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リムキャット2回目のワンマンライブが迫ってきた。 思いもよらぬタイミングで、まさかのメンバー脱退の発表。 サイトウさんとは出会って8年。 彼が焔ってバンドでベースを弾いてて、まだ高校生だったかな。 当時同じ事務所でGizeLという別のヴィジュアル系バンドを俺とまぁさんはやってて。 俺たちが解散すると決まって、まぁさんと新しいバンドを立ち上げようと決めて。 その後解散が決まってた焔と対バンして、サイトウ氏(当時はユズキ氏)のベースを聞いて、あいついいねってなって。 他のバンドに誘われてた彼にダメ元で声をかけた。 当時はヴィジュアル系の中でも新しいことをしようと考えていて、全員フルフェイスヘルメットでバンドをやろうとしてた笑 まぁさんとサイトウとドンキ行ってヘルメットかぶったら何も音聞こえなくて断念笑 ボーカルをメンボサイトで見つけて、「その世界は君が色付けた世界」というコンセプトでレクレンズというバンドをはじめた。 ゴーグルをつけてライブを行い、最初はいい反応を得られなかった。 ボーカルと俺がぶつかって、代わりにサイトウがボーカルの面倒を見てくれた。 それでもまとまらずボーカルは脱退した。しばらくサポートギターを入れて俺が代理ボーカルという形でライブをした。 その間に栞(当時は遼さん)を見つけた。加入させたいと俺が2人に持ちかけた。 ヴィジュアル系なのにメンバー半分が女子という形態に難色を示された。 大丈夫、なんとかするからと約束して栞をメンバーに加えた。 メジャーデビューできるかもという話しをもらった。しかしメンバーを全員男にすることが条件だった。すぐに断った。 ルックスや華やかさを重視するヴィジュアル系の世界に疲れ、音楽で勝負したいからヴィジュアル系をやめようとメンバーに話した。 サイトウは当時反対派だった。それでも次第に考えに賛同してくれるようになった。 ヴィジュアル系をやめて何もかも捨てて新しいフィールドにきた。右も左もわからなかった。お客さんも離れていった。 そこから1年、プロキシオンと出会えたり、下北沢という世界がわかってきた。音源をリリースしようと考えた。 けれど大手CDショップでは同名のヴィジュアル系バンドとロックバンドの2つのレクレンズが存在してしまうことに問題があると取り扱いを拒否された。 名前を変えようと考えた。それなら全て終わらせて、もう一度4人でゼロから始めようと考えた。 その一瞬の終わりというタイミングで解放されたことによって、それぞれ別の理由で脱退したいと言われた。 それでもまだ見ぬ次のバンドへの可能性を信じて、全員残留した。 バンド名をリムキャットと決めた。 音楽を、作品を大事にするバンドになろうと決めた。 新たな仲間と対バンする中で、俺たちの作りたい作品の方向性が決まった。 次第に音楽を聴いてくれる人が増えた。 リムキャットが好きだと言ってくれる人ができた。 俺はこのバンドで全てを終わらせようと決めた。 ボーカルを辞めようとしたことがある。メンバーや仲間が止めてくれた。 ボーカルを続けるなら、と頻繁に腫れる扁桃腺を手術で摘出した。 その間リムキャットは活動休止した。3人はスタジオに入りあれこれして待っていてくれた。 企画をうち、ワンマンを行い、フェスを行った。 全部、この4人でやってきた。 ずっと続くと思ってた。
4月5日、サイトウがメンバーを集め辞める意思を伝えた。 ワンマンもリムフェスも決まっていて、地上波やファミマでの放送がされる直前。 こんなタイミングで辞めたいと言うということは、きっととても深く考えて決めたことだと悟った。 だから止めなかった。見えなかったカウントダウンの数字が表示されたんだと思った。 彼がいるワンマンは最後。だからワンマン前に発表したいねと決めた。 それならすぐ発表しようと決めた。 脱退発表の文章は、謝罪ではなくて感謝の気持ちを伝えようと決めた。 包み隠さず全てを書こうと2人で決めた。
あいつはベース上手いんだ。よく動くし。ステージで演奏してる彼はとてもかっこいいんだ。 そんなベース、聞けなくなっちゃうのは嫌だな。いやだけど、そんなかっこいい彼が決めたことだから。 個人的な話し、最高の終わりを用意してやりたい。リーダーとして、ずっと俺の曲を演奏してくれたことへの感謝をこめて。
4/23、本当に大切な日になる。 長い長い時間を共にした4人で演奏できる最後のワンマン。 全曲、深い想いを込めて4人で演奏します。 前日から251でPAさんと音作りしたり、レクレンズ時代から一番信頼している照明さんを招いて最高の状態でのワンマンライブ。
お待ちしとるでね。
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