昨日の午前中のことでした。ある患者さんの治療をしていると突然“ゴー”という地響きの音がしました。“もしかして”と思うや否や突然“ドン”という音がしたかと思えば診療室が数秒揺れたのです。地震でした。
当地は平成7年に阪神淡路大震災に遭遇しました。この阪神淡路大震災前後まではほとんど地震を感じたことはなかったのですが、最近は時折地震を感じます。地震といってもそれほど大きな揺れではなく、せいぜい震度1〜2程度のものですが、これら地震は夜間や明け方がほとんどでした。昨日のように午前の診療中に地震が起こったことは初めての体験でした。
幸い、地震は数秒で収まりました。その後のニュースで確認すると、震度は1。大した揺れではなかったはずですが、実感としてはもっと揺れていたのではないかと思うぐらいの揺れだったように思います。 診療所は多少揺れた程度で何も損傷は見られませんでした。それよりも安心したのは患者さんでした。診療台の上に寝てもらいながら治療を受けていた患者さん。地震の際には直ぐに患者さんの口から診療していた僕の手を出し、患者さんが何か飲み込まないようにするのが精一杯。患者さんに地震のことを尋ねると
「いや〜、地響きとともに地震が起こるとは思いもよりもよりませんでした。貴重な経験ができましたわ〜、ハッハッハ・・・。」
患者さんの笑いが救いでした。阪神淡路大震災以降、診療中、地震に襲われたことを想定した対策を検討、シミュレーションしてきましたが、いざ不意に襲われた地震に対してはなかなかうまく反応ができません。地震、雷、火事、親父と言いますが、地震を最初に言う理由が今更ながらよく理解できました。地震はやはり怖い。
2009年05月28日(木) |
寒天で歯型を取る?! |
今から歯型を取りますよ。それでは寒天の用意をお願いします。」
ある患者さんの被せ歯の作るために僕が発した言葉です。その患者さん、僕が発した言葉に敏感に反応されました。
「先生、寒天ってあの寒天のことですか?」
歯医者で寒天を使用するのは意外と思われたのでしょう。寒天は食材として様々な料理や菓子に使用されています。僕自身、蜜豆が大好きなのですが、理由の一つが中にある寒天の食感がいいからです。おそらく寒天が好きな方は一人や二人ではないでしょう。
そんな食材として有名な寒天。歯型を取る時に利用するのが信じられないかもしれませんが、事実はそうなのです。歯医者にとって寒天は非常に歯型を取る印象材として非常に重宝する材料の一つなのです。
寒天はある一定の温度以上に熱するとどろどろとした液状になります。これは寒天のゾル化と呼ばれる現象ですが、このゾルが温度が下がってくると液状から固形状に変化します。これはゲル化と呼ばれる減少です。おそらく寒天を調理した人ならしょっちゅうお目にかかる現象でしょう。このゾルからゲルへの反応を利用して歯型を取るのです。
寒天は非常に安価な材料です。なぜなら、食材を中心に大量生産されているからです。しかも、寒天はゾルからゲルになると液状から固形状となります。一度固形状になった寒天は軟らかい物性を維持し、変形しない物性があります。これが歯型と取る材料として非常に好都合なのです。 熱く熱した寒天を歯型を取る対象となった歯に注ぎ、直ぐに冷却する。そうすると、きれいな歯型を取る事ができます。しかも、変形しない歯型が取れ、コストがかからない。歯医者では30年以上前から寒天を精密な歯型を取る材料の一つとして利用してきたのです。
もちろん、実際に口にする寒天と歯型を取る寒天とは多少物性が異なりますが、それでも主成分が寒天であることに変わりはありません。多くの歯医者では毎朝診療開始前に寒天を温めることを日課の一つとしています。 寒天は既に歯型を取る際に取り入れられて歴史のある材料ですが、これからもずっと歯医者で重宝される印象材の一つとして生き残っていくことでしょう。
2009年05月27日(水) |
忘れてはいけない歯医者のニオイ |
人は誰でも嗅覚を持っています。人の嗅覚は様々な匂い、香りを嗅ぎ分けるものですが、これら匂い、香りは普段生活している場所とは異なる場所を訪問したり、移動したりする際、特に感じます。中でも生活臭や独特の材料や食品を扱っている場所などを訪問する時には、誰しも普段感じないニオイを感じることでしょう。
僕の場合、幼少の頃、近所に牛舎がありしばしば遊びに行ったことがあったのですが、牛舎のニオイは牛糞が混じっていたニオイでした。今から思い出してもあまり感心できるようなニオイではありませんが、たまに牛舎を訪ねると幼少の思い出が蘇ってきます。 更に、幼少の頃住んでいた場所の近所には大きなお菓子工場がありました。そこの近くに行くと、これも独特のチョコレートのニオイがしたものです。おそらく、工場のチョコレート生産過程で外部に排出されたガスの中に含まれていたのでしょうが、濃密なチョコレートのニオイは、幼少の僕にとって決して嫌なニオイではありませんでした。 当時、近所には畳屋があったのですが、畳のニオイは好きでした。家の中の畳は表が黄色くなり何も臭わなかったのですが、畳屋の畳はいつもグリーンの畳表が見えると同時に濃厚ない草のニオイが香ってきたものです。
ニオイには単に嗅覚だけでなく様々な思い出がくっついているものですが、病院のニオイに関しては誰しも独特のニオイとして認知しているのではないでしょうか?中でも歯医者のニオイは、他の医療機関には無いニオイを感じるはずです。
歯医者では様々な消毒薬や材料を使用しています。また、口の中を治療するわけですから患者さんの口から飛び散った切削粉や目に見えない雑菌もあります。これらが混合したのが歯医者のニオイというわけです。 この歯医者のニオイ、現在の僕は全く感じません。現在の僕ということは幼少の頃はそうではなかったということです。歯医者である親父は自宅開業でしたが、自宅の隣にあった歯科医院を覗きに行くと、ドアを開けた途端、歯医者のニオイを感じたものです。
某歯科大学在籍中、僕の友人が遊びに来たことがあったのですが、初めてうちの歯科医院を訪れた際、開口一番 「歯医者のニオイがする!」 といったものです。実は、僕がこの友人のお父さんの歯科医院を初めて訪れた時も全く同じことを感じたのです。こいつの家も歯医者だったんだということを。
そんな歯医者のニオイですが、歯医者をして20年近くになるとこのニオイが完全に日常化してしまいました。人間は常に接しているニオイには嗅覚が順応してしまい、ニオイを感じなくなるものですが、僕の場合もそうで、本来診療室に満ちている歯医者のニオイが感知しなくなっています。それだけ歯医者の生活にどっぷりつかっている僕ではあるのですが、時々そんなことでいいのかな?と感じることがあります。なぜなら、患者さんは自分たちの生活の非日常の一つとして歯医者を訪れます。その際、必ず歯医者のニオイを感じているはず。ところが実際に歯の治療を行う歯医者はそれを忘れてしまっている。 たかだかニオイなのかもしれませんが、ニオイが人の体調や精神状態を左右することがあるのは事実です。患者さんの立場を考えるなら、初心を忘れてはいけない意味で、歯医者のニオイというものもあるのだということを常に思い出さなくてはならないのではないか?そんなことをふと感じた今日この頃です。
2009年05月26日(火) |
何のための厚生労働省だったのか? |
いろいろなシステム、仕組み、機構というのは充分に練り上げて作り上げたつもりでも、時間の経過とともに時代の変化についていけなかったり、現状にそぐわなくなってきたりするものです。その都度、臨機応変に対応し、システムの部分的変更や場合によっては抜本的改革が必要な場合もあるでしょう。 今回の厚生労働省の分割案も昨今の厚生労働行政の多様化、複雑化があり、一つの省で行うには限界が生じてきたことが背景の一つとして挙げられるかもしれません。
最近、話題になっているこのニュースです。以下このニュースの引用です。
読売新聞 麻生首相が意欲を示している厚生労働省の分割に向けた政府内の調整が25日、スタートした。 河村官房長官、与謝野財務・金融・経済財政相、甘利行政改革相は同日、首相官邸で協議し、週内に厚労省分割の素案をまとめる考えで一致した。6月にまとめる「経済財政改革の基本方針(骨太の方針)2009」に具体案を盛り込む方針も確認した。 甘利行革相は協議終了後、記者団に、「政策的な整合性と、閣僚が責任を負えるキャパシティーの観点から(厚労省のあり方を)見直すということだ」と述べた。 26日には、河村氏ら3閣僚に舛添厚生労働相、小渕少子化相、塩谷文部科学相が加わって協議する。 首相は、厚労省所管の医療・介護・年金などを「社会保障省」に、雇用、保育行政や内閣府所管の少子化対策などを「国民生活省」に再編する案を示している。文部科学省所管の幼稚園と、厚労省の保育所を統合する「幼保一元化」についても検討を指示している。河村長官ら関係閣僚は「首相の方針に沿って素案をまとめる」(政府筋)予定だ。 ただ、分割論議は各省庁の利害に複雑に絡んでいるため、官僚の抵抗で一筋縄ではいかない可能性もある。
省庁再編が行われたのは2002(平成14)年、今からたった7年前です。行政改革の一端として、組織のスリム化、効率化を図るために行った省庁再編だったはず。その省庁再編の代表例の一つが旧労働省と旧厚生省が合併した厚生労働省だったはず。それがたった7年で分割の対象となる。一体何のために厚生労働省を再編したのか理解に苦しみます。
確かに省庁再編後、各省庁の中には時代の流れに対応できない点が多々あることでしょう。それは組織の宿命かもしれません。しかしながら、厚生労働省の場合、果たして旧労働省と旧厚生省を合併させる必要があったのか僕は疑問に思います。あまりにも複雑な業務を一つの省に統合させるのは組織のスリム化というよりも機能麻痺に陥らないか危惧さえありました。 実際のところ、日本で一番忙しく、押し迫る様々な危機に直ちに対応せざるをえない省の一つは厚生労働省であることは明白です。昨今のインフルエンザの件から薬害肝炎、年金問題等々、大臣である舛添大臣自身も“体が二つないと充分な対応ができない“と嘆くほどです。
僕はこのようなことは省庁再編当初から大いに予想されていたことではないかと考えます。それを行政改革の一端として、当時の小泉政権が推し進めたのが省庁再編。果たして、省庁再編に際し、充分な考察があったのでしょうか?単なるパフォーマンスに過ぎなかったのであれば、そのほころびが今回の厚生労働省分割論議に至ったと言わざるをえないと思うのです。最初から労働省と厚生省との統合は無理があったのではないか?
強引に統合したのであれば、税金投入の無駄となり、そのつけは国民が払うことになります。一見、格好良く見える省庁再編でしたが、たった7年で分割されるような省庁再編は、呆れてモノが言えません。選挙目当ての改革だと言われても言い訳できないように感じた、歯医者そうさんでした。
歯医者という仕事をしているからでしょうが、僕は1日の3分の1近くの時間帯をマスクをつけています。歯医者にとってマスクは必需品です。患者さんの口の中を治療していると、様々な飛沫が拡散してきます。歯を削れば歯牙の切削粉や細菌、ウィルスなどが空気中に飛び散ります。入れ歯を削れば入れ歯の切削粉が、抜歯をすると時たま血液が飛んでくることもあります。治療をしている歯医者の宿命ですが、これら拡散物を間近で浴びなければなりません。中でも顔面はほぼ直撃といってもいいでしょう。呼吸の出入り口である鼻や口はマスクで覆わざるをえません。
マスクに関しては使い捨てのマスクを使用しています。グローブは患者さん毎に交換していますが、マスクの場合は直接患者さんに触れるものではないため、午前と午後の2回替えて使用しています。すなわち、一日の診療で僕は2枚の使い捨てマスクを使用していることになります。
このマスクですが、昨今のインフルエンザにより確保が難しくなってきました。突然の新型インフルエンザの蔓延により多くの人がマスクを必要とするようになったからです。需要に対し生産体制がおっつかないのが現状。 そんな中、僕はあらかじめうちの歯科医院に出入りしている歯科材料店の担当者にマスクの確保をお願いしておきました。実際に注文をしたのは新型インフルエンザの本格的流行が始まる前だったのですが、正直言って直ちにマスクを確保する可能性は低いのではないかと感じていました。歯医者仲間同士の話でもマスクの確保が難しいという話を伝え聞いていました。また、歯科材料を扱う通信販売の会社からは当分の間、マスクの在庫が無いという通知ファックスも届いていました。 幸い、うちの歯科医院には当分使用できるだけのマスク数はありましたが、やはり歯医者だけでなく、歯科衛生士や歯科助手などのスタッフの使用分も含めると心もとないもの。出来る限り多くのマスクがあれば安心感ができるはず。さてどうなることか?
そう思っていた先週末、出入りしている歯科材料店の担当者がやって来ました。マスクのことを尋ねてみようとした途端、注文数のマスク箱が見えました。
「マスクの確保は結構簡単ではありませんでしたが、何とか先生が希望されたマスク数は手に入れることができました。」
マスクを手に入れるのが難しい状況の中、よくぞ確保してくれました。
「先生方にとってマスクは無くてはならないものですから。新型インフルエンザが流行する前から我々はかなりの在庫を確保しておりまして、先生方からの要望にも何とか応えられる態勢を取っておりました。」
歯科材料店の担当者はいろいろと手を尽くしてくれたのでしょう。マスク不足は事実ですから、相当苦労をされたはず。ただただ出入りしている歯科材料店ならびに担当者に感謝、感謝の歯医者そうさんでした。
2009年05月22日(金) |
裁判員制度が始まりましたね |
昨日始まった裁判員制度。既にご存知の方も多いとは思いますが、起訴された刑事事件の裁判に一般市民が参加する制度です。裁判員制度に関しては賛否両論ありましたが、既に制度化され、一般市民への周知、PRがなされてきたようです。裁判員に選ばれた一般市民は正当な理由が無い限り拒否することができず、裁判に参加し、審議に加わらないといけません。
正直言って、僕も裁判員制度についてはあまり気持ちよく思いません。法律の知識も無い僕が人様を裁くことができるのかどうか、そんな資格があるのかどうか未だに結論が出ないからです。 また、普段の仕事の時間を一部削って裁判に参加しないといけないことも悩みます。僕のような歯医者も診療があるからといって裁判員を拒否することはできません。裁判員に指名されたなら、参加せざるをえない。そうなると、診療時間を削ることになるわけですが、患者さんに迷惑をかけることになりますが、自分の歯科医院の経営にも影響が出てきます。出切る事なら裁判員に指名されたくないのが本音です。
その一方で、僕は裁判員の仕事にはある種の期待感もあります。僕自身、これまで裁判を受けたこともありませんし、傍聴したこともありません。裁判についてはマスコミを通じて知るだけで、一体どのような審議が行われているかどうかの実体験がありません。 裁判員に指名されれば、単に裁判を傍聴するレベルではありません。実際に裁判の審議に加わることになります。人を裁くことに関しては大変な抵抗感がありますが、刑事事件がどのように起こったのか?マスコミを通じない情報を得て考える初めての機会となるはずです。身を持って裁判制度を体験し、責任を持つ。これは僕の人生にとって得がたい、貴重な経験となるのではないかと思います。
また、僕が知っている社会は極めて限定的です。僕の家庭と住んでいる地域、歯医者業界、家族の交友範囲、インターネットぐらいでしょう。刑事事件の対象となっているような社会は普段接することがありません。刑事事件に参加することは、自分が如何に狭い世界に生きているかを知ることになるのではないかと考えています。広く社会を知ることは絶好の社会勉強の機会になると信じています。
どんな新しい制度も実際に機能してくればいろいろと欠点が見えてくるもの。おそらく裁判員制度もいろいろな問題点が浮かび上がり議論の対象となるのは間違いありません。ただ、別世界のことだと思っていた裁判が身近なものであることを実感することは、誰にとっても決してマイナスではないと信じたいです。実際に裁判員に指名されれば、そんな余裕は無いのかもしれませんが、僕は同じ指名されるなら少しでも前向きに取り向かないと意味がないと考えています。
2009年05月21日(木) |
いつまで経っても慣れない断りの電話 |
うちの歯科医院ではいくつかの高額な機器を使用しているのですが、ある機器はリース契約をしています。このリース契約がこの夏で終了、リースアップを向かえることになったのですが、機器そのものが古くなったため新たなリース契約を結ぶことで新しい機器を購入することになりました。
新しい機器を購入する際、僕は前もっていろいろな会社のものを自分の目で確かめます。当然といえば当然のことかもしれませんが、担当者の説明だけでは新しい機器に対する明確なイメージを持つことができないからです。今回購入しようとしている機器も昨年あたりからいくつかの展示会場で実物を見て、担当者の説明を聞き、実際に自分で操作し機器の反応をみておりました。
担当者に疑問や質問をぶつけるのですが、その際、必ずすることは複数の会社との比較でした。担当者には敢えて他社の機器のことを伝えます。担当者は自分の会社の機器を売り込むのに必死です。通常のマニュアルどうりの説明だけでなく思わぬ情報も言ってくれるのです。中でも、ライバル会社同士であれば、他社の製品のことをいろいろと言ってくれます。この情報をもとに該当するライバル会社に質問をし、その反応や言い訳に耳を傾ける。 結構嫌な買い手かもしれませんが、こちらとすれば高額な買物をする客です。購入してから後悔をしたくありませんから、ライバル社同士を敢えて競わせることは仕方の無いことです。 最終的には2社もしくは3社に絞込み、相見積もりをさせた上で最終判断をします。
今回の機器に関しては、昨日に最終判断をし、某社を選定。某社には決定の連絡をしました。某社の人は大変喜び、契約の話となったのですが、問題は他社への連絡でした。断わりの電話を入れたのですが、この断りの電話、いつまで経っても非常に心苦しく感じてなりません。特に、熱心に説明してくれた担当者に対してはその思いに応えられず申し訳なく思うのです。 こちらも商売ですからどの社とも契約を結ぶわけにはいきません。また、いつまでも結論を先延ばしするのも失礼な話。 どうして貴社が選定からはずれたのか?その理由を明確に説明し、今回は遠慮してもらうことを説明しました。担当者は明らかに声が落ち込んでいましたが、それでも彼なりに僕の電話にお礼を言ってくれました。
電話を掛け終わった後、内心ほっとした反面、何とも言えない複雑な気持ちになります。複数社からの機器を選定する際、いつもこのようなことにはなります。ある程度クールに対応しないといけないとは思うのですが、何かと小心者の僕としてはいつも断わりの返事がしづらいですね。まだまだ、人生勉強が足りないのでしょうね。
2009年05月20日(水) |
入れ歯が凶器になることもある!? |
先日、口の中に口内炎ができて痛いということで来院された患者さんがいました。この患者さん、高齢で口の中には歯が一本も無く、上下の顎に総入れ歯でした。 患者さんに尋ねると、左下の奥の粘膜が痛いとのこと。実際に診てみると、確かに左下の歯肉と頬粘膜の境目に口内炎のようなものが見られました。 ただ、患者さんが指摘する口内炎でしたが、僕が診てどうも本来の口内炎ではないように思えました。何かの傷ではないかと感じたのです。
入れ歯を装着している患者さんの場合、入れ歯の適合が悪く、入れ歯の一部が歯肉に強く当たったり、食い込んだりしてできる傷がよくあります。専門的に褥瘡性潰瘍といいます。褥瘡とは寝たきりの高齢者に多い、いわゆる床ずれのことですね。口の中に褥瘡と思われる方も多いかもしれませんが、先に書いた入れ歯の不適合による傷はまさに褥瘡の一種なのです。この褥瘡が進行し、自然に治らない傷のようになった状態を褥瘡性潰瘍と呼ぶのです。
体は一日一日微妙に変化します。自分では気が付かなくても体は新陳代謝を繰り返し、変化しつづけるもの。顔や口も同様です。毎日同じものを食べているつもりでも、微妙な変化があるものなのです。 入れ歯はどうかといいますと、これも微妙に変化します。長期間使用しているうちに人工の歯が磨り減ったり、磨いているうちに表面が微妙に研磨されたりします。 変化をする口と入れ歯。口の変化と入れ歯の変化が同じような変化の度合いであればいいのですが、この変化のバランスが崩れた時はどうでしょう?入れ歯が合わず不快になるのです。こうした入れ歯の不具合の現象の一つが褥瘡性潰瘍なのです。
この褥瘡性潰瘍を治すには、入れ歯の調整しかありません。入れ歯が歯肉に合っていないことが原因であるわけですから。 今回の患者さんの場合は特殊でした。確かに下の奥が痛いと訴えられていた部分の原因は入れ歯の不具合ではあったのですが、下の入れ歯は問題ありませんでした。むしろ原因は上の入れ歯にあったのです。入れ歯を使用しているうちに咬みあわせが低くなり、上の入れ歯の奥歯の人工歯の一部が下の歯肉と頬粘膜の境目に接触していたのが原因でした。 おそらく食事の度に痛い思いをされていたことでしょう。それも昨日今日の問題ではなく、かなり長時間にわたり苦しまれてきたものと思われました。
僕は応急的に問題の人工歯を削り、左下の歯肉と頬の境目に当たらないようにしました。患者さんの反応は極めて良く、“これで食事をしても痛くなりません”と言われていました。
患者さんには今後、咬みあわせを調整したりしながら、場合によっては入れ歯を作り直す必要があることを説明しましたのですが、失った歯の代わりに使用していた入れ歯が口の中を傷つける凶器になったのでは意味がありません。入れ歯を凶器にしないためにも定期的な調整が必要なものなのです。
2009年05月19日(火) |
マッキントッシュパソコン廃棄 |
今から16年前、僕は某大学の大学院に在籍しておりました。今と違い、ずっと大学の研究室で仕事をしていたのですが、その際、購入したパソコンの一つがマッキントッシュのパソコンでした。当時、98と呼ばれるNECのパソコンが主流を占める中、非常に使い勝手が良いということで大学の研究者の中で大変人気があったのがマッキントッシュでした。当時、僕の大学院の先輩が使用していたのですが、その便利さに僕は直ちにマッキントッシュのパソコンを購入することを決めたくらいでした。そして、初めて購入したのがパワーブック145B。トラックボールがついたノートブック型パソコンで画面は白黒だったのですが、研究室でも自宅でも使用できる便利さが重宝しました。 その後、マッキントッシュパソコンは僕の事務作業ツールの一つとなりました。LC630、パフォーマ5430、そして、モニターが付いたiMac。僕はずっとマックユーザーだったのです。
ところが、時代はウィンドウズ全盛時代。ウィンドウズ95の登場とインターネットの普及からウィンドウズパソコンが主流となりました。僕の仕事においても仕事相手がほとんどウィンドウズパソコンを使用することから僕もウィンドウズパソコンを使用することにならざるをえませんでした。歯医者さんの一服もウィンドウズパソコンを使用してサイトを開設し、日記をアップし続けてきました。今では完全なウィンドウズパソコンユーザー。
それでは、以前に使用していたマッキントッシュパソコンはどうしていたかといいますと、ずっと自室に放置しておりました。データは全てバックアップを取っていますが、今となっては使用することはなく埃まみれなっていたわけです。 ただ、いつまでも放置しておくと自室が狭くなり仕方がない。僕は一念発起し、マッキントッシュパソコンを廃棄することにしました。
最近のパソコンの廃棄に関しては、パソコンメーカーが回収する義務があります。資源有効利用促進法という法律で決められているそうなのですが、ただ昔のパソコンに関しては有料で回収するとのこと。僕が使用していたマッキントッシュパソコンはいずれも無料回収の対象ではなく、合計で15000円程度の有料回収になるということなのです。 思わぬ出費ではありますが、いつまでも放置しておくわけにもいかず、多少の負担は仕方ないと割り切り、廃棄することにしました。
現在、手続きをして廃棄処理を行っている最中ですが、いざ手放すとなると寂しい気持もあります。僕の青春時代に使用したマッキントッシュパソコンが一気に僕の目の前から姿を消すのですから。ハードディスクのデータ消去や破壊処理をしながらも、少しばかり思い出に浸りながら廃棄マッキントッシュパソコンを梱包していた歯医者そうさんでした。
2009年05月18日(月) |
新型インフルエンザに戦々恐々の歯医者 |
兵庫県、大阪府で蔓延しつつある新型インフルエンザ。メキシコで発生して以来、世界中に感染が広がり、日本に入るのも時間の問題だと思っておりました。日本では水際で感染を防ぐとして検疫態勢を厳しくしていたそうですが、検疫は一種のスクリーニング。おおまかな簡易検査でしかないので、当然のことながら症状が現れていない保菌者が日本国内に入り込むことは想定しておりました。ただ、最初に兵庫県や大阪府で感染が発生し、広がりを見せるとは思いませんでした。
既にうちの小学生のチビたちが通う小学校は今週末まで休校が決まっており、自宅待機の指示が出ております。僕が現在講義に行っている某専門学校も今週1週間は休校である連絡も入りました。 週末はテレビを見れば見るほど感染者が増えていっています。おそらくこの傾向はしばらく続くでしょうし、全国に感染が拡大するのは時間の問題でしょう。まだ、新型インフルエンザウィルスに対する免疫が誰にも無いだけにこれは仕方のないことではあります。幸い、弱毒性であることと、タミフルやリレンザといった従来のインフルエンザ治療薬が有効であること、鳥インフルエンザ対策上想定した国や都道府県の行動計画が機能していることからパニックになることは無いと思われます。
この問題、歯医者にとっては深刻です。何せインフルエンザは空気感染、飛沫感染です。咳やくしゃみ、会話などから人から人へ感染するのです。当然のことながら口に接する機会が多い我々歯医者は新型インフルエンザに罹る可能性が高い。 うちの歯科医院では、僕はいつもマスクをしながら診療をしています。スタッフもマスクをつけていますし、待合室と診療室には空気清浄機を設置しています。各々の診療台には口腔外バキュームと呼ばれる装置も置いており、日頃から空気感染対策は取っていますが、それだけでは足りないことでしょう。受付さんにもマスクをつけてもらうことをお願いしたり、患者さんにも手洗い、手指の消毒をお願いすることになるでしょう。また、来院する全ての患者さんには待合室で待機中、マスクを使用してもらうようする必要があるかもしれません。そうなると在庫のマスクが直ぐに無くなってしまう可能性も大。マスクの確保が必要かもしれませんが、出入りする歯科材料店や通販など様々なマスク入手法を検討しないといけないかもしれません。
それ以上に深刻になるかもしれないのが、患者さんのキャンセル。何せ不要不急の外出は控えるようにとのお達しがあります。歯医者へ通う患者さんもこのお達しの影響を受ける可能性は大。必然的に患者さんのキャンセルが相次ぐことが想定されます。 こればかりは不測の事態であり仕方の無いことかもしれませんが、歯医者の経営を考えれば深刻な問題です。 いずれにせよ、この新型インフルエンザの感染拡大、早く終息にむかって欲しいものです。
2009年05月15日(金) |
説明責任に対する違和感 |
最近、マスコミを賑わせている言葉の一つに“説明責任”という言葉があります。具体例では、民主党の小沢一郎元代表の秘書が政治資金規正法違反で逮捕されたから頻繁にあちこちで使われています。小沢元代表は、記者会見で秘書の逮捕について自らの思い、考えを述べていましたが、その発言に対し、与党、野党の政治家やマスコミ、有権者の多くに“説明責任”を果たしていないとの批判が集まっていました。先日、小沢元代表が代表を辞任した際にも、“説明責任”が不充分のまま辞任したとの批判が集まっていました。
この“説明責任”に対し、ひねくれた僕は何とも言えない違和感を覚えます。 この違和感は一体何か?“説明責任”とは、相手が行った言動、行動に対し、何か不審な点、疑惑を持たれることがあった際、説明を求める時に用いられる言葉ではあります。言葉足らずで相手の誤解や理解を充分に与えていない場合、更なる説明が求められることは僕も充分に理解できます。
ただ、“説明責任”を連発されると、露骨に相手を信用していないことを表明しているようなものです。“説明責任”を言っているうちに、言葉の意味が本来の意味から断罪、謝罪を求める意味に変わってきているように思えてならないのです。単に相手に充分な説明を求めているのに、使っているうちに感情的になってくる変化に僕は怖さを感じます。
最近、冤罪事件が取沙汰されていることも多いのですが、もし、ある人が何らかの罪に対する疑惑を持たれた場合、その人が無実であればどうでしょう?自らが無実であることを訴えても、周囲は“説明責任”を求め続けるのでしょうか?もし、その人の無実が証明された場合、“説明責任”を求め続けた人はどのように“説明責任”を果たすのでしょう?
僕は“説明責任”連発する現在の風潮をウォッチしていきたいと思います。果たして、“説明責任”を大きな声で唱えている人が本当に自らの言動に対し、“説明責任”を果たすことが出来るのか注目していきたいです。少なくとも、僕は軽々しく“説明責任”を果たすなんて言いたくない、言おうとしても言えないと肝に銘じています。
2009年05月14日(木) |
乳歯が残っているおばさん |
先日、ある中年女性患者さんが来院しました。奥歯にむし歯ができたので治して欲しいということで来院されたのです。患者さんの話を一通り聞いた僕は患者さんの口の中を診ていたのですが、むし歯のある歯を診て“あれっ?”と思いました。念のためにレントゲン写真を撮影し確認をしてみましたが、僕の“あれっ”はある確信へと変化しました。
「むし歯の歯ですが、これは乳歯ですね。」
患者さんは驚かれていました。乳歯は全て抜け落ち、永久歯と生え変わっているとばかり思っていたからです。確かに無理はありません。誰でも幼稚園から小学生の頃あたりに乳歯が永久歯に生え変わるわけですから。この頃から既に40年以上経過している現在、乳歯が残っていると指摘されれば、誰でも驚くことでしょう。
この乳歯が生え変わらずに長期間にわたり残っていることは時々見かけます。この理由の多くが後続永久歯が生まれつき無い場合です。どうしてこのようなことが起こるのか、理由は定かではありません。遺伝の悪戯としかいいようがありません。いつまで経過しても乳歯が永久歯と代わらない場合、歯医者でレントゲン写真を撮影すれば、早期に後続永久歯が無いことがわかります。子供を持っている方でいつまで経っても永久歯が生えてこない場合、まずは歯医者で診てもらうことが寛容です。
後続永久歯が無い乳歯の場合、乳歯は無理をして抜歯する必要はありません。なぜなら、抜歯をしてしまうと、歯並びに隙間が生じます。当然のことながら歯並びやかみ合わせが乱れる可能性が生じます。歯科治療では、後続永久歯が無い乳歯は、可能な限り残しておくことが基本です。 もし、このような乳歯が取れたり、抜歯せざるをえない場合はどうなるか?この場合は、通常の永久歯が一本抜けた場合と同じ扱いになります。すなわち、入れ歯にするか、隣同士の歯を削るブリッジにするか、自費治療であればインプラント治療という選択肢があるでしょう。
今回のケースの場合、乳歯にはむし歯があったのですが、幸いむし歯は浅く、むし歯を取り除いた後、詰め物で蓋をすることで治療を完了することができました。患者さんも安堵され
「代わりのない乳歯ですから、これからはこれまで以上に大切にしていきます」という言葉を残し、診療室を後にされました。
2009年05月13日(水) |
異業種の友人のユニークな視点 |
どの業界の方でもいえることかもしれませんが、ある業界で長年仕事をしていると付き合う範囲が同じ業界の人同士に限定されてくることが多くなります。それはそれで仕方のないことではありますが、知らず知らずのうちに業界目線になるというべきか、一定の偏って見方になってくることがあるのではないでしょうか。
医療業界などはその最たる例でしょう。歯医者などはいつも周囲から“先生”と呼ばれていますが、いつの間にか自分が偉くなったように錯覚しがち。無意識のうちに上から目線で会話をしてしまうことが多々あります。何を隠そう僕もそんな輩の一人で、自分の視野の狭さを痛感します。それだからこそ、歯医者さんの一服日記に対しいろいろな意見を伝えてくれる方を大切にしたいと思いますし、そうしなければならないと常に考えています。ただ、誹謗中傷だけは避けて欲しいですけれども。
最近、小学生時代の友人と話をする機会があったのですが、興味深いことを語っていました。この友人、木材関係の仕事をしており、全国各地を飛び回っています。先日、会った時も既に顔は真っ黒。聞けば、仕事の関係で外を回っていることが多かったとのこと。今は紫外線が強くなってきているよとのこと。 そんな彼曰く 「植林用に植えられた木は常に人間の手を入れないと駄目になる」とのこと。話を聞いてみると
「天然の林と違い、植林した林は放置しておくとお互いの木が大きくなる。そうなると、いつの間にか太陽光線を遮るようになり成長が止まる。成長が止まれば木は腐り、林が成り立たなくなる。適度な時期に間引きをしたり、枝葉を刈ったりしながらどの木にも万遍なく太陽が当たり、水分が行き渡るようにしなければ数十年後に商品として木材が出荷できなくなる。」
彼は言いました。 「結局、一度人間が自然に対して何かを行えば、常に人間が世話しないといけない。これは宿命だよな。人間が手を加えた林は最後まで人間が手を加え続けないといけないんだよ。これって人間の口の中とよく似ているよな?」
「口の中の歯っていうのは、人間そのものだろう。歯が生えてくることは誰も意識はしないけど、常に歯のことは意識し、清潔にしようとしているじゃない。中には何もしない奴もいるかもしれないけど、身だしなみの一つとして歯を大切にすることは最早常識に近いものがある。歯を大切にすることは死ぬまで続くことだろう?」
「歯って人間が手を加えた林みたいなものだよ。いつも気をつけて管理しておかないと、虫歯や歯周病になってしまうだろう?そうさんがいつも言っているじゃないか、『歯の健康維持には毎日の歯磨きと定期検診が欠かせないって。』俺は自分の仕事を考えれば非常によく理解できる。だからこそ、いつも歯を磨いているし、定期検診にもまめに通っているだろう?」
木材関係の仕事をしている友人独特の視点による話ですが、専門家が語る言葉には示唆に富むものがあります。人が手を加えた林の話と歯の健康維持に話を結びつける話は多少無理があるかもしれませんが、彼の言わんとしていることはよくわかりました。実にユニークな視点ですし、僕自身、非常に勉強になる異業種の人との会話でした。
2009年05月12日(火) |
反省 僕は勉強していませんでした |
何とか体調が元に戻ろうとしていた先週末、僕は思い切って自室の整理整頓を行いました。日頃放置しっぱなしにしている自室。少しでも整理しておかないと思いながらも普段は時間が無いということを言い訳に長期にわたり何も整理しませんでした。 さすがにこれではダメだと思い、整理したのですが、いざ整理をしようとするとなかなか全て整理することができません。古い書籍や資料などは思い切って全て捨ててしまえばいいのでしょうが、中には思い出の品があったり今後とも使用する可能性がある文献があったりし、遅々として整理が進まないのです。日頃の怠慢のせいだといえ、まだ整理しきれずに今週末にも整理をすることになってしまいました。
さて、本棚の整理をしていると、僕が某歯科大学学生時代に使用した教科書、ノート類が出てきました。今から20年以上前の教科書。内容は古いものが多いのですが、青春の思い出の一ページということでちょくちょく中身を見て行きました。そんなことをするから遅々として整理が進まないと突っ込まれればそこまでなのですが・・・。
あるノートめくっていた時、僕は思わず驚きました。そこには入れ歯に関する重要な決まりごとが書いてありました。この決まりごと、僕は知っていましたが、実際に知ったのは数年前だと思い込んでいました。あるセミナーに参加した際、某講師の先生が説明していた報告の中にこの決まりごとがあり、目から鱗が落ちるような気分でメモを取りました。この決まりごとを知ったおかげで、普段の仕事に何かと役に立つ結果となったのですが、この決まりごとが実際は学生時代の講義で触れられていたことがわかったのです。僕の自筆で過去に筆記していた講義録にきちんと書いてあったのです。 自分が数年前に初めて知ったと思っていた決まりごとが実は学生時代に講義で習っていた。そのことを完璧に忘れていたのです。実にいい加減に講義を聞いていたかを証明するようなものです。どうしてこのような大切な決まりごとを学生時代に覚えておかなかったのだろう。もし、覚えておけばその後の歯医者としてもっと優れた治療ができていたかもしれないのに。
思い起こせば、学生時代は真剣に講義を聞いていなかったように思います。自分ではそれなりに聞いていたつもりだった講義ですが、実際は“こんなこと覚えていても仕方がない”、とか“いつでも覚えることができる”、“こんなこと当たり前じゃないか”と思ったりしていました。随分となめた態度で講義を受講していた自分が恥ずかしくてなりません。
今は後輩の学生を講義する立場となり、余計にこれまで自分が学んできたことの大切さを痛切に感じます。学生時代、山のような内容の講義を全て身につけることは無理だったかもしれませんが、それにしても講義で触れていた、非常に大切なことまで知らなかったとは言い訳にもなりません。自分の過去の不勉強さを今更ながら後悔した、歯医者そうさんでした。
2009年05月11日(月) |
歯ブラシの交換時期について |
最近、患者さんから多く質問を受けることの一つに歯ブラシのことがあります。質問をするということは質問者が質問内容について何らかの関心があってのこと。歯ブラシに関する質問が多いということは、歯ブラシや歯磨きに注目している人が多いということでしょう。歯医者にとっては非常に好ましいことだと思います。歯医者といえば、痛くなったら通うというイメージが強いわけですが、歯ブラシに関心を持ち、質問する患者さんというのは、歯や口の中の健康維持に関心があり、実践しようという気持ちを持っている表れだからです。
中でも質問が多かったのは歯ブラシの交換時期についてです。この質問は何度か歯医者さんの一服日記で書いてきたことではありますが、何度書いてもいいことだと思いますので、今回も書いてみたいと思います。 基本的に歯ブラシの交換時期は歯ブラシの毛の状態を見て欲しいと思います。毛が柄からはみ出したり、広がったりしている場合は交換時期だといえるでしょう。歯ブラシは毛が命です。毛の弾力性によって歯の表面にこびりついた汚れ、特に歯垢を落とすのです。歯ブラシの毛が広がっていると毛の弾力性が歯に伝わらず、清掃効果が落ちます。また、歯肉を徒に傷つける可能性もあり、本来の歯ブラシの目的が果たせなくなる可能性があります。 歯ブラシの毛と毛の間に食べかすが溜まっているような状態は避けましょう。不潔極まりないからです。よく歯ブラシの毛と毛の間に食べかすが入っていて放置している人がいるようですが、もし食べかすが残っているようならピンセットや糸ようじ、歯間ブラシなどを用いてこれら食べかすは取り除きましょう。どうしても取れない場合や固まっているような歯ブラシは、即交換しましょう。
何も問題がないように見える歯ブラシでも月に1回は交換するようにしましょう。 理由は単純です。毎日歯ブラシを使用していると、目に見えない汚れ、雑菌が毛に付着し、不潔になるからです。 もったいないように思われる方もいるかもしれませんが、歯ブラシの値段は高くても300円以内。一ヶ月に300円以内の出費を高いと考えるかどうかはその人の価値観により異なるかもしれませんが、歯ブラシによって得られる健康を考えれば、僕は決して高くない、むしろ安すぎる投資ではないかと思います。 これは電動歯ブラシや超音波歯ブラシの毛についても言えます。ただし、これら歯ブラシの毛については交換キットが高くなります。僕がこれら歯ブラシを勧めない理由の一つがここにあります。コストパフォーマンスが通常の歯ブラシに比べ高くなってしまうからですね。電動歯ブラシや超音波歯ブラシそのものは非常に良いものだとは思いますが、毎日使うものですから、日常のコストパフォーマンスや普通の歯ブラシと能力がそれほど変わりません。僕は、体の不自由さを補うような目的などが無い限り、患者さんには電動歯ブラシや超音波歯ブラシは勧めることは少ないですね。
歯ブラシの消毒は必要なのか?と思われる方も必要かもしれませんが、毛の材質を考えると、1ヶ月に1度の歯ブラシの交換ができれば、消毒は必要ないと考えます。歯を磨いた後、流水下で充分に汚れを取り、日陰で乾燥させるだけで充分でしょう。 ただ、よく歯ブラシのケースに入れて保存する方がいますが、これは正直言ってよくありません。雑菌を繁殖させる温床となるからです。旅行や移動などで持ち歩く場合でも、極力ケースから出して乾燥させるように気を配りたいものです。
2009年05月08日(金) |
人が変わるのは難しいなあ |
先々週、僕はある会合に参加したのですが、その会合の冒頭にある方がこのようなことを言われていました。
『人が変わるには3つのことを考えればよい。時間配分を変えることと付き合う人を変えること、そして、住む場所変えることである。』
聞いていて確かにそうかもしれないと感じました。
人は自分の時間配分というものを知らず知らず持っています。何か物事をするにしてもゆっくりとしないと気が済まない人、絶えず動かないと落ち着かない人がいるもの。おそらく人は育ってきた環境、教育、経験、そして遺伝などにより自ずと自分にとって心地よい時間配分を持っているのだろうと思います。他人から時間配分のことを指摘されると、非常にうっとおしく感じる人は少なくないはずです。
付き合う人を変えるというのも頷けます。 類は友を呼ぶと言います。自分の周囲の人を見てみれば、やはり自分に相当する人と相対していることがわかるような気がします。自分で意識していなくても、自分と付き合っている人は自分と肌が合う、価値観が同じ人と付き合っているのは不思議な感がします。 また、仕事をしていると自ずと同じ業界の人と付き合わざるをえません。業界には業界の雰囲気というものがあります。業界を知らない人から見れば中に入り込めない独特の雰囲気ってあるものです。朱に交われば赤くなるではありませんが、業界の中で働いていると、自ずと業界の色に染まることってあると思うのです。 そういった付き合う人を変えるということは、大変大きな変化であり、これまで歩んできた人生を新たな局面に向かい入れるチャレンジの一種とも言えるでしょう。
住む場所を変える。これは実に大きな変化でしょう。僕も引越しを2度経験しましたのでよくわかりますが、引越しによって日常生活は一変します。自分が住み慣れていた場所を離れれば、近所の人も変わります。その地方の習慣、風習、気候も異なるでしょう。自ずと自分を変えざるをえない状況に追い込まれるはず。
これらに共通していることは、人って変わるのは難しいことなのだなあということです。時間配分も付き合っている人も住む場所も変わるにはそれ相当のエネルギーが必要だからです。
例えば、仕事の都合で転勤、移動、引越しをせざるをえない場合、自分の好き嫌いに関係なく住む場所が変わるわけですが、これなどはその人の人生に相当のエネルギーが必要ですし、ストレスを与えていることは確かだと思います。ストレスをストレスと感じるか感じないかは人それぞれでしょうが、長い人生を振り返れば、引越しによって生活が一変するのは確かなことです。生活が変われば人が変わらざるをえないものでしょう。
僕自身のことを考えると、自分が変わるということは・・・。今のところ、非常に困難ですね。どうしても自分の居心地の良い、楽な方向で生活をしたいという気持ちが満載なものですから。自分の生活には自分なりのリズムができており、それを変えるのは難しいですねえ。僕の実感です。
2009年05月07日(木) |
ママ友の噂話はスルーするのがちょうどいい |
久しぶりの日記更新です。ご無沙汰しております。皆さんは今回の連休如何お過ごしだったでしょうか?当方はほとんど家でじっとしておりました。連休前から体調を崩していたからです。連休前にひいた風邪ですが、年のせいか治りが遅く、鼻水が出たり、倦怠感が続いたりしておりました。ほとんど家族サービスらしいことをすることができず、心苦しいところもありましたが、体が資本の四十路男には今回の連休、結構貴重な体調回復期間でありました。
さて、そんな連休に我が家には来客がありました。従妹が我が家を訪れ、お茶をしていったのですが、従妹の悩み話を聞いてしまいました。その悩みとはママ友との付き合い。 現在、従妹は二人の子供がいて、上の子供が幼稚園の年中生の女の子。元気に幼稚園に通っているのだそうですが、この子が幼稚園ではやんちゃで教室の中で仕切るくらいの元気さなのだとか。その様子を伝え聞いた従妹のママ友が幼稚園での噂を従妹に言ったといううのです。
「○○ちゃん(従妹の子供の名前)、幼稚園の中では相当な噂があるらしいよ。」 従妹が事の真意を確かめたところ、 「そんなこと私の口から言えない!」
何と陰湿な言葉なのでしょう。従妹はこのママ友の言葉に憤慨すると同時に非常にママ友との付き合いをどのようにすればいいのか、悩んでいるというのです。僕が聞いていても相当な意図があるような受け応えです。明らかに従妹に対して快く思っていないママ友であることは明白。
幼稚園や保育園に通わせるお母さん同士の付き合いにはこの手の悩みが少なくありません。僕自身、過去に某幼稚園のPTA活動に携わっていた経験から言っても、ママ友の付き合いの難しさはよく理解できます。僕は従妹に対し、あることを言いました。
「幼稚園で広まっている噂というのは見事に嘘ばかりだよ。」
驚いた従妹に僕は言葉を続けました。
「かつて、僕はPTAで聞いた幼稚園の噂を全て検証したことがあったの。全部で数十ぐらいあったかな。全部裏を取ったのだけど、ものの見事に全部の噂が真実じゃなかった。その経験から言えることだけども、ママ友は本来の話を読み違えたり、聞き違えたり、理解が間違っていることは日常茶飯事。しかも、その話を勝手に解釈したり、意図的に話の一部を変えたりするのよ。その噂が伝わるといつの間にか噂に尾びれ、背びれが付き、いつの間にかとんでもない話に発展していくの。結果、さも本当の話のように噂が定着していくのよ。ママ友同士の付き合いが良好であればいいんだけど、何らかの感情的なしこりがあれば、さらに噂が変質する。」
「ママ友は、これら噂が本当かどうか信頼できるところから裏を取ることがまず無い。だから僕は噂を全て徹底検証したことがあったんだけど、見事に本当の話からずれていたものばかりだったよ。ということは、ママ友同士で伝わる話は信用できないってこと。もちろん、ママ友同士の話は付き合い上、聞かないといけないだろうとはおもうけど、馬耳東風でいいのよ。スルーしちゃってちょうど良い。そう思えば、ママ友の話は気楽に聞けると思うよ。」
子供が幼稚園に通っている間、付き合うことになるママ友。付き合っているうちにいろいろと嫌な所が見えてきたりするもので、噂話はさらにそんな状況に悪影響を与えるのでしょう。いちいちそんな噂話に付き合っていると精神的にこたえます。従妹には付かず離れず程度のママ友付き合いで、何とか子供と一緒に幼稚園での生活を過ごしていって欲しいものです。
風邪が治りきらず四苦八苦の歯医者そうさんです。体の倦怠感は落ち着いたのですが、昨日は鼻と咽喉がつらかったです。
鼻に関しては粘膜が痛いなあと思いながらマスクを装着し、診療をしておりました。マスク装着後、鼻の粘膜が落ち着いてきたかなあと思いきや、今度は鼻水が止まりません。患者さんの治療が終わる度にティッシュで鼻をかむことを繰り返しておりました。ただ、診療中はさすがに鼻をかむことはできません。マスクの下では鼻水が出てくるは、鼻から息ができず、口で息をしていたのですが、途中で息苦しくなる始末。おかげで見事な鼻声となり、スタッフや患者さんからは 「先生、風邪をひかれたのですか?」 と、言われておりました。
せめて患者さんやスタッフには風邪をうつさないよう、診療の合間にうがいもしておりました。
何とか早く風邪を治さないといけませんね。今週の診療も今日と明日の2日。何とか乗り切りたいものです。
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