ヒルカニヤの虎



 低気圧に乗って

BSあまちゃん東京編前編が佳境を迎え、毎朝の放送と土曜の再放送まで見てしまっている。2年前は東京編そんなに熱心に見てなかったんですけど、これだけ短期間に繰り返し見てもまったく飽きない。どころか、見るほど深くなっていく多層的なおもしろさ。脚本も演出も役者も、本当にすごいな。やっぱりクドカンおそろしい。

会社の元先輩・Kさんちに茶トラの子猫がやって来て、足しげく通っている昨今です。チビは臭かわいいのう。子猫をいじくりたおした後に3歳になる自分ちの猫(ややデブ)を抱っこすると「ぐはっ」となる。ふてぶてしさと太ましさが大人猫のよさではあるが、しかし腹に乗られると存在の耐えられない重さ。
私「止まったら死ぬってくらい動き回るの子猫のうちだけなんで、楽しんでください」 Kさん「えっ」 私「大人になったらンコ前・ンコ後の5分しか走りません」 Kさん「じゃあ残りの時間は…」 私「トドです」
正確には次寝そべる快適スポットを探す間は動いてるけどな。あとはじゃらし振っても寝っころがったまま目で追うだけ、腹をモフっても無抵抗のトド。猫は卓越した省エネ動物だと思う。

あと先々週だったかな、ウーマン村本のANNが面白かったような気がする。そうだ、ボケにとってのツッコミ論だ。ノンスタ井上・キンコン西野・ピース綾部らのボケを領域侵犯する下品なツッコミ=ステーキ味のポテトに対し、ナイツ土屋の品のあるツッコミ=薄塩のポテト。白金の奥様のようなたたずまい。ちなみにオードリー若林もボケを引き立てる上品なツッコミに分類されてたんですけど、若林さんは「元ボケのツッコミ」という別ジャンルに入るのではと思う。山ちゃんもそうだし、フット後藤、ライセンス井本、くりぃむ上田も「元ボケのツッコミ」ですよね。そういう人たちは自分がボケだったので、引き際を心得ている。というか、ボケがやられて嫌なことをよく知っている。

2015年07月25日(土)



 身をよじってほどいてゆく

おお、すごいな又吉先生!でもゴメン、まだ読んでないねん…。
いや当初は読むつもりあったんですけど、もう何年も文学といわれるものを読んでいないうえ、お笑い芸人の話だと聞いて一気に…こう…。なんせ又吉先生とやしろさんは仲良しだったし、あの時代の、東京の、若手の、お笑い芸人たちの空気を、あの閉塞感を、文字空間に持ち込まずにいられるはずがないよなと思って。
カリカでついた傷はまだぜんぜん生乾きで、ゆえに手が伸びずにいる。

お笑い芸人が書いたエッセイなら本棚にあるぞ、とひっさびさにオードリー若林「社会人大学人見知り学部卒業見込」の付箋はったとこだけ読み返し。やっぱり黒ひげ危機一発の、「何かをして何も起こらなかった時、飛ぶ可能性は上がっている」は大好きだなあと思う。これも結局「勝つための努力は無駄かどうか」の角度を変えた答えなんだけど、これを言えるのは結局1度は黒ひげを飛ばしたことがあるからなんだよね。リアルな世界では飛ばない樽なんていくらでも転がっている。それでも最後の穴まであきらめずに剣を刺しつづけることが、どれほど孤独で恐ろしいか。

自分と同世代で似かよった教育を受けてきた人たちと話していると、彼らがあまりにも剣を刺すことを厭うのでびっくりする。「やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいい」みたいな考え方は、みごとに満場一致で否定される。普通っぽいこと・普遍的なものはとりあえずナナメに批判しとけでアイデンティティ保ってるのがわれわれ文系ではあるけれど、そういう考え方を「賢い人はなんとものごとを難しく考えることよ(詠嘆)」とそれなりに尊重して同化しようとしてたのが10年くらい前までで、最近はラフに「あ、こりゃ別人種だ」と思うようになった。哲学者と哲学研究者は違う、という単純なことが私はわかっていなかった。研究者と研究研究者は違う、といったほうが正しいかもしれない。今の研究者の成功はいかに若くして一定の地位に着くか、だ。

「マッチョ」という言葉は文系的文脈では完全にマイナスの表現なんだけど、私はどうやら脳筋であるらしく、少なくとも腺病質な脳は持ち合わせていなかった。ジムに通いはじめて思いのほかウェイトトレーニングにはまってる今。

2015年07月16日(木)



 見てないようで見てる

おおう、バナナマン単独落ちたか・・・落ちたな・・・。
なんとなく予感はしていたものの、どうしましょうね。一応一般ではがんばるけど、それ以上を足掻くかどうかが迷いどころ。

今週は日・月曜日が茨城で金曜日が東京、土曜日が新潟。
週に何度も新幹線に乗らなくちゃいけない仕事をもう何年も続けていて、あの座席に座るとパブロフの犬みたく眠くなる身体になってしまった。睡眠時間を確保できる、ある意味安穏の場所。そこにあんな事件が起きたらもう寝ていられないし、乗ること自体に忌避感情が出てしまう。乗らざるを得ないからやっぱり乗るけど、JR東海は全然悪くないだけに憤懣やるかたない。被害を被った人、同乗していた人、ダイヤのずれで商談が飛んだ人、大事な人に会えなかった人。みんな自分事だ。

吉井さんの結婚に関してはもはや無の感情ですが、昔のお仲間ズの沈黙がこわい。


2015年07月01日(水)
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