My life as a cat DiaryINDEX|past|will
パース繋がりで日頃日記を楽しみに読んでいるくれあさんと会うことになった。定時で仕事を終えてよく行く居酒屋に寄って一応予約を入れ、とことこと銀座三越前のライオン目指して歩いた。そしてゆかたでライオン前にいるくれあさんを見つけて少し驚いた。想像していた雰囲気と違うこと、聞いていた年齢よりも見た目が若いことと、黒木瞳張りの小粒美人なことに。とりあえず「老舗」といった雰囲気の喫茶店に入り、ブランデーの味のしないブランデー入りミルクティを飲み、ここでお土産を頂いてしまった。黒猫や浴衣やサンダルの夏色イラストのシールや手拭い、魚の形の包丁研ぎなど。ゆかたを来た女の人の巾着からこんな物がでてくるのがなんだかわたしをとても楽しくさせた。
最近仕事で地方の小さな会社に電話をかけることが多い。大抵は4コールから6コール待って「はい**です」とあちらが電話にでる。わたしの中の常識ではこれは至って普通だが、わたしが働いている「立派な上場企業」ではこれは許されない。電話は2コール目までに「お電話ありがとうございます。**、**事業部の**でございます。」ととること。万が一それよりも待たせてしまったら、お待たせしましたと詫びること、、、などなど。電話の取り方もきっちりと研修を受けている彼らはしっかりとマニュアル通りの応対をする。
まったりとした土曜日の出勤。ぱらぱらと人が帰り始めた頃、突然すごい揺れが起きた。地震だ。新しいビルは揺れを吸収するようにできているというけれど、本当にすごく揺れる。ただでさえ土曜の出勤はわたしにはかなりキツイというのに、さらにこんなことがあると心まで萎える。早く家に帰ってのんびりしようと定時に切り上げたものの、電車もバスも全てストップしていた。タクシー?ホテル?とりあえずカフェに入り、本を読む気力もなく1時間ぼんやり道行く人を眺めた。地震を体験したことのないマーティンが沢山メールを送ってくるので(ヨーロッパのマーティン母もニュースを聞きつけて心配しているという)返信していたら電池も切れてきて、世界に遮断された気分になった。駅までとぼとぼ歩いていると女の子に道を聞かれたので現地までつれていってあげた。駅は人であふれかえっていて駅員に詰め寄る人々に混じってわたしも自分の電車を確かめなければならなかった。この時点で20時。なんとか少しづつ復旧している電車に乗り家路に向かうことにした。が!これが地獄の始まりだった。大袈裟?いえいえ、本当に大変だったのだ。線路に落ちてしまいそうなほど人で溢れたホームで電車を待ち、ドアが開くのと同時にみんなが早く帰りたい一心で車内に向かってぐいぐい進む。悲鳴があがり罵声が飛ぶ。子供が泣く。そしてこんな時何よりもわたしを疲れさせるのが駅員を怒鳴りつけるオジサン。なさけない姿だ。やっと乗れた電車で息も絶え絶え、行き先を変更されたりして何度も電車を乗りかえた。電車は35km制限でのろのろ走り、家の近くまで着いた時はもう0時を廻っていた。もうぐったりだったけれど少しだけ面白いことがあった。電車の中で暇つぶしに話しかけてきた男性と話していたら、どうも以前わたしが働いていた会社の社員のようで(もちろんお互い全く知らなかったけれど)、なつかしい話をしてしまった。そんなんで家に着いたのはなんと夜中の1:30。こんな時間に駅から人が出てくるのが異様な感じだった。本当に疲れてしまったけれど何よりも怪我もなく無事に家に帰れたことに感謝。
新地キャンベラではまだマーティンは家がなくてミケはシェルターに預けられたままなのだけれど、この2人、とても可笑しい。あちらに着いてからこの2週間の間にマーティンは3度もタクシーに乗ってミケに面会しに行っているのだ。ミケも喉をゴロゴロと鳴らしてでてくるようだ。まるで囚人ならぬ囚猫のよう。
今日はわたしの誕生日。29歳の初日にまずやらなければならないこと。それは病院行きだった(泣)。なぜなら昨日野良猫に噛み付かれたから。車を運転していたら中央線の上に腰を抜かしたように猫が座っていたのだ。スピードを出せるような道ではなかったのだけれど、危険なので車を路肩に止めてその猫を抱き上げて脇の草むらまで連れて行ったのだけれど、その際にどこからか大きな物音がして驚いたその猫にがぶりと噛まれてしまったのだ。今朝は普通に会社に向かったのだけれどマーティンから「野生動物に噛まれるのは危険なので絶対に病院に行くように」と何度もメールが入ったので会社の近くのお気に入りのイタリアンレストランで1人早めのランチを取り、午後から病院へ向かった。マニアな研究をしている博士のようないんちき臭い風貌のドクターに「猫ひっかき病」とかいういんちき臭い病名をもらい、塗り薬と飲み薬をもらった。その足でふと目に付いた隣のサロンで自分へのプレゼントに爪の手入れとハンドマッサージをしてもらうことにした。これが気持ちがいい。老廃物が凝り固まっていると言われそれをもみほぐしてもらうと驚いたことに本当に体が楽になった。すっかりリラックスして夜は親戚とわたしの大好きな料亭で夕飯を摂った。叔母は誕生日プレゼントにハンドバッグを用意してくれていた。もう30歳近くになってちょっと恥ずかしい気もしたけれど、きっと親や叔母にとってはわたしはいつまでたっても子供なのに違いない。いつの間にかこんな大酒飲みになってしまったのに。
ベジ仲間のさなちんさんがわたしのストレス解消に付き合ってくれることとなり、夕方に銀座で再会。蒸し暑い日が続いているので香草の利いたアジアン料理を食べよう!とあの有名なベトナム・アリスに挑戦してみた。が、食べられるものが見当たらない。じゃぁここは軽くつまみだけにしておこうと生春巻きとバンセオ(ベトナムのお好み焼き)をつまみにさなちんさんはベトナム米焼酎をわたしはコンデンスミルクの入ったアイスコーヒーをオーダーした。さなちんさんがオーダーしたこの焼酎はなぜかヘーゼルナッツのような味してきつくてとても美味しい酒だった。ここでわたしが最近強く感じている「国際化社会」において日本の男性がいかに自信がないか、そして日本の女性がいかに逞しく強いかということを力説させてもらった。例えばよく欧米人女性はアジア人男性は体が小さいから好まないというのをよく聞くけれど、そうではないと思う。あちらで見た欧米人女性のパートナーを連れた日本人男性に共通していることは体が大きいことではなく自分にしっかり自信を持っていて精神的に強いことだった。
会社帰りに同僚のケイさんという人事課の女性とタイ料理屋でお酒をちびちびと飲みながら春巻きやナンプラーの効いたサラダをつついて、職場の悩みをあれこれと聞いてもらった。ケイさんは役職柄、事業部全体の動きや人間関係などをよく把握していて、営業マンの中に入って働かされる女性の辛さなどもよくわかっているようだった。他の会社も同じだと思うけれど、ここも男性社員は学校を卒業して新卒で入社してそれから大抵はその会社に骨を埋めるかそうでなくても長々とそこで働くかするから、彼らはその社の方針や考え方、風潮にどっぷりと染められている。みんな本当によく似ている。その点女性は色々な会社を経験している人が多いから、おかしい点にも気付き易いし、そう思えば案外あっさり辞めてしまう。女性陣が飄々としているので、もしかしたら自分だけがすごく変わったところからきてしまったのではないかと思っていたけれど、そうでもないと知って安心した。困った人々の困ったお誘いのうまい断り方や上司との距離のとり方など、とても参考になることも教わって少しずつストレスも和らいできた。
嫌なことがった。毎日の激務でぐったりしているところにとどめを刺された気分。もうダメだ、今日は残業するのはやめようと定時で切り上げた。OAZOへ行き、本を衝動買い。心が健康な時はそんなことは私生活の中で自分の目で見て学べばいいと思っているのにすがるような思いで「社会にでたらどうしても避けられない人間関係をどううまく克服するか」といったことを書いてある本まで購入してしまった。
数回しか行ったことがないのに、最も苦手という思い込みのある「夜の六本木」のとあるカフェ(イメージ的にはハードロックカフェのようなところ)で暑気払いという名目のグループの飲み会が行われることになった。たまたま定時までに仕事が片付いたのでさっさと切り上げて地下鉄に乗って一足先に六本木に着いた。暑い。暑気払いというならもっと街も人間も涼しいところでやろうよとぶつぶつ言いながら目に付いたウェンディーズへ駆け込み、コーヒーを買って席へ着いて本を広げて読み始めた。5分くらい経って落ち着くと食べ物とタバコの混じったなんとも気持ちの悪い匂いに気付いた。周囲を見回すと電気の色のせいかハンバーガーを片手にコーラを飲んでいる人、タバコを吸っている人、、、みんなの顔色が悪く見えた。病んだ空間のようで恐くなって飲みかけのコーヒーを持って逃げるように外へ出てしまった。ちょっと早いけれど先に店に入ろうと行ってみると数人既に着席してビールを飲んでいた。わたしも速攻でそこの雰囲気にそぐわない日本酒を頼み、ごくりごくりと喉を潤し、2杯目からは白ワインにすることにした。わたしが日頃尻に敷いている幹事のユウタはわたしのいいつけどおりベジタリアン料理をチョイスしてくれた。オニオンリング、カレー風味の石焼きチャーハン、ゴマダレサラダ、、、。みんなはベジタリアンだということに気付かずに食べているようだった。オニオンリングは大好物なので六本木まで移動しなければならないことに文句をつけたが許そう。こんな飲み会ひとつとっても彼らはやっぱり営業マンなのだと思わされる。時間に遅れることなく飲み会が始まり、さっさと飲んで切り上げるときもあっさりさっぱりと速攻なのだ。上司のじゃぁ、そろそろ行きますか、の言葉と同時に全員が席を立ち、ごちそうさまでしたと言いさっさと駅へ向かうか次の店へと散る。店の外での立ち話もない。わたしも帰ろうと思ったら「次行くよ!」と言われ、カラオケに行ってしまった。やっぱりみんな遊びなれてるな、表面上は楽しいけれど、わたしは彼らが「感じのいい人」を演出するのがうまいのを熟知しているから、彼らを信用しきって何かを話すことはない。わいわいと騒いだ後の虚しさのような寂しさのような気持ちで一人先に切り上げて外国人や酔っ払いの間をぬって足早に六本木の駅へ向かった。
単調な毎日を嘆く人は多くて、わたしも毎日8割型の幸せがあるからこそ、たまにあと2割がどうしても欲しくなって、さらに溢れ出してしまうくらい欲しかったりする。
仕事が山積みになってしまってついに休日に持ち越してしまった。体力だけでなく精神的にもかなりやられていた。お昼前に重い体を引きずって静まり返ったオフィスに着くと同じグループの新人ユウタも疲れ顔で出社していた。お互いに溜息交じりの挨拶を交わし黙々と仕事を片付けていった。休日は電話が鳴らない分だけ仕事が捗る。ランチはこんな日は美味しい物でも食べなくちゃと階下のレストランへ降りてみたらゆっくりと遅めのブランチをとっているような人々ばかりが目に付いて侘しい気持ちになった。戻るとユウタはもう引き上げていた。言われるがままに仕事を引き受けた挙句山のように積み上げてしまった自分の管理能力の無さを反省しつつも半分は同じ仕事をしていないからわたしの仕事の大変さがわからない人々に苛立つ気持ちもあった。もやもやとした気持ちで黙々と作業を続けているとマーティンから電話がきた。引越しの準備で大忙しだとかミケのために広い庭と大通りに面していない家を探すのだとか、、、あれこれと話した。高いビルの窓からわたしのストレスと同じくらいビルがぎっしり詰め込まれた東京を見渡しながら話している受話器の向こうにはだだっ広くて大らかな空気があった。本気でそう思ったわけではないけれど「もう帰りたくなっちゃったなっ」と言ってみたら「帰ってくれば?」とあっさり言われた。日本の就職事情も何も知らない彼はいつも無邪気にこう言う。でも嬉しかった。いつでも帰ってきてもいいと逃げ場を与えられていることが大きな心の支えになっている。
忙しかった1週間の締めくくりはパースの飲み仲間で同時期に帰国して大手のドイツ資本の会社で働き始めたばかりのアイちゃんと帰国したばかりで求職中のユキちゃんと再会。新しい会社で表面的にはうまくいっているようでも本当は少し孤独だったわたしは、定時に切り上げて足早にエレベーターを降りてそこに「自由人」という出で立ちのユキちゃんを見つけたら、子供の頃、具合が悪い日に学校まで迎えに来た母親を見つけたときのように安堵して一揆に力が抜けた。
Michelina
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