびりとしていた。

プレミアムフライデーとかもう死語になってしまったけれど

定時で終わらせてもらって早めに帰宅する。

今週も乗り越えたな、今月も乗り越えたなとほっとするばかり。



あやちゃんの学童「竹の子学級」も今日が最後の日だった。

長かった夏休みも学童のおかげでずいぶんと助かった。

宿題も全部終わったそう。あとは新学期を待つばかり。


今夜はめいちゃんと一緒に下田のおばあちゃんちへお泊り。

ひっそりと少しさびしい静かな夜になった。


夕方からまた雨。雨音を聴きながらぐっすりと眠ろう。



2019年08月29日(木) とどけとどけ天までとどけ

早朝には濃い霧につつまれていたけれど次第に晴れてくる。

いったい何日ぶりの青空だろうか。懐かしいほどだった。



山里では稲刈り。明日からまた雨とのことで今日しかないと

義父も汗を流しながら一生懸命に頑張っていた。

同僚は近所の人が亡くなりお葬式に参列しなければならず

今日も開店休業の職場になってしまった。

事務所で留守番をしながらずっと経理の仕事ばかり。

肩こりがひどく時々背伸びをしたりしてなんとか済ます。



つかの間のことだったけれど青空を見上げていた。

今日はとても縁の深かったひとの命日だった。

この空の果てにいるのかと思う。懐かしくせつない面影。

わずか5人の寂しいお葬式だった。

けれども骨壺は重かった。命そのものだったのだとおもう。

哀しみよりもやるせない思いでいっぱいだったあの日。

どうして自ら命を絶たなければいけなかったのだろう。

それほど思い詰めていたことを気づいてあげられなかった。


天の国からはもう手紙も届かない。


空をなぞるように手紙を書いた。


とどけとどけ天までとどけ。



2019年08月28日(水) 「夏をあきらめないで」そんな歌が昔あった

曇り日。もう忘れかけていた真夏日となる。

おひさまの姿は見えなかったけれど

夏が振り向いてくれたような気がした。

「夏をあきらめないで」そんな歌が昔あったことを思い出す。




仕事は順調すぎて面白いほどだった。

お客さんがたくさん支払いに来てくれて

もう月末の資金繰りに頭を悩まさなくてもよくなる。

そうだと閃くように思って取引先への送金を済ます。

ほっと肩の荷がおりて気分的にとても楽になった。

もう月末がこわくない。救われたような気持になる。

お客様はほんとうに神様だとただただ感謝するばかり。




夕方には薄っすらと西の空が茜色に染まっていた。

お風呂上がりの孫たちがはだかんぼうで走りまわっている。

同居を始めて今日で5年目。我が家のささやかな記念日だった。





2019年08月27日(火) しんどい時はしんどいと言う

今日も雨が降ったりやんだり。時おり激しく降る。

九州北部では豪雨になっているようだ。

災害につながらないことをひたすら祈るしかない。

雨ならば雨を受け止めようと思っていても

降りすぎる雨をどうやって受け止めれば良いのだろう。

自然の猛威にひとはあまりにも無力だった。



月末も近くなり仕事が忙しくなる。

来客も多く嬉しい悲鳴をあげていたけれど

張り切って頑張るような体力がない。

気力はあるのに情けないことだと思う。

少し残業になりくたくたになって帰宅する。

それでもする仕事がたくさんあってありがたいと

気を取り直せば心地よい達成感が待っていた。


「から元気」は大嫌いだ。おつかれさまの私。

しんどい時はしんどいと言う。

そうして自分を労わってあげなければ可哀想。

自分で守ってあげなくて誰が守ってくれようか。



お風呂上りにじいちゃんがサロンパスを貼ってくれた。

肩と背中と「ここらへんかよ」と優しい手。

ありがたや。ありがたや。今夜もぐっすり眠りましょう。





2019年08月26日(月) する仕事のあることはありがたいこと

雨が降ったりやんだりで気ままな空。

気温も低めで半袖では肌寒いほどだった。

夏がどんどん遠ざかって行くのはやはりせつないものだ。


さあ月曜日と気負うこともなく山里の職場へ。

する仕事のあるのはほんとうにありがたいことだと思う。

福澤心訓のなかに

「世の中で一番さびしい事はする仕事のない事」とある。

ふと母のことを思った。ながい入院の間に

母のしていた仕事の殆どを私が取り上げてしまった。

退院してきた母はまるで浦島太郎のようになっていて

どんなにかさびしかったことだろうと今更ながらに思う。


母の苛立ちがそのまま暴言になってぶつかって来たあの頃。

鬼の形相になった母はきっとものすごくさびしかったのだろう。

それが分かってあげられなかったことを今になって悔やんでいる。


今はもう仕事のこともすっかり忘れてしまって

施設で穏やかに暮らしている母に詫びることもしないでいる。

母は解放されたのだ。もう仕事の苦労などしなくてもいい。

全部私が引き受けた。安心している母の気持ちがよくわかる。

それがどんなに重荷であっても私は笑顔で乗り切ってみせよう。



某SNSの朝のタイムライン。

「また月曜日が来た。仕事行きたくない」と嘆いているひと。

ものすごく腹が立った。このばかやろうがと怒鳴りたかった。

嫌々仕事に行くくらいならさっさと辞めてしまえと思った。


だから私は「する仕事のあることはありがたいこと」と発信する。

伝わる人にはきっと伝わる。伝わらない人には全く伝わらない。


もどかしさの海で暴れるつもりもなく

私はわたしの信じた言葉を発信し続けることだろう。




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