日記
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2006年07月30日(日) in ウィーン'94〜ウィーン少年合唱団その7

94年にウィーンに行った時の写真です。
この年に来日したハイドン・コアのメンバーには会えなかったのですが、
先日写真を見なおしていたら、2年後の96年に来日したモーツァルト・コア
のメンバーが写っていました…
ずっと気づかなかったのも間抜けですが、この年くらいの子って2年もたつと
全然変わっちゃうし、ウィーン少年合唱団のあの帽子をかぶるときは、前髪
をあげなければならないという規則があるそうで、前髪がないとますます
判らなくなってしまうのです(苦笑)



日曜のホーフブルグ・カペレでのミサを終え、階段をおりて来る団員たち。
(ちょっとわかりづらいですね)(汗)



↑↓左からレギナルド・カリンガー君、ロ−ベルト・ヒルシュ君、ミヒャエル・
J・ヴンデラ−君。みんなかわいい(笑)






右はクリスティアン・ベラネック君、左はクリスティアン・クレーナー君かな。
このふたりは96年の来日時にはすっかり大人びていて、プログラムの写真
を見てもすぐには判りませんでした。



↑↓この団員たちは96年の来日メンバーの中にはもういませんでした。






帰って行く団員たちの後ろ姿。
足が長くてカッコいいです(笑)
この時は9月18日で、日本ではまだまだ残暑が厳しい時期ですが、ウィーン
ではもうコートを来ている子も…



関係ありませんが、泊まっていたホテルの朝食です。
部屋食(笑)でした。
パンとバターがほんっっとうに美味なのですよ〜vvv





2006年07月29日(土) 世界にひとつだけの花〜ウィーン少年合唱団その6

先日のドイツ語講座で、ウィーン少来日公演の一部と団員のインタビューが
放映されました。
今年の来日公演はTVでもやらなかったし、DVDやCDも出ないしで、あの
コンサートは形で残らないのかなあと非常に残念に思っていたのですが。

部分的な抜粋とは云え、コンサートの映像が見られてラッキーでしたv
何より嬉しかったのは「世界にひとつだけの花」を流してくれたことです。
今回来日した子たちの声でとは云わない、ウィーン少のこのアレンジで
何とかしてもう一度聴きたいと願っていたので(笑)

ドイツ語会話なので日本語の歌はまず無理とあきらめていた分嬉しかった
(笑)
本当に、ウィーン少年合唱団のイメージと「世界にひとつだけの花」が
こんなに合うとは意外でした。

と云うより、今年の来日組の子たちのイメージと合うのかな。
歴代のウィーン少年合唱団来日組とくらべ、決して技術的に優れているとは
云えないのですが、純粋で素朴ですなおで一生懸命で、何よりあったかい。
聴いているだけで自然に笑みが浮かんでくるような、ほのぼのした気分に
させられます。
とくに目立つソリストもいないかわりに、ひとりひとりが自分のベストを
尽くしている感じ。

 ♪この中でだれが一番だなんて 
  争うこともしないで
  バケツの中 誇らしげに
  しゃんと胸を張っている

…の歌詞が、まさにこの子たちを象徴しているように思います。
“技術的には完璧だけれどどこか冷たい”とまで評されたかつてのウィーン
少年合唱団とは、ある意味正反対のグループでした。




2006年07月28日(金) 〆切の無い夏

原稿に追われずに過ごす夏は本当に10年ぶりくらいです(笑)
幸か不幸か仕事に余裕がなさ過ぎるので寂しいと思うヒマもないのですが
(苦笑)

去年の夏コミは父が急に手術することになって、友達に売り子を頼んで
欠席するはめになりました。
思えば同人活動ひとすじの10年は、友人たちに迷惑をかけ通した10年でも
ありました。
残りの人生、がんばって恩返しをしていかなければ(笑)


最近、風小次熱が高まってきて、OAVを見直したりするのと同時に、当時
自分の発行した風小次本を読みなおして恥ずかしくもジーンときてしまっ
たりしました(笑)
今の絵で描き直したらどうなるだろうと真剣に考えてみたり(笑)
あの頃と同じように夢中になって絵を描いたり、お話を考えたりできる
ようになったらもう一度マンガを描いてみたいです。
今のところは無理そうですが。
と、云うかこの分だともう一生無理そうだけど(苦笑)


夏コミ。
WJは12日でしたっけ。
定時で仕事が終わったとしても12:30。
…………無理。
風小次は今どうなってるのかな。
続編が連載されたりして、新しいサークルさんとか出てきてるのだろうか





2006年07月26日(水) 耳介……再び

今年の冬はお正月から耳介軟骨膜炎にかかってしまいさんざんでしたが、
1週間ほど前から又しても耳が痛くなってしまいました。

痛みは局所的だったので、最初はアイシングで様子を見ていたのですが、
やはり冷やすだけでは改善せず、3日目から抗生剤を内服しました。
アレルギーのこともあるし、長期に抗生剤を内服すると体内に耐性菌を
作りやすくなるので、なるべく飲みたくなかったのですが。
今までかかった数回で懲りていたので今回は早めに強めの抗生剤の使用に
ふみきりました(苦笑)


何年か前に最初に耳介軟骨膜炎に罹った時は、耳全体が、息がかかっても
痛いくらいに腫れ上がってから薬を飲み始めて完治まで2ヶ月以上かかり
ました。

2回めの前回は、痛みに気づいて数日後に手持ちのクラビット・クラリス
等を飲み始めましたが効果がなく、またたく間に炎症は耳全体にひろがり
そこで薬をガチフロに切り替えて4週間弱で完治しました。
(それでも初回の時ほどひどくならないうちに強い抗生剤に切り替えたので
早めに治癒しました)

そして今回。
炎症が耳全体でなく局所的な圧痛にとどまっているうちにガチフロを飲み
始めて5日目。
これまで痛みが拡がりもしないかわりに改善もなく、薬を変えるタイミングを
悩み始めていたのですが、今日、ついに痛みがやわらいで来ました。
めでたく改善傾向です。
この分なら抗生剤の内服期間も7日〜10日くらいですみそう。
云うまでもなく耳介軟骨膜炎治癒最短記録です。
ついでに徴候が出てから炎症が耳全体に及ばずに済んだのも初めてです。
今までホントあっと云う間に耳が腫れあがってたからなあ…
今回は痛みに気づいた時点からずっとアイシングを続けてたのも良かったの
かも。

・早めの抗生剤内服
・アイシングとの併用
・アルコール断ち

で、症状がひどくならずにすむことも今回で実証されました(笑)
今後の参考にしたいと思います(笑)



このまま治ってくれますように。
早くビール飲みたい…(←オイ)





2006年07月22日(土) 日航機墜落事故のこと

先日偶然に、95年の夏、御巣高山に墜落した123便のボイスレコーダーを
詳細に分析したサイト&事故発生から墜落までの機体の様子をフライトレコ−
ダ−から再現したCGのサイトを見る機会がありました。

フライトレコーダーから再現された機体の墜落までのCGを見ていると、事故
機がトラブル発生から32分間飛びつづけていられたことが

「パイロットたちの奇跡とも云える操縦のたまもの」

というのが素人目にもよく理解できます。
“左右の揺れ40度”などと文字で云われてもピンときませんが、CGで機体の
揺れ方を実際に見ると揺れなどという半端なものではない、次の瞬間にも
飛行機が逆さまにひっくり返ってしまうのではないかと思える角度です。
事故機に乗り合わせた女性が「恐い 恐い 恐い 助けて 死にたくない」と
書き遺した、その思いがまざまざと伝わってくるようです。

墜落の数10秒前、御巣高の尾根に到ったところで機体は急激に高度を下げ、
落ちて行きました。
CG映像で見ると、本当に、機首を下にした文字どおりの真っ逆さまです。
ボイスレコーダーのやりとりと時間を照らし合わせると、

「フラップ! フラップ!」
「上げてます!!」
「あたま上げろ!!」
「パワー!!」

などの最後の必死の会話は、まさにこの辺りでかわされていたことが判り
ます。
乗客は無論ですが、コクピットを下に落ちていきながら、ぐんぐんと迫る
地面にパイロットたちもどれほどの恐怖を感じたでしょうか。
その中で彼らは文字通りの最後の一瞬まで、機体を立て直すために、死力を
尽くしていました。
正式の報告書にはありませんが、ボイスレコーダーには、墜落寸前の機長の
「もうーだめだ!」という最後の叫びが記録されています。
最初の衝撃音のわずか1〜2秒前でした。
本当に、ここまで彼らは頑張ったのですね。


私はまったくの素人ですし、この時の機長らの対応や判断が正しかったか
どうか、客観的に判断を下せる知識はありませんが、彼らの頑張りには心から
敬意を表したいです。




2006年07月15日(土) 思い出のソリスト〜ウィーン少年合唱団その5

ウィーン少年合唱団の来日公演に複数回通うようなファンなら、誰しも自分
にとって“最高のソリスト”という存在があると思います。

私にとってたぶん後にも先にもこの子以上のソリストは出て来ないだろうと
思わせるのは、アルトなら92年来日組のエドゥアルト・オーデルト君、
そしてソプラノなら何と云っても94年来日組のト−マス・プッフェガー君
です。

92年来日組は、エドゥアルト君始め、ソプラノのペーター・マティアス君、
ヴォルフラム・ヘッツェネッカー君といった実力派のソリストが多く、
全体的にも完成度の高いグループでした。
後にウィーン少そのものを代表するソリストのひとりに成長したベンヤミン・
シュミーディンガー君が、この来日公演ではオペレッタのソロひとつ歌う
機会も与えられなかったことを考えても、いかにハイレベルのソリストが
そろっていたかうかがえます。
(いえ、92年来日組は私が初めて聴いたウィーン少年合唱団公演でしたので、
多少…というかずいぶん贔屓目もあるとは思うのですが)(苦笑)


その次に来日したのが94年のT・プッフェガー君のグループでした。

もう12年も前になりますが、初めて彼のソロの第一声を耳にした時の驚きと
ショックは、昨日のことのように覚えています。
言葉にして云いあらわすなら「あっ、この子上手い…!」という感じ。

その非常によくのびるみずみずしい柔らかな声、ことに高音部のビブラート
の美しさ、彼独特の憂いをおびたソプラノは、生の舞台で間近に聴くと、
一種麻薬のように聴き手を酔わせる魅力がありました。

声量や技術・技巧的なものから見れば、例えば10年に1人のボーイソプラノと
うたわれたM・ツェンチッチ君などには届かないかも知れませんが、私に
とって、このプッフェガー君以上に魅せられる声には生涯ニ度とめぐりあう
ことはないだろうと確信しています。

たぶん、あの時期が彼の飛躍的な成長期だったのでしょうね。
3ヶ月におよぶ来日公演の間に、彼のソロはどんどん増やされていき、しまい
にはオペレッタの配役の変更までありました。
ファンとして、彼の出番が増えるのは嬉しかったのですが、一方、海外公演
中に、これほど急激にソロを増やされて彼の心身のプレッシャーはどうなん
だろうと心配になったりもしました。
(当時は本当に小さな子だったので)
あの小さな体でそれらの負担に耐え、最後の1日にいたるまで美しい声を
聴かせつづけてくれた彼に、あらためて賛辞と感謝を送りたいです。


そのプッフェガー君の、帰国翌年…95年収録のソロがおさめられた複数の
CD・ビデオが存在することを知ったのはつい最近です。
さっそくオ−クション等で手に入るかぎり入手し、聴いてみました。

1年で本当に大きくなったなあ(=ビデオ)というのと、来日当時より声が
硬質になったなというのが第一印象でした。
特徴的だった柔らかなビブラートが目だたなくなっていたのでそう感じた
のかも知れません。
それが成長に伴う発声の変化なのか、訓練を重ねていく上で自然に変わって
(変えて)いったのか、あるいは宗教曲なので少し力の入った歌い方になって
いるのかは判りません。
来日公演の時はビブラートがかかるとき、下唇とあごを震わせるようにする
くせが印象的だったのですが、ビデオの映像で観たかぎり、そのくせは無く
なっているようでした。

何にしてもネットでの評判通り、発声・技術ともに非常に安定し、成熟した
印象があり、ファンとしては感無量です。
自分の大好きだったソリストが、ウィーン少年合唱団を代表するソリストとして
CDに名前が載るほどの存在に成長してくれていたなんて、こんな嬉しいこと
はありません。

…どちらが好きかと云われたら、個人的には来日当時の、いかにも未成熟で
不安定ではあるけれど、その分柔軟でのびのある、あの声なのですが(笑)。


そして今、毎日のように聴いている(笑)リベラ。
このリベラのソリストではトム・カリー君が贔屓です。
これほどの高音を、これほどの余裕を持ってこれほど美しく出すことのできる
少年を、他に私は知りません。
ステイ・ウィズ・ミーで主旋律を歌うジョゼフ・プラット君の、あどけなさ
を通り越してほとんど舌たらずにさえ聴こえる可愛らしい声ももちろん好き
ですが、バックコーラスのトム・カリー君の高音の美しさには負けるかなあ
………私の好み的に(笑)




2006年07月13日(木) 喜んで〜vv

シークレット日記なのを良いことに、もはやほとんど私信日記と化して
います(笑)

Hぜどん様、風小次OAVもらって下さいますかvv
嬉しいです〜v
ではしばしお時間をいただき、ダビングさせて頂きますね。

そうそう、昨日の日記の人気キャラの話で、美人薄命の代名詞のような大人気
キャラをもうひとり忘れていました。
夜叉一族の壬生攻介です。
ファンの間では風魔キャラ中最高の美形とまで呼ばれ、何よりリンかけ時代
からのファンにとっては「車田キャラ短足の法則を破った人」ということで
彼を悪く云う人っていうのは見たことないです。
(霧風や竜魔などは熱烈なファンも多い反面、アンチもけっこういたのですが)
カプでは武蔵×壬生が当時のメジャーカプのひとつでしたv


ああ今になって再び風小次を語れる時が来ようとは…
長生きはするものですね(笑)
Hぜどん様、ありがとうございます。





2006年07月12日(水) WJ感想他

白石VS不二、一方的展開に見えますが、私には不二が相手のレベルを
はかっているようにも見えます。
真けるにしてもこのままずるずる………ということはないと思うので、
今後の不二の反撃に期待。
勝っても負けても妙なオーラ出さずに終わってくれたらそれで良いです
(苦笑)
それにしても「負けん気強いんやな…不二」とは不二受ファンにとって
殺し文句ですね、部長(笑)


私信です。

Hぜどん様

帰省、おつかれさまでした。
梅雨のせいでいろいろと大変だったのですね。
何事もなく何よりでした。
リフレッシュされたようで良かったですv

風小次読まれましたか?!
あれは「もっと大きな可能性を秘めた作品だったのに、俺の個人的感情で
台無しにしてしまった」と車田先生自らが云っている通り、作品の完成度と
いう点では今一つだと思うのですが(苦笑)、あのキャラと独特の世界観に
惚れ込んでいました。
途中からはストーリーが破たんしてしまいましたけど、夜叉編での風魔
一族登場のシーンや霧風VS雷電など本当にゾクゾクさせられました。
おかげで“忍”と“学ラン”は未だに私の最大の萌えの1つです(笑)

ちなみにハマっていたキャラはご指摘にもありました霧風でした。
彼はもう、私の萌えキャラポイントの全てのツボをついていると云っても
過言ではありません(笑)
確か当時のファンロードのシュミ特人名事典では“風を操る風魔きっての
美少年”と書かれていたような(笑)
“風魔の霧風”と云う名は私にとって“新選組3番隊長斉藤一”と同じか
それ以上の聖域です(笑)
それとカオスの朱羅とか涅絽とか好きでしたね(好みがあからさますぎです)

高校の時は私がぶっちぎりの霧風ファン、友人のひとりは小龍ファン、
そしてもうひとりの友人が何故か熱烈な雷電ファン(笑)だったため、その
友人とは毎日のようにそれぞれ贔屓キャラのイラスト付手紙を交換しあって
お互いの好きキャラの正統性を主張していました(笑)

当時はキレイ系では霧風、項羽、麗羅(←この2人はあまりに早すぎる死の
せいでしょうね)、カオスの美形キャラ、伊達総司や雷炎などが人気でした。
渋い系では竜魔やもちろん武蔵、死牙馬なども人気でしたよ。
項羽はあんなドラマチックな死に方をした美形キャラ(ですよね?・笑)にも
関わらず、“小次郎を殺そうとしても「悪ふざけ」の一言ですまされるほど、
普段からふざけてばかりいたらしい”というわけで、同人ではギャグキャラ
として使われることも多く……思えばかわいそうな話です(笑)


あのう、実はこの風小次、全編がOAV化されているのですが、良かったらDVDに
ダビングしますのでもらっていただけますか…?
荒木・姫野コンビのキャラデザということで、けっこう良いのですよこれが。

特に最後の風魔叛乱編のEDでは、今まで死んでいったキャラたちの最期の
シーンなどが流されるのですが、これがED曲とピッタリ合ってて…
特に聖剣戦争編のシーンは、透過光や特殊効果バリバリで、映像がすごく綺麗
なのです。(伊達総司と朱羅の最期のシーンなど特に曲の盛り上がりと映像が
上手く重なっててジーンときます…)
聖剣戦争編は最初持っていなかったのですが、このEDでホレ込み、友達に
ダビングさせてもらいました(笑)

なので押し付けるようで申し訳ないのてすが、よろしければぜひvv






2006年07月07日(金) WJ感想とかいろいろ

しばらくイベントに行けていないので、夏コミこそは!!
…と意気込んでいたのですが、11・12日は見事に仕事でした。
職場のお盆休みは13日から5日間。
やれやれです。いつになったらイベント行けるんだろ。
(この分だと冬コミも仕事になりそう)
テニスに関してはもう同人的な関心はほとんど無いのですが、銀魂とか
デスノとかやや古いですがハウルとか探してみたかったなあ(泣)
そんなわけで、はぜどん様すみません、どちらにしろ売り子は無理でした…
(泣)

WJ。
不二先輩の試合なので、久々に(笑)読みました。
不二もそろそろ危ない?
この人は王子と違って、最終的に負け役=敵の強さを強調させる役を
背負わされる宿命だと思うので(苦笑)
今までも試合のたびに今度こそ負けるかとヒヤヒヤしてましたが、本当に
今度こそ危ないかな。
相手が白石部長ならまあ仕方ないか………というところか…………


そしてショックだったのがテレプシコーラです………

千花ちゃん…………

ああいう、人に甘えることを知らないというか家族にすら弱みを見せられ
ないタイプの子は、その限界を越えてしまった時が怖いとは思っていました
が、まさか本当に自殺してしまうとは…

山岸先生、容赦ないよ…なさすぎだよ(泣)

手帳に書き遺された“もう これ以上がんばれない”の文字がつらい。
誰かが彼女に“もう十分がんばったよ。もうがんばらなくていいんだよ”と
教えてあげられていればなあ…




なつき