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2013年10月27日(日) |
The new world |
新日本交響楽団のコンサートを鑑賞してきた。オーケストラを生で聴くのは初めてで、一人で行くのは気がひけたので、小団体でチケットをオファーしてくれたのはとても有難かった。さらにときめいたのはフランス人がけっこう来ていたこと。たまたま2席空いたところに年頃も同じのフランス人の男の子と着席した。フランス語を始めてから、妙にフランス人を引き寄せるような気がする。それとも今まで気付かなかったフランス人の存在が目に付くようになっただけか。聞けば、彼はパリではよくコンサートを観に行ったが、東京ではチケットの買い方からあれこれと解らず、これが初めてなのだと言う。
この団体はアマチュアなんだそうだ。わたしのようなド素人に上手い下手の判別などできない。しかし、美しい音色に酔いしれながら過ごす日曜の午後ほどいいものはあるだろうか。会場が大きな拍手に沸く瞬間の一体感など幸せに満ち溢れている。
演奏に酔いしれ、その合間にはフランスの話を聞く。好きな物だけに囲まれた甘い時間だった。
夜にカミーユ君と話した。この週末はスカンジナビアに住んでいるお父さんとカンパーニュで落ち合っているそうだ。割れて飛び散ったガラスの破片をそっと丁寧に拾い集めるように、散り散りになった家族をひとりひとり訪ねている彼の姿を思い浮かべて、なぜが目頭が熱くなった。コンサートのことを一通り話したが、やっぱり偶然とはいえフランス人男性と知り合ったなんてことは伏せておいた。逆にあちらから日本人女性と知り合ったなんて聞いたらあんまり嬉しくないものね。
2013年10月26日(土) |
Turkのフライパン |
一年近くリサーチして遂に購入したTurkのクラシックフライパン。いかにも頑固なルックス、ドイツの鍛治職人が150年も同製法で作っているという説明にただただ頷くのみ。一枚の鉄板を何度も叩いて形成していくから継ぎ目もない。安いテフロン加工のフライパンもそれなりの良さはあるけど、何が嫌って、毎日使っていたら一年くらいで使いにくくなってしまって結局買い替えること。もう次は一生使えるフライパンをと鉄製のを検討していたところ、この見た目に一目ぼれしたのだ。価格が高い・重い・扱いにくいというような口コミも見たのだが、一年も思ったのだ、もう買うしかないだろうと決意した。
まず焼き慣らし。たっぷりのオイルと野菜のくずと塩を入れて野菜のくずが焦げるまで熱する。一度お湯で洗って火にかけて乾燥させたらこれで準備完了。
さて、この先一生付き合うつもりのフライパンでまず何を焼こうか。と冷蔵庫を探り、まずは目玉焼きを。続けてシュレッドしたジャガイモと玉ねぎとガーリックにスプーン一杯の小麦粉を混ぜてたっぷりの油で焼くスロヴァキアのゼミアコベープラツキを。
出来上がりは、すごい!目玉焼きの淵なんてカリッと仕上がってる。これがテフロンにはできない技。料理の味が違ってくるというのは恐らく本当だ。
フライパンはまたさっとタワシとお湯で洗って火にかけて乾かしておしまい。洗剤を使わないのもいいじゃない。
次は何を焼いてみようか。
(写真:サイズはφ24僉^貎佑二人の家なら出番の多いだろうサイズだ)
男女の関係で失ってはじめて大切さに気付いたなんてのは、単に″ないものねだり″という人間の性質ゆえで、そこにそれ以上の意味はない。自分から別れておいて復縁を迫るような人はたださびしいだけなのだろう。一緒にいられる時が全てだ。一緒にいる時間を何よりも慈しんでもらえないのなら、その関係は本当の意味で成立などしていないのだろう。かけひきなんて言って押してダメなら引いてって・・・それってうまく人間の心理に働きかけて、はじめのうちはそれでうまくいくのかもしれないけど、そんなこと長々しなきゃいけない関係なら、相手の本命じゃないのでしょう。
あっ、これはカミーユ君とわたしについてではない。何より彼は一緒にいる時に一番の心づくしをしてくれたと思うから、この限りではない。たまたまわたしよりずっと若い女の子が掲示板で痛々しい恋愛相談してるのを読んで考えたことだ。
テレビ番組で、ハロウインにパーティー会場を間違えて射殺されてしまった服部君のドキュメンタリーが放送されていた。これを見るまで、運が悪かった、くらいにしか思わなかったが、よくよく掘り下げて見てみると、問題はずっと根が深く、アメリカの定義する″正義″を改めて疑わずにいられない。服部君を撃った男ピアーズは何丁も銃を保持していて、それまでも自分の敷地内に侵入した近所の犬や猫を打ち殺していた。ピアーズの弁護士は刑事裁判で勝訴した時、インタビューに堂々と答えた。
「人の敷地に侵入すれば撃ち殺されて当然。これがアメリカの正義ってもんだ。日本人も知るがいい」
この土地の人々(ルイジアナのバトンルージュ)も、口を揃えて弁護士と同じようなことを言った。撃ち殺されたのが自分の子供だったら同じ″正義″を主張しただろうか。撃ち殺されたのが服部君のような有色人種ではなく、白人の子供だったら?
刑事裁判はこのように幕を閉じたが、損害賠償を求めて戦った民事裁判では服部君の両親側が勝訴した。ピアーズはその後自己破産して行方をくらまし、賠償金はほぼ支払われることはなかったが、それでもピアーズとその妻に罰が下ったことにはかわりなく、多かれ少なかれ彼らの人生に困難が立ちはだかることになった。
マイケル・ムーアのドキュメンタリー映画″Bowling for Columbine"では、アメリカ人の銃による死亡者数は年間軽く1万人を超えていて、これは多くても年間数百という他国の数字とは桁違いだとして、その原因を突き止めていくと、それは″恐怖″だというところに行き着く。建国以来アメリカ人は常に何かに怯えてきたと。歴史的背景は置いておいても、銃社会の中で自分だけ丸腰は恐怖だと考えるのが人間の心理だろう。恐怖の連鎖だ。
全米ライフル協会の副会長とやらは、昨年こんな演説をした。
「銃を持った悪いヤツを止められるのは、銃を持った良いヤツだけだ」
もう、アホか、と呆れてしまう。そもそも″悪いヤツ″に銃を握らせてるのが問題ではないのか。
しかし、つくづくアメリカ人というのは、日常生活の中で実は存在しない敵と戦っているのではないかと思わずにいられない。彼らの敵は恐怖心から想像で作られたものなのではないか。そして、それを撃ち倒すことが″正義″だと。
いつか森アートギャラリーで見た、何重にも鍵をかけて、身動きの取れなくなった自転車を思い出し、そこにアメリカの姿を重ねてしまう。盗まれないように、と自らかけた鍵のせいで、自らが動けなくなってしまうという悲しい姿だった。
土曜の夜にカミーユ君に手を振って、めそめそといつまでも泣いている暇もなく、日曜は鎌倉でハイキング、月曜日は友人と美味しい物巡り、と予定がぎっしりと詰まっていたのは幸いだった。遊び疲れて体が重くなったころ、カミーユ君から無事に家に着いたとの連絡が来た。
友人との間で話題にのぼった「信頼すること」というテーマ、自分なりに考えてみた。
アメリカに移民して、ひとり苦労して生きている女の子が、同じ境遇の男に言葉巧みにお金をせがまれる。彼女は解っている。″貸したお金″は返ってくることはないのだと。でも彼女は自分のしてきた苦労を彼の姿に重ねて、助けてあげたいと思ったのだ。信じてあげることで相手が信頼できる人に変わってくれるかもしれないという淡い期待をこめて。結局男はお金を持ったまま行方をくらませた。自分が苦労してもまだ人にあげられる愛を持ち合わせている女の子と、それに答える余裕もない男。この女の子は苦労しても気持ちの豊かさを失わなかった。生まれつきの悪人なんてそう滅多にいない。男もいつか彼女のくれた優しさに気付いて、自分の醜態を恥じるだろうか。
人を信じることができるというのは、もうそれだけで十分強みだ。その人の生い立ちが想像できる。想像したような生い立ちではなかったとしたら、その人が自力で精神の豊かさを培ったことを尊敬する。騙す人よりも、信じない人よりも、信じて騙される人は豊かだ。
(写真:丸の内のシャンパンカラーのデコレーション)
2013年10月12日(土) |
À bientôt! |
空の澄み渡った美しい日だった。カミーユ君と新宿で落ち合った。東急ハンズで買い物をして、Breizh Cafeのテラスに席を取り、シードルとガレットのランチをした。テラスの前の庭で、小さな子供達が走り回っていて、明るい光の中ではグリーンの瞳のカミーユ君を見てはみんな立ち止まって凝視した。彼もいちいちかまって遊んでいた。そして、
「子供本当に出来てなかったの?」
と残念そうに言った。独身貴族を謳歌しているように見えたけど、本当は家族が欲しいようだ。ただ自分の身勝手さをよく知っているから、自信がないのだと。尊敬する父親が母子を置いて出て行ってしまったことが、彼をそんな不安に駆り立てているに違いない。欧米は離婚率が高くて、そんな人々はどこにでもいるといっても、やっぱり子供達はそういうことに深く傷付いて、自分が大人になった時に誰かと一緒に生きる幸せよりもそれが壊れていく時のことを考えてしまうのではないか。欧米には″家族を持つこと″をシンプルに捉えられない人が多い。
手荷物も多くなって、タクシーを取って彼のフラットまで戻り、パッキングを手伝った。仕事のことになると、どこへ派遣されようと感情を押し殺し、冷静に徹して、身軽にスーツケース一つでどこへでも飛んでいく、マイレージを貯めて、ホテルや飛行機はいつも優先デスクでチェックイン・・・ここまではあの映画″Up in the air"のジョージ・クルーニーのイメージだったのに、パッキングの仕方を見てイメージ崩壊した。なんちゅーいい加減な詰め方なのか、とわたしが詰め直してあげた。
長旅の前のシャワーを浴びるのをバルコニーで飲みながら待っていると、陽が落ちて東京タワーがライトアップされた。お別れの時間が刻々と迫ってくる。
フラットをチェックアウトしてタクシーで東京駅に向かう。丸の内はもうクリスマスのデコレーションが煌びやかだ。これから冷え込んでくるというのに、手を握って歩いてくれる人は去っていく。
初めて成田エクスプレスに乗るのが嬉しくて、心の底にごろごろと渦巻いていた哀しみからしばし解放された。先日乗ったヨーロッパの国際電車みたいだ。
空港で夕飯を食べた。食事を運んでくれた高校生くらいの女の子が、
「今日は窓から成田の花火が見えるんですよ!ラッキーですね!」
とはしゃいでいた。飛び立つ飛行機や花火で空が賑やかだった。本当は今日こうやって一日中デート出来たのは特別だった。いつも仕事帰りや出張帰り、または別の予定の合間など忙しい会い方だった。だから一度一日彼を独占してデートできたらいいと思っていた。一生懸命スケジュールをやり繰りして会う時間を抽出してくれる彼にそんなことを言ったことはなかったが、思いがけず実現した。本当に嬉しかったのだと伝えると、こんな事実を教えてくれた。
「今日のフライトは本当は朝だったんだよ。でも君とゆっくり会いたくて、夜のフライトに変更したんだ」
女の子をその場限り安心させたり喜ばせたりするようなことは言えない性分なのだろう。でも口下手な分、行動に思いが滲み出ていた。もっと知り合える時間が欲しかった。もっと知り合えれば、お互いに何が何でも手放したくない存在と思える日が来たかもしれなかった。今こうして離れていくということが、そこまで到達できなかったという紛れもない事実を物語っている。わたしに相手を一瞬で虜にしてしまうような魅力が足りなかったのかもしれないし、相手の仕事のシチュエーションもあったのかもしれないし。物事は自然と運気が向く時と、どんなに頑張っても運気の向かない時がある。何より別れる辛さにフォーカスするよりも出会えた幸運に感謝すべきなのだ。悲観せずにまたこつこつと真面目に生きていこう。
「アデュ(フランス語で永遠のさよならを意味する)って言わないでね。またどこかで会えると思う」
とハグをされて、違う言葉をかけようと思ったが、別れが辛くて言葉を失ってしまった。口を開くと泣き出してしまいそうだったので黙って手を振った。彼はぐんぐんと出国ゲートに進んでいって一度も振り返らなかった。
帰りの電車でしくしくと泣いていたら、メールが来た。
「今日はすっごい楽しかったね!」
本当に。楽しい初の独占デートだった。
2013年10月06日(日) |
こんなにも大人になっていた |
心が大きく揺さぶられた一週間だった。毎朝測っている体温が月曜からおかしい動きをしはじめた。避妊はしているが、100パーセントはない。もしかして、と不安になり始めた。こんな時、不安を和らげてくれるかもしれない相手は、またもや海外出張に出ていて、夜にほんの数分チャットするのがやっとで、会話らしい会話も持てなかった。水曜の午後になっても生理がこなくて、その夜心を決めた。何がどうであれ、もし新しい命を授かったのなら一人でも育てよう。
ところが、木曜の夜、生理がやってきた。一度心を決めたものの、新しい命はちゃんと心の準備の整った人々のところにやってくるほうがいいに決まっている。ほっとしたのも束の間、今度は過去のボーイフレンドから電話がかかってきた。東京に来ているので会いたいと言う。関係を成り立たせようと必死に真剣に向き合った人ほど、その努力が報われなかった時の落胆が大きく、後からはもう二度と蒸し返したくない。別れた後も平然と友達のようになれるのはさほど真剣にならなかった相手だけだ。彼との関係は一番幸せで一番辛かった。ただただ懐かしい思い出だと笑って会えるようになるにはあと10年くらいは要るのではないかと思う。わたしの中では完全に″過去″だが、傷口はまだ膿んでいる。相手はまだ小さな望みを抱いていて、それがあまりにも心苦しかった。心を鬼にして、もう別の相手とデートを重ねているのだと告げた。勿論その相手はもうすぐ去ってしまうなんてことは伏せて。電話の向こうでみるみる声のトーンが落胆していくのが伝わって、苦しくて涙がぽろぽろと出てしまった。
日曜の午後、カミーユ君が成田に着いて、銀座で落ち合った。長いフライトの後でさぞかし疲れているのだろうが、家に戻ってシャワーを浴びてきたようで、フレッシュないい匂いがした。一週間の出来事を全て話して聞かせた。
自分一人でも育てようと思った。貯金をチェックして苦しいとも思ったけど、いざとなったらあなたに経済的支援を頼もうと思った。でも一人でも育てるなんて言って満足してるのは自分だけで、子供の立場を考えたら単なるエゴなのだろうかと悩んだ・・・・・
などと。最後まで黙って大人しく聞いていたカミーユ君があまりにも自然にぽつりと言った。
「っていうか、そうなったら一緒に育てるけど」
えっ?思いもよらなかった言葉に思わず立ち止まってまじまじと相手の顔を見てしまった。そしてハッとした。なぜ、相手が無責任に去って行ってしまうと決めつけていたのだろう。相手は37歳。立派な大人で、もう無闇に遊びほうけたり、体だけの関係を楽しんだりしているわけではないだろう。考えてみればわたしも同じだ。いざとなったら責任を取れるような関係しか結ばない。彼とは年が同じせいだからか、学生の時の同級生と話しているような感覚になって童心に返ってしまう。同じ年で、同じ映画を観て、同じように夢中になって。しかし、わたし達は大人だ。そんなことに初めて気付いて、なぜか、自分の好きになった″男の子″は立派な″大人の男″だったのだと急にひとまわり大きく見えた。
2013年10月04日(金) |
Bon Appétit! |
パリで食べたタルトタタンの味が忘れられなくて、あれこれと試し続けて、やっと納得のいく味に仕上がった。リンゴとパイ生地だけの一見かなりシンプルなお菓子だけれど、焼く型の素材、火の通し方、何よりもリンゴの糖度や酸味によってかなり違う物になってくる。クリームブリュレのようにスプーンを当てた時にトップがシャリッという感覚が欲しくて、あれこれとやり方は発見したのだが、どのやりかたもあまりにも面倒で時間がかかる。パリのどこのカフェでもちゃんとこうなっていたが、こんなやり方をいちいちこなしているとは思えない。本場ではどのようにやっているのだろう。課題を残しながらも、パートプリゼ(パイ生地)も、さくっとよく出来ているし、リンゴもしっかりキャラメリゼされていて、しっかりべっこう色だ。熱い紅茶を入れて、温かいタルトタタンに塩キャラメルアイス、と言いたいところだが、売っていなかったので、バニラアイスを添えていただく。なんとも幸せな時間だ。