正解と成功と不正解と挫折とのこと。 - 2020年01月02日(木) 年が明けた。最近は思うように日記が書けていない。 日記だけならまだしも日常生活もいっぱいいっぱいで。 とにかく一日一日を追いかけて生きて時が過ぎていく。 言い訳はそこそこに、この頃ちょっと思ったこと。 *** 自分は、正しい道に居るのだろうか。 正しいという言い方はあまり好きではないんだけど。 「これで良いのだ」と胸を張って言える選択肢なのか。 ふと自分の歩んできた道のりを振り返ってみて、 ちょっと自信を無くしている。 と言うか、自信を無くすような出来事があった。 新卒で入社した会社の同期が、新天地で活躍していた。 ふと彼の名前をネットで検索してみたら、ヒットした。 その記事をまじまじと読んで、落ち込んでしまった。 一体何がショックだったのか分からない。 彼は彼で頑張っているのだしそれでいいはずだ。 でもきっと、色んなことを考えて気分が落ちたのだ。 一時期は同じ大きな仕事を担当していたはずなのに、 私の方は心を病んで、フェードアウトして、挙句、 よく分からない進路に進んで、かたや彼はその仕事を 完遂した後、自分の希望通りの職業へ転身して。 そして今や、ネットで記事にもなるほど実績もある。 たぶん羨ましいのだろう。でもそれだけじゃない。 自分とのこの落差が何とも言えず悔しいような。 それで情けないことに自信を無くしているのだ。 そしてふと考えることには、果たして今までの自分は こうして選んで辿り着いた今は正解だったのかと。 ここで「不正解。もっと良い未来はあったはずです」 と言うのは簡単だけれども、それでも今の生活に、 私は満足している部分もある。 理解があって気が合って一緒に居て安心する妻も居て やんちゃだけれど可愛い子供たちが居て、それで 仕事だって、彼のように華やかではないけれども、 自分のやりたいように出来ている。 一体何が不満なのか。分からない。 でもやはり求めてしまう。これぞ欲望なのだろう。 枯れることのない、満たされることのない欲求。 しかし今の私にはその欲を満たす行動に出るほどの エネルギーは残っていない。 出来ることと言えば、せいぜい結局こうして現状の 不満や醜い羨望を書き記すことくらい。愚かだよね。 今まで。 そこそこやってきたつもりだった。 自分でそれを成功体験と言うつもりはない。 たとえば勉強は別に不得意なほうではなかったし、 運動も偏りはあれど身体能力は低くは無かった。 友人関係だって恵まれていたと思う。 学校生活は苦しい時もあったが、思い返してみれば 楽しいことも多かった。 受験も、一度は失敗したが、結果的には満足できる 結果になったし、就職も優良企業に出会えた。 でもどうだろう。それを仮に成功と呼ぶのなら。 今の自分の状況は一体何と呼べばよいのか。 今の状態だけでない、今に至るまでのプロセスも。 それは幾つもの挫折を経験したように思う。 他人からすれば大したことは無いかもしれない。 しかし自分にはもう経験したくないことばかりだ。 大きなプロジェクトに参画したのはいいが、 たかだか数カ月で心を病んで休職してしまう。 どうしても退屈で苦痛な仕事に耐えられなかった。 そのあとは全く違う業種に行くものの、あまりの 薄給に嫌気が差して一年足らずで辞めてしまうし。 その後に結局今までと同じ職種に就くけれども、 育児休暇を取りたいと会社に申し出るものの、 古臭く頭の固い中小企業で、上層部からの理解を 得られずに辞めることになってしまって、 そうして今の職場に拾ってもらった次第で。 一言で言うなら、どうしようもない経歴だ。 他人に話すのは本当に気恥ずかしくみっともない。 だからもう転職活動なんてしたくない。 そんな自分と、華々しい舞台で活躍するかつての 同僚を見るにつけ、本当に自信が無くなる。 コンプレックスの塊なんだなぁ。 でも、こうネガティブなことを書いてはいるけれど そういう、みっともない経験を経てきたからこそ 今の自分や、今のこの少しでも満足した生活が あるのだろうなとも感じている。 「あの時ああすれば・・」「もう少し頑張れば」 そう思わないと言うとウソになるけれど、だけど、 あの時こんなバカみたいな選択肢をとったからこそ 今、こうして少し幸せを感じたり、嬉しく思ったり ということに繋がっているのかもしれないなぁと。 こんなコンプレックスの塊なので受け入れるには 多分もう少し時間を要するのかもしれないけれども きっと、全て「これでよかった」と思える日が来る。 そう信じている。というか多分そうだと思う。 ちょっと今日は恥ずかしい内容だったな。 *** 新年の抱負とかはもう書かないようにする。 どうせ守れないので。結局語学は全然出来ません。 今年も、よろしくです。 *** 2020/01/02 21:51 ...
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