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フランス土産で家族や友人からウケないマカロン。わたし自身も貰ったら食べるというくらい、自分では買わない食べ物だった。ところがある日、料理好き家族のディナーに招かれ、彼らが食後にカフェと一緒に出してくれたお手製の抹茶のマカロンがすごく美味しくて(旦那さんは元パティシエという経歴)、マカロンという食べ物を見直すきっかけになった。何度か自分で買って食べていくうちに、そのサイズ感や砂糖を練ったようなところが和菓子に通づるように感じられてきた。和菓子の口の中にまとわりつくような甘さを苦味の濃いお茶と合わせるとそのコンビネーションは絶妙だ。マカロンもカフェ(フランスでカフェとだけ言えば渡されるのは濃いエスプレッソ)と合わせると絶妙なのだ。息子に一人前にパティスリーでお菓子を自分で選ばせるようになったばかりの頃、“どれがいい?”と聞くと、小さなマカロンを指差したのだ。もっと大きなケーキやタルトに目もくれず真っすぐそれを指差す。小さな子でもひとくちで食べられそうなサイズが2.9ユーロ。あれをひと口で平らげてママのもちょうだいと言われたら嫌だなぁと思って、
「もう少し大きなケーキとかにしたら?」
と言ってみるも、息子は絶対あれだという。仕方なくそのマカロンを購入して手渡すと、彼は蛇のようにそれをたったひと口で呑み込んだのだった。うわぁ、2.9ユーロ呑み込まれたよ、とただ呆然と見守っていたのだが、その日以来、息子はますますマカロンの虜になっていくのだった。だからわたしもどこに行っても息子に買っていこうかとついマカロンのショーケースを覗くようになり、そのうち息子と一緒に作ったりするようにもなり、我が家にはマカロンがよく顔を出すようになった。
学校帰り、息子が橋の上でいつもある女の子を待っている。待ってる癖に、その子が来ると、いかにも偶然にような顔をして無視したりするから可笑しい。その子がすっかり遠ざかってから大声で名前を呼びあったりしてる。ブロンドで青い目でベイビーピンクとクリーム色のよく似合う可愛らしい女の子。息子になんでそんなにあの子が好きなの?と尋ねたらとても素敵な答えが返ってきた。
「笑った顔がかわいいの」
学校の授業で映画館でトトロを見てきた息子なのだが、わたしが
「今日、トトロ見たんでしょ?」
と聞いたら、
「Non!Toto R o」
とRがフランス語のRになっていて、息子はめきめきフランス人になっているのだと思い知らされた瞬間だった。
母とLINEで他愛ない会話をしながらつくづく思う。子供を産んでよかった。子供を産んではじめて母について理解したり発見したことは本当に多い。
子供の頃、母がきれい好きだとは思ったことがなかった。ティーネイジャーになってからは家が散らかっていることに苛立ったこともあった。それが高校卒業したらすぐに実家を出ると決めた理由のひとつでもあった。進学先はかなりお金のかかる学校だったけど、その学費と教材費、実家から通えるのに勝手に借りたアパートのお金も何も言わず払ってくれた。
子供の玩具があちこちに散らかってて、そこについた埃を払い、汚れを拭き取り、棚に戻す。やってもやってもすぐに散らかって汚れる家。そしてまた母のことを思う。本当は母はきれい好きだったのだ。だけどこうやって一向にきれいにならなかったに違いない。昨年両親だけになった実家に帰ったら本当にきれいになってた。洗濯ものもハンガーにぱりっと形を整えられてかけられて、ブティックのようにきれいにたたまれてしまわれてた。母は本のひとつも読まない人だと思ってたのに、メガネをかけて新聞を読んでいた。本当は母はずっとこうしてたかったんだ。でも子育てと仕事に追われてて、出来なかったのだろう。わたしも家も育児も理想はあっても半分くらいしかやれてない。でもだからそうしてやっと母のことが理解できたのだ。
近くにいた時はこんな頻繁に思い出さなかったけど、今フランスで自分が母という役割をたどることになり、毎日母のことを思い出してる。