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2021年01月13日(水) |
hate and blue |
ある1つの最高の形での解散ができた。 それは、今できる最高の形でという意味で。 もちろんもっと多くの人に聞いてほしかった。 制限などなく手をあげ、あの場所にいたことを感覚に刻んで欲しかった。 もっと多くの曲を作りたかった。 ずっと続けていたかった。 それが叶わない中での、最高のライブ。 私がボーカルとしてできる最高にして限界の場所が、2020年9月28日の渋谷WWWでした。
リムキャットを解散させました。 それから私は新たな活動を始め作品を作り、足を止めたリムキャットの自分との距離が開き、 その中で聞くリムキャットの曲がとんでもなくかっこいいことに深く嫉妬しています。 金色の長髪を振り乱しフライングVを弾くあんなにかっこいいギタリストをもう見れないなんて。 理解してるけど、理解できないね。
ねえ、覚えてる? レクレンズの解散からリムキャットが始動するまでに、一度それぞれの理由で分解したね。 それでもやっぱりやってみようって4人でまた活動することになった時、9.28のあのステージに辿り着くとは夢にも思わなかったね。 アルバムをリリースして、店舗への挨拶回りでいろんなタワレコに行ったね、俺は苦手だからって言ってみんなが変わりに行ってくれて。郡山とか、神戸とか、福岡とか静岡とか。今思えば深い考えもなくいろんな土地に行ったね。活動中にお世話になってたレンタカー屋もたくさん閉店したね。MPVに無茶して機材積んだね。 リムフェスも恒例行事になって第一回は不安しかなかったけど3回目からは「絶対楽しい日」だったから仲間たちに囲まれる幸せを噛み締めたね。 下北沢走り回って、全然知らない人がリストバンドつけててくれてるの見て、なんだか嬉しくて。暑い季節ばっかだったし打ち上げは荒れるし、大変だったけどその分幸せだったね。 赤毛が入ってからの最終期はどこに行っても最強のバンドだったね。それだけじゃいけないんだけど、でも毎日が楽しかったね。
その全部が、終わったんだよ。
深夜の高速道路、みんな寝てる中1人で運転してるあの空間が好きだった。 サイトウの脱退があって、新メンバーが入ったくらいからこのままじゃ終われない、守らなきゃって気持ちが強くなってどんどんプレッシャーに潰されていった。 余裕がなくなり研ぎ澄まされた感覚だからこそ気づけた痛みがあったし、その冷たさが後期のリムキャットの詞や音に活かされ心酔できる作品が生まれた。 様々な理由や個々の思想もあったはずなのにラストライブに7人で出れた。 いいバンドだったね。
リムキャットをやれて幸せでした。 栞というアーティストと一緒にいられて幸せでした。 10年前、池袋サイバーでなんとなく栞に声かけた自分を褒めてあげたい。
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私は今、ひととなりのギタリストとして、 9DayzGlitchClubTokyo、バイオレットワールドのプロデューサーとして、 そして数多のアーティストの作家として 居場所や責任がある。 仲間達とそれぞれの未来を見ながら日々を忙しく過ごしています。
肩の荷が下りたなんてことはなく、リムキャットという痛みを分かち合える幼馴染のような、家族のような居場所がなくなったことは私にとって想像以上に響いており、必要以上に精神が逆立っているように感じる。 バランスを崩す心身、明確に失速した視界、理想から離れていく日々。 今私にできることは、この燻る青い炎のような憂鬱の上に鉄の塊を押し付けること。
こんなに人間やってるのに下手だなあ。 でもこんな自分だから出会えた人たちがいるんだから、もしどこかから人生をやり直して 違う世界線に行けると言われても断るんだろうな。 今とても辛いよ。でも楽しんでるよ。
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穴が空いていてそこを無言で通過していく冷たい風、 その冷たさが時に私に嘯く。
もう終わりにしよう 消えてしまおう たった5歩で終わりにできる と。 それでもまだ無様に踏み止まっているのはもうちょっとこの先の未来が見たいから。
だから自分の最期を決めた。
妹たちのような9Dayzやバイオレットを育て、 間も無く始まる新たなバンドのキレた作品を作って、 あと2回リムフェスをやって、 親に恩返しして、仲間たち全員に感謝して、 宇宙のような星空を9回見て、海に沈む太陽を愛する人と9回見て、 めちゃくちゃ痩せてかっこいい状態になったら私は人生を終わらせる。
最後の1行が何よりも難しそうだからたぶん大丈夫。
伸びすぎた街路樹が窓に掠るように不意に私の命の電源スイッチが押されてしまった場合 その時はすまない、遺す言葉はPCのメモ帳にあるので検索してください。
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