僕らが旅に出る理由
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2010年06月20日(日) |
本当に好きなのは君だけだった |
赤い糸は一本とは限らない、とその人は言った。 自分が、お伽噺を信じない程度にはかしこい人間でラッキーだった。
幸せとは裏腹でも上げ底でもなく 日だまりのように嘘のない温かなものである事は間違いない
ただ、それを作って行く努力は、 薄氷を踏むがごとしだ。 気が休まることなんかないのだろうと思う。
またひとり、ロンドンの友達をなくした気がする。 ロンドンで出来た、日本人の友達という意味だ。
海外で出来る同国人の友人というのは、ちょっと安易かもしれない。 同じ言葉を話すというだけで仲間意識が生まれるから。 日本にいたらもしかしたら友達にならないような人と付き合ったりする。
彼女はいい理想を持っていた。 自由な人が持つ、自由な発想があった。 彼女の、挨拶もなくいきなり本質を突くような話しぶりは痛快で、好きだった。
理想は実行に移さなければ、絵空事でしかない。 それは、お互い分かっていると思っていた。 ただ、海外留学中というのは、人生の猶予期間みたいなものだ。 答えを保留しておいていい時期なのだ。 「帰ったらやりますよ」 でオールオッケー、みたいな部分もある。
日本という現実に帰って来て、彼女の理想は酸素不足になっていった。 私はすっかり渡英前の会社員気質が戻り、普通に働いていたので、彼女がどうしてそんなに手間取るのかが分からなかった。 彼女は彼女で、私が急にシステムの優等生みたいになってしまったのが白々しく写ったかもしれない。 お互い、話が段々噛み合なくなっていった。
私たちは、現実と折り合いをつけていかなければならない。 それは皮肉や諦めではない。真面目な段取りの話だ。 理想は頭の中で考えている間は、一方的でしかない。 それを、現実という鏡に映しながら形を整えていくのだ。 でも彼女は、そういう考え方はしないようだった。 或いは、私たちはまったく違うものを見ていたのかも知れない。
私から見れば、彼女はもうちょっと現実的になるべきだったけど、そういう「教えてやる」という空気は、私も嫌だ。そうなったら、離れた方がいいと思う。 それとも、お互いの考えをぶつけあって真剣にケンカするのが正しい友情のあり方だろうか? でも私は、ケンカはしないだろう。 それで冷たいと言われるなら、きっと私はそうなのだ。
ただ、ロンドンで一緒に遊んだり笑ったりした思い出が、少し哀しい。
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