2008年12月31日(水) |
平気で生きていきます |
一年が終わろうとしている。 去年のわたしと今年のわたし、そして来年のわたしは違うんだろうか。 先ほどまでNHKの教育テレビを流していた。 今年亡くなった著名な方々の足跡を辿る番組だった。 その中の永平寺の宮崎禅師のひとことが心に残った。 -悟りとは死んでもいいという気持ちになることだと思っていたがそれは違った。 悟りとは平気で生きていくことだった-- 来年はこの言葉を時々思い出して考えてみようと思う。 聞いたとたんああ、わかるような気がするなと思ったが、きっとわかっちゃいない。 全然、わかっちゃないのだと思う。 わかっちゃないまま平気で来年も生きていく。 それにしても暮れの感じが年々気迫になっていく。 そんな周囲の空気ばかりも読んではいられない。 自分でけじめをつけなくては。 さてと、そばを茹でようっと… みなさま よいお年を…
いつの頃からかお正月というものがわたしにとっってあまり意味のないものとなっていた。太陽の生まれ変わる冬至がひとつのマイルストーンとなった。 それは何ら宗教のようなものとは関わりなく、どこかわたしの芯の部分から感じるもので、だからもう新しい一年を過ごしている気分なのだ。 そう思うと、心なしか毎朝の太陽の光は力強く、エナジーに満ちている。 空気は研ぎ澄まされたように冷たく澄んでいる。 陽射しを浴びながら狩りに出かける猛禽類のように昂ぶりそうに生る気持ちを抑えている。静かに安定させること 昂ぶらないこと… シンプルに明確に… そんなことを呟きながら、新しい太陽を仰いでいる。
言葉はその人そのものだ。 毎朝挨拶を交わす人々。 わたしは彼らの顔を知らない。 触れたこともなく 名前すら知らない。 おはようございます 寒いですね 富士山が真っ白よ お疲れ様でした よいお歳を 様々な場所で それぞれの方向から聞こえてくるそれは もはや「音」や「声」ではなく「言葉」でもない、それはその人そのものなのだ。 わたしとほんの瞬間関わろうとしてくれる「心が入り、時を分かち合う。 聞こえてくるそれはその人そのものだ。 言葉はその人そのものだ。 言葉はわたしそのものだ。 多くの人が鼻白むかもしれない「愛」という言葉について考える。 ニヒルな気分の時には果たして自分に 「愛」というものがあることすら信じられないことがある。 そんな時に思い出すのは 「愛とは反応することだ」という言葉。 思い出して、とりあえず反応してみる。 夫のひとりごとに 同僚のため息に 友人の世迷い言に 反応して応えているうちに かたくなに閉じこもっていた空虚な部屋の扉が開かれて 心の底に滾々と何かが湧いてくるのが感じられる。 愛とは応えること。 応える為に言葉を使う。 言葉はわたしそのものだから わたしは愛そのものなんだ。 何者でもない愛そのものだ。 きっと本当はそうなのだ。 わたしは本当のわたしに還りたい。
友人の読書の傾向とわたしのそれは違うのだった! と、ふと気付く。 かのじょのそれは生き生きと生き抜くドキュメンタリーで わたしのそれは静かに枯れ行くものだった。 なぜだかそちらの方に傾いている、わたしの読書… 幼い頃から体が弱く、空想の中にいたせいだろうか? 命のエナジーを思い切り燃やそうという気になれなかった。 随分と長い間、わたしはわたし自身について誤った見方をしていた。 自分では周囲のことを考えて気を配ってくたくたになっているつもりだったけれど 本当はかなり利己的な人間なんだ、わたしって! 最近、思う。「正しい」より「優しい」が大事だ… 仕事を存続させていくことより 今日、あなたを尊重することのほうが大事なのだと。 我慢ばかりして来たから ほほえむことがあまり上手ではないけれど 傾いていた心を少しずつ立て直します。 そして、もう少しで新しい太陽が巡ってきます。 心を整えて 穏やかに待ちましょう。
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