僕らが旅に出る理由
DiaryINDEX|back|next
2010年09月03日(金) |
花を貰うのが嫌いな理由 |
結婚記念日に夫からバラの花束をもらった。 どうやら夫は忘れている。 私が、花を貰うのは苦手だと言った事を。
昔、実家で猫を飼っていた。 可愛がっていた。 ただ世話をするのは面倒で母に任せてしまっていたから、本当の意味で可愛がっていたとは言えないが。
その猫が、十数年生きた後、老衰で死んだ。 死ぬ前の数週間は、恐怖だった。 猫が死にかけているという事実が怖すぎて、私は猫を避けて回った。 猫が足腰も立たなくなって、母が作った段ボールの箱の中でうずくまるだけになっても、その箱を見ないようにした。(ひどいね)
父が亡くなったときも、やはり直接触れるのは怖かった。
私は死が怖い。 自分の死はそうでもないが、周りの死が怖い。 人でも、猫でも、何でも。 花ですら、そうなのだ。
切り花を部屋に飾って、最初のうちはいいが、やがて元気がなくなり、しおれ、散っていく。 それを毎日リビングで目の当たりにしないといけないというのは、ホラーだ。 そのくせ私は、やっぱり、大した世話もしないのである。 バラなんかは、切り口をちょっと火であぶると吸水力が回復する、と聞くけれど、やらない。 めんどくさがりも相変わらずだね。
夫には、言えなかった。 せっかく、私が喜ぶのを期待して買ってくれた花である。
だが連日の猛暑、日中は誰もいない部屋でいいだけ蒸されて、早くも元気がない。
どうしよう。これ。
仕事で、会社の工場見学に行った。 本社とは離れた場所にあるので、出張扱いとなる。 同じ部署から数人が出かけ、その中で一番下っ端の私が出張報告書を作ることになった。 私はあらかた形を作って、「所感」の欄だけ空欄にし、皆さんに埋めてもらう事にした。
他の人達は皆男性である。 女性は私だけ。
皆から返ってきた「所感」を読むと、当然のように、常体を使った文章だった。 「である」「と思われた」みたいに終わる文章だ。 報告書類はみなそうだ。男性女性関係なく。
私はそれを一通り読んで、今さらのように考えた。
この日記でもそうだが、私は小さい頃から、他の女の子とくらべてもダントツに常体で文章を書く子供だった。 理由は、私がトンがっていたからである。(駄) 先生から可愛くない、と眉をひそめられても、私はそのスタイルをやめなかった。 その時の私の精神状態には、常体の持つ疾走感や力強さがぴったり当てはまったのだ。
しかし同時に、自分の文章を読み返して、これが誰か他の女の子の書いた文章だとしたら、ずいぶん偉そうで感じ悪いな、というのも分かってはいた。 それでも、何か書く時には、どうしても常体にこだわってしまった。 文章を書く時、私は「男」の気分だったのかも知れない。
それなら出張報告書でも、堂々と常体で書けばいいようなものだが、なぜか今回は引っかかった。 もちろん、簡潔に書くことが何より大事な場合なら迷わず常体で書くだろう。でも工場見学は内輪の話だし、出張報告書というより感想文みたいなところもある。回覧として皆さんに回っても、急がず、ゆっくり読んでもらっていい種類のものである。
結局私は、「です」「ます」を使ったのだ。 常体が当たり前の世界であえて敬体を選ぶというのは、私には相当珍しい体験で、妙に感慨深かった。 その逆のことばかり、何度もしてきたのだ。 私もようやく人並みの感覚に追いついたのかも知れない。
出来上がった報告書を、もう一度読み返してみた。 誰が見ても、感じの良い文章だった(笑) 自分もそうしたいし、傍目にも感じが良いのは、気持ち良いなぁと思った。
|