内側へ、心を開く


自分を不幸だと言う人、嫌いだと言う人を見ると、どうしようもなくイライラする。
ひょっとするとそれはある種の「嫉妬」なのではないか。

先日、エゴグラムによる性格診断をしてみたところ、「苦しみの中に楽しみを、悲しみの中に喜びを見出せる、心境の自由さをもっている稀有な人」という結果が出た。
さもありなん、そのように生きようと幼少の頃から努力してきたのだから。
愛読書は『赤毛のアン』であった。アンに感化されて以来、なにげない日常風景の中に小さな幸せを見つける感性を磨き続けてきた。
わたしにとってネガティブな思考をすることは「悪」だった。
苦しみも悲しみも、心を養う糧となるのだからと、ポジティブに捉え直して昇華させようとしてきた。
だが、きっと、このやり方では片手落ちなのだ。
いや、一段階、手順を飛ばしてしまっているというべきか。
まずは「苦しい」「悲しい」というネガティブな感情を受け入れる。
自分自身の内なる声を無視しないことだ。
心の中でまで「いい子」でいる必要はない。
思う存分、泣き、叫び、恨みごとを連ねるのだ。
そうした過程を経ないと、わたしの核ともいうべき部分はずっと我慢を強いられたままで、「ほんとうはわたしだってつらいのに、無理して笑顔を浮かべているだけなのに、あなたはこれ見よがしに悲劇の主人公ぶって」と、怒りの矛先がよそへ向いてしまう。

以上を踏まえて、現在わたしの胸に渦巻いているどす黒い感情を浄化させていく。
アナタノトナリニイルヒトハ アナタニアエタノガウレシクテタマラナイトイッタフウニ ハシャイデイルノニ ソレデモジブンノコトガキライダトカ フザケテンノ?

2018年07月22日(日)

ふせごのひよこ / 砂谷紅緒