僕らが旅に出る理由
DiaryINDEXbacknext


2007年04月15日(日) 無辜なる

電車に乗っていて目に入るすべての人が、みんな自分より正しい人たちに見えることがある。
私はこれまで人生を少しずつ積み重ねて来たつもりだったけど、それは幻だったのかも知れない。

人間は、弱いもの勝ちだ。
弱ければすぐ犠牲者になれる。

強い人間が苦しむよりも、弱い人間が苦しむ姿の方が悲愴だ。
強い人間は傷ついた姿を見せたくないから平気な振りを装うが、弱い人間にとって傷ついた姿を見せる事は、武器だ。

そんな風に思いたくないし、自分が悪いことは受け止めるべきだ。
でも、そんな風に言いたくなってしまう。

自分のしたことを受け入れる受け入れないに関係なく、とにかく永遠に責め続けられることだけは間違いがないのだろうか。
受け入れずに責められれば腹を立てるだけで済むが、受け入れていればその痛みは、まっすぐに自分の痛みになるのに。


たぶん、そうなのだろう。
それが私の選択したことなのだ。きっと。


電車を降りるとき、通路においていた私の荷物をおばあさんが間違って蹴ってしまった。
おばあさんは何度も謝り、ホームに出てからも、
「中のものが壊れてなければいいけれど」
と、心配そうに言っていた。


いい人なんだろうなと思った。

私は、いつの間にかそんな風になれる機会をなくしてしまったのだろうか?


2007年04月01日(日) 春愁

今日でお茶のお稽古が終わった。
ちょうど1年。

先生は80歳すぎの、笑い方が少女のように可愛い(という言い方も失礼だけど)おばあちゃん先生だった。
あまり格式張らず、お菓子におせんべいとかクッキーが出てくることもあり、どっちかというと本当にお茶が好きで、楽しんで頂きましょうという感じの先生だった。
だからお免状を取るように勧められたこともないし、いつも、季節の話題などしながらのんびりと2時間のお稽古をこなした。

その先生の娘さんにあたる人が私の母に、私がお稽古に通いだしてから先生が生き生きしてきた、と言ったそうだ。
その先生のところに新しい生徒さんが来たのは久しぶりのことで、一から指導することが楽しかったみたいだ。
私は私でお茶が面白かったので、用事があるとき以外は毎週通っていた。
だから、辞めると言ったときには先生は残念そうだった。私に直接は言われなかったが、娘さんには残念だと繰り返し言われたそうだ。

つい最近も、古い生徒さんの紹介で新しい人が見学に来た。
でも先生は、
「あたしはもう、いつどうなるかも分からない年だから」
と言って、あまり熱心に誘われなかった。

最後のお稽古も、淡々とすすんで、おしまいになった。
最後に挨拶をしたときに、先生はいつもの笑顔で
「お出会いできてよかったわ」
と言われ、
「お幸せに」
と、静かな声で言われた。

玄関の戸をしめて、自分の車に乗り込んで、窓越しに周りの山々の風景を見た。春はもう来ているようで、まだ何かを考えているかのように押し黙っている。
泣いてしまいそうだったので、すぐにエンジンを入れた。


45 |MAIL

My追加