日記
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2006年10月29日(日) そんなことないですよ!

…………って、いきなりすみません、以下全文、思いっきり私信です。


「同人は漫画でしょ?」

なんてこと、絶対絶対ないです。
少なくとも、大部分の漫画描きが本音ではそんなふうに思ってるなんてことは
ありえないです。
そんな考え方が存在すること自体、想像したこともなかったのでびっくりでした。

はー……
世の中にはそういう人もいたのですね(苦笑)
作品を完成させる過程で、漫画と小説、どちらが楽かとかそういう議論なら
聞いたこともありますけど…。

私が死ぬほど感動した同人作品の、9割までは小説でしたし。
私も自分が表現したいことを文字で伝えられる力があれば、普通に小説を
書いていたと思います。
言葉を見つけられない分、絵という抽象的手段でしか表現する術がなかった
だけで。

絵描きとして小説を書ける方をすごく尊敬してきたし、絵描きと小説書き、
お互いがお互いを尊重しあって成り立っているのが同人の世界だと思ってい
ました。
事実今までこの世界で私が知り合った人達はみんなそうでした。
正直、嫌な思い出の残ってしまった人もいますが、少なくともその点については
そうでした。

そんな一部の心無い人の言葉など、どうか気にしないでください
………と云っても難しいことですが。
そんな歪んだ優越感を満たすために、その人が絵描きという道を選んだのだと
したら、すごく不幸な人だと思います…。




2006年10月28日(土) キレる鮫島君??

甲子園の星、というう高校野球雑誌があります。
女子中高生向けの雑誌ということで、タイトルと共に装丁もいかにもそんな
雰囲気で、いいトシのオトナとしては買いにくいことおびただしいのですが。
他の一般スポーツ誌と比較して、選手の等身大の情報が多いので、恥をしのんで
買っています(苦笑)

最新号を読んでぴっくりしたのは、鹿児島工の鮫島哲新くん。
チームメイトの評でも「いつもニコニコして誰かとじゃれてる」とあったし、
実際そんな感じのシーンしか見ていなかったので、単純に大らかで優しい
頼れるキャプテン、みたいに思いこんでいたのですが。

鹿児島工のエース、鮫島くんとずっとバッテリーを組んできた榎下くんによると

「ふつう、打たれた時にキャッチャーがマウンドに来る時は、ニコニコして
 “気にするな”とか云ってくれると思うんですけど、哲新はぜんぜんちがう。
 “何してんの?”って普通にキレて云いますからね。
 怖いですよ〜(笑)」

………だそうで。
えええええ〜?!!! 鮫島くんってキレるの!!??…って感じです(笑)

いや、“鮫島君って○○な人だったの?”と云えるほど、私が鮫島君のことを
知っていたかと云えば決してそうではないわけですが(笑)

高校野球にここまでハマッたのは決勝戦からだったし、鹿工VS早実戦の時だって
当時は鹿工のことぜんぜん知らなかったし………
その後の報道も、斎藤くんがメインになりがちで、斎藤くんがからんだ時の
鮫島くんしか見ていないわけだし(笑)

にしても、鮫島くん、斎藤くんにはあんな甘々なのになあ…(笑)

もっとも、鮫島くんならずとも斎藤くんに向かって“何してんの?!”とキレ
られるキャッチャーが存在するとは思えませんが。
マジ想像しただけで怖い(笑)
(…あ、無責任にちょっと見てみたい気もします)(笑)


ともあれ、榎下くんと鮫島くんとの間には(というか鹿工ナインの間には)、
ちょっとやそっとキツいことを云ったくらいじゃ壊れようもない、それだけの
強い絆があるということなんでしょうね。

それに榎下くんの人柄と。
私がピッチャーなら、いっしょうけんめい投げて打たれてしまった時に、
キャッチャーに

“何してんの?”

“たまには0点で終わってみろよ!!”

とかキレて怒られたら(笑)反発するか腐っちゃうと思うんですけど。

榎下くんは云い返すこともしないで一方的に云われて終わりなんだそうです。
“あ〜ヤバイ哲新怒ってる”って(笑)

ピッチャーというポジションは斎藤くんや田中くんとまではいかなくとも、
多少なりとも我が強くて勝ち気な、負けず嫌いな性格でなければやってられ
ないと思っていたのですが。

榎下くんは、あのまつげの濃い、可愛らしくて優しそうな顔だちそのままの、
すなおで控えめな、気立ての優しい人なんですね。
確かにピッチャーの性格としてはつらいところで、鮫島くんには彼の優しさが
はがゆく感じられるのかも。

アメリカ遠征で一緒だった塩沢くんが、鮫島くんを評して

「しっかりしてるキャプテンタイプってイメージがあったけどそうでもない。
 遅い時間になるとテンションが上がってくるタイプで夜はうるさかった(笑)」

と云っていましたけど、こちらはあーそんなカンジ、と納得です(笑)


それと鹿工と云えば忘れられないのが“シャー”のかけ声で一躍人気者に
なった今吉くん。

鹿工VS早実戦でも、斎藤くんを嫌う人からは“無表情”“ロボット”とまで
云われた、斎藤くんのクールなポーカーフェイスが、今吉くんの打席の時だけは
思わず笑顔になってしまうシーンが印象的でした。

腰を傷めてしまい、小さい時からずっと続けてきた野球も、草野球のような
形で続けることも難しい状態で、この夏が文字どおり最後の野球だったそうです。

大好きな野球を2度と出来ないというのは、すごくつらくて悲しいことだろうに、
最後の最後までそんな悲愴感を微塵も感じさせない明るい笑顔のままでした。
(実際、笑顔でない今吉くん、というのを今まで見たことがないです)
自分のつらさを決して表に出すことなく、元気いっぱいの底抜けに明るい笑顔で
周囲のみんなを励まし勇気づける、そんな今吉くんだからこそ、ナインのみ
ならず全国のファンにこれだけ慕われる存在なんですね。


知れば知るほど大好きになる、今夏の鹿工ナインです(笑)





2006年10月22日(日) 田中君と斎藤君

田中君という人は、カメラやマスコミの前で、素の感情…というか相手に
マイナスイメージを与える感情を決して見せない人です。

甲子園から、敗者として影のように斎藤君と比較され続けたアメリカ遠征に
いたるまで、それは徹底していました。

2年生の時から甲子園優勝投手・プロも一目おく逸材として注目され、さらに
2度にわたって世間を騒がせた駒苫野球部のスキャンダル。
常時マスコミの目にさらされ続けてきた経験と、たぶん学校側の徹底した対
マスコミ教育がそうさせていたのでしょう。


いっぽうの斎藤君は、田中君と対照的に、どこまでも率直な態度を崩しません。
カメラの前だろうがマスコミ陣の前だろうが、相手の顔色や反応を窺うと
いうことを決してしない。

“こんなことを云って反感もたれるのでは…”

と、見ているファンがハラハラするようなことを平然と云ってのける。
他者からの誹謗を怖れない。
(最初、この子は強いのか、ただの恐いもの知らずなのかどっちなんだと真剣に
悩みました・苦笑)

その、クールではあるけれど、どこまでも虚飾のない実直さと生真面目さが
この夏、多くの人に新鮮なイメージを与えたのだと思います。


逆にそんなふうにふるまうことが許されなかった田中君。
その田中君が、ただ一度だけ、本来の激しさをかいま見せた場面がありました。


国体決勝。
おそらくは田中君が意地とプライドの全てを賭けた、斎藤君との最後の試合。

4回表、田中君はよりによってその斎藤君にタイムリーヒットを打たれます。
試合を決定づけた1点というだけでなく、アメリカ遠征から続けてきた公式戦
無失点記録も、これによって断たれました。

その時の、田中君が肩ごしに1塁ベース上の斎藤君を見やったあの表情、あの目。

(テレビ画面越しにも関わらず)ゾクッと来ました。

試合での、純粋に闘志に燃えるいつもの目とはまったく違う…
適切な表現が思いつきませんが、何と云うか、獲物に襲いかかる寸前の野生動物の
ような、爆発寸前の、剥きだしの衝動にかろうじて耐えているような……。
一種、危険なとさえ表現したくなる目でした。

どうしようもない悔しさ、憤り、認めたくない讃嘆の思い、どうしてこいつ
なんだ、何でよりによってこいつじゃなきゃならないんだetc……
言葉にならない、行き場のない思いが、もう頭のなかでぐちゃぐちゃになって、
どうしたら良いかわからない、そんな印象を受けました。

本当に一瞬のことでしたが。
斎藤君に対しては、どんな時も“楽しくて 優しくて フレンドリー”な態度を
崩さなかった田中君が、あんな目で斎藤君を見ることがあろうとは想像も
つきませんでした。

私の知る限り、田中君が、斎藤君に抱く複雑な思いの中の、負の部分をカメラの
前でさらけだした、唯一の瞬間だったと思います。


実際、あの目が自分に向けられたものだったら、射すくめられて動けなくなって
いたのでは…と思うほどでしたが。

現実にそれを向けられた当の斎藤君はと云えば、気づいているのかいないのか、
わ〜いやったーとでもいいたげなムードで、ベース上で暢気にぱちぱち(パチパチ、
ではない、あれを書き文字にするなら“ぱちぱち”です)手をたたいてるんです
から、田中君も報われない(苦笑)

その後もしばらくは、悔しそうな表情を隠せなかった田中君ですが、彼ならず
とも、“こいつにはかなわねぇ”と最終的に降参せざるを得ないような、あくまで
無邪気な(あるいは天然な)斎藤君でした。(苦笑)



勝っていたはずの試合。
田中君は本当に悔しかったのでしょう。
試合後のインタビューで、マスコミの前ではあれほど注意深く発言していた
田中君が、

「ピッチングでもバッティングでも、あいつひとりにやられたかなって感じです」

と、これまでずっと“斎藤君”と敬意をもって呼んできた相手を、はからずも
アイツ呼ばわりしてしまったことでもそれはうかがえます。

そして、それだけの激情をあの短時間に昇華させ、現時点での負けをいさぎよく
受け入れ、斎藤君を祝福した(あの耳打ちの“待ってるよ”は進学する斎藤君への
最大の祝福の言葉だと思います)田中君は、やっぱり大人でした。


甲子園での敗北いらい、ずっと抱き続けてきた(だろう)斎藤君への複雑すぎる
思いを、この国体でふっきれたのかなあ……
そんな印象を受けた、すがすがしい最後の別れのシーンでした。






2006年10月20日(金) なんつぁならん!

「なんつぁならん!」

たぶん、大部分の関東の人間にとっては“???”な、この言葉。

鹿児島工業の頼れる主将・鮫島哲新くんが、福知山成美戦で自らのバットで
ホームランを放ち、劇的な勝利を飾った時の心境を聞かれて、答えた言葉です。

鹿児島弁で、なんとも云いようがない、表現のしようがないという意味だそうです。
拡大解釈すれば、“言葉にできない”ということになるのでしょうか??

この言葉を聞いたとき、最初に連想したのは沖縄の“なんくるないさぁ”でした。
要するに“何とかなるさ”的な意味合いだと感じたのですね(笑)
それで初めのうちは“なんつぁならん”がどうして“なんとも云いようがない”に
なるのか、ニュアンス的にどうしても納得できずに違和感に悩んだものでしたが
(笑)

この1ヶ月ばかり、鮫島君ら鹿児島工業のファンをやっているうちにすっかり
なじみきってしまいました(笑)
もちろん、鹿児島弁オンリーの会話文など見ると未だ“?????”状態なのですが、
あったかくてのびやかな感じでいいですね、鹿児島弁。
鹿工ナインを象徴しているようです。


今夏の甲子園、大会NO.1捕手と評判も高い鮫島君。
なぜかやたらと斎藤くんに弱いというか甘いイメージがあって。

(…いや、ホントにただのイメージなんですが(笑) 斎藤くんに甘いといえば、
鮫島くんに限らず本間くんを筆頭に、田中くん・早実ナイン他メンバー、試合を
離れた場所では正直みんなそんな感じでしたし…)(苦笑)。

甲子園では決勝進出を賭けたベスト4の試合で斎藤君に完敗し、キャッチャーと
してはたぶん斎藤君のピッチングに感じるところがあったのでしょう。
アメリカ遠征に先立ち、田中君ではなく“斎藤君の球を受けてみたい”と
語っていました。

この先、プロでふたりがバッテリーを組むようなことがあったら本当に嬉しい
ですが、心配もあります。

この鮫島君、見ていて大らかすぎ、優しすぎ、包容力ありすぎなんです(笑)
誰もがごく自然に寄りかかって甘えてしまいたくなるような雰囲気があります。

国体で再会したとき、握手して記念撮影に応じてくれた斎藤君にありがとうと
云い、ついで思わず…という感じで抱きしめて(?)しまう姿は、ホントに鮫島君は
斎藤君に弱いなあもう、とファンにとってはほほえましい光景でしたが。

彼のようなキャッチャーが果たして斎藤君に合っているかと云われるとちょい
微妙…
もちろん、力量的な意味ではなく、斎藤君のキャラクター的な意味でです。

野球がからむと人が変わる(笑)とは云え、もともと末っ子で甘えん坊な部分のある
斎藤君には、鮫島君のタイプには別の意味で弱いかも。

斎藤君が本当の意味で力を発揮できるのは、掌の上で楽々と遊ばせてくれる
ような鮫島君タイプではなく、白川君のように余裕も何もなく、全身全霊で
ひたむきにぶつかってくるタイプではないか、という気もします。
鮫島君は、野球でもそれ以外でもお兄さん並みに斎藤君を甘やかしそうです
(笑)






2006年10月18日(水) 検診シーズン

真っ盛りです。
9月から始まって、今日400人を突破(苦笑)
市の老人検診は診察から始まって胸部X-P・眼底写真・心電図・身体測定・
唾液嚥下テスト・採血採尿でワンセット、眼底以降の項目が処置室の担当に
なります。

これが看護婦がひとりしか居ない時に午前中の3時間半で14人とか来られると
もうどうしようもない(苦笑)
患者さんにムリや負担のかからない部分で、生身の看護婦として可能な限り
の早さで仕事をこなしているつもりですが、とてもじゃないけど追いつきま
せん。
検診の他にふつうの検査や採血・点滴etcの処置も容赦なく入れられるし。
いやそれはもう、オマエ処置室のこの状況が目に入ってないんかと突っ込み入れ
たくなるくらい(笑)

いつもならとっくに堪忍袋の尾が切れてるところですが、それでもそんなに
腹も立たないのは、いいかげんこういう扱いにも慣れたというのもありますが、
やはりココロ奪われるものがあるからでしょう(笑)
斎藤君らにはいろんな意味で感謝です(笑)


もう1ヶ月以上、読み手のことも考えずさんざん好き放題書いてきて、まだ全然
書きたいことが書き尽くせないというのは何なんだと自分でもよく判らなかった
のですが。
先日、波崎師匠と電話で話した時、「いつもならもう本5冊くらいでてるね」
的なことを云われて(笑)あーそうかと思いました。

何と云うか、いつもストーリーを考える前に、原作の登場人物をありとあらゆる
シーンやセリフからああでもないこうでもないと無い頭と想像力をしぼり抜いて
自分なりのキャラの解釈を固めていきますが、要するに今その段階なんだなと
(笑)

ただ当然、実在の人物は当然自分のイメージで勝手にキャラやストーリーを
作ることはできないので、彼らのいろんな一面を発見するたびにああでもない
こうでもないが延々続く(笑)

今も、頭の中にまだ言葉として形に出来ないいろんな思いが溜まってるので
言葉が見つかった段階で今後もイロイロ書いてくんじゃないかと思います
(苦笑)






2006年10月14日(土) ハンカチ世代〜最後の昭和

私は“ハンカチ王子”という斎藤君の呼称はあまり好きではないのですが、
彼らの世代を象徴していう“ハンカチ世代”という云い方はわりと好きです
(笑)


斎藤君、田中君らの名は、今では高校野球に関心の無い人でも知らない人は
少ないくらい有名になりましたが、彼らに代表されるこの“ハンカチ世代”が、
実は、昭和生まれの最後の世代、ということに気づいている人はどのくらい
いるでしょうか?

斎藤君らと同学年でも、早生まれの人はもう平成生まれ。
この次の甲子園から、出場する球児たちは、すべて、平成生まれの子供達に
なります。

終わりが近づくにつれ、多くの人々が熱狂のなかに気づかないままに昭和から
平成へと移りかわっていった、最後の昭和生まれの球児たちの夏。

昭和天皇が亡くなって18年、多くの人に劇的な感動をあたえたこの夏の甲子園は、
同時に、多くの人にとって「過去」から「歴史」に変わりつつある昭和の、
その最後のなごりをとどめた甲子園でもありました。


昭和という時代に生まれた私としては、またひとつ「昭和」が消えていくような、
いささか淋しい気持ちでもあります(苦笑)


“昭和逝く”…………………。

崩御を伝える新聞の、当時の一面トップの見出しを、久々に思い出しました。





2006年10月12日(木) 待ってるよ

先日の日記で大騒ぎしていた田中君の耳打ちの内容ですが、何のことはない、
ボリュームを思いきりあげて聞いたら、聞き取れました(笑)
(↑そりゃいくら小さい声で云っても、あの至近距離にあれだけカメラとマイクが
あったら拾っちゃうよなあ…)(笑)


あのグラウンドで、別れ際、田中君が斎藤君に告げたのは

「待ってるよ」

の、ひと言でした。


一足先にプロへ行く田中君。
プロへの思いに揺れながらも、進学の道を選んだ斎藤君。

これだけの注目を集める立場になって、この先、大学へ行ってもつらいことも、
不条理な悪意にさらされることも、挫折を味わうこともあるかも知れませんが、
そういう時も、きっとこの田中君のひと言が斎藤君をささえてくれるんだろう
なあ…

17才と18才。最後の最後までこのふたりはドラマチックでした。


あの時、斎藤君の“じゃあね”のひと言を最後に、ふたりは一塁側と三塁側の、
それぞれの仲間のもとへと駈けていきました。

神宮で初めて出会い、甲子園でふたたび交錯し、そして今あのグラウンドで
右と左に180度別れた2人の道。
4年後、二つ道が再び交差する時は来るのでしょうか…


私は基本的に運命などというものは信じておらず、世の中のすべての事象は
単なる偶然と必然のつみかさねと思っているクチですが、その私ですら、
斎藤君という人には、何か特別なものを感じます。


4年後なんて、もう自分が生きてるかどうかも判りませんが。
これからも、彼のネバーエンディングストーリーを、ずっと追って行けたら
幸せです。






2006年10月09日(月) 耳打ち

国体決勝後、斎藤君と田中君のふたりが、グラウンドでの最後の握手をすませた
直後のことでした。

ふたりを取り囲む記者たちやTVカメラの目前で、田中君が、ふいに身をかがめ、
すばやく斎藤君の耳もとに顔を寄せて何やら囁きました。
(周囲に聞かれないためなんでしょうが、唇が斎藤君の耳に今にも触れそうな
至近距離で、一瞬耳もとにキスしたように見えてあせりました・笑)

本当にみじかい、ひと言ふた言の言葉でした。
何を云ったのかはむろん判りません。

でも、それを聞いたとたん、みるみる斎藤君のおもてに広がった、あの笑顔。
夏からずっと彼を見続けてきた私でさえ、こんなに嬉しそうに笑みくずれる
斎藤君は初めて見たと思うほどの、最高の笑顔でした。
あ“笑顔がまぶしい”って、こういうことを云うんだなーと思いました(笑)

田中君のほうは、終始、気恥ずかしげに目をふせたまま(笑)
まともに告げるにはちょっと照れくさいような言葉だったのかも知れません。

そのままきびすを返しかける田中君の腕に、最後、かるく手を置いて

“じゃあね”

の一言をのこし、斎藤君は、その笑顔のまま、はずむような足取りでベンチ前で
待つ仲間たちのもとへかけて行きました。
(“じゃあな”でなく“じゃあね”なのが斎藤君の甘えんぼでカワイイところ
です)(笑)


それにしてもほんとに何て云ったんだろう(笑)

私の貧弱な想像力ではまったく考えつきません。
ほんとに短い言葉だったんだよなあ(笑)
ああ、エヴァで、ゲンドウがリツコを射つ直前に告げた最後の言葉より
気になる(笑)


ただ、今回のこの笑顔、アメリカ遠征前の合宿で、田中君に“佑ちゃん”と
呼ばれ、さらに“可愛い”と云われて、えらく嬉しそうにはにかんでいた、
あの時の笑顔とまったく同種の笑顔に見えました。

去年の明治神宮大会準決勝。
早稲田実業と駒大苫小牧の初顔合わせになったこの試合で、斎藤君は田中君の
前に手も足も出ず、完敗しました。
今からわずか1年たらず前の秋のことでした。

当時、田中君は2年生ながら甲子園の優勝投手。
同じ2年生だった斎藤君は、この夏は地区予選で敗退し、甲子園出場すら
かなわず。

すでに世代NO.1ピッチャーとして全国に名を轟かせていた田中君は、斎藤君の
名前も、存在すら知りませんでした。
(この時点で誰が、翌年夏の甲子園で斎藤君が田中君を破って優勝投手になる
など予測できたでしょうか)(笑)

ともあれ、以来、最終的な目標に打倒駒苫=田中をかかげて、血のにじむような
努力を重ねてきた斎藤君。

私は去年はマンション購入・引越し騒ぎで高校野球どころではなく、この辺の
事情をまったく知らずにいたので、斎藤君にとって田中君ってどういう存在
なんだろう??と悩んだこともあったのですが。


斎藤君にとって田中君は、長い間、一方的な目標であり、目の前に立ちふさがる
途方もなく高い壁であり、倒すべき敵であると同時に尊敬の対象でもありました。
憧れの存在ですらあったかも知れません。

1年前、そんな斎藤君など、まったく眼中になかった田中君。
彼の前に、初めて斎藤君の存在が大きく立ちはだかったのは、云わずと知れた
夏の甲子園でした。

しかし、甲子園での田中君は体調をくずしており、最後まで本来のピッチングを
取り戻せないまま終わりました。
続く高校選抜のアメリカ遠征では、本来の調子を回復、逆に後半不安定だった
斎藤君より高評価を得ました。
田中君の中に、自分が本調子ならば斎藤には負けない、実力は自分のほうが
上だ、高校NO.1投手は斎藤じゃない俺だ、というような気持ちは(こんなぶっ
ちゃけた言葉ではないにしても・笑)、たぶんずっとあったと思います。
現に事実ですし。

それを証明する最後のチャンスが国体でした。
国体では甲子園とはまったく逆に田中君は絶好調、対する早実は決定的な
練習不足・斎藤君も明らかに甲子園より精彩を欠き、更に白川君の不在etc。
不利な条件ばかりでした。
誰がどう見ても田中君が負ける要素は無さそうに思えました。

しかし。
内容的には勝っていると云われながら、田中君はここでも斎藤君に勝利する
ことはできませんでした。

田中君が、この事実を自分の中でどのように受けとめたかは判りません。

ただ、野球において、どんなにいい球を投げようと内容が良かろうと、最終的に
試合に勝つことが出来なければ意味がない。
必要とされるのは、いい球を投げられる投手ではなく、チームを勝利に導ける
投手なのです。

斎藤君は、それを知っていました。
田中君は、たぶん、今回そのことを実感として再認識させられたのかなと
思います。

それは同時に、田中君が初めて斎藤君を自分と対等か、それ以上の存在として
心からみとめ、受け入れた瞬間であったかも知れません。

そうであって欲しいと思います。
ツキがなかった、打線の援護がなかった、味方の守備がお粗末だったなどと、
他のせいにするのではなく、甲子園、国体と斎藤君に勝てなかった理由を、
自分自身の中から見つけて欲しい。
斎藤君にあって自分に足りないものが何なのか、何故力にまさる自分が斎藤君に
勝てないのか、よく考えて答えを出して欲しいと思います。

斎藤君は、そうやって、いくつもの屈辱の敗戦からここまで這い上がってきました。
田中君にそれが出来ないのなら、田中君はこの先、何度対戦しても斎藤君には
勝てないままで終わるでしょう。


長い間、遠い存在だった田中君に、親しく「可愛い」と云われ、本当に
嬉しそうだった斎藤君。
この国体での勝利を経て、田中君との距離は、更に対等に、更に近しいものと
なりました。
たぶん、あの耳打ちのひと言は、斎藤君にそれをさとらせてくれる言葉だったの
ではないかと思います。
ふたりにはこれからも一生、お互いに高めあうライバル・友人であって欲しいです。






2006年10月05日(木) 君はどこまで…

国体決勝にのぞみ、

「もう一度駒苫に勝って、夏の優勝がまぐれでなかったことを、自分達の
 強さを証明したい」

と、云ってのけた斎藤君。
この子はどこまで強気なんだと驚かされつつ正直はんぶん呆れたくらいでした。

学部を決定づける大事なテストを目前にひかえ、投げ込みは3日に一度という
練習不足。
第1試合は雨に加え足へ打球を受け、更にその雨でキャッチャーの白川君が
肺炎を起こして入院というアクシデント…

白川君の不在は致命的だと思いました。
斎藤君の150キロ近いストレート、ワンバウンドになるスライダーなどの
決め球は、それを受けてくれる白川君あってこそ。

まして臨時に捕手に指名された河津君は、斎藤の球を受けるのはこれが初めて、
新チームではピッチャーをしていた2年生でした。

どんなに楽観的な見方をしても、これだけ不利な状況で、夏の雪辱に燃え、
調整は万全・絶好調の田中君に、斎藤君が勝てるとは到底思えませんでした。


…が。
彼はまたしても周囲の常識的な予想をあっさりとくつがえしました。


慣れない河津君を終始リードし、ボールをこぼしても笑顔で励まし、力づけ、
全力投球ができない中で、幾度とないピンチを巧みな制球と持ち前の精神力で
乗り切って、ついに1点も与えることなく、完封でチームを優勝に導いた斎藤君。

試合後、田中君が、はからずも

「あいつひとりにやられた」

と、もらしてしまったのも無理はありません。


もはやそこには、大事な試合で斎藤君の決め球を何度も後ろにそらした白川君に
腹をたて、数カ月間口もきかなかったといういささか感情的な斎藤君の姿は
どこにもありませんでした。

また、最後のWASEDAのユニフォームに誇らしげに身を包み、記者達にかこまれて
堂々とインタビューに答える姿にも、わずか1ヶ月前の、降って湧いた取材攻勢に
当惑し、憔悴し、時に隠しきれない苛立ちをのぞかせていた、繊細すぎる内気な
少年の面影もありませんでした。
 

夏の甲子園。アメリカ遠征。今回の国体。
いつもいつも。

私たちが、今までの経験と常識から

“さすがの斎藤君も今度ばかりはここまでかな…”

と勝手に引いた限界の一線を、見守る私たちの目の前で、彼は、いともあざやかに、
いともたやすく(←本人には決してたやすくではないのでしょうが)飛び越えてみせる。

本当に、君はどこまですごいんだろう。
どこまで大きくなっていくんだろう。


9回裏2アウト。
最後のバッターを2ストライクまで追い込んだあと、高校野球生活最後となる
1球を投じる前に、斎藤君はマウンド上で右のこぶしを胸もとにあてて目を閉じ、
そのまま空を仰いで、ゆっくりと息をひとつ吐き出しました。
何か神聖なものを見たような一瞬。
思わず息をつめて見入ってしまうほどの、美しい横顔でした。



彼と同じ時代に生きて、リアルタイムで彼の成長を見ることができる幸運を
真剣に感謝したい気分です(笑)






2006年10月03日(火) 眠い……

書きたい事が山ほどあるのに眠い……
国体が始まって以来の慢性的な寝不足が限界まで来ているようです。

先週忙しかった分、今週は患者数も比較的少なくて。
今日は患者さんが途切れた時にスキを見てトイレに駈け込み、携帯で
早実VS静岡商業の試合状況をこっそりチェックしてました(苦笑)

序盤は斎藤君がけっこう不安定で、トイレに駈け込んではそのたびに
不安と緊張に青ざめて戻ってくるのに同僚が不信を抱き、しまいには
「…具合、悪いんですか?」と聞かれるはめに(笑)


ほんと、見てる方をこれだけハラハラさせといて、よりによって9回裏、
しかも1点差、下手をしたら1打同点・2打逆転サヨナラみたいな緊張の極
みたいな場面で、いそいそとハンカチを取り出す斎藤君…(爆笑)

「ファンサービスやってみようかと…」(←嬉しそう)

じゃ、ないってホント…(笑)
もう、とことんこの人には適いませんわ(笑)

しかも、このハンカチ、9回のマウンドにあがる前、関係者通路で観戦してた
田中君と本間君が“やれ〜やれ〜”ってけしかけたそうじゃないですか。

ファンたちが

“あああぁぁ神様お願いサヨナラだけはかんべんして〜〜(泣)”

と、身も細る思いで見守る中、この方々はもはや余裕で遊んでいたんですね
(笑)
でもって、ハンカチパフォーマンスのサービスのあとは、最後の打者をあっさり
三球三振でゲームセット。
…マンガじゃないんだから。
ホントに適いません(笑)


絶好調の田中君&駒苫はともかく、絶不調の早実が決勝まで来れるとは正直
思っていませんでした。
うれしすぎる誤算です。
斎藤君は今日の後半から、だいぶ以前の力強い投球をとりもどしてきた感は
ありますが、チーム全体の練習不足・何よりキャッチャー白川君不在という
緊急事態、今の早実が駒苫に勝てる可能性はほとんどないとは思いますが。

明日の試合は双方とも、ぞんぶんに最後の高校野球を楽しんで欲しいです。



…同僚には今日のうちに「ごめんなさい、明日もときどきトイレにこもります」
と断っておきました(笑)




2006年10月01日(日) 斎藤君がんばった

野球の試合において、1点差の勝負は投手にとって苦しい、それも1点差で勝って
いる方の投手は、倍も苦しいと云われているそうです。


事前の予想通り、練習不足は明らかで、素人目にも軸足にウエイトが乗らず
思うようなピッチングのできない立ち上がりの斎藤君。
ひどい雨で肩も冷えきっていただろうし、もちろんボールを握る手は濡れて
すべるし、4回にピッチャー返しを左足に受けて、その痛みももちろんあった
ろうに、その苦しい1点差の試合を見事に完封で終えました。

ほんとに「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」と云ってあげたい(笑)

身体のコンディションは万全とはほど遠くても、苦しい試合・苦しい場面で
決定的に崩れないあの精神力は健在だね。
朝の番組では「やっと勝ってた」みたいな意地悪なコメントしてるキャスターも
いましたけど、ほんとにほんとによく頑張った。

川西君のファィンプレーもすごかった。
あの打球が抜けていたら、確実に同点にされていたし、その後の試合展開も
どうなっていたことか。
3年生が抜けたあとの、早実新キャプテンになった川西君。
秋季大会は残念でしたが、彼のこのプレイが無ければ斎藤君の高校野球はここで
終わっていたかもしれません。
これで自信をとりもどしてくれたらと思います。


今回はTVの中継などが無かったため、ずっと早実野球部のファンサイトの
掲示板に貼りついてました(笑)。
スリル満点の数時間でした(笑)。
そこで気づいたのは、斎藤君の場合、中途半端に打たれたりしている時は
ハラハラするけれど、ここで打たれたらもう負け、とか、試合の流れが決定的に
相手に傾くとか、そういう絶体絶命の大ピンチ的な場面ではむしろ安心して見て
いられるということです(笑)。

だってこの人、そういうピンチの場面になると、必ず三振とか、打たせてゲッツー
とかで、いともあっさり乗り切っちゃうんですもん(笑)

打球を足に受け、応急処置を終えて迎えた最初のバッターも、ケガの影響は
どうかと周囲がハラハラと見守る中、あっさりと三球三振(笑)。

この気持ちの強さがあれば斎藤君は大丈夫だなと思います。
アメリカ遠征の時は、それを見失ってるように見えたので心配でした。

斎藤君の、この“本気”の投球をもう一度見たい。
甲子園で、本間君や中田君・今吉君らを次々に三振にとったあのピッチング。

わたしにとっての斎藤君の最大の魅力は、彼が持てる力すべてを振り絞って、
全力で、真っ正面から強打者に対峙する時の、数少ない“本気の投球”の
シーンです。

このWASEDAのユニフォームで、彼の“本気”をもういちど見たい。
見られるかなあ。


そして、敗れた福知山成美のエース・駒谷くん。
斎藤君と同じ、全日本高校選抜のメンバーで、ロスのホームステイ先では斎藤君と
一緒でした。
斎藤君と同じく、この冷たい雨が降り続く最悪のコンディションの中で、本当に
みごとなピッチングでした。
甲子園ではベスト4を目前に、鮫島くん率いる鹿児島工業に敗れ、アメリカ遠征
では、その鮫島君を前に

「コイツと(この遠征で同じチームで)やれたっていうだけで、俺にとっては
 夢のよう」

と少し照れたように語っていたのが印象的でした。
彼の進路については知らないのですが、また、どこかで会えると嬉しいな。






なつき