My life as a cat
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2018年01月27日(土) アンティーブの散歩道

よく晴れた休日。アンティーブ(Antibes)へ足を延ばした。




駅から徒歩1分ほどの距離にあるオフィス・デ・ツーリズモで地図を入手して歩き始めた。たった数百メートル歩く間にBIOのお店が3件もある。最近髪を切ろうと機会があればどんなものかと偵察しているヘア・ドレッサーはどこもエレガントな雰囲気だ。

10分ほどでマルシェやブロカントが開かれるスクエアに出る。



ブーランジェリーとカフェが沢山ある。程よく賑やかでいて、ゆったりとした空気が漂っている。



ガレット・デ・ロワはまだまだブーランジェリーの主役。外国人のわたしでさえ何かと機会があって6回食べたのだ。フランス人に″もう見たくもない″という人がいるのも頷ける。



市庁舎の前にはマルシェが並んでいた。午前中で終わりのようですでに半分たたまれていた。ミモザのような小ぶりな花に心惹かれる。



マルシェの前のその名も″Falafel″というお店でランチ。ファラフェル・サンドイッチに目がなくて見つければ食べてみずにはいられない。ファラフェル・サンドイッチというだけで半分はすでに満足なのだが、点数をつけるなら今まで食べた中で一番低いだろう。サンドイッチのパンがホーム・メイドでなくて具もソースも少ない。しかし低価格なのでこんなところだろうと思う。このお店はとても人気のようで地元の人々で賑わっていた。



カセドラルとピカソ美術館の間に地中海が見えた。アンティーブは湾のようにへこみがある地形で向こう側の山々が見えるのが美しい。海水浴場もある。夏のヴァカンスシーズンはさぞかし賑わうことだろう。






バルセロナ出身のアーティスト、ジャウメ・プレンサ(Jaume Plensa)の作品″Le Nomade"。虎ノ門ヒルズにあるのと兄弟だが、こちらのほうがのびのびして見える。地中海の青と空の青の中に浮かぶ白文字は見事に調和がとれていて美しかった。






ジェラートを手に持った人々をちらほら見て歩いてくるほうをたどって見つけた。中に入るとちょっといかつい雰囲気のお兄さんが″Ciao!″と挨拶する。味見させてもらったら本物のイタリアの味だった。ストロベリー・ヨーグルトとヘーゼルナッツを選んだ。アイス・クリームは好きだけど、あまり人生の中で執着して食べたことはなかった。しかし、イタリアのジェラートとなると別物。暑くても寒くても見れば食べたくなってしまう。



自由に見学できる工房があった。彼女達はアーティストの卵でまだ勉強中の人々のようだ。作品はどこか初々しかった。









アンティーブはニースのようにやかましくもなくモザイクでもコマーシャルでもなく、マントンよりも垢ぬけている。それでいてまったくスノッブな感じがしない。″良識のある大人の町″、これがわたしのアンティーブの第一印象。

2018年01月22日(月) Les délices de Tokyo

アトリエ・ガストロノミク。日本のお菓子が食べたいとのリクエストに迷った挙句どらやきを持って行った。先日作ったかりんとうはこの国のあちこちに転がってる道端の犬の落とし物みたいな見た目を懸念していたのだが、″屋台のカカウェットみたい!″と好評だった。″屋台のカカウェット″とはたまにお祭りとかで売られているシュガーコートされたピーナッツのことらしい。あぁ、なるほどね。かりんとうの材料は小麦粉に黒糖。フランス人でもみんな普通に口に入れる食材だからあっさり受け入れられたが、どらやきはどうなることやら。赤インゲン豆はよく食べられているが、これに砂糖をどっさり入れて甘くするというと話は違ってくる。

お茶の時間。通例通りドリンクはシャンパン。ガレット・デ・ロワにタルト・オ・ポムの隣にあまりにも垢ぬけない田舎っぽい見た目のどらやきが並ぶ。

「あっ、アリコ・ルージュ(赤インゲン豆)のお菓子でしょ」

という声が。プティな赤インゲン豆とパンケーキのお菓子だと説明する。

「知ってる、このお菓子″Les délices de Tokyo″って映画で観たもん」

という声も。樹木希林がハンセン病患者を演じた「あん」のことだ。日本人のわたしから見たらちょっと海外ウケを意識し過ぎた感は否めない映画だったが、事実カンヌに出品されフランスでは人気が高い。この町のカセドラルの隣に立つヌーボ・シネマ・パラディーゾかってくらいの年季の入った映画館でも上映会がありみんな観てたようだ。

意外にも全員が手に取って食べ始めた。バター菓子以外絶対想像つかないマダム達がどらやきを手に持っている光景は本当になんだか不思議だった。半数が美味しいと言いながら完食し、あとの半数は無言であった。おそらく口に入れられないほど不味くはないが、不思議な味で何とも言えなかったのだと思う。日本のお菓子!とリクエストした当人も口に入れるまではしゃいでいたが、一口食べてだいぶテンションが落ちていた。言葉の壁のせいかいつもあまりわたしとは話したがらない(ように見えた)マダムはひどく気に入って、余ったものをあげたら嬉しそうにバッグにしまい、はじめてわたしの名前を呼んでくれた。彼女の小学生の息子が現れ、

「ママ、おなかすいたよ〜。なんか食べるのないの?」

とバッグをあさり、どらやきを手に取ってぐるりと眺めてまたバッグに戻していた。

アジア付いたマダム達はレシピ集を眺め、次回は春巻きを作ると言い出した。パリなどを歩いていると日本など大して遠くないと思えるが、ここの人々は日本はおろか徒歩でも行けるイタリアですら滅多に出かけない。他国に思いを馳せなくたって、遠出しなくたってその場所で十分満ち足りているのだろう。でも気が進まないという母を半ば強引にガレットを食べに連れ出したら、すごく気に入って、今では自分から″ねぇ、またあのガレット屋に行こうよ″と誘ってくるようになったみたいに、ここの人々が少しだけいつもと違うことを体験してくれたのがなんだか嬉しかった。


2018年01月18日(木) フランスで歯医者にかかる

歯のブリッジが落ちた。歯間ブラシを使ってから歯磨きをするようになった20代後半以降は一本も虫歯など出来ていない。定期的に破損するのは20歳そこそこで歯医者に言われるがままに大枚はたいて入れた白の奥歯のブリッジ(もっと慎重に検討すべきだった、と少し後悔している)と子供の頃転んでほんのちょっと欠けてしまった前歯の端っこにくつけたセメント。「歯は命」。転んで欠いた前歯は仕方ないとして、人生が80年だとしたら20代で歯の治療なんてよくよく考えればとんでもないことだ。今できるのは残った健康な歯を大事にするのみだが。

さて、歯医者といってもどこへ行ったらいいのか。虫歯が一本もなくクリーニング以外の用事で歯医者にかかったことがないリュカは良い歯医者など知らない。患者さん達から情報を集めてきてくれると言うのでお願いした。そもそもカチカチのバゲットを好むここの人々は歯が丈夫で義歯でこんな固いものを食べるなんて想像できなかったが、リュカに言わせるとまったくそんなことはなくて、みんな義歯を折ってでも固いバゲットを食べ続けるんだそうだ。こちらは″〇〇歯科がいい″とかそういう言い方はしない。クリニックの前にはドクターやセラピストの個人名のプレートが明示されていて、個人を訪ねる恰好なので″Dr.〇〇がいい″と個人名を挙げる。ある人は近所の"Dr.Xがいい″と言うが、ある人は″Dr.X? あぁ、あのブッシェリー(肉屋)のことね″などと恐ろしいことを言う。

「今日聞いた患者さんの情報ではDr.Yがいいとのことだよ。この患者さんはね、アル中で歯が全部溶けちゃったの。全部インプラントにしないとダメだって言われたらしいけど、何せお金は全部アルコールに費やしちゃったからそれは無理だっていって、結局お金が出来次第一本ずつゆっくり入れてもらってるんだって」

「今日聞いた患者さんの情報ではDr.Zがいいとのことだよ。この患者さんはね呼吸困難で酸素の管を鼻に繋いでるんだけど、ヘビースモーカーで歯のクリーニングに行くとすごく綺麗になるとか」

・・・・・。まったくいいのか悪いのか解らない情報ばかりであった。ニース、マントン、場所もあれこれあったが、結局3人から名前があがった″Madame Galliano″が最有力候補となった。まぁ、そんなに難しい治療をするわけではないからいいかっ、と電話をかけた。彼女は予約でいっぱいだが息子のDr.Locheなら明日あいてるとのこと。じゃぁ、それで、と予約してしまった。

翌日、やってきたのはまさにイタリアとの国境に接するぎりぎりフランスにあるクリニック。中に入るとイタリア語とフランス語が飛び交っている。待合室に座って読書に熱中していると突然白衣を着た男が目の前に現れた。顔を上げるとそこにはめまいのするような若い長身のイケメンが立っていた。

「さぁ、わたしのオフィスへどうぞ」

こんなイケメンに口の中見られるなんて嫌だなぁ、と思いながらしぶしぶ着いていく。歯科医というのはどうしてそろいもそろってみんなイケメンなのだろう。それに雰囲気が良くて優しそうな人ばかり。日本でもいつもそうだった。白衣がそう見せるのか。いや、白衣だけなら歯科医以外だって身に着けている。いや、わたしが心に余裕を持ってのぞめるのは歯科だけだから、そんなことまで気が回ってしまうのだろう。眼前に地中海を臨む個人オフィスへ案内される。ここには治療台と流し台、彼のデスクがある。

「わたしのデスクに持ち物など置いてください。さて、今日はどうしました?」

インプラント先進国のフランスではもうブリッジなどは古い技術だと聞いていたので、恐る恐る取れたブリッジを差し出した。しかし、Dr.Locheはそれを一瞥すると、鼻歌を歌いながら、グルを付けて

はい、ぺこっ

っと一瞬でひっつけてしまったのだった。

「どうですか?」

「ちょっと高い気が」

「あぁ、そう。じゃー」

と言いながら表面を削る。日本の歯科では高いといえばもう一度取り外して何やら細工していたが、彼は高いといえば表面を削っていくのだった。助手のような人はいなくて彼ひとりで全てやる。まだ高い気はしたが、歯医者に行った当日に違和感がないということはほぼないので、様子をみようと引き下がった。これで終わり。

「保険はあるよね?」

「加入はしてますけど、わたしの保険ではこの治療はカバーされないようです」

「え?本当?」

と保険証書を覗き込む。

「あぁ、大丈夫。カバーされますよ。ここに書かれてるこの治療がこれです。もし保険会社がカバーしないというなら連絡してください。わたしから保険会社に話しましょう」

と名刺をくれる。とても親切なのであった。ちょっと身構えていたフランス歯科体験は受付から会計まであっけなく30分で終わった。母親の姓はイタリアで彼の性はフランスというところをみると、おそらく彼はフランス人の父の姓を取ったのだろう。そんなことを勝手に想像しながら地中海沿いを歩いて町に戻った。


2018年01月16日(火) モン・ドールの季節

いつも旬のものを食すことを心がけている。今が旬でどこでも売られているのは蕪、根セロリ、アンディーブ、ポロ葱、カリフラワーなど。どれも大好きな野菜だ。安価な上に味も抜群。ボウル一杯茹でたカリフラワーに近所の人がおすそ分けしてくれた自家製のオリーブオイルをたらり、塩をぱらぱらとして食べる時など必ず″フランス暮らしは最高だ!″、と叫ぶ。旬ではないがいつでも売っているのはトマト、きゅうり、ナス。ここコートダジュールでは人々の暮らしに欠かせない食材なのだろう。しかしこれらは温室栽培かあるいはスペイン産だったりする。この寒さの中、こんな生の夏野菜をを食べるのはどこか不自然に思える。食べるならトマトの缶詰めやミネラルたっぷり含んだサンドライトマトにする。冬のフランスでは果物は厳しいのか輸入ものが目立つ。食べるならフランス産のマンダリンとリンゴくらいにしておく。これらは本当に味がぎゅっと凝縮されていて美味しい。

フランスの旬の食材カレンダーなるものを眺めていたら野菜や果物に混じってヴァシュラン・モン・ドール(Vacherin Mont d'Or)というチーズがぽつりと載っていた。チーズにも旬があるのか。調べてみるとあれこれと興味深い話がある。スイスとフランスの国境付近ジュラ山脈では古くからコンテ(Comté)などのハードチーズが作られていた。だが、寒い冬の間は牛乳の生産が安定せずコンテなどの大きなチーズは作りにくい。そこで、コンテに十分な牛乳が生産できないときはより少ない牛乳で作れる小さなチーズを作り始めた。これがヴァシュラン・モン・ドール(Vacherin Mont d'Or)のはじまり。認識されたのは18世紀だが、ある文献によればもっと古くから作られていたと見られている。ルイ15世が好んで食卓に乗せたという話も出てくる。

近所の小さなスーパーマーケットで冷蔵庫を覗くとあった。こんな辺鄙なところでも置いているところをみると、フランスでは季節になると普通に庶民の食卓に乗るようなものなのか。400gで€7ほどで他のチーズよりちょっと高いかな、というくらいなもの。パリ国際農業見本市で毎年行われる農業コンクールの受賞ラベルが貼られている。わたしはこのラベル付きのものは口に合うものが多くて、モンドセレクションと同じくらい信頼しているのだ。夕飯はこれにしよう。すぐそこのブーランジェリーに寄って雑穀たっぷり練りこまれた田舎パンも買って帰った。

インストラクションに従い、食べる1時間前に冷蔵庫から出す。ローズマリーの香りを付けた栗カボチャとじゃがいものグリルと田舎パンを並べていただきます。上部のかさぶたみたいな部分を蓋のように切り取って中身をスプーンで掬ってパンや野菜と食べる。すごく濃厚でクリーミー。スモークされたような風味もある。取り外した蓋ももちろん食べる。白カビが生えていて中身とは違った風味が楽しめる。今日のところはそのままで半分食して大満足。残りの半分はこれも人気の食べ方、白ワインを注いで20分ほど焼いて熱々のとろとろを食べるというものをやってみようと思う。

大抵の猫は臭いチーズが好きだ。クロエちゃんにもひと口だけ舐めさせてあげた。いつまでも名残惜しそうにわたしの指を舐め続けていた。

美味しいものを見つけると日本の家族にも食べさせたい、と思う。日本でも楽天市場なんかで同じものが3000円ほどで売られている。しかし、このチーズはやはりここで食べるものなのだ。賞味期限は2週間後。保存は4−8度の間で、と書かれている。夏は持ち運べないだろう。工場生産されるようになった今でも伝統と同じように8月〜3月の間しか作られないチーズ。短い旬があるからこそ、舌で季節が巡るのを感じることができる。遠くの食べ物や無理矢理作られたものに手を伸ばさなくてもいい。簡単に手の届くとろこに美味しい旬がたくさん転がっているのだから。


2018年01月09日(火) 世界一の朝食

リコッタチーズを持て余して、今更ながらあの″世界一の朝食″Billsのリコッタパンケーキのレシピとやらを試してみた。朝食にパンケーキなんて、これから登山するとかそんな日でない限り避けたいものだ。今日は登山の予定はない。ランチにヴァレンシアの典型的な朝食、蕪ごはん(蕪とリゾット用の米、塩、オリーブオイルで普通に炊いたもの)を茶碗一杯食べて、それから挑んだ。生地に砂糖は入らなくて、リコッタチーズが入ってて、卵白を泡立てるのが普通のと違うんだな。かなりふわっとした感じに仕上がる。ハニーコームバターと粉砂糖をたっぷりかけて完成。

リュカと共通の感想。

「フツウだ。おいしいけど・・・すごくフツウだ」

リコッタチーズを混ぜるコスト、卵白を泡立てる手間が味や口当たりの良さとかに貢献していない感じがする。パンケーキというものを極めた人ならこの違いが解るのだろうか。わたしの生活習慣の中でパンケーキというものをどこで登場させるべきか、と考えると首を捻ってしまう。デザートにしては小麦粉もっさりだし、朝食にしては甘すぎるし、アフタヌーンティーの習慣はないし。パンケーキというものはほぼ馴染みのない食べ物なのであった。それにしても!とやっぱり思う。これが″世界一″だなんて大袈裟な。ハリウッドのスターなんてやっぱり生活とか金銭感覚とかが浮世離れしてて、じっくり味覚を養うような機会にはなかなか恵まれないのかもしれない。

わたしの″世界一の朝食″といったら、エズ(Èze)村で眼前に広がる地中海を独り占めしながら食べたスーパーマーケットで買った何の変哲もないクロワッサンとコーヒーかな。トランジットで詰め込まれたモスクワの空港ホテルにて、フロア外に出してもらえず空腹で空腹でやっと朝になってありついた機内食みたない黒パンと苺ジャムと紅茶も捨てがたい。

他人の味覚のことなど書いときながら、わたしだって似たようなものか。結局空腹とか一緒に呑みこむ美味しい空気が朝食の一番のスパイスだということだ。


2018年01月08日(月) Pâtes fraîches aux épinards

新年初のアトリエ・ガストロノミク。本日はこの辺りのローカル・パスタを作るとのこと。この辺りの名産といったらオリーブだろう、と踏んでいたのだが、予想に反してほうれん草を練りこんだエッグ・パスタらしかった。イタリアはすぐそこといえどもピッツァひとつとっても国境の向こう側とこちら側で様相が違う。うまい、まずいではなく、″違う″のだ。東京のレストランとかのイタリア帰りのシェフなんかのほうが余程忠実に写した感がある。フランス人はどこまでいっても″フランス風″を脱却できないのか。そんなことを考えながら臨んだ。

まずはほうれん草の茎と葉を分ける。葉だけを使うなんて贅沢、なかなか家ではやらないので良い機会だ。そして生のまま葉を小さく小さく刻む。あのイタリアのマンマがよく使ってるハンドルみたいな器具が登場。一度使ってみたかった。感想はわたしの菜切り包丁のほうが楽だな、というところ。大量のほうれん草をパセリみたいな大きさに刻んでいくのは骨の折れることだったが、ここでフード・プロセッサが登場しなかったことにはちゃんと理由があるのだろう。最近料理をしながら身を持って解ったこと。それは、いちばん万能な調理器具は人の手である、ということ。おにぎりは人の手につけた水と塩が体温で溶けてじわりとごはんとよく馴染むから美味しいのだ。パン生地だって手で捏ねているうちに人肌に温かくなってくるから、そのくらいの温度で発酵させるのがいちばんうまくいく。葉っぱやハーブだって手で千切ったほうがかおり高い。りんごにナイフを入れるなんてっ!と断固として丸かじりする人も見たことがあるし、桃やキウィ、トマトなどはよく熟れたものならば、その証拠に手でスルリと皮を剥ける。手でごはんを食べる文化の人々は手で食べたほうが何故か美味いと言う。これは手の温もりでごはんとカレーなんかがよく馴染むからではないのか。わたしの信頼する料理の本にはよく″手で和える″という手順が出てくる。自然の食物はハイテクな機械などなくてもちゃんとうまく口に入るようになっている。

ほうれん草のみじん切りが完成したら準強力粉と卵を混ぜる。そして驚いたことに混ぜるだけで完成。パスタはよく練らないと歯ごたえがなくなるのではないか、と思ったのだが仕方ない。これを麺棒で薄く延ばしたら小さく適当に切って終わり。ざざざっと切って、わっと打ち粉をまぶしてぐちゃぐちゃっとやって終えて横を見ると、料理がまったく出来ないというマダム・シャンパーニュが、綺麗にマニュキュアのついた指でひとつひとつ摘まみ上げ、間隔をあけて丁寧に陳列していた。みんな苦笑していたが、当人は真剣そのものだったので手伝うことにした。青々としたパスタは見た目がとっても綺麗。マダム達に何のソースで食べるのか、と聞いたらみんなトマト・ソースとパルミジャーノということだった。

いつもおしゃべりが主役だが今日はけっこう働いた。全て片付けたらおやつタイム。いつも誰かしらが手作りのお菓子を持ってくる。今日はわたしはトルコのアップル・クッキーを持参した。もう10年以上作り続けているもので、毎度作るたびに飛ぶように売れるクッキー。マダム・シャンテは嬉々としてたくさん食べて、空になったボックスをわたしに返却しながら、

「今度は日本のお菓子作ってきてね」

と無邪気に言う。彼女はもう70歳はとうに超えてるだろうな。でもいつも歌ったり、踊ったり、喋ったりと活発。バターたっぷりのお菓子なんか大好きで、ペロリと食べてしまう頑丈な胃袋も頼もしい。元ダンサーで世界中を旅したという。色白の肌と小さな顔、その中に入る全て小ぶりのパーツ、青い目、たまに可愛らしい感じでワガママ言ったりするところも絶対にモテただろうなという感じ。いつ会ってもすごく楽しそうで幸せそうなオーラを漂わせてる。憧れのマダムである。今度はどら焼きでも作っていこうか。果たしてあんことかみんな口に入れるだろうか。カステラなら無難か、でも無難過ぎる気もする。栗饅頭ならなんとかいいか・・・とあれこれ考えながら帰る。

マダム達に習ってトマト・ソースで食べることにした。ただトマト・ピューレをたっぷりのオリーブ・オイルと煮詰めて、少しクリームを入れて終わり。歯ごたえがどうかと思っていたパスタは思いのほかとびっきり美味しかった。


2018年01月07日(日) Galette des rois à la frangipane

食べそびれた北のほうのフランジパーヌ(frangipane・・・アーモンドクリーム)のガレット・デ・ロワは手作りすることにした。工程はクロワッサンを作ったことがある人ならいくらか簡単に思えるようなもの。生地を寝かせながらやるので、手間よりも時間がかかる。生地は昨夜リュカがバターの多さに悲鳴をあげながら仕込んでくれた。一晩寝かせて、今日の仕上げはわたしの仕事。生地を延ばしてたたんで層を作る。形作って中にフランジパーヌを入れ、模様を描く。わたしはYOUTUBEを見ながら月桂樹の模様を描き入れた。焼きたてにシロップを塗って完成。

ちょっと不格好。プロの作るエッジのくっきりした垢ぬけたやつのようにならなかった。

後でいただくのを楽しみに山に散歩に出た。30分くらい歩こうと思ったのだが、歩くにつれて気分が乗ってきて、もっと遠くにもっと遠くに・・・と行ってしまって気付いたら2時間くらい歩いてた。ふと家族が恋しくなったり、大した理由もなく孤独を感じたりすることがある。そういう時、この無骨に切り立った山々に向かって黙々と歩く。わたしの出生とは何のゆかりもないような風景。乾いた喉を潤そうと途中で飲む泉の水は、″甘えるな″とわたしを戒めるように硬くごろりと喉の奥に落ちていく。それなのに家に辿り着く頃には気分がすっかり晴れてるのだった。自然の発するエネルギーは絶大。

たっぷり歩いてからからにおなかを空かせていただいたガレット・デ・ロワは最高に美味しかった。


2018年01月05日(金) 王様の思し召し

「あのね、ひとつお願いがあるんだけど」

朝食時に重々しい(と感じた)口調でリュカが口を開く。心臓が少し波打つ。

「何?」

「今日は1月5日でしょ」

「で?」

「買い物に出かけることがあれば、ガレット・デ・ロワ(galette des rois)を買ってきて欲しいんだ」

なぁんだ、そんなことか。しかし、リュカがわたしに食べ物のことで何か言ったのは初めてだ。これは相当食べたいんだろう、と踏んだ。わたしも本場のものを食べてみたかったので、いいアイデアではないか。

「フランジパーヌのじゃなくて、ブリオッシュのやつね」

うぅ、そうきたか。ジョエル・ロブションのブティックとかフランス菓子の本ではガレット・デ・ロワといえばパイみたいなフランジパーヌのほうが主流。だが、これは北のほうので、南のほう、とりわけプロヴァンス周辺ではブリオッシュ生地に色とりどりのジェリーとポップ・シュガー乗ってるのが主流。北のほうのが食べてみたかったのだが、指定されてしまったので仕方ない。当人は何やらショコラ・パウダーのようなものを嬉しそうに戸棚から出してきて、満足気に眺め、また丁重に元のところにしまって仕事に出かけた。

ブーランジェリーに買いに走る。ほどよいサイズのものがない。ランチに帰宅した当人に相談する。意向を聞いて、午後にまた買いに走る。指定されたブーランジェリーには最後の1個やたら大きいのが残っているだけだった。どうしよう。でもここは何か手に入れて帰らなければ。金曜の夕方、1週間の仕事を終えてガレット・デ・ロワを楽しみに帰宅したら何もなかった、なんてひどいではないか。もうひとつのブーランジェリーへ行ってみた。あった。これだ、これにしよう。ミッションを遂行し、ほっと一息ついた。

ショコラ・パウダーみたいなのも見かけたし、と夕飯は小さく作って終わらせた。食後おもむろにリュカが立ち上がり、戸棚から例のパウダーを取り出し、わたしのホーロー鍋を貸せという。そこにミルクを注ぎ入れ、泡だて器でぐるぐるやりながらショコラ・パウダーのようなものを振り入れて一見ショコラ・ショのようなものを作った。が、これはちょっとそれとは違う。コーン・スターチか何かでとろみをつけたようにドロッとしていてそう甘くない。

"Bon appétit"

という掛け声と共にふたりでがさがさと好き勝手にナイフを入れて頬張る。どうもこのブリオッシュをこのショコラ・ショ風のドロドロに浸して食べるらしいのだ。一般的かどうかは知らないが、リュカの実家ではみんなそうするとのこと。真似してみたら、悪くない。

いつか父が母にこう言ったのを思い出した。

「しめ鯖買ってきてくれ」

日頃食事のことに口を出さない人間の口からでるこういう言葉は妙に強く響いてくるものだ。今でもしめ鯖を見るとこの時の父の声が蘇る。しかししめ鯖が大人の男の渇望らしいのに対して、ガレット・デ・ロワって・・・。チョコのディップをたっぷり浸して嬉々として頬張るリュカを見て、この瞬間ほど彼を異邦人と感じたことはなかった。

後でドロドロの素のパッケージを見て、コーンスターチが混ざったただのココアパウダーだと知る。日本でいう葛湯ってところか。これを思いっきり濃く仕上げてディップできるようにしただけだった。

満足した王様がソファでゆったり休んでいるころ、キッチンでは小人がひとり、ホーロー鍋の底にこびりついた焦げを必死で落としていましたとさっ。


2018年01月02日(火) Bagnetto verde

細川亜衣さんの「イタリア料理の本(青)」より、バニェット・ヴェルデを作った。リュカの解説によれば″バニェット(Bagnetto)″はペーストとスープの間みたいなドロッとした液状のものらしい。バーニャ・カウダっていうもんね。フランス語ではVertは緑だから、イタリア語ではVerdeとかそんな感じなんだろう。緑のソースってところか。一見シンプルなようでいて、結構労力が要る。大量のパセリ、ワインヴィネガーに浸したパン、ケッパー、アンチョビ、ガーリック・・・と全て包丁で根気よくみじん切り。経験からいうとハーブはフードプロセッサで砕くと台無しになる。単にわたしのフードプロセッサの性能の問題かは解らないが、このレシピでも包丁でとにかくよく刻めと書いてある。10分くらい、ひたすら叩く。よくイタリアのマンマが両手でハンドルみたいのを握って手を上下に動かしながら歯をシーソーみたいに動かす器機はこういう場面で活躍するのだろう。8部茹での卵黄、トマト・ソースを匙1杯、オリーブオイルをたっぷりと混ぜる。うわぁ、香ってくるわぁ。食欲をそそられる。バゲット、茹で卵、茹でたジャガイモと用意して付けて食べる。美味しかったぁ。バーニャ・カウダみたいにどんな野菜に付けても合いそう。パスタのソースとして使ってもよさそうだ。

2016年の夏、イタリアを訪れて以来その美食に魅せられ、夢中で買い集めたイタリア料理の本は、今の暮らしの中で最大限に活かされている。買った時はまさかそれを持っていつでも食材を買いに出かけられるような場所に移住しようとは思ってもみなかったことだけど。″思考に引き寄せられる″ってこういうことなんだろうとしみじみ納得する。と同時に思考はあらゆるものを引き寄せてしまうのだから、その持ち方には気をつけなければならない、とも。


2018年01月01日(月) Gifted

正月はぜんざいを煮ると決まっている。日本から大事に抱えてきた北海道産の小豆と餅を取り出してきた。水道水は硬い。小豆を煮始めると灰汁より先に浮いてくるのはカルシウム。果たして美味しく煮えるだろうか、と首を傾げながら灰汁と同じように掬って捨てる。結果、普通に美味しく煮えた。蓮の実も加えて完成。フランスの寒い日の甘味ショコラ・ショもいいけど、やっぱりぜんざいにはかなわないね。

昨夜は年越し蕎麦作りに奮闘。先日ガレットの蕎麦粉で打って作った天ぷら蕎麦はあまりにもデキが悪かったので、蕎麦は蕎麦でも支那蕎麦・・・中華麺を打って焼きそばを作ることにした。強力粉、卵、重曹、塩、水。かっちかっちの硬い生地を頑張って練る。生地をパスタ・マシーンに通して麺にするのはリュカに任せた。その間、ソース作りに入る。手元にあるのは中濃のブルドック・ソースのみ。擦り下ろした玉ねぎ、にんにく、しょうが、醤油、ケチャップ、砂糖なんかを足してみた。そしてなかなか見かけないので冷凍庫に買いだめしてあるもやしや細葱なんかを具にして炒めて・・・。3時間もかかって″いたってフツウのソース焼きそば″が完成した。″この焼きそばが″いたってフツウ″よりも優れている点は、手打ち麺が素朴な感じでもちっとしていて美味しいところと化学調味料不使用なこと。こんなに時間をかけたんだ、それくらいあってもいい。

2018年初映画は″Gifted″という″500 days of summer"の監督が手掛けたアメリカ映画。トレイラーではイマイチという印象だったが、高評価だったので一応チェック。うーん、やっぱりこういうの無理。フツウといえばフツウだけどちょっとイケてるといえばイケてるメアリーの叔父と若かりし日のロマーヌ・ボーランジェを彷彿させる美しいメアリーの学校の教師。この二人が画面に登場しただけで、もう″寝るな″って展開も読めちゃったし、主役のメアリーはもう行く末口うるさいアメリカのおねえちゃんになる以外にないみたいな生意気ぶり。カワイイとか思えなかった。育ててる叔父は優しく穏やかな青年風なのに、テレビも観ず学校にも行ってなかったメアリーがどこであんな突っ張った風になっていったか、とかそういうところも繋がらない。何がそんなに魅力なんでしょう、この映画。


Michelina |MAIL