My life as a cat
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2018年03月31日(土) Fontan-Saorge(Fontan)

パック(Pâques)の連休は小さな村を訪れてゆっくり過ごそうという計画。早起きして電車に乗りFontan-Saorgeの駅に降り立った。その名の通りフォンタンとサルジュの間にある駅でどちらの村にも徒歩でアクセスできる。つい先日サルジュを訪れてこの小さな村がひどく気に入り、仕事で一緒に来られなかったリュカにも見せたかった。そして近くにあるのに車で通り過ぎただけのフォンタンの町を歩いてみたかった。駅を背に左手に道なりに歩けば5分ほどでフォンタンの中心部に到着する。

ロヤ川。釣りをしてる人がいるけど、何が釣れるのか。こちらでは自然生体系の管理のためか、釣りは役所の許可を取らないとできない。




小さなフォンタンの町が見えてくる。



町の中心。といっても100mくらいのストリート。ここに郵便局、市役所、レストラン、バル、ブルーランジェリー、ホテルと固まっている。



車で通りかかって非常に気になったパン屋さん。子供の頃絵本の中に広がっていた世界がここにあり。この動物パンはここのオーナーさんが作っていて、飾ってるだけじゃなくて、オーダーすれば購入もできるらしい。ゲストを食事に招く時なんかにいいね。レモンのマフィンを購入した。うーん、これわたしが子供の頃母が作ってくれたバターと小麦粉と砂糖と卵の材料4つのマドレーヌにレモンをプラスしたような味。美味しいわぁ。









この辺り一帯に沢山残っているフォンテン。中世、馬と人の水飲み場だったとか。今ではサイクリストやキャンパーの水汲み場となっている。



19世紀に撮影された写真があちこちに飾られている。検問所。何を調べているのか。酒?たばこ?



写真の建物は今は宿になっている。






教会の前の噴水。1836年。






ロヤ川にかけた新しい橋の前で記念撮影したのか。






歩いてサルジュへ向かう。フォンタンの町からだと30分弱。山の美味しい空気を吸いながらゆっくり向かう。

2018年03月30日(金) それぞれの思い

知人のお母さんが亡くなった。94歳だった。数週間前に歩けなくなり、子供がパリへ出向いて面倒を見ていたが、やがてこちらの病院に移された。夜な夜なリュカから彼女の話を聞いていた。歩けないこと以外には特に悪いところはないから食事はちゃんと出来る。リハビリに励めば元通りに歩けるようになると信じたい子友達。しかし、彼女はもう歩くのが辛い。リハビリ2日目、数歩歩いて泣き出してしまった。祈るような家族の気持ちともうほとほと生きていることに疲れたお母さんの気持ちがひしひしと伝わってきて胸が締め付けられた。その二日後、朝食にビスケットとコーヒーを摂った後、老女は椅子に腰かけて、ひとりでひっそり眠るように息をひきとった。″眠るように″という言葉を聞いて他人事ながら安堵した。

わたしの祖父母である母の両親は痛んで痛んで苦しい顔で死んでいった。父方の祖母は先月病院で100歳を迎えた。こちらも歩けないこと以外は不具合がなく、病院で毎日食事やおやつを食べて暮らしている。100歳、すごいじゃない、という孫のテンションとは裏腹に当人は″いつになったら迎えがくるんだ″と待ちわびているらしい。食糧難も戦争も高度経済成長も経験してる。100年の人生何があったの?そう聞き出したくなる頃には当人はもうほとんど覚えていない。

両親ももうそう若くないのにわたしはこんな遠くに来てしまった。ベンチに座ってバスを待っていたら小中学生4人の子供と母親が激しく口論しながら通りかかった。内容はわからないが、子供は反抗期のような年頃。あぁいえばこういう、口ばかり達者でひとつも親に対する尊敬の念はない。わたしだってこのくらいの年の時は両親の愛情のありがたみなんて知ることはなかった。″自分が子供を持って初めて両親のありがたみが解った″という話はよく聞く。わたしには子供はいないが、それでも両親の背中がどんどん縮こまって小さくなるにつれて、一生懸命働いて自分を育ててくれたという感謝の気持ちが沸いた。若くして親を亡くしてしまう人もいる。ちゃんと親のありがたみに気付く年になるまで両親とも健康で生きていてくれてよかった。だからわたしは二度とやり直せないことを後悔したりせずに済んだ。


2018年03月26日(月) 西洋たんぽぽの記



春の山菜狩りに出かけた。アスパラガス、ワラビ、ウォーター・クレソン、筍、蕗の薹なんかを期待していたのだが、まったくもって見つからない。季節が早すぎるのか、そもそもこのカラリとした地中海性気候の山では難しいのか。しかし、散歩の途中で犬が白トリュフを掘り出したという人もいるくらいで、この辺りの山には知らないだけであれこれありそうな気がする。ノビルらしきものを見つけた。一本持ち帰ってじっくり調べてみたのだが、タマスダレはたまた水仙と見分けがつかない。そのうち花が咲けば真相はわかるだろうと食すのは諦めた。唯一見つけた花がちらほら開き始めたばかりの西洋タンポポを採ってきた。根ごと掘り出したので、えらい時間とエネルギーを費やした。静かな午後、どこからか現れた猫達に見守られながら泥んこにになってたんぽぽを掘り出すのは悪くなかった。

この赤毛の猫はなぜか一目でわたしを好きになってくれた。今でもそこへ行くとすぐにどこかからすっと姿を現して足に頬ずりする。










<西洋たんぽぽの葉>
フランス語ではたんぽぽは″Pissenlit(ピッソンリ)″と言うらしい。なんともフランス語らしいちょっとマヌケな響きの名前。と、日本語の″たんぽぽ″のも外国人からしたら同じようなものらしい。リュカが″たんぽこ″と呼んでいるのを聞いて吹き出した。フランス人は春になるとこの若葉を生で食べるらしい。庭自慢の図書館のクリスティーヌに聞いてみた。

「花が開く前の若葉はサラダにして、花が開いて葉が硬くなってきたらオムレツかな」

まずはサラダ、と一枚齧ってみたがどう味わっても雑草味。苦味が強いわけではないが、ルッコラみたいな美味さもない。クリスティーヌの庭のたんぽぽってもしかして食用に栽培される種で本当に野っぱらで摘んだものとは味が違うのかもしれない。結局さっと湯通しして食べた。一品目はラビオリ。潰したポテトと小さく刻んだたんぽぽの葉、パルミジャーノを具にして、たたんぽぽの葉とにんにく、オリーブオイルでペストにしたソースをかける。感想は美味くはないが食べられなくもないといったところ。二品目はサグ・パニール風カレー。これも感想は一品目と同じ。ほうれん草風に使ってみたがやっぱりどこか雑草味。


<西洋たんぽぽの根>
根っこごと頑張って抜いてきたのはたんぽぽコーヒーを飲むため。けっこう深く根付いているのでこれはなかなか大変だった。更に大変なのはこの根っこの土を落としてきれいに洗う作業。枝分かれしていてうまくできない。なんとかブラシでゴシゴシやって小さく切り刻んで更に水洗いして一日日干しした。ただひとつ言えることはここで多少の土が残ってしまっていても、コーヒーはフィルターを通すので口の中でじゃりっといったりすることはないので、そこまで神経質にならなくてもいいということ。日干ししたら10分程炒る。ミルで砕いたら更に好きな加減まで炒る。わたしはコーヒー専用のミルを持ってないのでフード・プロセッサで頑張った。きれいに砕ききれなかったが、なんとか飲めそうな雰囲気になった。ビアレッティのエスプレッソ・メーカーで普通に抽出。あぁ、これは美味しい。リュカは不味いと言っていた。チコリ・コーヒーみたいな感じで好き嫌いが別れる味なのかもしれない。ノン・カフェインでデトックス効果が期待できるとBIOのお店なんかで高額で売られている。この手間暇分高くなるのが納得のいく飲み物である。






<西洋たんぽぽの花>
いちばんのハイライトはこの花のコンフィチュール。フランスでは知る人ぞ知る″Confiture de fleurs de pissenlits" である。






レシピ(300〜500ml分のコンフィチュール)

●たんぽぽの花 200個
●砂糖 500g
●オレンジ 1個
●レモン 1個
●水 600ml

1.たんぽぽの花は緑色の部分を外して花びらだけ取る(この作業は大変)。これを数時間日干しする

2.鍋にたんぽぽの花びら、小さく切ったオレンジとレモン、水を入れて40分ほど中弱火で煮だす

3.濾す。手でぎゅっと最後まで絞ること。

4.濾した液を鍋に戻し、砂糖を加えて中弱火で煮込む。カラメルのように焦がさないように注意。泡が立ち始めたところで止めるとハチミツくらいの固さに、それ以前だとメープルシロップのような使い方ができるので好みで煮詰める。

これはもう作り始めた時からキッチンに良い予感のする香りが漂いはじめる。そして完成したコンフィチュールは絶品。ハチミツにハーブとフルーツを漬け込んだような味だ。



たんぽぽはどこにでも生えているものの、動物が簡単にアクセスできないようなところに生えているものが好ましい。だがそういうところは人間も簡単にはアクセスできない。想像よりはるかに大変だった。でも、山を練り歩き、山菜を摘み、それを食して冬の間に蓄積された毒素を排出するのは春の正しい過ごし方といえよう。

2018年03月17日(土) Saorge




ラ・ブリギュから家に向かう道すがらイタリアとの国境すれすれにある人口たった444人のサルジュ(Saorge)という村に立ち寄った。国道から見上げるこの村の佇まいに声をあげない人はいない。無骨に切り立った岩の斜面に必死でしがみついてるような様相の小さな村。地震などきたらひとたまりもないだろう、と日本人なら誰もが想像してしまうのではないか。村の中は石段とトンネルの小路ばかりなので車は通れない。村の入り口に車を停める。



″Super medieval!!!"

村に足を踏み入れるや否やスパニッシュ・ボーイズが声をあげる。1世紀から人が住みついたこの村は15世紀に大火事で大方焼けてしまい、その後改新も含めて再建された。そして恐らくそれ以来変わっていないのだろう。デコボコの石の小路、平衡感覚を失ってしまいそうな傾いた家、入口が暗い洞窟みたいなトンネルの中にある家、村全体がブロカントのようだ。おとぎ話の中に紛れ込んだような気になる。



良い匂いに釣られてそのまま入ったイタリアン・レストランでランチを摂る。オフ・シーズンで他に客はいない。3人ともPlat du jourにする。すぐにオリーブ、サラミとグリッシーニを持ってきてくれる。みんな腹ペコでお通しを貪っているとすぐにヒッピー風の女主人が前菜を運んでくれた。メニューをよく読まなかったせいで前菜がでてくるとは知らなかったので素敵なサプライズだった。

「このチーズに巻かれたサラミはね、この辺りの古い食べ物なのよ。第二次世界大戦中に村が占領された時、肉は全部取り上げられたの。だからこの村の人々は見つからないようにチーズの中にこうやって肉を隠して保存したのね」

なんと逞しいこと。この岩の斜面に必死でしがみついているような村の様相とそこに暮らす人々のイメージがぴったりと重なる。わたし達はほぉ、ほぉ、とひたすら感心しながら女主人の話を聞いた。1世紀、この村に最初に住み着いたのはリグリア(現在:イタリア)の部族。それからサヴォイ、ピエモンテ・サルディーニャに属し、19世紀についにフランスに属すようになる。よって第二次世界大戦中ここはフランスで、村を占領したのはドイツ軍だ。戦後1970年代にはヒッピーが多く住み着くようになり、政治的にもかなり左に偏った村となる。

3人中2人は肉は食べないのだが、ここでそんなことは言わないほうがいいだろうと無言で目配せして、フォークとナイフを持ちわっしわっしと平らげた。メインはナスとパルミジャーノのトマト・ソース。これは自分で作ったやつのほうが美味しいと思った。デザートはティラミス。すごくリキュールの利いたユニークな味と食感だった。カフェを摂って、最後にリモン・チェロを出してくれた。これで一人20ユーロ弱。悪くない。大満足でレストランを後にした。





村を練り歩く。石が敷き詰められた小路は歩きにくくその上坂が多いのでちょっと歩くだけで良い運動になる。



いいね!(親指)



自分が傾いてるのか家が傾いてるのかわからなくなる。



こんな暗い洞窟のようなトンネルが通路となっている。



今日の相棒のスパニッシュ・ボーイズを思わせる猫。片方は遊ぼうよ、遊ぼうよ、と誘うのだが、片方はシエスタしたまま動けない・・・そっくりだ。



オリーブの木に混じって歴史の浅さを思わせる細い桜があちこちで開花し始めている。1週間後に訪れたらより一層綺麗だっただろう。




2018年03月16日(金) Notre Dame des Fontaines

ラ・ブリギュ(La Brigue)のノートル・ダム・デ・フォンテーヌ(Notre Dame des Fontaines)を見てきた。とにかく教会を見るのが大好きな(でも無神論者)スペインからのツーリストのうちの一人が、

「絶対に見たい!君も絶対見といたほうがいい」

と言うので同行した。″絶対に見たい″と言う割にはやっぱり直前にならないと動かない無計画ぶりで、先週の金曜日に見る予定だったのを前日の夜やっとこさネットでサーチしはじめた。オフ・シーズンは通常閉めていて予約なしでは入れなそうだ。確認しようにもオフィス・デ・ツーリズムはもう閉まってる。諦めるのかと思いきや、

「行って、開けて欲しいとお願いしよう!」

と言う。山越、丘超え現地まで出向いたものの、入れてもらうことはできず、結局予約だけ取って村を見学して帰ってきた(無計画な人間ほど埋め合わせの能力に長けてるものだ。思いのほか村の見学をみんな楽しむことができた)。今日はさすがに彼らも早起きし、時間に余裕を持ってゆったりでかけた。

「アルプスのシスティーナ礼拝堂」と呼ばれるほどフレスコ画で有名なこの教会だが、何せ本当に小さい。海外からのツーリストはわざわざこの深山の教会を訪れるくらいならバチカンへ行くだろう。ガイドはフランス語しか出来ないという。宗教画の説明などフランス語で聞いて理解できそうにない。3人のうち一番行きたがってた当人だけがネイティブ・レベルの理解力を持っていたので、彼がガイドの説明をまずはスペイン語に、続いて英語に訳してくれる。しかし、彼はあまり英語が得意ではない。結局、禁じられた書物の物語を全てこの画にしたということくらいしかわたしには解らなかった。背景には膨大な物語があるようで、ガイドの説明では表面のさわりしかわからない(そもそも国境付近の村々は複雑な歴史を持つところが多い。ラ・ブリギュも第二次世界大戦後まではイタリアの一部だった)。彼は全てが書かれた冊子を買い込んでいた。背景がわからずとも、わたしはこのような教会を訪れたことがなかったので、一見の価値があった。

















2018年03月11日(日) 初めてのヴァロリス、二度目のエズ

パブロ・ピカソが影響を受け、また衰退の一途を辿っていたところを救ったともいわれる陶芸の町ヴァロリス (Vallauris)を訪れた。遠い昔、いつか訪れようと思った場所だった。昨夜の食卓で、わたしは陶芸など見て歩くのが好きで食卓で使っている食器もアーティストに直接会って購入したものが多い、などと話したところから転じてチャンスを得たのだった。楽しみであれこれと事前に調べていたのにも関わらず、いちばん肝心なことを全員忘れていた。今日は日曜日だ。ヴァロリスに到着してぱったりと静まり返って人影もない町を見て、それまで騒々しかった車内は一瞬にして静まりかえった。みんなお腹が空いていたので辛うじて店を開けていたブーランジェリーで軽食を摂る。そして辛うじて店を開けていたお店を覗いた。ラヴェンダー、ミモザ、トマトにオリーブと南仏モチーフが手描きされたここの陶器は見た目とは裏腹になかなか軽かった。

午後、エズ(Èze)に移動する。とりあえずと入った村の入り口のカフェで窓際に席を取る。目の前には2年前宿泊したホテルが見える。あぁ、あの窓からこのカフェで食事する人々を眺めて夜を過ごしたなぁ、と懐かしく思い出す。2年後そのカフェに腰かけて、逆にホテルを眺めているとは想像していなかった。人生はわからないものだ、とつくづく思う。日本人はエズが好きだ、とフランス人が言うが、本当に日本人だらけ。カフェでわたし達の隣に日本人のカップルが座っていた。彼らはウェイターがコーヒーをサーブしてもカップをさげにきても目も合わせずお礼の一つも言わない。フランス人はサービスがなっていない、と日本人はよく言うが、逆にサービスする側のフランス人はこう思っているのではないか。″日本の客は挨拶もせず失礼だ″。フランスでは挨拶せずに店に入る人も、挨拶なしに出ていく人もいない。客は受けたサービスに関しては必ず律儀に″Merci" とお礼を述べる。日本と違って大型コンプレックスのお店よりも圧倒的に個人商店のような小さな店の立ち並ぶフランスでは挨拶なしに他人のプロパティにずかずか足を踏み入れるのは憚られるのではないのだろうか。外国人というだけで目立ってしまうようなところに住んでいるわたしは日本人らしき人を見かけるとむしょうに懐かしくなって話しかけたいような衝動に駆られるのだが、今日ばかりはそれとなく自分は日本人ではないというフリをしてしまった。

朝からの土砂降りの雨でエズは霧に包まれていた。初めて来た時はからりと晴れた夏の日だった。この霧がエズを一際中世の村に引き立てていて神秘的で悪くない、とう意見で全員一致した。


2018年03月09日(金) トルティーヤとアヒージョとシエスタと...



スペインからリュカの友達がやってきて家にステイしている。直前にならないと何も決めない行き当たりばったりのラテン節で、突然一緒に夕飯を食べたいと言われ、小さなキッチンであくせく4人分用意したり、朝食を用意してたらさっぱり午後まで起きてこなかったり、出かける10分前に一緒に行かないかと誘われたりする。何でも事前に綿密に計画を立てるのが好きなわたしは疲れ気味だ。何よりも一番困るのは夕飯の時間。彼らは22時くらいに食べ始めて1時頃ベッドに入る。リュカは仕事があり、わたし達は朝が早いので11時頃ベッドに入る。結局一緒に夕飯をとるとなると食べてすぐに寝ることになる。わたしは空腹でないと眠れない。または眠りについても夜中の変な時間に目が覚めてしまう。彼らがきてたったの4日、体重が2堊え具合が悪くなった。今日は絶対早く夕飯を食べいつも通りに寝るとリュカに宣言した。

ともあれ、困ったことばかりではない。彼らがいて賑やかで楽しい。夕飯を作っていると近くのパティスリーでデザートにとケーキを買ってきてくれたり、一緒に山にハイキングに出かけたり。昨夜は典型的スペインの夕飯を作ってくれた。いつもは自分が忙しく働いているキッチンを眺めながら、″タパス″といってパンの切れ端に作りたての揚げ野菜なんかを乗せてくれるのをつまんで待っているのは悪くない。そしてふたりがかりで実に3時間近くかけて出来上がったトルティーヤ、アイオリ・ソース、シャンピニョンのアヒージョはそれはそれは本当に美味しかった。大男ふたりは悲鳴をあげたくなるようなたっぷりのオリーブオイルでじっくりじっくり全部の野菜を揚げていた。そしてトルティーヤを焼くときもまたまたたっぷりのオリーブオイルを使う。わたしは男のほうが料理が美味いと常々思っているが、その理由のひとつは躊躇せずたっぷりの油とかバターとかクリームを使ってしまえる女はそういないからだと思う。わたしもその典型で″揚げ物″はいつも揚げ物風に焼いたもので済ましていたりして、いまいちパンチの足りない料理となっている。いつもは美味しいものに出会うとレシピを聞きだしたりするが、捨てられている大量の卵の殻やオリーブ・オイルの減り具合を横目にして今回ばかりは恐くて聞けなかった。またいつか彼らに作って欲しい。

(写真:まだ雪の残るLa Brigueの景色)

2018年03月07日(水) 笑顔の証明写真

先週ずっと降り続いた雪が止み久々にからりと晴れた、と思ったら風もすっかり春のように暖かい。クロエちゃんと中庭に飛び出し日光浴をした。雪だ、雪だ、と嬉々として歩き回っていたのは最初の3日間だけ。次第に顔色が冴えなくなり、体が怠くなって無気力になった。熱波だの寒波だのは病人や老人にとどめをさす。欧州ではこの寒波で60人死者がでたそうだ。

結婚の書類収集。証明写真を作ろうとカメラをリュカに向ける。ファインダーを覗くとなぜか歯を見せてさわやかな笑顔を作っているではないか。

「なんで!」

「え?何が?」

「ちゃんとしてよ」

「ちゃんとしてるよ」

「ちゃんと口閉じて」

「なんで?真顔で撮るなんて変じゃない?」

まさか冗談だろうと思ったが本気だった。今までずっとそれで問題なかったという。

「絶対嘘!」

「嘘じゃないよ。ほらねっ」

と見せられたパスポートと身分証明書には白い歯を見せてにっこり笑っている彼がいた。どこで覚えたのか証明写真は口を閉じて真顔で写るのが当たり前と思ってきたわたしは面食らった。その後ネットで証明写真の撮り方を読んでいた本人が悲しげな声で呟いた。

「そうかぁ。口を閉じて撮らなきゃダメなのかぁ」

そうでしょうともよ。あぁ、驚いた。

この国では結婚も離婚も面倒ごとが多い。結婚ならまだ希望に胸を膨らませテンション高く仕上げてしまうこともできるだろうが、離婚となるともう面倒な後始末のような気がしてきてしまうことだろう。以前、ちゃんと離婚もしてないのにデートに誘ってきたりする男の人はだらしない人間だと思っていた。しかし、ここに住んでみるとなんとそんな人が多いことか。ちゃんとした社会人で、とっくに別居して関係の終わったパートナーと書類上結婚したまま新しいパートナーを作っている人なんてざらにいる。自分のこととして考えてみればやっぱり書類上だけでも″既婚者″と付き合うのは抵抗があるし、国の事情がどうであれ、ちゃんとしたい人はちゃんとするのだろう。しかし、こういった煩雑な書類上の手続きがあり、放置したままにしてしまう人がさほど珍しくないという背景があることを知って少しだけ考えが変わった。


2018年03月01日(木) エンチラーダを作る



今週はずっと雪が降り続けている。氷点下3度くらいまで下がってけっこう寒いが、雪景色が綺麗でレインブーツを履いてゆっくりゆっくり散歩など楽しんでいたら手足がしもやけになってしまった。

雪の中市役所に結婚式の予約を入れにいく。たった3分で完了。これからはじまる面倒な書類収集のことを考えると、嵐の前の静けさのような不気味な空気。適当な日に予約を入れたものの、証人として名前をもらおうと思っていた第一候補には、その日はヴァカンス中でここにいないと言われ、第二候補には、離婚を検討中だと逆に相談されて、結婚することさえ言いだせなかった。

エンチラーダを作った。全部市販品を買うこともできるが、やっぱりオリジナリティを求めて全部自分で手作りした。ハラペーニョは酢漬けに、エンチラーダ・ソースはチリや赤のパプリカやトマトをよく焼いてスパイス、ハーブ、野菜スープと煮る。ポレンタの粉(トウモロコシの粉)でトルティーヤを練り、具は赤インゲン豆、ピーマン、ネギ、チリ、スパイス、ハーブをざっと煮る。トルティーヤで具とチーズを巻いて、エンチラーダ・ソースをたっぷりまわしかけ、更にチーズとハラペーニョをたっぷり乗せてオーブンで15分程焼いて出来上がり。とても手間暇かかるが、労力が報われる美味しさ。毎日こんなに手をかけてはいられないし、チーズもたっぷり使うのでこれは週に一度勝手きままに何でも好きなものを作って食べることに決めているサンデー・ブランチのスペシャル・メニューだ。








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