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■ 下から関節山里です
最近つべとHuluで南キャン山ちゃんとオードリー若林の動画を流しながらお二人がかもしだす磁場に浸り、彼らがお笑い界でどう生き抜いていくかを考えてにやにやしていたのですけど、先週のウーマンラッシュアワーANN0で「おっ」となったので書いておく。
スペシャルウィークでゲストはナイツ。この2組はミレニアムズつながりなんですね。ミレニアムズにおいてMFである山里・若林の攻撃/守備範囲が広すぎ、FWである塙・村本にパスがまわってこないという話。塙の主張を突き詰めれば「山里亮太はボケ殺しである」だと思った。「山ちゃんは天才だから」「やさしさ」という言葉で塗されてはいたけど。でも構造的に、どうやったってボケを殺さないと成立しないツッコミなんだな。これ不覚にも今までそんなに意識してなかった。
山里の喩えツッコミは素人さん(ないしイジられておいしいボケ芸人)をどこまでも活かせるので重宝されるけど、ナンセンスなボケにとっては「うるせえよ」「バカか」一辺倒の堅実なDFのほうが断然やりやすい。ボケに何らかの意味をもたせてしまう喩えツッコミはいらないのだと。ツッコミのバラエティが増えすぎてボケにくくなり、器用でシュートを決めてしまえるツッコミが増えすぎてストロングスタイルのボケ・堅実なツッコミが激減していると。この「ボケのやりにくさ」の訴えはすごく面白かった。たしかに爆笑太田、ブラマヨ吉田、ナイツ塙みたいなストロングスタイルのボケ芸人はそんなに数がいないので、山ちゃんの大いなる欠点には普段気づきにくいんですよね。
で、この話には一応山里側として若林も入ってるんだけど、若林はそもそもツッコミの皮をかぶったボケ(村本いわく「攻めのMF」)なので、どうも違う気がする。ツッコミとしては「うるせえよ」「バカか」系のオーソドックスだし、そもそもあんまりツッコミに固執してない(大爆笑してつっこまない)し。村本が感じるやりにくさはどちらかというとボケで力が拮抗した際、「ツッコミの人にボケで負けた」というボケの敗北感なのかなと思う。 むしろ山ちゃんの笑いは山ちゃんの言葉でしか完結されない、という圧倒的な構造の問題があって、バラエティがお笑いさん以外で成立するなら問題は顕在化しないんだけど、芸人のなかでやってくにはこれはけっこう深刻かもしれない。と気づかされた本放送。
でも「たりないふたり」「もっとたりないふたり」「たりふた SUMMER JAM'14〜山里関節祭り〜」では若林は完全なるボケなんですけど、全然殺されてはいない。と思う。ということは構造の問題ではなく、やはり相性の問題なのでは…?(どうどうめぐり)
2015年02月25日(水)
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