My life as a cat
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2017年08月29日(火) The Founder

"The founder"を観てきた。マクドナルドの知られざる歴史の実話。マクドナルドと言ったら子供だましでコマーシャルがうるさいとかそういうイメージしかなかったが、その本当の創設者マクドナルド兄弟が目指したものは全くこういうものではなかった。本物志向で品質とスピードに拘り、苦楽を共にしてきた兄弟の夢がいっぱい詰まったお店だった。しかし貪欲な事業家のレイに惚れこまれその歯車は大きく狂っていく。ずっと仕事で負け続けてきたレイは勝負に勝つこと自体が目的だった。もっと事業を拡大して利益をだして・・・でそのお金で何をしたいのかというその先の目的が見えない。闇雲で勝つためなら手段を厭わない。羊小屋に放たれた狼だった(いや、狼なら食べるために羊を襲うのだからそこには真っ当な目的があるのでまだいい)。たいていの人は勝負があったら勝ちたいと思うだろう。でも人を踏みつけてでも勝ちたいか。なんのために?そう考えたらそんな勝負は虚しいだけに思えた。映画はテンポが良いので、すんなり最後まで観られてしまったけど、苦い後味だけが残った。

六本木のFalafel Brothersでファラフェルサンドを食べた。この店はヴェーガンなのでケバブのような肉の匂いがなくて安心してお店で食べられた。オーナーさんは若くて、気さくな感じの青年だった。パリのl'as du fallafelが好きで・・・と話したら、知っているらしかった。客層も土地柄半分くらいは外国人のようだ。揚げナスが入らなかったのはちょっと残念だったが、東京ではなかなか美味しいファラフェルサンドに巡り合えなかったので、大満足だった。


2017年08月27日(日) 大島くん

近所にフランス仕込みのパティシエの営む小さなカフェがあるというので訪ねた。カー・ナビに導かれるまま一体どこへ繋がるのだろうというような梨畑の中の小道をくぐる。少し家が見えてきた、と思ったらそこが終着地だった。

小さなカフェへ入るとパティシエ本人が表に出て売っていた。

「ブルーベリータルト、今出来ました。今朝うちの畑から摘んだんですよ」

「え?果物から作ってるんですね」

「そうなんです。今は栗がいい感じなのでもうしばらくしたら栗のケーキ並びます」

店主はフランス人にも引けをとらないくらいお喋り好きとみた。ケーキとクロワッサンを頼んでテラスに腰かけ、運んでくれた店主にフランスのことをあれこれ聞いてみた。客はぱらぱらで奥の助手のような女性が対応していたので、じっくり話を聞くことができた。ノルマンディーで働いていたこと、ビザ事情、ホテル業界の裏事情などとにかくあれこれ聞き出すことができてとても面白かった。そしてふとした会話の中でわたし達は同い年だということを知った。

彼の知識も作られたお菓子も上等だった。良い材料を使っているのが解るし、手間暇かかっていることも解る。わたしの舌は繊細に作りこまれた物よりもざっくりと大らかな雰囲気で生み出される物を好むが、前者は自分で作れるものではないので、たまに外でこういう高貴なものを味わうのもいい。

土産に小さなお菓子を買って帰宅し、ふとそこについていた彼のフルネームが書かれたラベルを見てひっくりかえった。なんと、中学のクラスメイトだったのだ。大島くん。名前の漢字が変わっていたので覚えていた。話したこともなかったが、思い出がぐんぐんと蘇り今の彼に繋がった。そうだ、小太りで眼鏡をかけていて、色白。目立たなかったが明るくて、記憶の中の彼は楽しそうにケラケラと笑っている。で、何かの授業で言ってた!

「僕の家は料理屋を経営しているので僕も将来はコックになりたいです」

今やコックどころか立派なパティシエではないか。結婚して子供もいて立派なお父さんだ。彼もわたしに全然気づかなかったのだろう。名前を言ったら思い出してくれるだろうか。しかし彼の思い出の中のわたしはどんな姿なのだろう。考えると少し怖いが次に訪ねた時に名乗ってみよう。


2017年08月21日(月) 1枚のピッツァをみんなで焼いた

昨日父が知人からプチトマトをいただいてきた。夜にキッチンで母がそれを使ってトマト・ソースを煮込んでいた。母がキッチンから去った後、思い立ってわたしはピッツァの生地を練った。イーストを少なくしておいて、そのまま冷蔵庫に入れて寝た。

今日仕事から帰り、昨夜冷蔵庫に入れておいた生地を出してきた。20時間ゆっくり寝かせた生地はふっくらというよりもだらりとだらしなくなっている。だが、どうもこれでいいらしいのだ。手で伸ばして、トマト・ソース、チーズ、オリーブを乗せて高温のオーブンでさっと焼いたら取り出す。父にはガスバーナーで縁を炙る任務を与えた。家事はやらない人間だが、普通の自宅のオーブンで焼いたピッツァが石窯焼きのような見た目に変身するのが面白かったのだろう。おぉぉぉぉ!と興奮しながら大分楽しそうにやっていた。

こうして焼きあがったアツアツのピッツァをテーブルの真ん中にドンっと置き、四方から手を伸ばしガツガツと頬張る。何がよかったのか、今までで一番美味しくできた。両親ももうレストランに行かなくていい、などと言うくらい。今夜のピッツァが100点だとしたら、90点はピッツァの味そのものだが、残りの10点はみんな自分が作業に加わったという贔屓目と愛着で成っているんだろうな。


2017年08月20日(日) Lascia ch'io pianga

料理はひとりでも大鍋でわっしわっしと大量に作るのが好きだったが、そうすると1週間くらはそのアレンジした料理なんかも考えて過ごさなければならなかった。家族が人間3人、猫2匹、犬1匹になったらそれをしても翌日はまた違う物を作れるのはいいものだ。クロエちゃんは新居では水道水を飲むのを拒んで天然水のみ受け付けるという変化があったが、食欲も戻ったし、慣れてしまったら屋根の上を散策し、屋根裏部屋へ上りひっそり昼寝をし、段差の多いこの家の暮らしをけっこう楽しんでいる。上下運動の好きな猫にとってこんな魅力的な家はないだろう。


ゴーヤチャンプルのコツ発見。ごま油をふんだんに大量に熱して、強火でゴーヤと豆腐をまるで半分揚げるかのようにちょっと焦げるまで炒める。味付けは塩。仕上げにかつをぶしをひとつかみ、醤油をさっと一筋。火を止める。

沖縄版の野菜炒めといった認識でいつもあり合わせで適当に作っていて、毎度どこか改善の余地があるような気がしていたのだが、とある料理の本にはっと目を見張るレシピがあったので忠実にやってみた。これだ、大量のごま油と強火。

昨夜スタジオを借りてやる恒例の音楽の会へ行った。この会が発足してから4年ほど、一度も欠かさず参加してきた。とっても好きな会でメンバーの方々ともそれなりに打ち解けていたので、もう当分は参加できないとなると寂しかった。大雪の日にコンサートのもぎりのボランティアに駆け付けたこととか、渋谷で行われたメンバーのリサイタルの後、みんなで学生向けのような安い居酒屋で鍋を囲んだことなど、多々思い出がある。しかし日頃仕事やら私生活やらで世界中をうろうろしている人が多いので、いつかフランスまで訪ねてきてくれそうな気もしている。

同じく発足当時からのメンバーで特に仲良くしていたフランス人の男の子にフランス暮らしのアドバイスが欲しいと仰いだ。

「なにがあっても怒らないこと」

だそうだ。お役所仕事や社会の仕組み、こういうことにいちいち腹を立てるとフランス暮らしは身が持たないらしい。

昨夜はドイツ系サウスアフリカンのメンバーの娘さんが来た。ドイツの大学へ行っているそうで夏になると両親のいる日本に帰国してひょっこり顔をだす。日本人とのハーフの世にも美しい女の子なのだが、話しても20歳そこそこと思えないほど聡明だ。少ない予算であれこれ旅したヨーロッパの町の話はとても面白かった。イタリアのオペラを習っていると聞いたので、強くリクエストし、その歌声を聞くことができた。

彼女がピアノの横に立ちヘンデルの"Lascia ch'io pianga"を歌い始めると場は一揆に静まり返った。映画カストラートで歌われていた。悲痛な魂をやさしく鎮めてあげるかのように聞こえる歌だ。本当に美しかった。彼女が歌い上げると拍手喝采だった。最後にこんな素敵な歌を聞けて幸せだった。


2017年08月10日(木) 引越しスペクタクル

引越し当日。グローバルな引っ越しを専門とする業者から3人の作業員がやってきた。海を跨いだ船便コンテナ輸送の引越しなど初めてのことで、わたしのアイディアはとんちんかんだったと思い知る。数日前に業者から送られた段ボールに小物は自分で詰めて、パッキングリストのドラフトも作った。かなりの時間がかかって仕上げ、窓口のセールス担当に一応状況報告をしておいた。ところがやってきたのは窓口の業者の関連会社の人々で、彼らがフランスへ到着するまでの輸送一切を引き受けるらしかった。国内窓口の業者→国内輸送する業者→船会社→現地輸送する業者と4つもの業者の手に荷物は託される、と考えると大それた引越しのような気がして怖気づく。そして自分でしたパッキングはどこか大間違いのような空気を感じずにいられなかった。

3人のうちの一番若い雰囲気のおにいさんがボスのようで、荷物を一瞥し、さっと段取りを決め、それからすごい勢いで作業がはじまった。これが本当にすごかった。段ボールの中に物を詰めるのも見事にサイズがぴったりのものを瞬時に選び出し、隙間はきれいに梱包材で埋める。家具は瞬く間に解体され、ばらばらになったパーツを入れるための段ボールをその場でカッターを使って作る。神業といっていいほどの美しいプロフェッショナルな仕事ぶりにうっとり見惚れてしまった。これを書きながら今思い出しても、あのB4サイズのアタッシュケースを開けるとずらりと揃った工具、スペクタクルと表現してもいいくらいの彼らの華麗な作業風景、最後にぴしっと綺麗に箱に収められた家財道具一式に胸が熱くなってしまう。本当に大枚はたいた引越しとなったけれど、それだけの価値があると納得した。

作業が終わりに近付いた頃、ずっとメールや電話でやりとりしていたセールス担当者がやってきた。苗字は日本人だったが、Fの発音ができず、"プランス"などと言っていたのでコリア系かと思っていたのだが、やはりその通りだった。日本人と結婚したらしかった。FをPと発音されただけで不安になっていたのだが、よくよく考えたら自分の全財産を預けるのだ、相手が誰だって同じ気持ちだっただろう。しかし彼がさらに不安を煽るようなことを口走る。

「あのね、日本国内では破損とかそういうのはまずないの。でもフランスに着いたら現地の業者に引き渡すから当然作業員も現地人でここはどうなるのかわからないよ。ヨーロピアンはね、日本人よりいい加減だから」

ヨーロピアン、というか比率でいって日本よりきっちり仕事がこなされる国など世界のどこかにあるだろうか。日本は最初の枠組みであるシステム作りということに関しては脆弱でまったく合理性に欠ける、と思うことが多々ある(その代表はゴミ収集について)。ところが、出来上がったシステムの中で働く人々そのものは本当に勤勉であり、決められたことをきっちりこなす。フランスはこの逆ではないか。システムの中の人間がいい加減なことをしていても国としてそこそこ成り立っているのは枠組みが頑丈だからではないか。

作業はものの見事に2時間で完了。部屋はからっぽになった。

クロエちゃんを連れて実家に戻った。突然住む家が変わって不安なことだろう。飲まず食わずで元気がない。実家に寝泊まりするなんて何年ぶりか。本当に自分はこの家の子だったのか、というくらい生活様式が全て違っていて、わたしにとって実家はすでに異国の地のようだ。


2017年08月01日(火) 風通しの良い暮らし

家に入れるものは慎重に吟味して決めること。

引越しのパッキングをしながら改めて自分に戒めたことだ。引越すからといってゴミがでるようではいけない。生産と廃棄をめまぐるしく繰り返す人間の暮らしがどれだけ自然を痛めつけていることか。最近は廃棄できない家電も多い。簡単に廃棄しないでほしいとゴミ焼却場も呼びかけている。分解してリサイクルするのにどれだけの労力がかかることか。ゴミを出すことは自分を疚しい気持ちにさせるし、そういう姿は決して美しくはないはずで、人に見せたくないものだ。なりたいのはゴミを出さない人。ほんの少しの大好きなものだけを所有して、幸せに暮らしている人。隣町だろうか地球の裏側だろうが、引越すとなったら一夜のうちにパパッと荷造りをして行けてしまう人。日本の暮らしはゴミが本当に多くでる。油断するとすぐにゴミを家に持ち帰ってしまう。景品や粗品は断わろう。贈られたら贈りかえすのが礼儀のような種類の贈り物のやりとりはしないこと。人からの贈り物は不要なら贈ってくれたという嬉しい気持ちだけ取っておいて、処分しよう。本は食べ物と同じと捉えること。血となり骨となり吸収され残ったものは排泄される、と考える。図書館や人から借りて読むのが一番いい。買った本は読んだ後も取っておこうなどと思わないほうがいい(何度も読み返したいバイブル的な存在の本は10冊以内に収めたい)。ベッド、デスク、ソファ(椅子)、ダイニングテーブル、書棚を一式ずつ、それ以上の物を置けるような大きな家には住まないこと。自分の所持品を頭の中で思い浮かべた時に思い出せなかった物は自分にとって必要ではないものという証拠だ。プラスチック製品は買わない。土に還るものを。食料のストックは1週間分まで。。。

自分の暮らしを自分で猥雑にして"忙しい"と口走る人にはなりたくない。パッキングを終えた部屋はがらんとしていて風がよく通る。ぽつんとひとつ残ったクッションに腰かけて、コーヒーを飲んだら新しい風が自分の中を吹き抜けていくようだった。


Michelina |MAIL