世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2014年01月30日(木) 降りそうで降らない

 
15日、法事の相談のために横浜で妹と会った。
みなとみらいのマークイズでランチ。楽しかった。
せっかくなので、そのときの画像をあげておこう。






横浜美術館。
予報では雪が降るかもとのことだったけれど、降りそうで、降らない。







なにか枯れ枝にたくさん実が付いているのだけれど。なんだか、わからない。







食事したレストランの席からの眺め。妹は雪が降るのを期待していたのだけれど…
姉は、雪よりグラスワイン。降らなくてもゴキゲン。







妹が拾ってきたさっきの木の実。スマホで検索して名称がわかったのだったが…
ワインでいい気分の姉は、聞くとほぼ同時に忘れてしまった。
この冬、冷え込みは厳しいけれど、東京横浜は雪が降らないなぁ(落胆する妹)。









2014年01月27日(月) どの程度と理解すればよいのか?


25日の法事は、お天気にも恵まれどうにか無事に終えたのだけれど、翌日も今日も明日もずっと仕事。
なので、曜日の感覚がぐっちゃぐちゃなのである。


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その後「豊饒の海」四部作を読み終えたのだが、しかし、読んでいる間じゅう、符牒めいた、妙な偶然の一致に見舞われ続けた。



たとえば…
「春の雪」にはタイ王室の王子様二名が留学のため来日、小説の主人公たちと学習院の同級生になり親交を深めるというくだりがある。


このタイ国とのかかわりが「奔馬」「暁の寺」にもうっすらと引き継がれていくのだが、小説中に、タイのクーデターは日本のように血なまぐさい騒動にならず静かにいつのまにか起っているのはなぜなのか、というような記述があって、この部分を読んでいるちょうどそのタイミングで、現在のタイ国でクーデターらしきことが起きているのではという報道があり、ナンダコレハ?!と思わずにはいられなかった。



その次が、地方裁判所。
四部作を通しての語り手であり、最後には主人公として老いさらばえた姿をさらす本多繁邦。彼は大阪で裁判官をしていたのが、ある理由から辞めて、弁護士になる。


その本多繁邦が東京(霞が関)の地方裁判所へ出かけてゆくという場面を読んだとき、その週、たまたま霞が関の地方裁判所一階でひとと会うことになっていた私は「ほうほう、あの裁判所は大昔からあそこにあったのだね。建物はさすがに建て替わっているだろうけれども」くらいに思っていた。
で、実際に自分が出かけていく前日の晩になって気がついたのだ。地裁で人と会う約束の明日が、一月十四日(三島由紀夫の誕生日)であることに。



それから、神社。
21日の深夜、TVをつけたまま画面は観ずに音声だけ聴きながら片づけものをしていたときのこと。TVではパワースポットとしてご利益のある神社ベストスリーの紹介、というようなことをやっていた。


そこで第一位(?、多分)として紹介されたのが、多摩川浅間神社。都内田園調布にある神社で、富士吉田の浅間神社の分社として建てられたとのこと。お社を新しく建て直したばかりなので、清新なパワーに満ちているとか、なにかそんな話だった。浅間神社ってどこにでもあるなあ、多いなぁくらいに思って床に就いたのだったが…


翌朝、休みなのを良いことに目覚めてそのまま、布団の中で読みかけの「暁の寺」を開いた。すると、読み始めてすぐに「富士吉田の富士浅間神社まで、二台の車に分乗して遊山に行った」という文章に遭遇。またかい!


本多繁邦は富士の麓(御殿場ニノ岡)に別荘を建てて、そのお披露目で友人知人を招待、皆でタクシーに乗って件の神社へ出かけて行くのであるが…ナンダコレハがおさまらなくて、物語の流れに再合流するまで一寸時間が要ったのだった。



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こういうことが重なると、これがどの程度のことなのかわからなくなってくる。たいそうなレアケースなのか、意外によくあることなのかがわからない。


そして。
24日の夜、画家の妻フロイライン・トモコ嬢に会ったので、つらつらこの話をすると、自分も「天人五衰」を読んだ直後に関西(京都?)へ出かけてあるお寺へ行ったら、そこが小説に出てきた月修寺のモデルになった寺と聞かされ、驚いたことがあると言われた。
そこは一般公開されておらず、内部の見学はかなわなかったそうだが、お寺へ至る道を歩きながら強い既視感に襲われ、ここへは以前確かに来たことがあるという気持ちになったそうだ。


それじゃあ三島の小説には何かその手のことを起こさせるようなパワーがあるのかもね、などと軽く言い合って、二人してなんとなく納得したような感じになったのだが…どの程度納得していいのか、分かりづらい話ではある。











2014年01月23日(木) なにやら落ちつかないこの頃


25日の土曜日に法事(母の十三回忌)を控えて落ちつかない。
いずれにしてもあと数日で終わることなので、とにかく無事に、できれば楽しい集まりになるようにと思っている。


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14日に遅ればせで初詣に行ったので、その画像をアップしておこう。
明治神宮の大御心(御神籤)、今年は二十三番。



(二三)誠
  とき遅きたがひはあれどつらぬかぬ
  ことなきものは誠なりけり


  ひとによって早い遅いの違いはあっても、誠から出発したことは
  必ず成し遂げられる。どんなに巧みな手段手法でも、心の真実が
  がなければ成功はおぼつかない。誠をもって初志貫徹すべし。
  (誠実は成功の基)



…ことしも有り難いお言葉の書かれた紙片を、スケジュール手帖の表紙カバーの折り返しに大切に挟みこんだ。これでよし。















明治神宮へは行きも帰りも参宮橋駅から歩いていく。西参道は人もまばらでとても静か。
熊笹の道では風がたつのを待ってしばらく立ち止まります。
この熊笹の葉のたてる音を聴くために西参道を通るようなもの。









2014年01月12日(日) 読んだ本(4)

 
昨日、高円寺の美容院へパーマをかけ直してもらいに行った。
一年くらい前(もっと前かな)から髪が細くなるわ、抜けるわで、髪を短く切るとかえってふけちゃう感じに。で、だらだら伸ばしっぱなしにしているうちに肩より下まで伸びた。
昨年秋からはその髪にパーマをかけて、ボリューム感と扱いやすさを出すことにした。こんなことになるなんて、ほんと思ってもみなかったよ。


いま面倒見てもらってる美容師さんは杉並に住んでる友人の紹介で、おじいちゃんが日本画家、お父さんが建築家だそうだ。美容師さんになったご本人は勉強嫌いの問題児だったと自らおっしゃるのだけれど、ご家族のことも含め、お話を伺ってると本当に楽しくて、土曜日も新春大放談。大いに笑って楽しかった。


パーマをかけたあと、四丁目カフェさんで遅いランチ。プラス、グラスで赤ワイン。
ここは広さがあって、適度な薄暗さとアールデコ(一部アールヌーヴォー)の室内装飾が雰囲気出してて、さすがサブカルのメッカ中央線沿線の面目躍如って感じのカフェ。


石油ストーブのほんわかした暖かさについ長居しすぎてしまい、新宿から参宮橋へ出て明治神宮へまわろうと思ったら、四時半の閉門に間に合わず、今年のお参りと御神籤は来週までおあずけになってしまった。
新年、正真正銘の「日没閉門」に、宵っ張りの夜型人間は襟元を正したのだった。



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昨年読んだ本の最終回〜。


「虚無への供物」(上・下)中井英夫(講談社文庫)


昨年末(多分12月10日頃)ワインの店で仕事の合間に新聞の文化欄をみていたら、この小説のことが書いてあった。
曰く、「虚無の供物」という物語は1954(昭和29)年12月10日に幕を開けるのだ、と。それから同年におきた洞爺丸沈没事故がモチーフに使われている、ということも。
それを読んで、もうずいぶん前に新装版になって出た「虚無への供物」が、ずーっと(恐らく十年くらい)積ん読になっていたことを思い出し、読もう!と思ったのだった。


この物語はアンチ・ミステリと呼ばれていて、普通のミステリとは構造的に違っているし、ミステリというジャンルにかかわらず、ほかのどんな小説とも違っている。
そして、濃厚な昭和の匂いがする。乱歩や夢野久作と同じような匂いがする。ただし、そんなに怖くない、私でも大丈夫ということは以前に誰かから教えてもらっていて、それで買ってあったのだと思う。


アンチ・ミステリというのがどういうものかについては、実際に読んでみるのが一番いいと思う(じゃないと構造的なネタばれになっちゃう)。ただ、中井英夫がアンチ・ミステリを書いた背景に、真剣な思いがあったことは確か。それがこの「奇書」を書かせた。それは「他人の不幸への視線」と関係があるのだけれど、ここにはこれ以上書かない。
読み始めてすぐに、2011年の震災後に読んでいることに大きな意味があると感じて、自分の無精からおきた偶然とはいえ、十年寝かせてから読んだ意味はあった、と思った。


ところで、小説の本筋にはほとんど関係ないチョイ役でボディビルをやっている藤間百合夫という男がでてきて、この百合夫のモデルが、三島由紀夫。
中井英夫自ら書いたあとがきによると、読み終えた三島由紀夫が中井の出先まで探して駆けつけてきて、技術批評や励ましの言葉を熱く語ったのだそうだ。
三島は読んですぐに百合夫=自分であることがわかったらしく、オレが出て来ない筈はないと思ったんだ、などと言い、五十頁くらい藤間百合夫について書いてくれりゃいいのにと言って笑ったそうだ。…いかにもな話!
(そうか、このあたりがミシマアワー突入のきっかけだったかも…)


中井英夫は不思議な人だ。黒子のようでもあり、またそうでもなくて、ちょっとわかりにくい。作家として小説も書いたけれど、短歌誌の編集者として現代短歌への慧眼を持ち、塚本邦雄、寺山修司、春日井建らにとっての大恩人だった。そして、三島由紀夫、澁澤龍彦らとの親交。


「虚無への供物」の登場人物のひとりに、八田晧吉というコテコテの大阪弁を話す男が出てくるのだが、その大阪弁の監修は塚本邦雄氏に頼んだということが、やはりあとがきに書いてあった。
それを読むが早いか、塚本邦雄の、早口でにべもない調子の、話している内容とは無関係にキツーイ大阪弁を生々しく思い出して、ひとり納得した。





「安土往還記」辻邦生(新潮文庫)


織田信長という戦国大名の栄華を、宣教師に随行して日本へやってきたイタリア人の目を通して描いた歴史小説。イタリア人の遺した古い書簡断片(南仏の蔵書家の書庫でみつかった古写本の最後に別綴じしてあった)の翻訳という体裁をとっている。


「大殿」と書いて「シニョーレ」とルビが振ってある。ヨーロッパ人の目を通して日本の戦国武将を語るというのが、いかにも辻邦生らしい。文章は静謐さに満ちていて、殺戮、大虐殺の類を書いても、歴史はそうして粛々と進んで行った…というトーンは全編変わらない。


豪華絢爛な安土城の内部のみならず、それを中心に据えた街区(城下町)の大きさと賑わい。どこまでも連なるお城の青瓦と、同じ瓦を載せてひろがる周囲の建物のパースペクティヴが、歴史音痴の私にもひととき美しい景色を見させてくれた。


この小説の発表は1968(昭和43)年。語り手の男は、外国人ゆえに大殿(シニョーレ)の内面を間近で垣間見る機会に恵まれるわけだが、この小説で描かれた織田信長と明智光秀の人物像とその内面の心理というのは、その後幾度となく作られたNHK大河ドラマの信長像(光秀像)に少なからぬ影響を与えたのではないだろうか。


どうやら「安土往還記」をそのまま原作とする映像作品はないようなのだが、たとえば作家や脚本家が織田信長とその時代を描こうとしたら、そしてこの小説を読んだことがあったなら、人物の造形においてその影響を逃れることはちょっと難しいのではないかと思う。現在誰もが思い浮かべる織田信長の共通イメージのかげに、辻邦生のこの小説が静かにしっかりと存在しているのではないかと推測する。









2014年01月10日(金) 読んだ本(3)

 
おととい、新宿でジム・ジャームッシュの「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」を観てきた。


頭の中を三島に浸食されているものだから、何見ても聞いても、結びつけて考えちゃう。吸血鬼カップルの話で、男の吸血鬼は、もう生きているのが嫌でしようがない。ゾンビども(人間)が馬鹿でどうしようもないので、この先に希望なんか持てないって鬱々としてる、そういう感じとかね。


そのうえ、読み終えたばかりの「豊饒の海(一)春の海」には、主人公の清顕がそうと知らずに切子細工の小さなグラスで鼈(スッポン)の血を飲むシーンがあったのをまざまざと思い出しちゃった。
ワインだと思いこんでて、グッとあけてから、おや?と思って家の給仕に聞くと、鼈だと言われる。べつに不味くはなかったような書き方だったな。


家に帰ってから、買ってあったイタリアワイン、敢えて飲んでみた。エミリアロマーニャ州のサンジョヴェーゼ100%のやつね。
あんな映画観ちゃうと、ちょっと悪趣味気取ってみたくなるじゃない。だれも見てないから、100%自己満足ですけれども。


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さて、昨年読んだ本のつづきです。


「ヴェネツィアの悪魔」(上・下)デヴィッド・ヒューソン(ランダムハウス講談社)


商店街の古本屋さんで上下各百円で買った文庫本。状態もカヴァーデザインもきれいだし、小説の舞台であるヴェネツィアのわかりやすい地図と登場人物の紹介が各巻頭に載っていて、親切至極。
18世紀と現代を章ごとに、交互に行ったり来たりするお話なので、登場人物は時代ごとにちゃんと分けて書いてあって、助かりました。


以前、ただ一度訪れたことのあるヴェネツィアのことを思い出しながら楽しめるミステリで、もちろん殺人や謎解きもあるけれど、それも恐がりのわたしでも大丈夫という程度。
ああ、あのホテルの部屋からみえた海の中に立つCAMPARIの看板、あそこはリド島の船着き場だったのか、などと今頃わかったり、最後のどんでん返しにアララーそうか、そうだったのかー、と一本とられてみたり。たまにこういう読書もいいなぁ!と思ったのでした。




「椎の木のほとり ある生涯の七つの場所6」辻邦生(中公文庫)


「ヴェネツィアの悪魔」と一緒に買った古書。こちらは320円でした。おわかりになりますか、このあたりの絶妙の値付け。決して100均には落とさないけれど、買いたい人にとっては安く感じられるギリギリの値段なんですよ。この本が100均の中に紛れていたりすると、安いとよろこぶ以前に悲しくなっちゃうでしょ、辻邦生ファンとしては。


以前はそんなに感じなかったのに、このごろ辻邦生の描く二十世紀の日本を読むと、これは地球に良く似ているけれど、実は別の星でおきたことを書いているのかなと思うことがある。少し昔の日本にはこういう美風が確かにあった、と以前は思っていたのだけど、最近はそれがちょっと信じられなくなってきているのだ。


たとえば、十代の若者がとっても大人。清く正しく理想に燃える、大人。こんな素晴らしい国って、どこの国?
そういえば、辻邦生と三島由紀夫は同じ年に生まれているんだけれど、三島の書いたもの読んでも、ここまで泣きたくなるような美風って感じない。作風の違いと言ってしまえばそれまでだけど(いや、世界を認識する仕方がぜんぜん違うのだな)。


「ある生涯の七つの場所」シリーズには、日本の話と、日本以外の国(おもにヨーロッパ)の話がそれぞれいくつかづつ入っているのだけれど、この本に入っているのはスペイン内戦で精神的に荒廃するフランス人の話で、これは救いのない暗い話でした。こういう話にも、以前は暗いなりに意味を見出せたんだけれど、最近は単純にきついわーと思う。歳なのか。


「七つの場所」シリーズも、あと読んでいないのは「人形(プッペン)クリニック」だけかな。長年かかってばらっばらに読み継いできたのでわからなくなってしまった。
いままで読んだなかで好きだったのは「雪崩のくる日 ある生涯の七つの場所3」だけれど、いま読んでも同じ感想かどうか、わからない。


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あと「虚無への供物」(上・下)と「安土往還記」だけなんだけど、疲れてきたので次回に続く。今回で最終回のつもりだったけれど(4)で最後にいたしますね。オヤスミナサイ。












2014年01月05日(日) 百年目



今日もワインの仕事。
曜日の感覚がむっちゃくちゃになってる。


夕方までお客さんが少なくてひまだったので読書三昧。「豊饒の海(一)春の雪」、面白くなってきた。
読んでいて、主人公の清顕(四部作中、最初に夭折する主人公)が亡くなってから今年で百年目にあたることに気がついた。「春の雪」は大正2年に物語の幕を開け、翌年の早春に主人公の死をもって終わる。大正3年は西暦1914年だから、今年はちょうど百年目。偶然とはいえ、ちょっと呼ばれたような気にもなるというものだ。


この頃、25年(四半世紀)、50年(半世紀)、100年(一世紀)という単位で物事を捉えてみることが多くなって、それは自分が半世紀を生きてしまったことと関係があるようだ。現実の半世紀がだいたいこれくらいという感覚が身内にあると、それまでとは過去の歴史のとらえ方が微妙に変わってくる。


たとえば、少しまえにバッハの直筆の楽譜をTVでみたとき、バッハがおおよそ三百年前のひとだと聞いて「意外に最近のひとだなあ」と感じた。今までは感覚的にもっと大昔(たとえば五、六百年前とか)のひとだと思っていたのだ。
歴史を知らなすぎると言われればそれまでだが、それが50年(自分の年齢)×6=300年という認識ができるようになると、まったく想像もつかないくらい大昔のひとでもないのだな、と思うようになる。


そうやって「春の雪」の時代背景である百年前ということを考えたときに、もうひとつ思い当ったのが「大正百年」。
2011年は大正元年から百年目に当たったわけだけれど、1968年の「明治百年」に比べるとあまりそのことにスポットが当たらなかったような気がする。自分でも驚くのだが、明治百年のときには世の中に結構賑やかに祝う気分があったことを、おぼろげではあるが覚えているのだ。


それで、このタイミングでこういう本を読むことになったのも三島由紀夫や亡くなった自分の父親など、大正年間に生まれて戦中に生きたひとたちの「大正、忘れすぎなんじゃないのか」的な思いが届いちゃったのかな、とも思った。いや、仕事がひまだと考えすぎちゃうよね、あれこれ。


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要らんこと考えすぎたついでに、もうひとつ馬鹿婦女子的な発見をご報告。
昔、村上春樹が自己を語るときによく使った言葉で、自分は「山羊座、A型、水曜日生まれ。マザーグースによると、水曜日生まれの子どもは最悪(悲しい人生をおくる)らしい」というのがあった。ちなみに当時春樹ミーハーであった私は、自分も同じ三重苦(笑)を背負っていることを知り嬉しくなってしまったのだが。


先日、三島由紀夫が山羊座であることを知ったので、どうしても確かめたくなってちょいと調べてみた。そしたら、ビンゴ。三島もピッタリこの三重苦に該当してました。


それと、、、「羊をめぐる冒険」は1970年11月25日、三島が自決した日の午後から始まる、という指摘なども発見してしまい…(そうだったっけ。あまりに古い話で忘れましたが)
こうなると、インターネットというのは本当に、開きっ放しのパンドラの匣みたいなものですなぁ。


「村上春樹−三島由紀夫、関係大あり?問題」に関して言うと、どうも春樹は確信犯ではないかと思うのだけれど、いまはこれ以上追及せず、読書に戻りたいと思います。読んだ本(3)は次回更新します。











2014年01月04日(土) 「青春の終焉」と三島由紀夫

  
今日はワインの店で仕事だったのだが、いつもどおり掃除を終えて、新聞を広げてみて、びっくり。ノーベル財団が1963年のノーベル文学賞の最終選考リスト一歩手前の候補6人の中に三島由紀夫が入っていたことを公式に発表したという。なんというタイミングで、また…
動揺。抑えても抑えても、動揺。すっかり調子が狂ってしまった。


記事によると、63年の文学賞に推薦された候補は80名。この中には4人の日本人が含まれており、三島以外の三名は、川端康成、谷崎潤一郎、西脇順三郎であるらしい。


私が動揺したのは付記されていたドナルド・キーンの談話の内容で、三島は作家・評論家として超一流であり受賞の資格は十分あったが、三島が受賞しないように選考委員に働きかけた人間がいた(北欧で日本の専門家とされていた作家とのこと)と書かれていた。


キーン氏が作家本人からきいた横やりの理由は「三島は若く、若い人は左翼」という無茶なものだったそうだが、三島に「左翼だと思われたから受賞を逃した」と冗談として伝えたところ、三島は笑わなかったそうだ。


意図的に横槍を入れた人間がいたことよりも、キーン氏の冗談に三島が笑わなかったということが堪えた。しかしよりによって「左翼」とは…(絶句)


最後にキーン氏は、1968年に川端康成が受賞したことで次に日本人が受賞できるのは早くても二十年後になり、三島は待ちたくなくて華々しい死を選んだのではと、個人的な推測と断ったうえで語っている。これはキーン氏の持論で本にも書いていたと思うけれど…、死の理由がそれだけであるとは、やはり思えない。


川端康成のアカデミーへの推薦状を、本人から頼まれて英語で書いたのは三島由紀夫である。そして、絶筆となった「豊饒の海」四部作の英文翻訳をキーン氏に頼みこんでから自害している。海外でもこの小説が出版されてほしい、そうすればどこからかきっと自分という人間を理解してくれる人間が現れるだろう、と言ったとも伝えられる。


その「豊饒の海」四部作をこの年末に読み始めたばかりなのだが…
三島のあのような死に方は「死なないため」だったのではないかと、いやきっとそうに違いないと、今日、唐突に気が付いてしまった。


三島は忘却という名の死(それは生きた人間の存在すら消し去ってしまう)を避けるために、あのような激烈な死と謎をセットにして遺していったのではないだろうか。「青春」も「文学」も、いまや死に体となり果てた。ずいぶん前から、中学高校で森鴎外の名前を教えなくなったと聞くが、こうなることを三島はあるていど予見していたのではないだろうか。


先日保留にした、三浦雅士の「青春の終焉」という本にも三島由紀夫は出てくる。でも「青春」をキーワードに、青春の作家として三島を扱おうとすれば本丸ごと一冊でも足りない、のみならず、かなりやっかいな問題を扱うことにもなる。だからだと思うけれど、三島はほんの少ししか出てこないし、その扱いもあっさりしたもの。それが、もの足りない。


「青春の終焉」が刊行されたのは2001年だが、書いた当の三浦雅士も現在のように、ここまで「青春」が死に絶えるとは思っていなかったのではないだろうか。
そして三浦雅士曰く「すでに終わってしまっている(予め失われた)青春の作家」村上春樹の少し後方に、なし崩しの終焉から意図的に脱出を図った三島由紀夫という作家がいたことが書かれていないのが、仕方ないとわかっていながら私には気に入らないのだ。(しかも奴、まだ生きているんだぜ)


「三島の貰わなかったノーベル文学賞をどうして村上春樹が貰えるわけがあるんだよ」という私の苛立ちは、川端康成、大江健三郎が受賞したという事実がある以上、当然だと思う。ドナルド・キーンの言葉を待つまでもなく、作品を読めばわかることだ。だから、なぜ最終候補にすら残ったことがなかったのか、不思議でたまらなかったのだ。今日、バイト先のワイン店で私がどんなに興奮し動揺したか。おわかりいただけるだろうか?








付)amazonで検索をかけていたら「村上春樹の隣にはいつも三島由紀夫がいる。」(PHP新書)という本が出ていることを知りました。すごいタイトル(笑)。どうもこの本は、日本の小説はほとんど読んでいないと語っていた村上春樹が、実はとても綿密に日本の作家のもの(三島を含む)を読みこんでいた…という内容であるらしい。
さもありなんて感じだけれど、今は集中して「豊饒の海」を読むのが先。他者のものの見方に影響されちゃうと面倒くさいことになるから、暫くは読まない。












2014年01月03日(金) 読んだ本(2)

 
 
昨年9月以降に読んだ本の続き。
占星関係の本を読むようになって以前のような読書から遠ざかっていたのが、9月ごろからまた復活。しばらく離れていた分、読みたい(買いたい)気持ちははやって、10月に入るとamazonのユーズドで購入した本がドカドカ届きだした。

ユーズド利用を理由に天使の制止を振り切ったわけだが、たかだか6、7冊の本が送られてきただけで「ドカドカ」なんて表現を使うこと自体が、この買い物が生活に及ぼす影響におののいている証拠。ま、いいんじゃないか。読んでなんぼの人生よ。



「村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ」三浦雅士(新書館)

あこがれの三浦雅士の著作をやっと手に取ったわけだけれど、これはいささか若年層向け?、にしても、ちょっとあざといと思うのはダイレクトに購買意欲をそそる村上・柴田両名の氏名を織り込んだタイトルと、両名のファンに過剰に配慮した内容だ。

とにかく、春樹と元幸の共通点、いかにこの二人の感性が似通っているかについて書いてある。そして、春樹とサリンジャー、ヴォネガット、ブローティガンの共通点についても書いてある。でもでもやっぱり、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」とブローティガン「ソンブレロ落下す」の相似性については触れていない。おかしいだろう、そこ書かないのは。
この踏み絵をきちんと踏んだ上で語る人の言葉しか、あたしは信じたくないんだな。

唯一(!)面白かったのは柴田元幸へのインタビューで、青年時代の柴田氏が英米をバックパック旅行した話にドキドキワクワク。野宿なんてへいちゃらだったそうですよ、柴田さんは。その風貌に似ずタフで行動力があるという事実に、爽快な驚きを覚えた。

「サリンジャー、ヴォネガット、ブローティガンの三人が、村上春樹、高橋源一郎、池澤夏樹を生んだ」というのは、そうなのかもしれない。
その環境から「柴田元幸の感性が生まれ、その感性がオースター、ミルハウザー、ダイベックに結びついた」のも、きっとそうなのだろうと思う。
「この間におこった変化はとてつもなく大きなもので、たぶん小説というものの性格が変わってしまった」、うん、きっとそうなのだろうね。…だからさ、三行で済む話じゃないか。

この三行の意味するところを掘り下げたければ、実際にそれぞれの作品を読んでみるしかないと思う。そうして、特にお気に入りの作家がみつかって批評も批判も、作品の占める位相も忘れて読みふける。そのずーっと先に、個人の中で評論的な言説が生じたとしたら、それは自然で貴重なものだと思うのです。



「オリーブ・キタリッジの生活」エリザベス・ストラウト(ハヤカワepi文庫)

北米の海に面した架空の町に暮らす、オリーブ・キタリッジという傍若無人、でも自分に正直なおばさんの話です。こういうおばさんは、親しくはなりにくいかもしれませんが、確かに必要な人なのです。

息子-母親問題、避けがたい「老い」という問題等々、普遍的な生活と自然を描いて、読み応えがありました。女性作家ということで、アリス・マンローにも共通する女の皮膚感覚が文章にふんだんに盛り込まれていて面白かった。特に、私自身がもう若くはない、老いを身近に意識しだしたというタイミングで読んでいるので、それが格別の味わいにつながったとも思う。

訳者は小川高義さんですが、たくさんの素晴らしい仕事をされている翻訳者さんで、私はとてもお世話になっています。昨日書いたナム・リーの「エリーゼに会う」も、ジュンパ・ラヒリの著作もこの人の訳で読みました。春樹と元幸だけが優れた翻訳者であるわけでは、全然ないですよね(と、一応書いておく)。

…それにしても、オリーブ・キタリッジほどの女性でも悩みに悩む、息子-母親問題の苦しさよ。母親であるということは、それだけで純文学を生きるということなのかもしれません。




「千年の祈り」イーユン・リー(新潮クレスト・ブックス)

息子-母親問題も苦しいけれど、娘-父親問題も、そうとう苦しい。そこに中国という社会主義国家の過去の歴史が一枚噛んでいるとなれば、否が応でもその陰影は濃さを増す。ゆえに、読む楽しさよりも重苦しさが印象に残ってしまった。

そして、個人が抑圧されざるを得ない社会に生まれ育ったことを客体化しようと思ったら、逆の位相(アメリカ)に身を置くというのは定石のひとつなのかな、とも思った。

同じ北京出身で「上海キャンディ」を書いた棉棉(ミェンミェン)は徹底的に中国内を這いまわりながら自分を変容させようとしたけれど…、棉棉は異端すぎて(私は愛してますが)、他の作家との比較は無理な人なのかもしれない。




「青春の終焉」三浦雅士(講談社学術文庫)

いつも小説(物語)ばかり読んでいるので、こういう内容の分厚い本は読み通すのに体力が要りました。体力を使った理由のひとつはその文体にあり、おおよそしかめつらしくて、美しさに欠ける。
…ということで、この本はちょいと手強かったのです。うまくまとめられないので、いったん保留。日を改めて別だてで書きます。


※(3)に続きます。







2014年01月02日(木) 読んだ本(1)

 
昨年9月以降に読んだ本。



「月とメロン」丸谷才一(文春文庫)

買ったきり、二年近く放ってあった本。読み終わったあとで、丸谷氏が2012年に亡くなっていたことを知った。
知識人であり、名手といわれた書き手だったけれど、個人的には「ど真ん中」ではないんだなぁというもどかしさがぬぐえない。
ただ、評論や随筆だけではなくて小説を読んでみなくてはわからないな、とは思う。うん、今年は何か読んでみよう。

このあと三浦雅士の本を読んでいたら、丸谷才一の名前がたびたび出てきて、??と思って調べたら共著があることがわかった。
あと、丸谷・三浦両氏とも、吉田健一の仕事に言及していて、丸谷氏は英文学者だったから(ジョイスの訳が有名)それでかなと思ったけれど、いったん英文学者ということに注目してみると、文章の調子や何かについて納得のいく部分は多いのだった。



「トゥルー・ストーリーズ」P・オースター(新潮文庫)

柴田元幸訳による日本独自編集によるオースター本です。
「その日暮らし」という、作家として芽が出るまでの貧乏暮らしを綴ったエッセイが納められていて非常に身につまされました。中にはオースターが生活のためにカードゲーム(野球のゲーム)を考案して、自分で試作品を作って売り込みに行くという、信じられないような話もあって、面白かった。
ちなみに「その日暮らし」の英語による原題は "Hand to Mouth"だそうです。ほんっとうに、身につまされるなぁ…



MONKEY vol.1(スイッチ・パブリッシング)

これは新創刊された柴田元幸責任編集による雑誌です。特集は「青春のポール・オースター」。
こういう雑誌が出たということは、バイト先でとっている新聞を読んで知った。「トゥルー・ストーリーズ」を読んでいるときは、こういうものが準備中であるとはまったく知らなかった。そういえば丸谷才一が故人となっていたことも新聞の文化欄で知ったわけで、新聞からもたらされる情報はけっこう多かった。

ただ、個人的に面白かったのは、オースターへのインタヴューと、「トゥルー・ストーリーズ」に出てきたカード式野球ゲームの写真が載っていたことくらいだったけれども。
いろいろなものが少しずつ載っている雑誌より、濃い目の一作を読む方がいい。こういうとき、年取ったのかなとも思う。



「幻影の書」P・オースター(新潮文庫)

訳者の柴田元幸をはじめ、多くの人がオースターの「大傑作」だというので期待して読んだのだけれどダメでした。

私はオースターに関していうと、好きなタイプの作品とダメなタイプの作品がはっきり分かれていて、好きなのは「孤独の発明」「ルル・オン・ザ・ブリッジ」「鍵のかかる部屋」「スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス」あたり。
ダメだったのは「偶然の音楽」「ミスター・ヴァーティゴ」。特に印象的だったのは「偶然の音楽」の序盤の文章の息詰まるまでの素晴らしさと、その後の物語の展開とそれにともなう文章の調子の変化。そこにある不整合感。この、途中から何かが違ってしまう感じが「幻影の書」にもあって、ああ、またこれか、と思わざるを得なかった。

とにかくオースターは、柴田訳への信頼感もあわせて評価が高くて、こういうことを書くのはなかなか勇気がいるのだけれど、ストーリーテリングの妙ということでいえば、とてもアーヴィングにはかなわない。長さと大きさ、うねり、そのどれをとってもかなわないと思う。
その代わり「孤独の発明」みたいな世界、狭くて深い穴を真面目に(ケレンは要らない)掘れば、それだけでアーヴィングには書けない世界を出現させられるのに、と思うのだ。

この「幻影の書」を読みながら、私は頭の中で凄く大胆に作品を編集していて、そうしなければ気持ちが悪くて読めないのだった。
たとえば、前半のへクター・マンが出演した無声映画の説明は大胆に刈り込み、後半のへクター・マンの妻との対面シーン(というよりも対決シーン)とその背後にある心理は徹底的に書き込んでほしい!といった調子。へクターの遍歴時代にしても、スポーツ用品店の部分なんてもっと削ってもいいんじゃないか、と。

要するに、作品のパートごとの内容とそれに費やされた言葉のボリュームがアンバランスなんじゃないか?!と思うのですよ。こういうこと思うのは私だけなのだろうか…



「美しい子ども」松家仁之 編(新潮クレスト・ブックス)

とても美しい装丁とお高めの価格で知られるクレストブックスの創刊15周年企画で編まれたアンソロジー。
横浜みなとみらいの仕事場のそばの書店でみつけて立ち読みしようとしたらノーベル文学賞を受けたばかりのアリス・マンローの作品が納められていることがわかり、それ以外にも面白そうな短編が目白押しで、悪魔は「買うしかないよ!」と囁き、天使は「早まらないで。簡単にお金使っちゃだめよ!」と必死に止めた。で、天使が負けたのですね。
でも、買って正解でした。どれも読みごたえのある作品ばかりで、とても楽しめたから。

全12編のうち、特に好きだったのはナム・リー「エリーゼに会う」。読んでいるあいだじゅう、ブコウスキーのことを思い出していた。ブコウスキーの描いた世界のことではなく、ドキュメンタリー映画でみたブコウスキーその人のことを。映画ならばともかく、文章でこういう世界を描くと言うのはあまりないのではないでしょうか。とにかく、私はとてもとても好きでした。

あとは、アリス・マンロー。圧巻でした。静かな生活感のなかに、恐ろしいくらい「人間」が描かれている。
アリス・マンローは短編の名手として知られた作家だそうだけれど、短編作家がノーベル賞を受けるのは例外中の例外だそうだ。欧米では短編小説は習作扱いで作家は長編を書いてこそ作家という扱いであるらしい。
なるほど、例外的に称えられるだけのことはある。うーーーん、と唸らされました。

アリス・マンロー、もっと読みたいけれど、クレストブックスはとても美しい装丁と、少しお高いことで有名。するとまた、悪魔と天使が出てきて…。ああ"Hand to Mouth"は、つらいなぁ…



※(2)に続きます。






2014年01月01日(水) あっという間にお正月

 
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


いやー、ひっさびさに日記更新したら、なだれをうったように、ドドドーと新しい年がやってまいりました(笑)
東京は快晴の元旦となりました。






「さくら」という名の、ピンク色のパンジー。ほかに「ももこ」という名のもう少し薄いピンクのパンジーもあります。
11月(勤労感謝の日)に植えた花たちです。






花期が終わってからただの多肉植物と化していた八重咲きカランコエ。そのうえアブラムシが付いて潰すのに苦労していたのですが、10月頃、ふと見ると小さな蕾が。花が咲くのはまだ少し先になりそうですが。






今年はお節、なーんにも作ってません。ぜーんぶ買ってきたものばかり。しかしこの古臭い味が年々歳々好きになってきているという事実!


お屠蘇のあとはイタリアワインで、TVみながら一日中お節、です。
サッカー天皇杯はマリノスが優勝しましたが、現役で走り回る中村俊輔と中澤佑二をみていると、今はいつなんだろう?という、少しばかり不思議な気持ちになりました。










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