2021年12月31日(金) |
年とともに命よ終われ |
除夜の鐘が鳴るとともに心臓が止まったら最高なのに。
2021年12月26日(日) |
思わず本音が口をついて |
家に一人でいるとき、つい、「あー、死にたいな、まったくもう!」と大きな声で叫んでしまった。
無防備な状態だと本音が漏れる。 親がいるときに本音を漏らさないよう、気をつけなければ。
でも、思わず叫んでしまったとき、爽快だったなあ。
2021年12月25日(土) |
善意のつもりで口を塞ごうとする奴 |
ある場所で、つらさを吐き出したら、「あなたが辛いときは、私も辛いよ」と言われたのだが、冷静に考えてみろよ、そんなわけないだろ。 私がつらい間、お前はそんなこと知らずに笑ったり楽しんだりしてるだろ。
っつうか、なんでしれっと私のつらさの話をお前の話にシフトさせてんだよ!
おまけに、言い訳みたいに「私は頭が悪いから」だと。
「あなたが辛いときは、私も辛いよ」だなんて、こっちの口を塞ごうとしている(つらさを吐き出すことをやめさせようとしている)としか思えなくて、腹が立つ。
でも、もっと腹が立つのは、思ってもいないし言いたくもないのに「ありがとう」と返してしまう自分自身。
まあ、言いたくもない「ありがとう」を言わせるよう、仕向けられたんだろうな。
2021年12月24日(金) |
本当にヤバいのは、子どもを生める思考 |
「鬱病は遺伝するから子供は産みたくない」に対して「その考え方が鬱だよ」と言われた人がいるらしいが、「鬱病は遺伝するから子供は産みたくない」という考え方が鬱なら、鬱じゃない人間の思考のほうがヤバいよな。
抱きしめて寝てくれる人がほしい。
ただただ甘やかされたい。
2021年12月22日(水) |
分かっているのに、なぜ |
ヘルパーと、「幸せなことは瞬間的な爆発力があるけど、すぐに忘れてしまう。嫌なことは、ずーっと忘れられず燻り続ける」ということで意見が一致した。
が、その人は子どもを生んでいる。 「幸せなことは忘れるが嫌なことは忘れられない」という生の真実を分かっていながら、なぜ子どもを生めるのか。 まったく解せない。
2021年12月21日(火) |
本人の苦しみには見向きもせず |
母親が、神田沙也加が亡くなって以来「子どもに先立たれて、神田正輝はこれから先どうやって生きればいいのか……」などと、親のことばかりやたら同情するので、本当に耐え難い。
一番つらかったのは親ではなく亡くなった本人だし、子どもが死ぬほど苦しんだり親より先に死んだりする可能性を承知で子どもを生んだのだから親の自業自得だし、いつか絶対死ぬと分かってるのだから生まなきゃ良かったのに
……という言葉が口から飛び出ないように、必死に飲み込んでいる。
2021年12月20日(月) |
それは、ただのごまかし |
神田沙也加に関する記事の最後に、必ずと言っていいほど、いのちの電話の番号が載っているのが笑える。
いのちの電話は具体的に有用なことを何もできない。 中には、話を聴いてもらうことで生きる気になる人もいるかもしれないが、多くの場合は気休め言葉でなく具体的な解決策が必要。それを提供できないのに、相談しろ、生きろ、は傲慢だ。
相談窓口として、いのちの電話しか掲載できないメディアも同様。 ただ話を聴くだけで、何の解決もできない(しかも高度専門職ではなくボランティア!)「いのちの電話」の番号を掲載するしかないということは、つまりそういうことなのだ。 本当は、死にたい人を救うことなんてできないと分かっているのに、それをごまかしている。
偽善者どもめ。
2021年12月19日(日) |
親、親、親……どこまでも親の気持ちばかり |
母親、「子どもに先に死なれた親はどんなにつらいか」と言うが、死んだ本人の苦しみではなく親のつらさばかり言うのが腹立つ。
親は、子どもがいつか死ぬことも、自分より先に死ぬ可能性があることも承知の上で生んだんだろ? そんな親のことより、死にたいほど苦しんだ本人の苦しみを考えろよ。
もう生きて苦しみたくない。
早めに死んでおきたい。
現実社会もフィクションも、子どもを生む責任の重さと加害性にもっとしっかり向き合ってほしい。
ドラマで、強姦で妊娠した女が「生まれてくる子に罪はないから」と言って生んだのだが、その理屈がさっぱり分からない。 子どもに罪はないからこそ、生んで過酷な人生を押し付けたらダメだろ。 その“罪のない子”が、成長したら強姦魔である生物学上の父親に似るかもしれない、そのせいで子どもが苦しむかもしれないとか、考えないもんかね。 実際、生まれた子どもは犯罪者になって、母親は親子の縁を切り、子どもは父親の面影があるせいでさらなる犯罪を起こさざるを得ない……という胸糞ストーリーだった。 そういうストーリーを描くこと自体は構わないが、子どもを生むことの罪深さに焦点を当てるべきなのに、そこをまるっとスルーしているのが胸糞。
誰かが自殺したとニュースで聞くたび、それが誰であれ、「成功して良かった。お疲れ様でした。これで、もう苦しまなくていいね」と、ほっとした気持ちになる。
2021年12月12日(日) |
人間は果てしなく馬鹿なので |
「出生賛美者やアンチ反出生に、病や障害、強姦、殺害、飢餓など、出生の犠牲となった人達の苦痛を追体験させたい。それらを全部味わい尽くしても出生はするべきと言えるのか」 というツイートを見た。
追体験させたい気持ちはよく分かる。 が、自分が病や障害を抱えていたり、事件被害に遭ったり、子ども時代に飢餓を経験したりしても、子ども生む奴はたくさんいるし、第一子が事件や病気や災害で苦しみながら死んでも第二子を作る奴もいるくらいだから、あらゆる苦痛を追体験しても出生する馬鹿は多そうだ。
人間は、どこまでも馬鹿なのだ。
母親が、私が食事しているダイニングテーブルにわざわざ来てミカンだの芋だの食うのが鬱陶しい。炬燵で食えよ。 私に一人で食事させないことが愛情だと勘違いしている節があるが、ただただ鬱陶しい。 私は、母親が物を食べているのを見るのが気持ち悪い。
母親を見ていると、ときどき「こいつは何で子どもを生んだんだ?」と、どうしようもなく腹立たしくなる。
2021年12月09日(木) |
「完璧な親なんていない」からこそ、誰も生むな |
「親になると途端に完璧な養育者・人格者であることを求められるが、そういった周りからのプレッシャーは、子育て中の人をものすごく追い詰めることがある」と言うが、なぜ完璧な養育者・人格者でないのに子どもを作って生んでもいいと思えるのかが謎すぎる。 取り返しのつかない不利益を被るのは、親自身や周囲の人間でなく、生まれさせられた子どもなんだが?
「完璧な親なんていない」 だからこそ、誰も子どもを作って生むべきでないのに、勝手に子どもを作って生んでおいて「完璧な親なんていないんだから!」と逆ギレする奴、なぜ被害者ヅラなのか。
完璧な養育者になれないなら子どもを生むな。 「完璧な親はいない」なら誰も子どもを生むな。
簡単なことだろ。
2021年12月08日(水) |
戦争も出生も根本は同じ |
真珠湾攻撃から80年、「アメリカと戦争しても勝てないことは分かりきっていたのに……」とテレビで言っていた。
生まれたら病気など様々な苦しみを避けられないことも、いつか必ず死ぬことも分かりきっているのに、子どもを生むことに何の疑問も持たない連中が多いのと通じるものがある。
生きて苦しむことに疲れはてました。
早く死にたい。
2021年12月05日(日) |
生きたくても生きられない人がいる、だから何なのか |
「生きたくても生きられない人がいる!」と言われても、「だから何だよ」である。 生きたくても生きられない苦しみはその人のものであり、死にたい苦しみは死にたい人のものだ。 一方が我慢したところで、もう一方の苦しみがどうにかなるものでもない。 まったく関係のない話を持ち出しているに過ぎない。
2021年12月04日(土) |
子どもを生むことは、未必の故意の殺人 |
「育児してみたかったから生んだ」が許されるのは、なぜなのか。 育児がしてみたかったから生んだその子は、いつか必ず死ぬ運命にあるわけで、そのことを分かっていながら生んだあなたは、未必の故意の殺人者でしかないですよね。
2021年12月03日(金) |
見て見ぬふりする奴ら |
見なければ、語らなければ、知らないふりをすれば、自分に都合の悪いことはないことにできると思い込んでいる人たちのせいで、今日も多くの人が苦しみながら死んでいく。 生まれてしまったら、嫌でもいつかは死ぬ。たいていは苦しみながら。 それを誰もが知っているくせに、真剣に考えようとしない。
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