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2022年06月15日(水) |
5年ぶりの家族と母国 |
5年ぶりの日本。大行列ができててもチェックインカウンターがたった2つしか開かず、8割のフライトが遅延というニースの空港を後にして半日、降り立った羽田空港では、5メートルおきくらいに人が配置されていて、しゃきしゃきと自分の仕事をこなす日本人の姿が。うわぁ、日本だ!コロナの検査だのアプリのチェックだのあれこれと済ませて、無事にスーツケースをピックアップして空港から出た時は心底ほっとした。遠かったな、今回の日本。ロクちゃんのパスポート、コロナの検査やそれに関する書類のこと、ロクちゃんとのフライト、そこに戦争勃発してややこしいことになって・・・これで羽田で陽性になるとか、スーツケース紛失とかなったらなんて悪い想像もして、あれこれと心配で出発前にストレスで倒れそうだった。全てうまくいった。達成感で胸がいっぱいだった。空港でどれくらい時間がかかるかわからなかったから(結局2時間ほどで出られた)、到着したその夜は空港の近くに宿をとっていた。宿に荷を下ろしたらロクちゃんとセブンイレブンに行った。23時に食べ物を買えるなんて、フランスではまずない。ロクちゃんは2つのクリームが挟まったシュークリームと草餅、昆布のおにぎりを熱狂的に食べてた。こういうぺとっと柔らかいロクちゃんのほっぺのようなシューはフランスで見なかった。これが158円はすごい。毎日でも食べたいくらい美味しい。
翌朝、羽田空港で迷いながら、さっとワンコインランチを食べて仕事にでかけようというようなスーツ姿の人々に混じってロクちゃんともたもた天丼と蕎麦のセットを食べた。子供を見ればすぐに子ども用の食器を一緒に持ってきてくれる日本のサービス精神に感激。揚げ物恋しかったな。ロクちゃんは蕎麦がお気に入り。手づかみでちゅるちゅる食べてた。
午後、ついに家族と再会。横になって泣いてるだけの赤ちゃんだった姪っ子ちゃんが、きちんと会話が成り立つようになってた。実家に戻ってほっとしたのも束の間、今度はロクちゃんが愚図りはじめた。新しい場所は平気でも人見知りはかなりあるらしい。突然現れた見慣れぬ人々と寝食を共にするのがストレスだったんだろう、それから3日間わたしにぴったりひっついて泣いてばかりいた。ところが4日目、突然ひとりで遊びはじめて、姪っ子ちゃんと布団の上でじゃれ合い、ジージやバーバに抱っこされながら笑うようになった。母がわたしが食べたいと言ったものをあれこれ拵えてくれた。ロクちゃんは味噌汁が相当気に入って、それでお腹を満たしてしまって、あまり他のものは食べず、体重が減った。
朝、布団の中でロクちゃんと姪っ子ちゃんがYoutubeでうさまるを見る。それから朝食。パン派の純日本人の姪っ子ちゃんはジャムサンドとサラダを、その横で納豆ご飯と味噌汁を掻き込むフランス生まれのロクちゃんがなんだか面白かった。夜にバーバが布団を敷くとその上でふたりで大暴れ。ママと違って家事が忙しいなんて言わない姪っ子ちゃんはロクちゃんにとって最高の遊び相手となった。
叔父の営む寿司屋はちょうどわたしの帰国のタイミングでたたむこととなった。わたしが生まれた年に開店したというのだから、実に46年。どれだけの個人経営の店がこんな長期に渡って繁盛し続けることができるだろうか。開店以来46年メニューも何一つ変えずやり続けたという一途さ(頑固さともいう)、叔父と叔母の人柄と勤勉さと才能に改めて感服。みんなで集まって、おつかれさまの会。用意してた花束をあげた。
ずっとテレビの前のカウチに張り付いてた父が立ち上がった瞬間ひどく痩せたことに気付いた。
「なんか痩せない?ダイエットでもした?」
と何気なく聞いて、その答えに面食らった。
「だって胃全部取り除いちゃったからね」
わたしがロクちゃんを出産する頃、胃癌が見つかったのだという。心配させたくないからとわたしには内緒。体に悪いことしかしてない父が健康で70才超えてるのが逆に不思議なくらいだったから、病気発覚についてはさほど驚かなかったが、この後母から聞いた話は衝撃的だった。
「わたしのほうが心配で食欲なくなって5kg痩せたというのに、本人はけろりとしててさぁ、胃切り取って、すぐに酒飲んで、しかも手術した当日の夜、病院に泊まるのが嫌で、3時間歩いて家に帰ってきちゃったんだよ。で、その後月に一回一年に渡って抗癌剤治療してたんだけど、抗癌剤投与してすぐにまた酒飲んで、髪が抜けるでも気持ち悪いでもなんでもなく普通に食べてさぁ・・・抗癌剤がよく効いて一応治ったらしい」
なんにでも塩や醤油をどばどばかけて、酒浸り、そりゃ胃癌になるわなというような食生活だったが、胃を切り取ってからも何も変わってなかった。以前は口出ししてた母も、本人が好きなようにして死ぬなら言うことなしと諦めたようだ。ただ少しだけ母の言うことを聞くようになり、家事を手伝ったりして、おやつの時間にカフェを淹れてくれたりとか以前の父からは想像できないようなことをやるようになったらしい。父の友人達は、
「あんな怪物は100才くらいまで生きるだろう」
と言ったらしい。父方の祖母も100才で大往生だったから、それもあるだろう。母の心労のほうが心配なのだった。
小さな子供を連れて帰った日本は見知ったもののようには行かなかった。妹と姪っ子ちゃんと東京へ出かけたものの、オムツだのおしっこだの歩き疲れただのやってて、結局東京駅から出ることなく、駅ナカでお土産を買って引き返した。みはしが東京駅の中にあるのはよかった。
行動の自由がきかない分、実家で思いっきり好きなものを食べた。焼き芋なんて毎日食べてたな。ロクちゃんも朝昼晩と味噌汁飲んだ。羽田空港でまた家族とお別れ。イスタンブールまで13時間のフライトは、幸いにもターキッシュエアラインズのアテンダントがベッドを用意してくれて、ロクちゃんがその中でほぼずっと眠っていてくれたので、わたしはバッグの中に忍ばせてたカステラを出して、カフェをもらって一本映画を観ることができた。"House of Gucci"。面白い!決して待つオンナじゃなくて、行動あるのみ、時にはプライドすら捨てて男に泣きすがるガガがいい。それも最後は行き過ぎちゃったけど。
ニースの空港では、うすうす想像した通り、ベビーカーが変なレーンに捨てられたように佇んでるのをロクちゃんの手を引いて探し回った挙げ句発見した。羽田空港では飛行機降りたらそこでベビーカーピックアップできるように手配してくれたということだったけど、やっぱりニースだもの、そんなことは期待できなかった。出口でリュカと再会。梅雨の日本とはうってかわってこちらはからりとした夏。もう誰もマスクをしてない。リュカママがわたしがもう帰ってきたくないんじゃないかと心配してたらしい。いやいや、帰ってきたかった。両親の家はもう勝手がわからない他人の家と同じで、わたしはそこでは旅行者だった。場所はどこであれ、自分で選んだものがある所が"HOME"だもの。外にどんな楽しい場所があろうとも、クロちゃんとリュカとロクちゃんが脇にいる自分の寝床ほど安眠できる場所はない。