日々の泡

2011年05月29日(日) 雨です

雨が静かに降っている。
小鳥がベランダで羽を休めている。
どこかのジャスミンが風に香りを乗せている。
遠くの工事の音が響いている。
風の中に雨の中にさまざまなことが潜んでいて
わたしたちのもとへ届けられる。
歌声も笑い声も鳥のさえずりも鼻の香りも
工事の粉塵も工場の煙も見えない毒も
逆巻きながら
漂いながら
地表を充たしていて
おもいきり吸い込んでみたり
鼻をきかせてみたり
耳をすませてみたり…
五感を総動員しても
わたしには何もわからない。
風が吹いて
雨が降り続いているだけ。
荷物が届いて開いてみると
わたしの腕ほどのズッキーニ ヤングコーン トマト そら豆…
ズッキーニの季節だ…
心理検死官ジョー・ベケット
(集英社文庫) 著者 メグ・ガーディナー著 山田 久美子訳
サンフランシスコが舞台のミステリー。物語中、何度か大きな地震が起こる。
主人公は二十数年前のサンフランシスコの大地震で崩れた橋に家族と載っていた自動車を押しつぶされ危ういところをなんとか救助された経験の持ち主。
トラウマで閉所恐怖症になった。
ストーリーの中でも何度か大きな地震に見舞われる。命を救う人救われる人、たとえ助かっても災害はそれぞれに傷を遺す。
主人公はおばあさんが日本人、協力して事件解決に奔走するサンフランシスコ市警の女性刑事は中国系で名前はエイミー・タング…はて、どこかで聞いたような…と既視感に襲われていると、あとがきの説明で納得。
十年ほど前になるかベストセラーとなったジョイラッククラブ」の著者・エイミー・タンにちなんでいるのだそう。
「ジョイラッククラブ」は大戦中に中国から亡命してきた女性たちとその娘、孫に続く三代の人々の暮らしを軽妙に綴った小説だった。
「ワイルドスワン」の重量感はなかったけれど、強さと希望と明るさを持った女性たちが登場する読者に勇気を分けてもらえるような物語だった。



2011年05月04日(水) ジョン・ナカジマ

ベッドにごそごそと侵入してくるものがいる。
あ… 犬だ…
しかも 結構大きい犬だ…
あんた だれ?
尋ねるわたしに犬派応えた。
My name is Jhon.Nakajima…
ネイティブな発音 低めのよく響く魅力的な声だ。
で、ジョンだと しかもナカジマだし…
犬派ベッドの中で体を動かしながら自分のテリトリーを少しでも確保しようと束の間努力し
そのあとは眠っていた。
ベッドの持ち主であるあたしのほうが犬を起こさないように気を遣って緊張して寝ていた…
これは 何のこっちゃ。
これも予知夢だろうか…
午後 腹痛…
なんもする気が起きない。



2011年05月03日(火) 日々のこと

新じゃが
新たまねぎ
たけのこ
今年は泣きたいほどに香りがよく、そしてうまい。
なすの味噌汁 ほのかに初夏のにおい。
きざんだねぎたっぷりの玉子焼きとで朝食。




   ********
世の終わりに初めてわたしたちは決定的なある開眼に至るであろう。
すなわち、人間と国家の命運が時の権力者。為政者のさまざまな活動とか
不可抗力と見える各種の出来事によって築かれ展開しているのではなく
むしろ世間的には無名の人々が静かに沈黙のうちに着実に行っているとりなしの祈りによって形作られてきていることに気付くのである。
--東洋の瞑想とキリスト者の祈り 著者 アントニー・デ・メロ著より

人は知らずに祈って暮らしているのかもしれない。
仕事に集中している時
だれかの無事を願うとき。
市井に暮らしルーティーンで社会を回しているたくさんの無名の人。
祈りのようなその暮らしが地球にとりなしを続けている。



2011年05月02日(月) 黄砂注意報

連休の合間のぽっかりとした出勤。
黄砂注意報が出るほどの黄砂の舞いよう。
同僚が窓外が黄色くけむって見える様子におののいていた。
杉の花粉も終息して来たと思ったら黄砂ですか。
杉花粉より黄砂のほうが自分の体には悪い影響が出る。かゆいし、目がただれるようになるのだ。
 あれはチェルノブイリの事故の頃の話だったか
ある人がヨーロッパを車で旅をしていたところ、
杜から煙のようなものがもくもくと立ちのぼっていて
あれは何かと尋ねたところ、チェルノブイリの事故以降杜の木々が危機を感じて種の保存のために異常なほどの花粉を出していたのだった。
植物は切実で繊細で的確でまったく賢い…とその時思った。
今は植物だけでない地球のすべてのものたちがそれぞれに呼応しているように思う。
地面の上、海の中、空の上
世界ではまたややこしい事件が起きている。
問題はもうそんなところにはないのに。
帰りの電車の中 同じシート すこし間を開けたところに泥酔のおじさん
まだ明るいのに泥のように眠っている。
おじさん無事に家まで帰れるように。
ロザリオを祈りながら おじさんのこともお願いしといた。大丈夫 …。



2011年05月01日(日) 金曜には夏が来る

あの前に書かれたものはなんだかもう読みたくない気がする。
あの前に書いたものももう夢みたいな気がする。
町が変わるかと思ったけれど 変わらないところもあるし
随分と変わったように思えるところもある。
年度が変わって
選挙があって
それでも大きくは変わっていない。
だれが変わらなくても
何が変わらなくても
自分の中の何かがもう元へはもどれないほどに違ってる。
それは個人個人 だれもがそうなんだと思う。
ひとりひとり 以前とは違うなにかを持っている。
目には見えないかもしれない。
ひとりひとりの時間の中で
それぞれの思いの中で
違った何かが
おのおのの時の流れで
見えてくるのかもしれない。
変わっていないように見えても
あきらめないように くさらないように。
だれも責めないように。
命を失ったひとのこと
命をかけているひとのこと
考えればなにも書くことなど失くす。
自分がここにいて
感じていること
考えたこと
ただそれだけ。
それを記録していこう。
立夏がやって来る。


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茉莉夏 [MAIL]