HOSHI・HARU
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↑この図鑑内です
私は、出張や旅行でいろいろな場所に行くのが結構好きである。 初めての地、見知らぬ地、普段の環境とは違う地に行くと、新鮮な刺激がありおもしろい。 あるある大辞典でもやっていたが、そんな時、何とかと言うホルモンが出てくるらしいが。
いろいろ新鮮な刺激を受けて、自分の視野を広めていきたい。自分の視野を広めることにより、本当に良いもの、本当に素晴らしいものを見分けられるようになりたい。
ちょっと抽象的な表現になってしまいましたが、今年のまとめとします。
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ということで「ほしひこの感じたこと」は冬休みに入ります。みなさん、よい2002年をお迎えください。
台湾出張から帰ってきた。 妻からお土産を買ってきてと言われていたので、台湾の空港で買ったのだが。
必要お土産の内容としては、台湾土産で最も有名なパイナップルケーキを9個、ウーロン茶を2個、(あと職場に一個)。
まず、パイナップルケーキを探した。うろうろ探したが1種類しかないようだ。15個入りで結構、箱も大きい。これしかないんじゃ、これを買うかと思っていたら、店員がちょうど来たので、「じゃあこれ9個」と、店員の手の上に9箱載せていった。その瞬間、私はいやーな感じがした。ドバーっと土産を買い漁っていく典型的な日本人に俺はなろうとしているのか!と。
しかし、俺は気を取り直して、「ウーロン茶はどこ?」と店員に聞いた。案内されて、「どれがおいしいの?」と聞くと、「コーレがイチパン、コーレがニパン、コーレがサンパン」(台湾人の店員が日本語を話すとこんな風に聞こえた)と丁寧に3種類も教えてくれた。じゃあ、これとこれの2個にしようかなとレジに持っていこうとしたが、ちょっと待てよ値段はいくらだ? と値札を見ると日本円で1万円近くもするのが含まれているではないか! ダメダメ、危ない危ない。と戻した。 2個と言われていたが、おいしくてほどほど価格のものを1個だけ買うことにした。
あと、職場に1個。これは、何でもいいやと手が届くところにある菓子を1個とった。(まあ皆さんも、そんな感じでしょ)
これらをレジに持っていくと、何と、店員が大きなカバンに私が買うものを入れているではないか! 何だあのカバンは! しかもナイロン製の立派なものだ。 そうか、普通の手さげ袋では入らないから、カバンにいれているのか。そしてあのカバンは、私のような買い漁っていく日本人のために、作ったのだ。
私は、そのカバンを持つことにより、完璧な買い漁り日本人になってしまった。と自己嫌悪になったが、カバンがもらえてちょっとうれしいなとも思った。
しかし、パイナップルケーキは、なかなかいい値段がした。日本人が何も考えず買っていくパイナップルケーキを1種類しか置かず、それは少し高めのものを置く。 これは、賢い売り方だと思った。 もし、安いの〜高いの置いていたら、安いものを選ぶ人が多いだろうから。1種類しか置いてなかったら、多少高くても買ってしまうだろう。
その後、この大きなカバンと元々持って来ていたカバンと計3つを持って、私は機内に入っていった。3つのカバンとも大きくて、重たかった(私は、チェックインの時、1個も荷物を預けなかった)ので、座席と座席の間の狭い通路を通って行く時大変だった。しかも、自分の席はだいぶ後ろの方だ。何人かの人の腕にカバンをぶち当てながら、汗だくになって進んでいった。私は、あやうくこの時発狂しそうになった。何でこんな土産のせいで、苦労しなくちゃいけないんだ。
いよいよ年賀状を書く時期になってきた。今回は、せっかくパソコンとプリンターがあるので、それで書くことにした。 主婦向けの雑誌で、年賀状の絵柄がいろいろ入ったCD-ROM付きのものがあったので、それを妻が買ってきた。 これらを使って、年賀状を作り出した。予想していた以上にすばらしくきれいな色、柄のものができた。すごいなー。 バイオとカラリオによって、美しい年賀状がいとも簡単に短時間で作れてしまった。 今年は、海外生産化、中国生産化、国内空洞化と特に騒がれてきたが、 この年賀状作成作業をやってみると、まだ日本も大丈夫かなと思った。
しかし、来年以降ますます、空洞化は進んでいくだろうから、我々メーカーの人間はさらにがんばらないといけないのだが。
一つだけ楽観的な考え方をすると 日本の消費者が商品を見る目は世界一厳しい。車、家電品、衣類、食品他でもなんでも、ちょっとした傷、よごれ等がついてるだけでも怒り、クレームをつけ、返品・交換させる。 これが、日本のメーカーを鍛えている。
私は、会社の英会話クラブに入っている。先生はカナダ人だ。 今日、その忘年会だった。一次会はイタリア料理店に行った。 二次会はカラオケに行った。カナダ人はどんな歌が好きなんだろう。 そのカラオケ屋には、英語歌のメニュー本があった。 みんな、カナダ人先生の好きそうな歌を入れながら、会は進んだ。 それで分ったことがある。共通なのは、 ビートルズだ。例えば、イエスタデイ、オールマイラビング、レットイットビー オブラディオブラダ等だ。この辺なら大丈夫だ。 あと、新たな発見だったのは、君の瞳に恋してる。だ。これは盛り上がった。 また、この男性のカナダ人はクイーンが好きだった。ユー・アー・ザ・チャンピオン等で盛り上がっていた。 皆様、何かの参考に。
その後、中華街に行った。(お決まりのコースなのかもしれないが) 四五六菜館という店が予約されていた。料理長が料理の鉄人に出たらしい。店の前に看板があった。そのため、かなり混んでいた。上海料理の店だ。上海なら行ったことがあるので、親しみを感じる。 やはり、当然席は円卓だ。今回は結婚式で集まった親戚10人が2つの円卓を囲んだ。このようにある程度の人数で集まる時は、円卓は非常に合理的だ。みんなの顔がよく見えて、話がし易い。さすが中国人よく考えたものだ。 料理もとてもおいしかった。私は中国と台湾で食べたことがあるが、ほぼ同じ味であった。特に前菜のチャーシューにあの独特の香辛料の香りをかぐと、あー中華料理だなーと思った。 中華街の通りを歩くとすごい人だかりである。不景気不景気といいながら何故こんなに人が集まるのであろう。
<追記・2008年9月> 某テレビ番組を見ていたら、円卓は日本の雅叙園が最初に使ったそうです。
外人墓地から、元町へ降りてきた。昔、若い頃、何度かこの辺に来たが、その時は何故みんなが元町元町と騒ぐのか理由がわからなかった。退屈な町だな。と思っていた。しかし今回十年ぶりに来てゆっくり歩いてみると、並んでいる店は洗練されていて、商品も魅力的なものが沢山あった。 この変化は何だろう。これは私自信が変化したのだろう。もしかしたら大人になってきたということなのかもしれない。十年の間に、仕事、プライベートを通じていろいろなものを見て、感じて(といってもたいした過ごし方をしてきたわけではないが)。いいものの良さが少しずつ分るようになってきたのかもしれない。 うれしいような、おやじになったと悲しいような気分だ。 でも、せっかく世の中にはいいものが沢山あるのだから、それをいいと感じられなかったらもったいないので、これでいいのだ。
次の日は、関内駅で降りて、歩き回った。 まず山下公園へ行った。ここはいかにも幸せの象徴のような場所だ。家族連れが海を見ながら、うみねことハトに囲まれている。子供が恐がっていながらも、親はうみねこにエサをあげたり、写真を撮るのに忙しい。
外人墓地も行った。初めは、どうしてこのような一等地を外人にお墓として占領されてしまっているのだろうと不思議だったが、外人墓地の入り口の記念館に展示してある資料を読んで理由がわかった。 横浜が開港するかしないかの頃、母国からはるばる横浜に来ていた外国人で、日本人に殺された人、横浜の発展に貢献しながら病死した人、天寿をまっとうした人他が眠っているようだ。それならば納得できるなと思った。
前に台湾へ出張した時、巨大な港町・高雄で、駐在している日本人にあった。台湾人の奥さんをもらった人、独身の中年の人らと飲みながら話をした。彼らは技術者で台湾人に技術指導している。一生懸命仕事に打ち込んでいる。彼らは身を捧げていいと思う程台湾が好きだ。と言っていた。 今、外人墓地の前に立ち、台湾で会った彼らを思い出した。
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