舌の色はピンク
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2009年09月27日(日) |
「ゆずりあいの街、東京」 |
とかゆーポスターがやたら目に付く。 このコピーは支持できないなぁ。
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一般に、ポスターとは広告や規範慫慂に利用される視覚伝達媒体である。…
「ゆずりあいの街、東京」を紐解くと、 「譲り合い」を東京のアピールポイントにしている点で、 「譲り合い」は自明のコンセンサスではなく、 特筆すべきステータスといえる。 すなわち、他の街との差別化を計り得る。…(1)
また、「譲り合い」とは生活習慣上広く好まれる「正の規範」であり、 ラベリングとしては方正を極め、百街がこぞって掲げたい冠である。 しかし、(1)より、ここでは「譲り合い」の冠は東京が奪い、占有している。…(2)
(1)(2)より、このコピーは譲り合いの精神に欠けている。 よって、命題「ゆずりあいの街、東京」が真であるならば、 当該コピーライターは東京人ではない。 このコピーは極めて軽薄な言葉と化すと言える。 命題が偽であるならば、当該コピーライターは社会的良心に背いているから、 市井に糾弾されるべきである。
ゆえに、私にはこのコピーを支持する余地がない。
Q.E.D
2009年09月11日(金) |
引きこもりは孤独か否か |
ネットや携帯、その他の交信手段すら絶った引きこもりは よし物理領域なら孤独を手に入れるでしょう、 でも観念的には?
引きこもりが現代社会の患いだったとして、 現代社会てのは偉大なる先人たちの歴史のつみかさねなわけですよ。 あらゆる天分の才が、 科学技術、政治形態、文化水準、 産業、医療、食糧、娯楽、安全、 などあらゆる社会の因子に攻究を重ね貢献し、 近世近代を経て現代に辿り着いたわけですよ。 その結果が引きこもりの登場なわけですよ。 無数の天才たちが導いた。 これって孤独なんかじゃない。
徳川家康が実在したかは科学的に実証し得ないけども、 徹底した懐疑論さえ持ち込まなければ、 徳川家康が実在したとされる時代に、 確実に、間違いなく我々の先祖は科学的に実在していたんですよ。 これって孤独なんかじゃない。
歴史が人から孤独感を奪う。
2009年09月09日(水) |
無垢ゆえのブルー供給 |
そうそう昨日荻窪の神社でお祭りしててですね、 神社の近くの電気屋の前に、何らかのキャラクターを模した 空気で膨らませてある置き物があって、 倒そうとしても重心が安定してて倒れないタイプのやつ、 それに対して男の子2人が殴る蹴るの暴行を加えてるところまでは まだよかったんだけど、 その光景からまさに通り過ぎようとしたとき 「ふー。もう行こうぜ! あっちお祭りしてるし」 と言って男の子2人があっさり去っていってですね、
そこに幼さの残虐性を見た。 グロテスクだと思った。 残された置き物の変わらない顔から 彼の感情を読んだりしないよう勤めるのに 相当量のテクニカルポイントを要した。
9月8日 午前8時確認 「曇り後雨 午前中は雨に注意」 え…? 午前…曇り…雨…え…?
この事情を先輩(埼玉在住)に話すと すぐにご自分の携帯を見てくれた。 「曇り後雨 高波に注意」 え…? 高波…埼玉…内陸…え…?
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