カバ象の俳句日記 ー蓮田の見える風景ー DiaryINDEX|past|will
30日、本校で学生ボランティアをしたK先生の結婚式に参列。相手の方も教採学習会に来ていたA先生。知り合いの学ボラもいて、昔話に花が咲きました。一緒に参加したB先生・Cさんと「地域学校協働活動」について意見交換。特にCさんと学校を取り巻く状況や人についても話し合いました。学校や地域のために何ができるかを考えたいと思っています。退職ブルーになりつつあった私、気分転換の1日となりました。写真は退職記念に頂いたお花です。 退職を祝う孫からのメッセージ。「じじ おつかれ」に感動。文字をかくようになった孫の成長を嬉しく思いました。
退職辞令をいただく日。朝から最後の清掃。私的に最後のけじめをつけました。市役所でM先生より退職辞令。高校・大学の同級生と一緒。記念写真をとり会話が弾みました。M先生にお礼の挨拶。庁舎の前で偶然に市長さんともお会いでき、挨拶ができました。再び学校に戻り、メールと文書を処理し、学校に出校していたメンバーに見送られて帰宅。38年間が終了したと思うと、脱力感・寂寥感を感じました。
入れ替わり立ち替わり、退職のお祝いに来て頂きました。私も挨拶まわり。これで終わりと思うと寂しさと脱力を感じます。「さよならだけが人生 また逢う日まで」この言葉を噛みしめる1日となりました。 退職辞令の朝を迎えました。3月29日。私とかかわって頂いた人たち(特に家族と友人)に感謝したい。ファーストステージが無事に終了。4月からはセカンドステージ準備のため再び大学へ。何とか健康で、大学に戻る事もでき感謝の朝。締めくくりの1日を送りたいと思います。
片付けと挨拶まわりの1日。学校に来ていただいた皆さんとお会いしました。先日突然亡くなったB会の専門委員長様の通夜式に参列。一宮市。途切れない人波に先生のお人柄を偲びました。微笑んでみえる遺影を見て、どんなお気持ちで亡くなったのか考えていました。C氏と一緒に通夜式。教職の一応の区切りの週間で、C氏と話をしっかりすることができました。最近の政治・社会状況など。来年度の先生の活躍にエールを送りました。
五役会ご苦労様会。名古屋市・厨A店。八丁味噌のおでんを肴に、赤味噌ラガーをおいしく飲みました。柚子サワーも一杯。昨年度まで一緒に仕事をしていたB氏も招待。今年の仕事の話より、楽しんでいる趣味や旅行などが話題に。今年は苦労の多い1年。特に私以外の四役の方に迷惑をおかけしました。又また感謝。この会ですべてが終了。
この4年間、私が役員を務めたA会の最終役員会・常任委員会。いよいよ一つの仕事の終わりの日。私が苦手としてきた「会計」の細かな仕事を何とか果たすことができました。また最終年は副会長として、出張ばかりで学校に迷惑をかけました。懇親会で「すでに心此処にあらず」「話が右から左に通り過ぎていく」とユーモアを交えて乾杯の音頭をとりました。晴れがましい立場を務めました。集まった皆さんとはこれからは中々お会いできないと思うと「別れとはこういったことなのかもしれない」と考えていました。会者定離という言葉が浮かび、感謝の夕べとなりました。 22日の学校の送別会の日。可愛がって頂いたベテランのT先輩より、過分な感謝状を頂きました。一番苦しかった中学校勤務1年目のときに支えて頂いたT先輩。私は先生のように後輩たちを支えることができたのか。ふとそんなことを思いました。T先輩、ありがとうございます。これからも楽しく飲みましょう。
最後の給食はカレーライスとハンバーグでした、子どものための甘いカレー。沢山のルーを大鍋でゆっくり温めたやさしい味のカレーライスでした。大好きなカレーを楽しむことができました。 先生方と子どもたちから頂いた文集を時間をかけて読んでいます。子どもたちの手紙。社会科や歴史の授業のこと、朝礼のこと、朝の交通指導でのやりとりなど、子どもたちは大人をよく見ているとあらためて思いました。過分な言葉もあり、心より感謝の手紙ばかりです。「さよならだけが人生、また逢う日まで」修了式の言葉を思い出しました。
23日(土)A大学B教室56年次会。名古屋市・東別院・C店。おいしい肉料理を肴に、40年前の思い出話。19人の同級生が出席。近況を伝え合い、楽しい時間となりました。これからも3月末に逢うこと(生存確認すること)を約して解散。
22日(金)私にとって最後の修了式。アンパンマンの話(友達思いのこと ロールパンナの良い心悪い心)をしました。その後、サプライズ。教職員と子どもたちによる「校長先生に感謝する会」を開いて頂きました。各学年・教職員より言葉を頂きました。泣けました。何を言ったか覚えていませんが「アンパンマンマーチ」の「時はすぐに過ぎる 光は消える だから行くんだ」を言ったように思います。素晴らしいパネルと全校の子どもたちの文集(手紙綴)をプレゼントしてくれました。過分な感謝の会に驚き、ただただ泣けました。まさに教師としての花道を歩かせて頂きました。最高の1日となりました。 私の宝物。間違いなく、私の棺に入れて貰うものとなりそうです。夕方から名古屋市・A店で年度末反省会・送別会。中華料理。お別れの一時となりました。皆さん、本当にありがとう。教職の花道の1日となりました。
校長として最後の卒業式。感激しました。「言葉は生きている」「出逢いを大切に」を式辞でお話ししました。終わったとき全身の力が抜けていく感じがしました。私なりに38年間積み重ねてきたことが、あと少しで終わるのだという感慨でいっぱいとなりました。卒業生・保護者の求めに応じ、写真におさまりました。私にとり、人生の花道・晴れ舞台の1日だったのかもしれないと思いました。報恩感謝。子どもたちの無事な成長・活躍をただ祈るのみ。
K先生の通夜式に参列。私が市教委に勤務していた頃、たびたびK先生の学校を訪れ、子どもたちや先生方との対応、生徒指導のあり方についてアドバイスを頂きました。「この人は信頼できる先生」と尊敬していました。小学校の校長に戻ってからは、本校の児童へのお話、教職員の現職教育の講師も務めていただきました。K先生の後輩で、本校に勤務していたY先生が突然亡くなった時、49日も一周忌にも来て下さいました。心から悲しむ義理人情に溢れた人でした。本当に残念です。A先生の転勤を祝い、三人でお酒を飲んだ日のことを思い出しました。子どもたちや教職員を心より大切にし、理不尽な指導を許さなかった先生の志を継いでいきたいと思います。
未来教育研究会の役員会。来年度の予定について話し合いました。会場もA小学校に移り、私も会の副会長として実務から離れ、サポートにまわる予定です。来年度の計画づくり。私たちの地区の研究・研修に役立つことを願っています。B会長のリーダーシップもあり、会の動きが分かりやすく、定まってきました。参加者は、研修意識の高い人ばかり。
17日(日)市内のA写真館で卒業アルバムと校長室の写真を撮影してきました。すべてが終わっていきます。図書館で「まちあそび」のリーフレットをいただいてきました。今年の私のテーマは『学校日誌にみる海部津島災害誌』(4月21日 日曜日 午前10時半〜)。私の写真入りですが、実物より太っていると思います。 夕方から一宮市で打合せ・懇親会。かつて職場が一緒だったC氏と学生時代の同級生のD氏。4月からの生活、ミドルリーダーの育成について話し合い、楽しい時間となりました。食材も凝っていておいしい料理に舌鼓。
津島の街中を久しぶりにウォーキング。写真撮影の打合せにA写真館に立ち寄りました。歩きながら、これからやりたいことをふと考えていました。
職場の「ホワイトデー」のため、早朝よりプレゼントを持ち出勤。家で手作りしたクッキーを配りました。昨日、取材を受け、依頼された事。教え子・仲間・指導を受けた郷土史家の人たちに来週電話取材があることをお願いしました。その際、お願いした皆さんと久しぶりに楽しい会話ができました。びっくりしていました。当然、私への取材ですから、スーパーティーチャーではなく、ファーストステージを退職していく群像を描きたいということもお願いしました。取材してくれたAさんに、それぞれの人への取材で聴いてほしいこともメールで送りました。その中、私が勤めた職場に出向するBさんとは、食事をする約束もしました。いよいよ年度末。慌ただしくなってきました。
13日、とある番組制作の取材を受けました。まだ起案段階での取材。A先生の紹介。「私の歩んできた道」についてお話をしました。退職者の中で変わった経歴の方の取材。ディレクターという方があまりに聞き上手(まさに傾聴)で1時間半以上にわたり、喋りました。埋文での発掘体験を基に、その後歴史研究や歴史イベント(津島の達人・天王子ども塾・歴史講演会)に乗り出したこと。また教え子たちの話(最近の同窓会での会話や相撲部の活動)についても楽しく話をさせて頂きました。思い出に残る社会科授業のことなどいっぱい話しました。教職をめざす学生ボランティアとのかかわりなど、自慢話が多くなり、後で恥ずかしくなりました。自分を語ることの難しさ、それでも大好きな自分を語ることほど楽しいことはないとも思いました。長話、陳謝。番組をつくって頂けるとと本当に嬉しいなあ。こういった取材の積み重ねがあって、番組ができるのかと思いました。
今日は我が家のカレーライスです。あまくて肉がいっぱい入っていました。ルーがとろっとしていて、野菜などの具だくさん。家庭でつくられるカレーの定番ですね。これからカレーライスは、私が調理したいと思っています。 ホワイトデーのカードを作成。今年の句は「わが前に 今日の道あり 梅ひらく」を選びました。4月より「我が道を行きたい」「今日から、まさに道を拓いていきたい」そんな思いからこの句を選びました。
新年度(今年の8月8日 A市文化会館)で行う「道徳教育講演会」の打合せにB氏が来校。来客の続く慌ただしい中、テーマについて話し合いました。といっても道徳に関して私が話すことのできるのは「郷土資料を活用した道徳授業の展開」しかありません。この地域の発展に尽くした人々を道徳の授業でどのように取り上げたらよいかについて提案する予定です。昨年の5月・8月に行った「未来へのヨカッタプロジェクト」(JC)の提案をもとに考えるつもりです。
10日(日)、名古屋市・中華料理K店で「今年度相撲部反省会&私の退職を祝う会」。若い頃から仲間に入れていただき、お世話になってきた相撲部の皆さんと楽しい一時をもちました。元々学究タイプの私としては、この会とかかわったことで、教師としての幅が広がったのでないかと思っています。心より感謝。この会に誘って頂いた今は亡きY先生のことをふと思い出していました。「老兵は死なず、ただ去るのみ」
校長室の後片づけが始まりました。ずっと校長室に飾ってあった(校長になる前は自宅の机の上)教え子作のバッチワーク、36年前の誕生日にいただいたものです。先日同窓会で会った教え子に頼まれ、このパッチワークをラインで送りました。教え子からは「プレゼントを大切に扱っていてくれたことに感激した」というラインが届きました。こちらこそ感謝。 今日の昼ご飯、全国にカレーのチェーン店を展開するA屋の津島店でカツカレーを食べました。とろっととろけるカレールーに関心しました。ご飯と混ぜながらいただきました。辛さも適当。ルーの美味しさを楽しみました。食べた後、コーヒーも美味しくいただきました。
『みなみ会』の皆さんがおみえになりました。いつも学校のまわりをきれいにしていただいています。まったくのボランティア団体です。この1年(昨年度から)のねぎらいと感謝の気持ちを伝えることができました。
大学生ボランティアに感謝する会。名古屋市・A店。おいしいビールと肉を中心にした料理をいただきました。ボランティア活動を通し、学校や教職について「思い」を深めた学生たちの成長した姿を聞いたり、見たりすることができました。学生たちから手紙を頂きました。ボランティア活動への参加の機会を与えたことへの感謝とお礼が書かれていました。
娘宅の引っ越しのため、1日孫娘と遊ぶスローライフな1日となりました。室内用のアンパンマンすべり台とブランコ。そしてぬいぐるみ。38年間忙しい学校生活を送ってきた私にとり、一番苦手な暮らし。これからは、時にはこんなゆったりした生活にも慣れる必要がありそうです。逆に疲れる1日となりました。「校長室だより」を作成し、のんびりした1日が終了。先日の同窓会の感動を記事にしてみました。ホットモットのおいしい弁当を食べました。
言葉は生きている、昨日はそんな思いを強くもちました。自分の熱い思いを伝えると、その力が伝播し(乗り移り)、伝えられた人の中で思いの火が付く。そんな不思議な気持ちになりました。学級通信「スクラム」に私が書いた記事を覚えている子どもたちがいました。「差別をするな」「続ける努力」「みんなは一人のために 一人はみんなのために」各自がもっているエピソードと共にそんな言葉が苦しい時期を乗り越えるキーワードになったと言ってくれた教え子がいて、感動しました。
夕方から、私がM小で初めて担任した教え子たちが還暦を祝う同窓会を開いてくれました。M小の前にある居酒屋A店。20人弱の人たちが集まってくれました。教え子たちも48才となりました。教え子たち一人一人から、私へ言葉のプレゼントをしてくれました。過分な褒め言葉、エピソードを話してくれ、涙腺が緩みました。色紙やプレゼントをいただき、みんなと一緒に写真を撮りました。
大学生ボランティアと期付・臨任・非常勤を務める人たちのための学習会について協議。(蓮の実教師塾)日程・会場・講師陣・学習内容などについて。新年度一次対策は5月12日スタートで8回。二次対策は8月12日の1回。面接・論文の学習会に特化してしていくことを確認。新年度もA中学校のB校長を中心に、有志の講師陣で進めていきます。C市内の居酒屋で懇親会。人事の噂話に花が咲きました。私は、4月からの新しい生活とこの学習会にどのようにかかわっていくかについて、専ら考えていました。
カバ先生
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