はぐれ雲日記
DiaryINDEXpastwill


2005年09月26日(月) 国勢調査

四年前ホームレスさんにも(隅田川べりの)訪問していた。
あれは字ィは自分で書かないといけないから大変。

「職業」なんて「天上界では、お役をいただいています」とか話していて。
ホームレスさんは精薄と精神分裂の病気の方も多いようですが。
住むトコなんとかしてやってくれねーかなー。とお上には感じますよ。
だって働く気力が湧いてこないのだもの。そーいう病気なんだから。仕方ないんだよ。

ああ。でもこれ、書くのは自分で。手伝っちゃいけないんだよね。



2005年09月24日(土) 暗い暗子です。

今日の新聞を見ると。
ガン研で患者取り違え。
小山明子さんが介護うつ病だったこと。
保育ママが赤ちゃん虐待
ヤミ金取立てでご老人が自殺(警察の対応が問題にされていた)
ハリケーン リタ

それよりなにより(というと申し訳ないが)
自民のことを考えるとじんわりムカつく。

老人の高齢者控除はなくなるわ。
所得税減税は現行より無くなるわ。
介護保険は上がるわ。
雇用保険税はアップするわ。
10月から厚生年金税は上がるわで。
われわれ労働者は行き暮れて雨。夜の明けぬ夜到来。寒到来。

暗いと愚痴を言う前にすすんで明かりをつけましょう。とすると
すご〜く疲れるから缶チューハイでも飲んでよっぱらっとこ。



2005年09月23日(金) かっぱえびせん

今日はひとつだけそれは明るいできごとがあったの。
ん。近所のお店でかっぱえびせんの大袋が36円だったこと!うれしっ。
なにせ、えびせんで育った世代だからねぃ〜。
でもさ、こんなことばかり書いてるとカンのいい人はあたしがどこに住んでるか
わかっちまう・・・けんどまあいいか〜。ほげ。

・・・ああ。国勢調査はうちもAV女優と書くとすっか。国籍はシーランド公国。
え?知らない?あたしも30分前に知ったとこだもん。

かっぱつながりで大好きな高島礼子さんをうpしますネ。
なんでスキかと聞かれれば〜、わたしと同じでバイク大好き人間だからね。
腕前もいいよぉ。まあ玉を転がしたよーな美人やし。(笑
伏見の酒は「美少年」やら「南部美人」より格落ち。あまりうまくねーけど。
ほい。




2005年09月11日(日) 世界の車窓から(2)

港町のフリーマントルをゆっくり散歩してから駅に向かう。
街路樹の下の古びたテラスで生のオイスターをレモンで食べた。ま”うみゃい。
駅にはシューベルトのますが流れていました。
ここは切符を出さなくていいんだ。買わないでのってもわっからない。
まあ、そんな人はいないと思いますがねい。
なんだかしっとりして三丁目の夕日を思い出したよ。夕暮れの街のたたずまい。
少し電車で行くと森や公園や教会がやたらとありワーズワースの森を思い出す。

そぞろ寒。パースの駅ではずっとモーツアルトが流れていたけど。
それよりなにより市内を走ってるブルーキャット(ねこバス)などは無料。
ねこバスはこれがヒントなの〜っ?
そういえば千と千尋の「顔なし」にそっくり。栗ソツなアウルにあったから
現地の人に「もしかしてこれがモデル?」と聞いたら「そーいわれてますよ」と。

映画の最後のシーンに顔なしと千たちが水の中を電車が走っていく。
幻想的な場面があったけど、これはバッセルトンの2キロもある長い桟橋を海に向かってゆっくり走るジェティー(小さな電車)に似ていると思った。
そこからヒントを得たらしーという意見も多いようですが、宮崎監督はオーストラリアに頻回にきてますし滞在も長かったこどででイマジネーションは大いに湧いたと思いますがこれらはどうやらきっぱり否定されてるらしい。


そうそう。フリーマントルから乗った美しいblack girlが乗ってる間中ずっと隣で
スイングしていました。目が会うとうれしそうに笑いながらいっそう絶妙なリズム感で
ナタリーインブルーリアの曲を歌っていました。ゴスペル調にアレンジされている気がした。・・・ちょっとオーストラリアの風を聴いてみませんか?

こんどは仕事でなく来て見たいな。 (画像はスワン河。)


2005年09月10日(土) ふらっとロッドネス島。

コーラルウエイ。えもいわれぬエメラルドの伝説。
帰りににわか雨。お茶して雨宿り。てくてく桟橋へ向かったらおんや時間前に船が行ってしまった。
トムソーヤーみたいな切符切りのあんちゃんに「あんれ?時間前よ」と言ったら
「His watch is His watch 」と船をさし
Your watch is Your watch. My watch is・・・あれが彼のカンパニーのやり方。
と演説してくれたのでげらげら笑ってしまった。結局30分遅れで次の船にのったのだけど。

島の灯台です。


2005年09月09日(金) Q航空で

9日夜には世界で一番美しい街(どうだかな〜)とされているパースへ。
12日には「The West Australian」誌他がコイズミ氏の勝利を歓迎する記事を掲載。
選挙結果を知りました。

「The resounding election win by Japanese Prime Minister Junichiro Koizumi is good economic news for Australia, whose growth expectations had begun to lean perilously heavily on China.」
さらに数誌の社説では、これでオーストラリアと日本の経済的な関係はますます強固なものになるであろう。とのことばでほとんど締めくくり「FINANCIAL REVIEW」誌にいたっては一面トップでコイズミ氏の圧勝を大きな笑顔とともに掲載。

共産党はこれ以上落ちようがないところまで落ちたし
民主も民社もな・・・。星落秋風五丈原のこころ・・・わなわな〜っ。


民営化された郵便局にも行ってみた。アボリジニの民芸の店やプティックや
日用品雑貨の店が目立ち入り口を探して本題にたどりつくのにちょいとまどった。
サービス、料金はほとんど変わらない気がした。けど。
まあ、コイズミ氏のバックには何があるか。民営化のおいしいところは
アメリカ資本にごっそり持って行かれるんじゃーないの。


2005年09月08日(木) 蒼いイナズマ

日曜の夜は・・・
ザンブリドンブリと泳ぐようにして前に進み
妙な蒼いイナズマにあたりを照らされながら病棟へ向かった。
してからフルマラソンのラストスパートのように口もきく暇もなく
働いた。肉体労働者は体が資本だからおまかせあれ。
夜勤明けのどくだみ茶はソコハカとなくうまい。

アメリカが世界で好き放題してるから天罰がくだった
・・・ってそんなこたぁない!
堤防にキッチリ金かけなかったことが原因だ。


2005年09月07日(水) 街は眠らない

秋も深まってまいりました。
富岡八幡のせみしぐれがマツムシに変わっていい風情になってきたなぁ〜。
浅草の古いバーでちょっと。ソルテイドッグでも。
思ってたら総選挙なんだもんよな〜。わんわんわんわん騒々しい。

昨晩はちゃりんこで明治通りを走っていたら若いおまわりさんが
血相を変えて現場に急行中なり。うしろからでっかいおじさんが走りながら
「包丁を振り回して暴れています!。早く」「わかりました応援頼みます」
とこれまたちゃりんこ2台で横丁を曲がって全力疾走。
・・・・下町ではパトカーより自転車のほうが使い勝手がいい??




2005年09月03日(土) されこうべもなく通る

直会(なおらい)は神事のお祭りを行った後で
神様へお供えしたささげ物をおろして 皆で頂く酒宴を云います。

地域で言えば神社の秋、春のみこし祭りの後とか、
最近個人的にかかわったことと言えば地鎮祭、上棟式、落成式などの神事の後の酒宴。
といえばみなさんもお解かり頂けるでしょう。
一方、精進落としは喪中の期間が終わり(喪中は殺生を避け、
生き物を口にせず喪に服する)喪中明けに肉食する事を言うので
四十九日の法要と云えば仏教の儀式ですから、直会と云うよりも精進落しの
酒宴と云うべきでしたね。ただ今回は「精進おとし」などということばは若い大切な友人に
使いたくなかっただけなのです。ただそれだけの理由でした。

>関東のほうでは使うんでしょうな。
いいえ。使いません。神道だけ。こちらも同じく仏教での葬儀は精進おとしといいます。
神道の葬儀は何度か。・・・すでに子どもの頃にも参列した記憶があります。

ぺらぺらした人型のような白い紙を竹の枝のようなものにみなで結びつけるのですが
その紙がみぞれまじりの風に、はたはたひょうひょうとよるべなく舞うさまは亡くなった少女のようで
なんとも無情な、渺茫(びょうぼう)とした寂寥感を覚え、加えて言いあらわしようのない気持ちがこみあげてきて
大声をあげて我知らず走り出しそうになるような光景でした。

「○子ちゃんは死んでしまったんだよ・・・。」と母がつぶやくようにいうのも
いつか一度見た夢の中で聞いたことのようにわびしい思いで聞き、
夏にいっしょに遊んだこの年長の少女のお下げ髪のわけめが、ついと真っ白かったこと
端布でつぎはぎした短めのズボンをはいて、ゆっくりとした笑顔で振り向きつつ
「こっち。石につまずかんよう気いつけてなんしょ。」と
どこかの方言で学校帰りの夕暮れに近道を先導してくれた、
汗っかきのやさしげな女の子が、こんなぺらぺらの紙の人型になってしまったなんて
自分の立ってる足の芯が抜き取られたようなよるべなさを覚えました。
少女はてんかんでしたが発作で亡くなったのではなく打ち所が悪かったそうなのです。
今思い起こしてみますと自身の「実存の不安」のようなものは幼い頃からあるのですね。

ごく最近。二月にあった葬儀も 奥多摩でやはり ご宗旨は神道系でした。
こちらの葬儀は本流の天照大神ではなく邪宗門とか。


2005年09月01日(木) Yokota Aer Force Base

それは釣りバリのネックレスやった。
銀ででけていた。
キラキラ光ってた。
なんやらインデイアンの戦士のシルエットと
ミシシッピ―リバーのざわつく波が見えた気がした。
すこうし遠いごこちしてまぶしかった。

横田基地のすぐそば。
夕暮れ。西陽を受けた小さな店。「Sun God」 
インディアンジェリーしか売ってなかった。

ふと。後ろをふりむくとインディアンの精霊がいるような気がした。
(I will demonstrate my holy power )とか言うた。 わたいは
(I just don't care, it's the life I choose )と心でつぶやいた。

うれしかった。
生まれて初めてわたひのためのお守りを手に入れた。

福生。ここは「限りなく透明に近いブルー」の舞台やった。
遠くで花火が鳴っていた。



鈍角 |MAIL

My追加