7畳半

2010年07月30日(金) 胸筋とか女とか。あと夢

週2くらいで市民プールで水泳やってたんだけど、
しばらく朝寝て夕方起きる生活をしてしまい・・・

まぁー痩せたね。筋肉が。
体格は変わんないんだけど、
真っ先に胸筋がおちてただのおっぱいに。
へぇ・・・こんな痩せるんだ。
運動って続けなければ意味がないことを実感。
こえぇ。
なんか地味にこれ不安になるよ。
明日は絶対泳ごう。


後輩に絡まれる。
まずい。
お妾さん的な位置でもいいですといわれても
それにしちゃ重いし、
ほぼ彼女みたいなことしないといけないし
そもそも
リスクを犯してまで相手するほどの価値が
向こうにない。
「彼女」のことがどれだけ好きかを伝えてもあんま通じてないし。
ていうか嫉妬するし
彼女の何を知ってんの、みたいな。
あといろいろ向こうに対しての鬱憤がそこで爆発してキレた。
つってもかなり抑えたんで
道端にタバコ投げつけただけだけど(しかも拾ったwww)
なんか腹立つと喋る気失せるね。

大学時代ってのにかなり重きを置いてて
大事な人と一緒にすごしたいってのもわかる。
だがなぁ・・・。
直接話してるとなかなか突き放せないのにも困る。
ていうかその人と話してるといつになくいらいらするから
本当に性格の相性も最悪なんだと思う。
…なんでそれでも先輩として頑張って接してるんだろう俺。




あとさっき夢を見た。
蒼い奴のアパート(かなり近代的ですごしやすそうなとこ)
に何人か集まってて、その日は夜中の3時くらいに奴の彼女もくるってんで、
俺は楽しみにしてたんだけど、
みんな帰るし、二人っきりになるとなんかぎこちないしで
で、夢の中なのに眠くなって床でねてしまい(実際ほんと眠かったので記憶は曖昧)
起きたらフツーに俺んちで寝てたと。
夢の中でも眠くなるんだねぇ。
そういや久々に色のついた夢(つっても大半はセピア色だった)だったな。


とりあえずいろいろと現実逃避をしたい今日この頃。
俺って自分が思ってる以上に頭悪いわ。



2010年07月23日(金) あたまいたい。ねれないよ

あたまいたい。
吐きそうなんですけど。

禁酒6日目。
教採に向けて脳に悪そうなことは控えようと思い、
酒・煙草・コーヒーはやめることに。
しかしながら
最近寝れないときは酒呑んでたからなぁ。
結構きついもんだ。


ACIDMANの新曲。
なんか違和感あんな。
ACIDMANだけどACIDMANじゃないというか。
ほかのバンドでもやりそうなかんじの。
悪くはないけど軽くなったなぁ。
カラオケで歌うのは控えたい感じの。
なんかいろいろ勘違いされそうで。
他の人はわりと評価してるみたいだけど、
うーん・・・。
もう宗教曲っぽいのは出ないかなぁ。
次のシングルとアルバムに期待ですな。



最近思ってること。
感動ってのは
それそのものとの出会いからじゃなくて
それから受けた感想つまり言葉によるもの

セザンヌの絵を30分見続けて
一週間目の奥が痛かった
そこから得たのは
言葉によってしか感動できない自分だった
(30分って強調してるけど、もっと見るひとからするとコレは大した時間じゃないと思う。)

セザンヌの林檎には向き合えなかった
いつまでも
それを見た自分の言葉によって感動するしかできなかった


本をよんでてもそう。
まぁ、初読で得も知れぬ感動につつまれることはあっても、
それだけじゃまだその作品を理解したことにはならないし。

作品の真の理解ってなに?
って話になるとこれはとっても深い問題になるからおいといてだね。


教授に
「作品論って、作品そのもの(ほんとうの作品つーか、作品の真の理解)ってのがない限り個人の勝手な感想じゃないですか。
俺の論が世に出たとして、それはなんか意義はあるんですか」
ってきいた。

「それが読者の読み取ったものの次元を超えているものなら、意味はあるんじゃないですか。
それは、作品を読ませて感動させるだけより意義があると思います。」

っていう内容の返事が返ってきた。

俺はそれまで
批評は個人の勝手だから、作品を知りたいなら
論を与えるんじゃなくて作品を与えたらいいじゃんって思ってたから。

まぁ言葉で感動するんなら、
その言葉の次元を高めればその感動はより大きくなるわけで。


でも、「そのもの」には向き合えてないような。
そもそも俺の言ってる「そのもの」ってなんだろ。
向き合えてたとして、いつ、向き合えてたといえるんだろう。

それにやっぱ
言葉以外のもので表されてる芸術や表現を
やっぱり言葉でしか感動できないのはおかしいよな。


感動のメカニズムを知るには最適な経路ではあるけれども。


だからこそかな、
いろんなものをみて、それを伝えるときに
「楽しかった」とか「よかった」
としかいえないときがあって、
それは結構つらいことでもあったんだけど、
それは実は本人に伝える術がないんじゃなくて、
誰にも伝えられない感動ってのも、
本人にとっては大切な感動なんじゃないかなって思えた。
言葉でしか感動できないからこそ。
言葉に還元できない感動もあっていいじゃないか。
ねぇ。
いっててよくわからんなってきた。
矛盾してないか?
まぁいいや。


頭痛いんだ。
何でもいうよ。
あーいつもか。

星新一の「鍵」や「月の光」
を読んだ後、
誰かにその感動を伝える気にならなくて、
でもその作品を誰かに読んでほしくなる。

それをだれかに言葉にされたくなくて、
自分ひとりで抱きしめていたくて、
誰にも関わってほしくなくなってしまう。

で、結局
「これいいわー」しか言えんなってしまう。
けど感動は大江より大きい。

深さは大江のが上だけど。
あー大江やんなきゃ。
これは言葉にしていい感動。
すればするほど味のでる感動というか。
初期の大江はアンチクライストスーパースターだぜ。


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万田 倫 [MAIL]

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