電子辞書片手に持って

2010年11月30日(火) どんどん読んでいる

穂村弘

著作が多すぎるぞ
手当たり次第に読むしかないではないか



「世界音痴」(小学館)
「もうおうちにかえりましょう」(小学館)
「本当はちがうんだ日記」(集英社)

おもしろかったけど
「にょっ記」のように悶絶するほどではなかった
それでも面白かったので繰り返して2度ずつ読んだ
私には珍しいことである



「短歌があるじゃないか。―一億人の短歌入門」(角川書店)

やっと短歌らしいのが登場する
けれども冒頭に取り上げられている短歌が
短歌のように感じられない
読み進むうちに何かわかってくるかも知れないので
丁寧に読もうと努力中.....だが
あまり短歌が登場しないエッセイの吸引力の方が強い



「もしもし、運命の人ですか。」(メディアファクトリー)
「短歌はプロに聞け!」(本の雑誌社)

真面目に読んでるところ


このほかに
岡井隆著「今はじめる人のための短歌入門」(角川選書)を
真面目に読んでいる
万葉集が読みたくなってくる

穂村弘のエッセイがオモシロ過ぎるので楽しいけれど
目標は「短歌を詠む」から始まったことなので
ぶれないようにしないと....






2010年11月29日(月) あぶなかった

穂村弘の「にょっ記」(文藝春秋)を読んでいた。

面白くてやめられず
病院に持ち込み
待合室で読んでも足りず
カーテンの中での温熱治療の10分も
せっせと読んでいた


おもしろすぎる


笑い転げそうになるのを必死にこらえて
カーテンの中で悶絶
帰宅してから
いくつかを母や子どもに読み聞かせ笑い転げる

こんなに笑ったのは久しぶりだ
うっかり治療中に笑い声を漏らしたら
きっと薬を増やされたに違いない



あぶなかった




2010年11月28日(日) シンクロ

先日、流行中のヨーヨーの
技のティーチング&認定会に行ってきた

認定会の始まる時刻より早めに着いたので
息子はマンツーマンで大技を習っていた

そのときふと
背の高い認定員のお兄さんと
息子の動きがシンクロしているのに気づいて
はっとした

もしかしたら
お兄さんは左利きの息子に合わせて
左手にヨーヨーを構えてコーチしてくれているのか?

しばらく様子を見ていると
お兄さんは左利きだとわかった


普段、息子の動作が周囲の子どもたちと違って見えて
そのたびに息子は左利きなのだと改めて思う
息子は不器用なのかなとか
右利きに便利に出来ている世の中で
苦労しているのかなとか
そんなふうにちょっとだけ思ってきたけれど

鮮やかにヨーヨーを操るお兄さんと並んで
息子はとてものびのび動いていた



2010年11月27日(土) くさいのはにんげんだ

散歩のとき
大きな破裂音が響き渡り
音のするほうへ急いだ
野次馬根性である

それは冬の夜空にあがる花火だった
鮭祭りの前夜祭らしい

公園の小高い丘を目指してゆくと
花火見物の子どもたちが集まっていた

そこで隣り合った中学生が
犬を撫でてくれた

お座りもお手も知らない老犬
その上病み上がりで犬らしい臭気たっぷり

さわるとくさいよ
この犬
暑さで弱っちゃったもんで

くさくないよ
くさいのは人間の方だ
オレの親が一番くさい

そう言い放った少年に
周りの子たちがくすくす笑う
ケータイから音楽が聞こえている
私の知らない音楽

夜空にバーンと花火が開く
犬が目を見張り遠吠えする

男の子たちが
嬉しげに
わぉぉぉおん!と唱和した



2010年11月26日(金) 月に吠える

老犬を飼っている

この夏の暑さで命も危うかった

涼しくなってから元気を取り戻したけれど
足元が怪しくなって
思わぬところで転んだりする

階段を昇るのも一段一段這うようになった
少し急な斜面は
地面に鼻を擦り付けるようにして
這うように降りる

散歩中のほかの犬とすれ違うときだけ
ぐいっと頭を上げて威厳を見せる

昨夜、トイレ散歩に連れ出したら
坂の上に向かって張りのある吠え声をあげた

海から昇ってきた
大きな月が雲間からどんどん顔をだしていた



2010年11月25日(木) 暗い部屋明るい部屋

心の中に暗い部屋と明るい部屋がある

思春期

ある種の嗅覚で選び取った本をむさぼり読んでいた

その本はお前には早すぎる
そういって親が取り上げたりすることもあったが
読もうと思った本は必ず読んだ

その当時は、なぜこの本が必要なのか
言葉で説明することができなかった

本は二種類しかなかった

心の中の
暗い部屋で読む本と
明るい部屋で読む本である

新聞の日曜版のコラムで
澁澤龍彦の東西不思議物語だったか
そんなタイトルの連載が始まったとき
何か枷のようなものが吹っ飛んで
暗い部屋で読む本について
後ろめたく思う必要はないと考えるようになった
干渉されたくなかったので
黙って読み続けた



2010年11月24日(水) ぼくは拷問の本に興味がある

たまに覗いてみる雑貨屋さんがある
そこで扱っている本が良くて

普通の本屋とは一風変わった品揃えで
こんな本もあったのかとビックリしたり
嬉しくなったりする

最近気になっているのは
廃墟関連と工場関連の写真集
選びきれずに迷っていると

10才の息子が
廃墟の写真集にとても惹かれている様子

破れ果てた建物の中に鳥の死骸があるのが
とても気になるらしい

私が買おうとする本に
子どもが興味を持つのは珍しいことで
そうなると私にもためらいが出る


私が逡巡していると
子どもは隣の書棚にあった
拷問関連の本の表紙を眺めている



おかあさん
ぼくは拷問の本に興味がある

ふーん

おかあさんは拷問の本読んだことある?

あるよ

ぼくも見てみたいな

うーん
まだ早いかなぁ...
いま見たら眠れなくなっちゃうかも

ぼくもそう思う
でも興味がある

おかあさんはそんな本をいつ見たの?

中学生のとき

ふーん




息子はときどき「拷問の本」のことを思い出して
いろいろな質問をしてくる

いい加減な受け答えをしてはいけないと思う


それにしても
なぜ10才の子が拷問に興味を持ってしまうのか
アニメやゲームの影響なのだろうか
世紀末に生まれた子だからだろうか



2010年11月23日(火) 入門書の山

山というのは大袈裟だけど
私が正岡子規の
「歌よみに与ふる書」(岩波文庫)を読んで
笑い転げていると
母が短歌入門関連の本を積み上げてきた

むむむ、敵は本気である


一番古いのは昭和30年発行の
井出逸郎著「正岡子規」弘学社で
どうしましょうっていうくらい古い本

ついでに出てきたのは
宮沢賢治全集別巻(第二刷)十字屋書店、昭和23年刊

どちらもすっかり茶色に変色した本で
読むとかどうとかという場合ではないようなもの
しょうがないので
お宝として大切にすることにする

母が持ち出してきた本から
俳句関連のものは外してのこり12冊


こんなに読んでも
スカスカの脳みそには何も残らないような気がする

難しげな入門書より
穂村弘のエッセイ集が面白い
「もうおうちにかえりましょう」を読み終わり
「世界音痴」を読んでいるところ



2010年11月22日(月) 電子辞書

インターネットをしていれば
辞書なんか要らないような気がする
かといって持ち歩きできるようなパソコンは持っていないので
家の至る所に国語辞典やらなにやらが転がっている
しかし、母の愛用する電子辞書、非常に便利で

こういうのはやはり自分のを持たないとダメかもと
あれこれ物色していたら
母が誕生日のプレゼントだといって
良いのをポンとくれた

(ありがたやー!遠慮なんかするもんか)

この頃、母と短歌談義をすることが多くなっていて
それは主に、母が愛好するからであり
また、BSで放映している
「フォト575」という番組が面白くて刺激になってるのは確か

母としては
私が短歌をはじめるきっかけになればと目論んでいる、きっと


とはいえ....
簡単にはいかないのよ
散歩中に言葉をひねりまわしている程度ではね

お手本になる先生が欲しいわな.....やるならば

今生きてて、知ってる歌人は
俵万智さんくらいだ....
サラダ記念日は買って読んだけど

そこで検索である
「短歌入門」「短歌の作り方」

これでヒットする本をチラチラと物色

小説の書き方という本を何冊読んだか知れないが
小説が書けたことはない
短歌入門の本を何冊読んでも
歌は詠めないだろう
でも、とりあえず、きっかけはきっかけとして
私の心の何かにヒットした歌人の本を取り寄せてみる.....

今日届いたのは
正岡子規「歌よみに与ふる書」岩波文庫
岡井隆「今はじめる人のための短歌入門」角川選書


今、一番気になるヒトは、穂村弘

「もうおうちにかえりましょう」小学館

近くの本屋で文庫を発見して爆読み中

すげぇ、面白い
短歌は良くわからんが文章はいい
同世代だというのが泣けてくる(謎



2010年11月21日(日) 海鳴りが聞こえる

いつも身近な場所に海があることを忘れている

家の前の坂を100メートルほど上っていくと
団地の外れにたどり着き
見渡す限りの畑と田んぼが広がっている
まっすぐに農道を一キロほど進むと
崖っぷちにたどり着き
そこから太平洋が見える
よく晴れた日は水平線が見える

一昨日の夜、
犬を連れて坂を上っていった
すると、普段は耳にしない轟音が聞こえる

海鳴り

曇りがちだけれど暖かい日で風もない
陸地は穏やかだけれども
海は荒れているのだろうか....


坂を下りながら少しずつ遠くなる海鳴りを聞いていた
家の前でも海鳴りは聞こえているけれど
意識しなければわからないだろう

帰宅して母に海鳴りのことを話すと
母は上着をつかんで飛び出していった

去年、母はふるさとを離れてここに来た
海鳴りを聞いてみたいと言っていたので
それがようやく叶ったのだ


ゴーーーーーーーッっと切れ目なく続く轟音
地球の音


胸のなかに固まっていた何かに
揺さぶりをかけられたような気がして

日記とはまた別に
何か書いておくスペースを作っておくことに決めた



2010年11月20日(土) 序章

犬とぶらぶら散歩をしているとき
心の内に浮かんでくる言葉は
5・7・5のリズムを持っている

...いや、正確には
浮かんでくる言葉を
5・7・5のリズムに置き換えようとしている、かも

それらを忘れないようにメモするとか
きちんと俳句やら短歌の形式にまとめようとしたことはなかった

適当に歩いて帰宅すると
心に浮かんでいた言葉など霧散してしまう


詩は嫌いではないが積極的に読むほうではない
ボードレールとコクトーと宮沢賢治くらいしか読んでない
俳句は嫌いではないが
一茶と山頭火の伝記を読んだ程度
和歌は嫌いではないが
万葉集や百人一首くらいしか知らない
それも文学の授業で出てきたからという程度
物語は好きであるが
決まった作家の本を繰り返し読む傾向がある
新聞の文芸欄は一通り目を通す

こんな程度の素養であるから
いちいち決まった形式の「作品」を作るなど面倒
ハードルが高いのである


だけど....


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眠龍 [MAIL]

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