ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2018年04月18日(水) すくっと前を

爽やかな晴天に恵まれた一日。

姑さんの葬儀を無事に終える。

大勢の人達に見送ってもらって

姑さんもどんなにか嬉しかったことだろう。


じいちゃんもしっかりと喪主を務める。

私も喪主の妻として精一杯のことを。

そうして悲しむ間もない忙しさを与えてもらった。


また明日からゆっくりと日常が返って来る。

すくっと前を向いて歩みだしていかなければ。



2018年04月16日(月) とにかく明日のことを

ぼんやりと霞んだ空から光の雨が降るように

春らしい陽射しが傘は要りませんよと降りそそぐ。



昨夜7時5分、姑さんが静かに息を引きとる。

すやすやと眠るようにそれはそれは安らかな最期だった。

「もう頑張らんでもええぞ、楽になれや」とじいちゃんが

もしかしたらその声を待っていたのかもしれない。



悲しさ辛さ寂しさ。それをつかの間の事にして

一気に慌ただしさが襲って来る。

葬儀の準備が無ければずっと泣き続けていたことだろう。

家族みんなが前を向いている。とにかく明日のことをと。





2018年04月14日(土) 雨音を聴きながら

午後からかなりまとまった雨になる。久しぶりの雨。

どうか降り過ぎませんように。恵みの雨になりますように。



海苔の出荷が近くなり今日は朝から箱詰め作業に精を出す。

ラジオを聴きながらじいちゃんと向かい合って

手を動かしながらあれこれとおしゃべりをしたり。

肩の凝る細かい作業だけれど苦にはならず楽しく感じる。

「やったらやっただけのことはあるぞ」とじいちゃんが。

私もそう信じたい。きっときっと報われるだろう。





昨日からあれこれ。あえて書き記すことをしなかったけれど

母のことで心配事があってさっき電話をしてみたけれど

20回コールをしても母の声が聴こえなかった。

ざわざわと胸騒ぎがしてなんだか落ち着かない夜。





2018年04月13日(金) 今日の気持ちをそのままに

少しひんやりの朝だったけれど

日中は良く晴れて春らしい暖かさとなる。

見るものすべてがきらきらと眩しいほどに輝いていた。



いろんなことがあった一日だったけれど

どんな日もあって良しといつも思う。

ひとつひとつ受け止めて感謝しよう。

そう自分に言い聞かせている。


あれこれと書き綴っていたのをいま

デリートして削除した。

すべてを書き残す必要はないように思う。


もう思い悩むのはよそう。

今日という日を全う出来てほんとうに良かった。


柿の木の若葉があまりにもきれいだったので

今日の気持ちをそのままに






2018年04月12日(木) いっぱいいっぱい

よく晴れて日中は暑いくらいの陽気になる。

黄砂だろうか、川向の山が少し霞んで見えていた。



姑さん小康状態のまま頑張ってくれていて

今日も予定通りに川仕事に。

自分達も頑張ろうと精一杯のことを。

毎日のこつこつがきっと報われると信じて。


早朝からの収穫を終えて川船に乗ると

船を操つるじいちゃんがとても頼もしく見えた。

今日こそはと写真を撮っていたら照れくさそう。

ああ好きだなって思う光景、私はとても嬉しかった。








作業場まで戻り天日干しの作業を終えるなり山里の職場へ。

今週はずっとそんな日々が続いていてけっこうハード。

でもそんな忙しさを楽しんでいる自分がいた。

体力勝負なのか、ならば勝負してやろうと気力で立ち向かう。

身体はとても疲れているのだけれど心だけはとても元気だった。


今日もしんどそうな母。風邪を引いてしまったのだろうか

熱が出ていてそれなのに無理をして出勤して来ていたようだ。

さすがに今日は弱音を吐いて自分から病院へ行くと言ってくれる。

「大丈夫、一人で行ける」と。はらはらしながら母を見送る。


仕事が忙しくその後は母に電話することも出来なかった。

気がつけばもういっぱいいっぱいの自分だった。



2018年04月11日(水) きれいな虹が見えた日に

早朝には雨が降ったけれど、日中は陽射しがあり少し蒸し暑くなる。


姑さんが頑張ってくれているおかげで今日も川仕事へ。

川船で漁場に着くなり空にきれいな虹が見えた。

思わず歓声をあげていたら「子供みたいな」と

じいちゃんに笑われて一緒に空をみあげる。

そんなささやかなことがほっこりと嬉しかった。


順調に川仕事を終えまた山里の職場へと走る。

道ばたに咲いている花。山の木陰に咲いている花。

見つけては車を停めてのんびりの出勤。

急がず慌てず、そんな時間の余裕が心の余裕に繋がるような。


母は今日もしんどそう。でも決して弱音を吐かない。

そしてとても穏やか。私が何かするたびに「ありがとう」と。

なんだかそれがくすぐったいけれど嬉しくてならなかった。

午後は近くの喫茶店に出掛けて行く。友達とコーヒーを飲むって。

ずっとそんな時間もなく働きづめだったことを思い出す。

母にとってはとても必要な時間なのだなと改めて気づいた。



帰宅したらお休みだった娘が、子供たちと病院へ行っていて

「ひいばあちゃんがわらったよ」とあやちゃんが。

微笑みながら涙を流していたことを娘がおしえてくれた。

ひ孫の声を聞いて嬉しかったのだろう。意識はしっかりとある。


何度も何度も押し寄せて来る波にのまれないよう

姑さんは必死の思いで立ち向かっているのだろう。

負けるもんか、負けるもんかと。





2018年04月10日(火) ふたりの母のこと

春らしくちょうどよいくらいの暖かさ。

あちらこちらに春の花が咲いていて

ひとつひとつ写真を撮れないもどかしさ。

自分の目がそのままカメラになればいいなあと思う。



姑さん小康状態のまま頑張ってくれている。

おかげで今日も川仕事に行くことが出来た。

「おまえたちも頑張れよ」そんな声が聞こえた気がする。

じいちゃんとふたり今日もやれるだけのことを。

来週の月曜日が二回目の出荷日。

なんとか目標を達成できそうになった。



川仕事を終えるなり今日も山里の職場へ。

休む間もなくで身体はとても疲れているけれど

気が張っているのか弱音を吐くこともなかった。

我ながらよく頑張っていると自分をほめてあげたい。


母がとてもしんどそう。仕事はほとんど出来ずぼんやりとするばかり。

また心不全の前兆ではないかとはらはらと心配する。

同僚にもしもの時は救急車をと頼んで後ろ髪を引かれるように帰った。

姑さんと実母とふたりの母のことで頭がいっぱいになる。


帰り道、先日見つけていた「ぼたん桜」が

まだ散り急ぐこともなくきれいに咲いていた。

それだけで、ああ今日も「いい日」なんだなあって思った。





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