日記
DiaryINDEXpast


2012年12月02日(日) 江森三国志・4 孔明

いまさら、この作品の孔明についてあれこれ云おうとは思いません(笑)

いろいろな方が作品の感想で語っている通りで、私もさしてそれ以上云うことは
ありません。


ただ、孔明の最期について。

毒の杯を、みずから手にとったことを、「誰が見ても毒と分かるものをなぜ」
と書いていらっしゃる方がおられましたが、もとよりそれをそのまま飲むつもりなど
孔明には全くなかったと思います。

飲むと見せて胸元や袖に流してとりあえずその場をしのぐ、あるいは杯を叩きつけ、
声を荒げてみせる等のパフォーマンスで時間をかせぎ、何とかこの場だけは切り抜けて
対応策を立てるつもりだったと思われます。


結局、姜維によってそれもかなわず毒杯を干させられることになるわけですが。
(余談ですが、この場面、銀英伝のベーネミュンデ侯爵夫人の処刑シーンと、ものすごく
重なりますね)


この最期の場面で、孔明の追憶シーンや心境を語らせる独白のような、いわゆる
よくあるお涙頂戴的な演出がいっさいなく、ただ淡々と場面が語られることに、
その作者の姿勢を讃える感想も読みました。
本当にその通りだと思います。

唐突に、予想だにしない死を突き付けられたこの時の孔明には、そんな追憶にひたる
ような時間も余裕も無かったんじゃないかと。
単純に「ここは五丈原。私は孔明。死んでたまるか」的な思考しか無かったんじゃ
ないでしょうか。

この「死」へのリアルな恐怖。余裕の無さ。

こんな時まで、10年近い時間を費やしてたどりついたクライマックスの場面でまで、
あくまで客観的リアリティに徹する作者は本当にすごいです。


栗本薫の弟子と云いつつ、こんなところはアルド・ナリスの死だけで丸々1巻
費やして見せた栗本薫と全く(良い意味で)正反対ですね。
(時々、無駄なひらがなが目につくのは栗本薫の弟子だなあと思います)


江森三国志でなくとも、孔明はなぜ勝ち目のないと思われる北伐を死ぬまで繰り返した
のだろう、という疑問はあります。

本気で魏を征服出来るという勝算が、どんなに少ない可能性であってもあったのか、
あるいは駄目だと分かっていてもそうしなければならない理由があったのか。


江森三国志では、孔明の夢として、魏を征服し、我が国とした上で、生まれ故郷である
琅邪へ還るというのが語られる場面があります。
最後の夜明けのシーン、姜維が、孔明の遺体を抱いて中国大陸の東の果ての、彼の故郷を
思う一瞬の場面につながるのでしょうか。

魏延は、その再び生まれ故郷を見るという孔明の望みを知りませんでした
(と、思う。確か)

魏延は司馬仲達の、「誰にも知られず琅邪へ連れて行ってやっても良い」という
提案を受け入れるべきだったかも知れません。
その孔明の望みを知っていたら、受け入れていた……かな?


ただ、孔明の望みは単に生まれ故郷に戻ることではなく、本当の意味での苦しみも知らず
幸福だった幼い時代だったかもしれませんね。


どちらにしろ、大陸の東端の琅邪へ還ることが望みだった孔明を、当時の中国では
そこからいちばん遠い、西の果てまで連れて行って息絶えさせる。

この辺りにも作者の容赦のなさを感じます(苦笑)



2012年12月01日(土) 江森三国志・3 魏延

では良い方にイメージが変わった方々を。


なんと言っても、魏延


三国志で魏延のイメージと言えば、誰のファンに関わらずどーでも良い脇役、間抜けな
悪役、小人物、etc.なものではないでしょうか。

この作品を最後まで読んだ三国志ファンなら、誰であれ魏延のイメージが
180度変わること賭けても良いです(笑)


いや、冷静に考えれば孔明を死に追いやったきっかけ、原因を作ったのは正しく
彼に他ならないんですが。


物語中、めったな事では本音を口にしない彼が、覚えず口にした血を吐くような
言葉、「丞相!死ぬな!」と、彼の最期の言葉になった「殺さないでくれ」
胸にぐっさり刺さります(笑)


「殺さないでくれ!もはや、何の力も持たぬものを!」

と叫んだ、(おそらく)直後に、彼は首を落とされて絶命します。

たぶん、その時には孔明は既に絶命していたと思うのですが、魏延は最期の
意識が消える前に、果たして孔明の死を知っただろうか、と考えてしまいます。


フランス革命の折、数知れない人々がギロチンで処刑されたわけですが、その中に
「人間は一瞬で首を斬られた際、どのくらいで意識が無くなるのか?」
と、疑問を抱いた人が居ます。
やがて、彼自身がギロチンにかけられることになるのですが、その時、彼は
友人にこんな頼みをしました。

「首を落とされて、もし自分に意識があったら、意識があるかぎりまばたきをする。
 何回まばたきをしたか数えて欲しい」

そして彼はギロチンにかけられ、首が落ちました。
驚くべきことに、彼の首は10数回まばたきをしたそうです。

余談ですが、それまで「ギロチンは一瞬で苦痛なく死ねる人道的な処刑方法だ」
と思われて来ました。
ところが、この一件で、場合によっては「人間は首を切り落とされても10数秒意識がある」
ということが、証明された?わけです。

その後、ひとりの少女がギロチンにかけられたのですが、彼女は首を切られてから
絶命するまでの10数秒間の苦痛への恐怖に、処刑台に引きずられながら泣き叫びました。

さしもギロチンでの処刑を見慣れた民衆もあまりの痛ましさに正視出来ず、
それがきっかけで、この残酷な処刑方法は廃止になったというエピソードを、
昔読んだことがあります。(閑話休題)


話が逸れまくりましたが、つまり、魏延が首を落とされた後、切断面からの出血と
脳血流遮断により、完全に意識が消えるまで、長くて10秒かそこらの時間があったと
考えられます。
その間に、「亡くなられておられます」の声を聞いたかどうかが気になって
しまいます。

いや、何つーかどうでも良いことではあるんですけど(苦笑)
(つうか、作者本人がファンタジーと表現するフィクションでそこまで考える
事自体無意味なんですけど)

でも魏延にとっては、瀕死の孔明を、この上手をかけられて他人の手の中で
殺されるより、自分の手を離れた時にはもう息が無かった、という方が救いだと
思うのです。


姜維についてボロクソ言いましたが、最後、魏延と孔明の姿をとらえた後、追跡の
スピードをゆるめた姜維に楊儀が抗議します。

「なぜ追わぬ。もはや指呼の間ではないか」

それに対する姜維の返事、

「今かかれば魏延の反撃により、味方の被害が大きくなる。ゆっくり追って
疲れさせてからでも遅くない」

が、いかにも言い訳めいて聞こえるのは私だけでしょうか?

そうして孔明を抱いたまま逃げる魏延をまる一晩追い、夜明けにようやく捕らえて、
そこでふたりは死ぬわけですが。


これは姜維が、ふたりに一晩限りの最後の猶予を与えたのではないか、という
気がしてなりません。
ここまで来て、多少の味方の被害云々で躊躇するのはあり得ない気がします。

「2人に一時の平安を」と言い残して自害した、朱蘭の願いを一部聞き届けた形に
なったんじゃないか、と。


この作品の姜維の孔明への思いは、非常に屈折したものがあると思うんですが。
木原敏江の、某作品のラストの某キャラのセリフ、

「死んでくれて初めて、私はあれをこだわりなく愛してやれる」

が、彼の心理にいちばん近いものがある気がします。



孔明はたぶん、追いつかれる直前、引き離される前に魏延の手の中で死んでいた
んでしょうね。
「死者たちの昏き迷宮」では、時間的にも魏延より少し前にあの世に来ていた
ようですし。


本編ラストを読む前、色んな人の感想で「救いがない」「へこむ」「立ち直れない」
等読みましたが、心構えが出来ていたせいかそれほど凹まずに済みました。
それほど救いがないとも思いません。
しかし、何の準備もなくこのラストを読んだら、確かに立ち直れ無かったかも。


※ここまでごちゃごちゃと並べたあとで何ですが、「死者たちの昏き迷宮」読み返したら、
 魏延は冥界に来た当初、孔明も死んでいたことを知らなかったんですね。
 ということはやはり首を落とされて瞬間的に絶命していたんですね



 


なつき