My life as a cat
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2017年10月31日(火) ハロウィンの夜

町を一望できる丘の上の家で開かれたハロウィン・パーティー。人生初のラクレットは、結局パンに焼いたチーズと野菜を挟んで食べて、"ただのサンドイッチじゃん″という感想だった。日本でいう鍋のような位置付けで、冬にみんなで囲んで暖をとることが真の目的なんだそうだ。食前に出してくれたキール・ロワイヤル(Kir Royal)というカシスのリキュールをシャンパンで割ったカクテルは香り高くてとても美味しかった。子供用にと作った切断指のクッキーは、大人達がエスプレッソに砂糖を入れてかき混ぜるのに、"おぉ、これいいね"と喜ばれた。おなかが満たされるとすぐにダンスがはじまる。腰をくねくね、手足をふりふり・・・。ラテン男どもは目が合うと重そうなまつ毛をばさっと振ってウインク。ラテン女たちは爪先立ちで豊満でセクシーなおしりをゆさゆさ・・・。

「ねぇ、ダンスは嫌い?シャイなの?」

まったりコーヒーを飲んでいると誘いにくる。食べてすぐにそんな激しいダンスしたら全部吐いてしまいそうだった。食べて踊ってキスして・・・ラティーノの息づかいはラクレットよりも熱いのだった。


2017年10月29日(日) コートダジュール、食のメモ

こちらに来て1ヵ月。慣れないキッチン(希望はガスだが、この家はインダクション)とツールと食材と水で、失敗もあるが、モノによってはとびっきり美味しくできることもある。

●フランス料理全般・・・レストランのフランス料理にはあまり食べられるものがない。地中海の魚は味はイマイチで高い。リーンなパンは家で作っても買っても日本より安く美味しい。ただパンを主食にするとどうしても付随してバターやチーズ(あぁ、これも美味いんだなぁ)を摂る機会が増えてしまって血管に悪そうなので、なるべく主食は米にしている。スイーツはとにかく美味しい。日に少量を毎日楽しんでいる。

●イタリア料理全般・・・セモリナ粉とかポレンタが気軽に手に入るので生パスタを打ったり、ポレンタのクレープを焼いたり。ピッツァも粉と水が適しているのだろう。間違いなく美味しくできる。

●和食全般・・・ひととおり何でも揃うと聞いていたが、つい1ヵ月前まで日本でちゃんとした日本食材を食べていたわたしには薄っぺらぺらの海苔とか、カチカチの豆腐とか、€8/ℓの醤油とかはキツい。3年も住んだらこういうのでも大丈夫になるのだろうが。ただ一番大事な米。これだけはなんとかしたい、とあれこれ買って試した。結局カルフール・ブランドの"Riz Rond(デザート用の丸い白米)"7割、BIOの"Riz Rond Complet(丸い玄米)"2割、日本から持ってきた雑穀ミックス1割でほぼ今までどおりの主食が再現できたので、あとは適当なおかずがあれば満足。意外にもこの辺りでふつうに手に入るもの、里芋、柿(KAKIとそのままの名前)、梨、大根。

●外食全般・・・中東やアフリカ系、ヴェトナム料理が充実していて個人的にはフランス料理よりこちらのほうが好みの皿が多い。

●ヴェジタリアン料理・・・意外にも日本食レストラン以外どこのレストランのメニューにも"Végétarien"という見出しを見つけることができる。フランスだけでなくヨーロッパ全体に健康を気にしてヴェジタリアンになる若年層が増えているそうだ。食の伝統を守りたい高年層の人々は苦々しく思っているとか。

夕飯にレンズ豆を使ってムサカを作った。乾燥豆類は安価で美味しいので豆好きには嬉しい。小豆はないが、インゲン豆を甘く煮たりしてぜんざいらしき味を楽しむことができる。


2017年10月26日(木) 犬に吠えられる

絶対フランス語を自由に操れるようになってみせる。

こちらに来てから大して言葉もできないのに、生活に慣れてから、なんてのんびりしてたわたしを学習に駆り立てたのは一匹の犬だった。

望ましくないことに階下にハンター達が集う納屋がある。迷彩服を着てうろつく男達は顔を合わせれば、

"Bonjour"

といかにも礼儀正しく挨拶するが、やってることは乱暴だ。

買い物帰りに家への坂道を登っていたら、上のほうから排水溝へ向かって赤い液体が流れてくる。近隣の犬が一斉に鳴きわめいて騒々しい。その出所を見上げると毛の生えた動物が積まれている。ハントしてきた動物を解体し、血を洗い流しているのだった。近隣住民は決して好ましく思っていないというのに、どういうわけか役所はこれを見て見ぬふりしている。彼らの間に何かあるのだろうか。新参者のわたしがこの町のしくみを理解するまでには時間がかかるだろう。

彼らの納屋は昼間開け放たれている。通りすがりに目にする皮を剥がれて吊るされた肉やいくつもぶら下がるキツネのしっぽ。お店の精肉コーナーでも吐き気を催すのにこの光景は拷問だ。

ここ数日のこと。彼らがハントに連れていく犬が夜中納屋に繋がれたまま置き去りにされて、ストレスと不安に満ちた声で鳴いている。酷い時は翌朝になっても誰も来ず、朝から鳴いていたりする。夜はとても冷え込むし、窓もなく日中でさえ陽の入らない納屋はいくら寒さに強い犬だって辛いことだろう。それにひとりで暗闇に放置される心細さ。食べもしないのにキツネ狩りを楽しむ人々だ。犬の感情に感心を示すとは思えない。しかし犬を飼ったことがある人なら知っているだろう。彼らがどれだけ人間が好きで忠実かを。納屋の外からトントンと戸を叩いて話しかけると鳴き止む。しかし、立ち去るとまた鳴き始める。水はあるのか。食べる物はあるのか。わたしは助けてあげられないのだろうか。日本の女がつたないフランス語で注意しにいく?笑われるだけだろう。

「愛犬のうんちを置き去りにするのはやめてください」

という匿名で個人が勝手に作って町の掲示板に貼ってあったのを思い出す。そうだ、匿名で手紙を書こう。そして彼らの納屋にそっと挿しこんでおこう。犬が可哀そうだなんていう個人の感覚的なことでは何も聞き入れてくれないだろう。こうしよう。

「犬が夜通し鳴き続けて眠れません。夜は冷え込みますし、窓のない納屋で人の気配もなくストレスとなっているのではないでしょうか。できることならば暖かいあなたの家に連れ帰っていただけませんでしょうか」

丁重に、フランス語で・・・、と考えて、カッと屈辱と怒りがこみ上げてきた。自分で書けもしない手紙の構想を練っているなんて!吠えるしかない犬と同レベルの弱い存在の自分。助けようだなんておこがましい。その国の言葉が自由に操れない、ということがどれだけ弱みとなってしまうかは、オーストラリアで思い知っていた。ホストファザーに触られたのに、文句を言えず泣き寝入りしてるとか、法律で定められた最低限の時給すらもらえないのに、そういう違法なところで働くしかないとか、そんな人たちをわんさか見た。手紙はリュカが書いてくれると言う。今はお願いするしかない。自分の言葉で語れないのがすごく悔しかった。フランス語ができるようになったら原文で読みたい本も沢山ある。英語で済んでしまうことも多々ある。でもそれに甘んじていてはいけないんだ。あの犬はもしかしたらわたしに向かって"しっかりやれ"と吠えていたのだろうか。

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後日談

これを書いてからこの町で12年商売をしているイギリス人女性と食事をした。外国人がこの国で商売することがどれだけ骨の折れることか。彼女は悪夢のような役所や客や取引先の人間と日々逞しく闘っている。

彼女なら何か良いアドバイスをくれるかもしれない。この件について聞いてみた。

「役所は彼ら(ハンター)に(通りで動物を解体することについて)何度も注意してるけど、全く聞き入れないのよ。そして役所は注意するだけでそれ以上の措置はとらない。

以前明らかに虐待されてる犬を見て、動物保護団体に通報したら、一切行動してくれなかったわ。頭にきたので自分で直接注意しに行ったわ。飼い主はびっくりしてそれ以来犬は目に見えて回復した。

何度か犬のうんちを放置する飼い主を見かけて注意したことがあるわ。素直に謝って持ち帰る人もいれば、"外国人はとっとと国に帰れ!"と怒鳴る人もいる。そうね、やっぱり匿名で手紙を書くのが得策だと思うわ」

とのことだった。


2017年10月21日(土) モナコと青いパパイヤ

モナコへ行った。通ったことはあったが、街を歩くのは初めて。人口の8割がお金持ちの外国人で高級車ばかりが走る国。街は監視カメラだらけでヨーロッパとは思えない治安の良さ。モナコグランプリが開催されて街全体がサーキットとなる。それくらいの知識しかない。



モナコ、モンテカルロ駅はフランスの鄙びた隣駅とは一線を画している。駅でリュカの友人にばったり会う。モナコ在住だというので勝手にお金持ちなのだろうと思い込んだのだが、後で聞いたところによれば先祖からの遺産の家を持っているだけで、特別お金持ちではないという。モナコでは固定資産税もかからないらしい。



駅を地中海とは反対側に降りてちょっと歩くとすぐにフランスへ入ってしまう。たった数メートルの差で土地の値段ががらりと変わってしまうというのだから不思議な感じだ。



目に付いたヴェトナム料理屋でランチを摂り、またモナコへ入る。



坂が多く迷路のようで街の至る所にエレベーターが設置されている。家はどれも新しめののっぺりとした見た目のアパルトマンで無骨な岩山を背景に浮きたっていて調和していない。道を走るのも高級車ばかりなら港にドックされたヨットも高級なものばかり。



グレース・ケリーのバラ園を歩いた。そんなに大きな公園ではなくて、日比谷公園をもっと小ぶりにしたようなところだった。

カルフールで買い物をした。物価はフランス側と変わらない。



大して歩いてないのに、10月とは思えない暑さと坂の多さにぐったり。地中海を臨むスタバがあるというので行ってみた。全席テラス席。しかしここはスタバ。禁煙なので煙を吸わされる心配はない。どんなに美味しいコーヒーを淹れてくれたって煙草の煙を吸わされるんじゃ台無しだもの。雨が降る日はどうなるのだろうか。マイカップは塞がっていたので陶器のカップで欲しいと注文。

「は?そんな人今まで見たことがない」

と言われたが、ベテラン社員のような人が

「そのカップに注いであげて」

と助けてくれた。確かに洗う手間はかけてしまうけど、コーヒー1杯飲むたびにカップ1つゴミを出すってバカげてる。と思う人はいないの?わたしと店員のやりとりを見ていたリュカ。

「君の意見に賛成!だけど僕はちょっと言えなかった・・・。だってスタバに来たの初めてだもん!」

フランスやイタリア本場のカフェでは言わずとも陶器のカップでコーヒーを出してくれる。しかしテラス席へ行けば煙草の煙がついてくる。スタバではそんな心配はないが、何も言わなければ紙カップにコーヒーを入れて出される。一長一短だな。







モナコを大きく変えたのはグレース・ケリーだったという。"Rear Window"とか"Dial M for murder"など彼女の出演した映画は大好きなのだが、モナコという場所は想像通りハリウッドのごとく芝居がかった雰囲気で、庶民のわたしの胸に響くようなものは発見できなかった。

夜「青いパパイヤの香り(仏題:L'odeur de la papaye verte)」を観た。ランチに青いパパイヤのサラダを食べて、久々にこの映画が観たくなったのだった。女主人が大事にしていた高価な壺、ムイの初恋、青いパパイヤの種、働き蟻とコオロギ。描かれた全ての物に温かい情が感じられる。静謐で甘酸っぱくて大好きな映画。ハッピーエンディングを見届けて幸せな気持ちで床に就いた。

2017年10月20日(金) Cake à la poire

料理クラブに誘われたのお試し参加してきた。

「たぶんね・・・3時間くらいおしゃべりで30分くらい料理みたいな会だと思うよ」

リュカの予言は正しかった。本日は梨のケーキ、Cake à la poire。説明があるわけではなく、適当におしゃべりしながら適当な割り振りでつくりはじめる。9人もいるのでこれといってやることがない。みんなの使った器具を洗うことにした。バターは有塩を使用。粉をふるったりもしない。かなり大雑把な手順。バターを使っては包み紙に残ったバターをぺろぺろと舐め、ボウルを使っては底に付いた生地をぺろぺろと舐める。梨は誰かが既に煮てきたらしい。そんな感じで30分もするとオーブンに全て入ってしまった。さてと、一息つくとしましょう。どこからか、焼きあがったリンゴのケーキが出てきた。誰かが焼いてきたらしい。これを食べながら待ちましょう。冷蔵庫にシャンパンが冷えてるわ。開けますか。ここから延々おしゃべり。梨のケーキ4つ焼きあがるまで1時間半ほど、マダムたちのおしゃべりはとどまるところをしらない。とどまるどころか一度に3人くらいが同時に話しているではないか。

ケーキが仕上がったらみんなで切り分けて家に持ち帰る。敷いたクッキングシートはまたぺろぺろ舐めてからゴミ箱へ。あまりにも適当な料理クラブで拍子抜けしたのであった。しかし余ったリンゴケーキと焼いた梨のケーキを持ち帰ると、リュカが朝ミルクに浸して食べると最高だと喜んでくれたので結果オーライであった。


2017年10月17日(火) Nous sommes gourmands

アナとイタリアへ買い物に出かけた。彼女はこちらへきて初めてできた友達といえよう。チュニジア生まれフランス育ちの肌の浅黒い人で、町ではまず見かけない有色人種。だから親しみが湧いたのか、はたまた美味しい物が大好きという共通点のせいか食事会で会って以来何かと誘ってくれる。山道をくねくねとドライブする。朝陽に照らされた山の景色は神々しい。山を抜けて海沿いにでる。夏のヴァカンスの時期には大渋滞すると言われる海岸線の道路も平日は静まり返っている。ヴァンティミーリア(Vintemillia)の市場も静かだ。こちらに来てから野菜の味や特質の違い、料理する水の違い(水道からコントレックスがでてくるような硬さ)でまだいまいちこの風土に合った美味しい手料理を作ることができていない。アナに美味しい食べ方を教わりながら野菜を買い込んだ。

ランチはパスタ!と意気投合し、海辺の適当なレストランに入った。プッタネスカ二つとティラミス二つ。イタリアに来たらパスタ、それもトマトソース、そしてティラミス。これだけは間違いない気がする。この意見は賛成票を得るのは難しくない。日本でもティラミスとかジェラートと名の付くものは食べられるが、本場の物とは別物だ。工程ではなくもうミルクの味が違うのだろう。どういうわけかパスタは日本の軟水でもこちらの硬水でも美味しく作れるように思う。

海沿いをフランス側に向かって走る途中、国境付近の検問所からとぼとぼと引き返してくるアフリカ系移民を見た。

「彼らはなんとかイギリスに辿り着く道を探しているんだけど、結局検問所を通れずここでひもじい思いをしながら暮らすの。あぁ、可哀そうに」

フランスで育ちフランス人と結婚して食事ごとに酒を飲むアナはチュニジアにいる祖父母にとっては"モダン過ぎてついていけない"存在らしいが、それでも自分の祖国を思う気持ちは強い。ムスリムの家庭の娘だということで大っぴらでなくても差別を受けてきたのだろうし、服装や立居振る舞いからどう見てもフランス人であるアナは検問所で止められたリすることはないが、肌が黒いというだけで呼び止められる同じアフリカ出身の同胞を見て他人事とは思えないのだろう。

美味しい物とダンスが大好きで、いつ会っても楽しげで、それでいて情深いところがあってとても好感の持てる人だった。せっかく仲良くなったのに、うんと年上の旦那さんがリタイヤするのでプロヴァンスに購入してあった家に引っ越していってしまう。

「小さな庭もあるから野菜作るの。ほど良いサイズの美しい町よ」

もっとちゃんとフランス語が話せるようになったら、電車に乗って会いに行こうと思う。


2017年10月15日(日) Fête de la Brebis brigasque




リュカの仕事仲間とわいわい山道をドライブ。La Brigueという標高850mに位置する村の農業祭りへ行ってきた。木の生い茂った森、無骨に切り立った岩山にしがみついているような小さな村、道中の景色も壮観だった。


昼前に到着した。こんな小さな村のお祭り、と侮るなかれ。パーキングはほぼ満車だった。


紅葉が始まっている。こんな催しものでもなければ山に囲まれた本当に静かな村なのだろう。Menton行きのバスは日に1本しかでていない。





この村で生産されるあらゆる物が売られている。さすが農業国フランス。チーズから燻製肉、野菜、ハチミツ、果物ジャム、パン、ウール製品、こんな小さな村でもあらゆるものが生産される。この農業祭りで売られているものはBIOで質がいいという話だったが、本当に何を試食しても余計な添加物のない本物の味で美味しかった。





石の上でパンのようなものを焼いている。聞いてみると、この男性が山で摘んできた野生のハーブとチーズが入ったパンだという。焼いているのをしばらく眺めていたのだが、地面に投げ捨てられるように置かれていたずた袋のような中に入ったパンをお金とかのやりとりもした手で取り出し並べている。石の上で熱々に殺菌されてなければちょっとやばそうな感じ。ひとつ買って食べたのだが、何のハーブなのか、野生味むんむん。生を食べたら腹を壊しそうな味と表現すれば解りやすいだろうか。でも好きだな、こういう味。


ピースサインを出してる男は見ず知らずの人





15時にラムの行進。通り過ぎた後はうんちだらけ。歩きながらうんちするなんて器用だな。







帰り道。来た道とは違う山道を走っていると突然みんなの電話のアラームが鳴った。国境を越えてイタリアに入ったという音らしい。へぇー。島国からくるとこういうのエキゾチックだなぁ。そしてまたフランス側へ入る時にはポリスが密入国者の取り締まりをしていた。


表面がラムウールで肌に接する部分がカシミヤのマフラーをお土産に買ってきた。村の女性が3日間かけて作ったそうだ。ラムウールはごわごわしているので首に着く面がカシミヤなのがとてもいい。それに着用してみるとなかなかエレガントなのだ。姪っ子に・・とか言いながら一度首に巻いたらもう手放せずすっかり自分の物になってしまった。

2017年10月12日(木) Le pire jour de ma vie

夜に隣人でありリュカの親友であるナタリアがどたばたとやってきた。

「ドクターとのアポイントメントがあったから仕事を休んでバスで1時間ほどかけてそこまで行ったのに、行ってみるとレセプションでアポイントメントはないっていうの。そんなはずはない、と食い下がったけど、あちらは"ない"の一点張り。電話でアポイントメントを取ったんだからどう考えたって向こうがメモし忘れたのに、結局診察してもらえず、そのまま帰ってくる羽目になったわ。ついでに買い物を済ませてとぼとぼバスに停に向かって引き返したら火事で通行止め。待たされてやっとバスに乗りこんだら今度は子供がわいわいがやがやうるさくてバスを降りるまで延々騒がれた。極め付け、買ってきた脱毛器を使おうと思ったら、全く動かなかない。こんな最悪な日があるかしら。もうぐったりよ。これ、あなたにあげる」

とぶっきらぼうに紅茶を渡すとそそくさと帰っていった。はぁ、すごい話だなぁ。隣近所の人々の日常会話に耳を澄まして、まだ遭遇せぬ未来のため危険を予測して回避を図る。ドクターとのアポイントメントを取らずに済むように日々体に気を付けること。万が一アポイントメントを取った場合は出かける前に再度確認を取ること。

もっともこの国に住むことになった時にこう決めてきたのだが。

「どんな理不尽なことに遭遇しても生きてさえいれば幸運と思うこと」


日本では毎週金曜日のクロエちゃんの夕飯は大好物の焼カツオと決めていた。100円くらいのもので真空パックに入っているカツオのスティック。少しだけこちらに持ってきたのだが、久々にあげたら、今まで見たこともないすっかり野生動物のような顔つきで夢中でかぶりついていた。こちらにきてからかつおぶしの朝食はかりかりに、日替わりの海老や魚と野菜の夕飯はフランスやイタリアの市販のウェットフードに野菜を加えたものに替った。それでも文句ひとつ言わず喜んで食べてくれていた。しかし、口に出さないが本当は日本が恋しいのかもしれない。想像したらいじらしくて泣けてきた。子供とかペットとか自分の意志で飼い主も住むところも選べないんだもの。よく観察して気にかけてあげないといけないね。

(写真:あくびをするときにフワァ〜〜〜と声を発するところは飼い主の真似なのか)


2017年10月10日(火) 美しいガラクタ

"Brocante"・・・「美しいガラクタ」という言葉が語源。 物を愛し、長く大事に使用することが暮らしの中に根付いている欧州文化のフランスで大切にされてきた美しい古道具を意味します。(naverより)

近所の広場で蚤の市が開催されていたので覗いてきた。本当に家にあった不用品というような物を売る素人からコレクターみたないマニアックな物をなかなかの高額で売る玄人まで様々。小ぶりの家具なんかを売る人もいた。家に物を増やすことには慎重で、こういうのは眺めて楽しむものと思っていたのだが、あまりにも愛らしいカップ&ソーサーを見つけて、まぁ移動の途中でお気に入りを一つ割ってしまったからいいか、と言い訳しながら連れ帰ってしまった。€4なり。

人々はへなった髪と着古したセーターでくしゃくしゃの紙袋や籠を持って買い物へ出かける。お店は大した背伸びもせず、地元で採れた野菜を並べる。見た目が悪かろうが大きかろうが小さかろうが測り売りだから関係ない、全部並べる。バゲットを裸のまま籠に突っ込んで帰る人もいる。そこそこ清潔でそこそこ不潔。みんなわがままでそこそこにいい加減。手に馴染んだ物や歴史を生き抜いてきた物に美を見出す人々。新天地での暮らしははじまったばかりだけれど、ここの暮らしがこれからもっと好きになりそうな気がする。


(写真:新入りのカップ。取っ手がついてなくてサイズ的にも形的にも何用の物なのかわからない。まぁなんでもいいか。とりあえずホットショコラを飲んでみた)


2017年10月07日(土) Ventimiglia



フランスとの国境にあるイタリアの街ヴァンティミーリア(Ventimiglia・・フランスサイドではVintimilleという表記になっていた)へ行った。電車の車窓から見えていた裕福の象徴のような海辺のお屋敷の風景が、トンネルを超えてイタリア側に入ったとたんにがらりと様相を変える。歴史ある教会に古く小さな街並み。庶民の生活の香りと川辺で野宿をしている恐らく不法滞在であるアフリカ系の若者達。

駅にはガンを持った警察が立ち、駅前はアフリカ系の若者で溢れていて白人やアジア人の姿などどこにもない。どことなく怪しい雰囲気が漂う。

駅を抜けて50mくらい歩いたところに大きな市場がある。ここへ来ると今度は白人しかいない。たった50mで世界がぴったりと隔てられてしまうようなところにみんな大ぴらに口に出さない(または当たり前過ぎて何も気付かない)欧米の根強い階級意識を感じずにいられない。



マーケットには野菜、果物、魚、肉、チーズ、パン、生パスタ、酒とありとあらゆる物が売られていてギュウギュウと押し合いながら前に進む。価格は普通で、カートをひいて買い物に来る地元の人々も沢山いるので高いわけではないのだろう。セカンドハウスなどの多いフランス側ではこういう生活臭漂うマーケットの賑わいがない。イタリア側のほうがチョイスもあって安い。せっかく国境近くに住んでいるのだ。買い物はイタリアでするほうが良さそうだ。




でたー。生のポルチーニ茸。山のように積まれてないところを見るとやっぱり高級品の扱いなんだろうな。



これ金時豆みたいな甘いお豆。茹でて塩とオリーブオイルをするだけでとっても美味しいのだ。



生パスタ。



リュカの行きつけのレストランでランチ。隣の人が食べていたフリットがあまりにも美味しそうだったので同じのを頼んだ。セモリナ粉をまぶして揚げた野菜とカラマリ。シンプルで美味しかった。しかし半量で十分だな。

テラスで食事をしている間何度もアフリカ系の物売りが近寄ってきた。バッグ、サングラス、花、傘。どう考えても偽高級ブランド品であり、誰も見向きもしない。しかししつこく何度でもやってくる。1日1つか2つ運よく売れたとしてもそれでは生活できないだろう。もう少しましな商売を考えられないのか。お腹が空いていて考える力がないのか。それともちゃんと考えた結果がこれなのか。客が煙たがっていても店員は決して物売りを追い払うことはしない。慈悲なのか、単に関わりたくないのか。イタリアは彼らを受け入れたのか。受け入れたなら教育の機会を与えなければこの先も彼らは自分で食べていく道を見つけられないだろう。食事の時間を邪魔されたことに苛立ち、彼らが無駄にエネルギーを使い続けていること、命からがら自分の国から逃げてきたのに、その先でも食べていけない人々がいることに気が沈んだ。それに自分だってパスポートを握りしめて行動している一介の外国人に過ぎない存在ではないか。



カルフールでクロエちゃんのごはんを物色。ズッキーニ入りなんてのもあっていかにもイタリアっぽいではないか。



最後にカフェで一休み。南イタリア料理の本で見てから一度食べてみたかったカンノーロとスフォリアテッラをシェアして食べた。初のカンノーロはスフォリアテッラと似てるという感想。エスプレッソとよく合う。両方南イタリアのお菓子といってもここリグリア地方でも普通にあちこちで売られていた。

帰り道。停まった電車に乗り込むとポリスがやってきて開かないトイレを無理矢理こじ開けて中を確認していた。不法移民がトイレの個室に隠れて国境越えしたりするのを防ぐためだという。そして電車はイタリアの国境からフランスに入ったところで再び停まり、数人のポリスが乗り込んできて中を調べてまわった。つい先日もマルセイユのサンシャルル駅でテロがあり、電車を降りたところで"アッラーは偉大なり"と叫びながらナイフを振り回した男に刺され、女性二人が亡くなった。テロがずっと身近になり、わたしは少し大きな都市へ行くと背後を振り返り怪しい雰囲気の人間がいないか確認せずにはいられない。

ずっと夢見て憧れた地中海。バカンスでやってきた地中海はただただ美しかったのに、生活が重くのしかかってくるとそれは少し違うものに見えた。

2017年10月05日(木) Pavlova

近所のブリティッシュ夫妻が夕飯に招いてくれた。フランスの家はどれも歴史を感じさせる年季の入った外観の建物ばかりだが、中に入ってみるとモダンに改装されて水周りなどもちゃんと21世紀の技術で使い勝手良くできていたりするのだが、彼らは家の中もアンティーク調に揃えていてとても素敵だった。ヨーロピアンの街の景観や心地良く暮らすためのインテリアへの拘りは見習いたいところだ。どこの街も建物の高さが揃えられていて気持ちがいい。

中型犬に大型犬、猫2匹と人4人、小さなリビングは賑やかだ。肉を食べないわたしに気を遣ってくれたのだろう、フィッシュ・カレーと野菜のトマト煮を出してくれた。彼らも半年かけてイギリスで綿密に動物輸出の準備をして犬猫を連れてきたのに、ニースの空港で適当にあしらわれて"せめて書類だけでも提出させて欲しかった"そうだ。まぁ、フランス側がどうであれ、イギリスも日本も動物検疫は厳しい国なので、書類なしには出国できなかっただろうが。

イギリスと日本とフランスのカルチャーの違いを話すと日本とイギリスは几帳面さではかなり似ているように感じた。フランスでは始業開始時間は到着する時間であって、そこから荷物をおろし、みんなとキスを交わし・・・と始まるので客はオープニングアワーぴったしに行くと延々待たされる。この国ではなんでも予約して行くことが必要だ。なぜならカフェやたばこの時間に突然来客があっては迷惑なのだ。フランス人はややこしいことが大好きでシンプルな物事も彼らにかかるとたちまち複雑になる。日本には「お客様は神様」という言葉があり、イギリスには"The customer is always right"という言葉がある。フランスでは可笑しくもないのにニタニタ笑うのは気色が悪いと思っているから客にはスマイルしない・・・。並べていくとちょっとコミカルで可笑しくなってしまうが、これからあれこれと不可解なことに遭遇するのかもしれないなぁと想像するとぞっとする。

デザートにはわたしが作ったタルト・オ・ポワールと彼らが作ったパブロバが並んだ。メレンゲとかマシュマロの類にあまりそそられないので買って食べたことがなかったが、とても美味しかった。外側がシャリっとした焼きメレンゲ、その内側にマシュマロのような食感のメレンゲ、芯の部分はクリームチーズが入っていた。

飾らない家庭料理がもっと知りたい。リュカの人柄が良いおかげで幸い気軽に食事に招いてくれる人がいっぱいいる。そういうレシピを集めていけたらいいな。


2017年10月01日(日) イタリアとの国境の町



イタリアとの国境にほど近いマントン(Menton)という町へ行った。海沿いのアパルトマンはセカンドハウスとして購入している人が多いらしくて、もっとセレブ臭がぷんぷんするところなのかと思ったら、食べられないような出来損ないの野菜とか小学生でも嫌がるだろうセンスの悪いパジャマなど売るマーケットがあったり、€3の切り売りのピッツァの売店があったりで、普通に生活の匂いがするところだった。

海沿いを歩いていたら蚤の市があったので隅々まで見て歩く。イタリア語とフランス語の飛び交う市場では両国の年季の入った食器など沢山あって見ているだけで楽しい。

帰りにバスポートの前にあるパティスリーで大好物のブラック・フォレストを見つけた。"Forêt-noire(フォレノア)"だって。 酒に浸けたチェリーの入ったココアスポンジとクリームのシンプルなドイツのケーキ。オーストラリアでよく買って食べていたのだが、日本ではなかなかお目にかからなかった。一つ買って帰った。

家で食べて感激。こんな洗練されたブラック・フォレストは初めてだ。こんなシンプルなケーキもフランスの職人の手にかかるとこんな風になるのか。生チョコの層があって、チェリーを浸けた酒もなんだか高級な香りがした。

Michelina |MAIL