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2006年03月30日(木)

チャクラとか前世とか・・・

今日はまた寒い。
ちょっと風邪気味だがしのげそう。

この前の日記で額の前で気がぐちゃぐちゃ・・・って巻いていることと書いたが、
書いてから思い出した。

何年か前にちょっと(時間的に3分くらい)オーラを見てもらったことがあるんだけど、
その時に同じことを言われていた。

額の前にむにゃむにゃがあるーと。
意味は聞いていないので、それが何なのかはわからん。

何番目だかわからんが、チャクラの場所とも聞いたことがある。
チャクラがどーにかなってるのか?さぁ。

そのオーラの件で、思い返すとで、もう一つ気になったこと。
ハーモニーベルのCDを聞いて一ヶ月後くらいに数回、胃腸がぐだぐだになった。
ここも確かチャクラの場所で、その3分くらいオーラを見てもらったときに、
この部分から気が抜けていて(つまり弱いということらしい)、
で、全体のオーラに元気がないという話。

反応があったのが、まさにその場所だったので、関連があるようなないようなーと。

額のむにゃむにゃも、合ってるし。
最近は胃腸も落ち着いているし。
偶然にしても精度が宜しいので、ま、よしとする。

怪しく流れたついでに。
何か多分、この人であったことがあったような気がする・・・という、俗に言う前世が一つわかったような気がする。
10年くらい前から、なんかチラチラ映像が見えていて、小説とか映画とかのイメージ映像化とも思ってたんだけど、
そーでもない気がするようなしないような。

多分、アイルランドかスコットランドで、海の近くで、天気が悪くて、空気が湿っていて雲が重くて、海が灰色で、
要するに海辺の寒村。
女の人で、白と濃いグレーの服を着ていて、赤っぽい茶色の髪で、肌は乾燥気味。
背は高め。聖職者か教育者の家で育った人。
海と空を見るのが好きだった。
この海の向こうには何があるんだろう、あぁ飛び出して遠くに行きたいなーと思っていた。
そんな気持ちと景色が浮かんでくる。

この人は誰なんだろう?
何か本で読んだっけ?ドラマで見たっけ?とか、ずっと思っていたんだけど、全然思い当たる人もなく。

最近風景だけじゃなく、気持ちまで思い出されるような気になり。
ひょっとして、これが前世っつーものか?

杉浦日向子は、幼稚園の頃あーだったなぁと思い出すように、みんな普通に前世を思い出すもんだと思っていたと、
言っていたから、そんなものなのかもしれない。


2006年03月27日(月)

桜が咲き出した。

桜が気がつくと咲き出していて。
もうそんな季節なんだ。

いつも思うんだけど。桜の季節って肌寒いね。
日も落ちてから、外に座って飲むって、やったことないけど、相当寒そうで、今更もう嫌だ。

この間、丸井にゴズロリを見に行こうと言われて、行ってみた。
後、18歳に戻れたらやってみたいこととか話した。

ゴスロリはやってみたかったな。
とか、そんな風に過去形で夢を語る。

ゴスロリをやるには一式揃えないとだからお金かかるし。
友達とか作ったらそれはそれで止めるタイミング難しそうだし。

何ていうか、頭でシミュレーションして可能性を閉じるのはそれは生き物としてまっとうな、
生体保存能力なのかもしれないが。

要するに面白くなく。

背負うものが軽く、跳ね返す力、要するにリカバリの体力とかが豊富な時代に、
向こう見ずな衝動によってみたかったと思うのでした。

が、当時は今より理屈に重きを置いていたからなぁ。

次に生まれ変わったら。なのだろうか。
でも、もうだるいから、別に魂が進化しなくてもいいなぁとも思うし。

あと最近気になるのは、額の前で気がぐちゃぐちゃ・・・って巻いていること。
これは何だ?


2006年03月22日(水)

『リンダリンダ』のDVDをエンドレス

沈んでもいないけれど、浮ききらないし。
おまけに何だかすごく寒い。

というところ。
『リンダリンダ』のDVDを買っておいて良かった。
脚本には正直物足りなさと、多少の反発は感じるが、歌の力には惚れた。

何度もリピはもちろん、脳内リピもエンドレス。
そうして気持ちを暖める。

山本耕史も松岡充も当然かっこ良いのだが、気がつくと頭の中で回っているのは
北村有起哉の『パンクロック』。
愛おしくてたまらん。

まとめの感想はこちら

ここずっとお風呂で歌を歌うことなんてなかったのに。
思いっきり歌いまくっている。『僕パンクロックが〜好きだ〜!』

ブルーハーツはほとんど今まで引っかかってきていなかったのに、
メロディも詩もつぼつきまくりで、まさか・・・と思って調べたら、作詞作曲の二人は共に魚座。
うーん。。。。

魚座の音楽には徹底的に転ぶんだよなー。
で、蠍座と水瓶がブレンドされた男によろめく。

これは一生かわらないのか?


2006年03月19日(日)

ソシズノノ2回目

ハーモニーベルのこと。この間ソシズノノの2回目のセッションを受けた。

これは私の見方で、多分、ずれてるのだろうが。
自分的にはハーモニーベルって、凄く対処的なというか即物的なアプローチのつもり。

精神分析だとか、カウンセリングだとか、催眠療法だとかに比べてって、意味だけど。
見えない、触れない気持ちに対して働きかけることよりも、まず、そこにある身体を何とかしようというもの。

『姿かたちから入る。』というか、下部構造の変換というか。
気持ちを明るくするには、まず笑えーみたいな。

整体に近い。
まず身体を整える。つられて気持ちの背骨がまっすぐになる。というものとして受けている。

2回目の感想。
脚に気が巡っているのを、一回目も感じたけど、前は腿から下でぐるぐるしていたが、
今度は腰から下でぐるぐる巡っていて、巡る距離が長くなった分気持ちよかった。

あと、マッサージでふくらはぎを下からぐーっと持ち上げるのってあるけど、
それをやってもらっている感じ。
手のひらの感触を感じるくらいリアル。
手でやってもらっているのと同じか、それ以上に強く揉みあげられている。
わけじゃないのに。のようにしか感じられない。

音が鳴っているだけなのだが。不思議だ。
とにかく脚を流れるもの、血液だかリンパ液だか、気だかが、上に上半身になだれをうって駆け上がっていく。
そのごーごーとした速さに驚く。
目をつぶってベルを聞きながら、鮭の滝登りを連想してしまった。

フィジカル的なことを言うと、帰りは靴がぶかぶかでした。
なんだかよくわかんないが、何かは起こっている。

今回は上半身もかなり活発で、ぐるぐると気が巡っていて、身体がむずむずした。
まわるまわる。

今回はそんなに額を意識はしなかったけど。
でも突き抜けた感じもせず。
これは今後なんとかなるのかなー。額が開いたら快感だろうな〜。

一回目にはなくて、2回目であったのは翌日の揺れ。
貧血とかとは全然違っていて。

なんていうか。
気持ちと身体がずれてるというか、エレベーターが動いたり、止まったりするときに、浮遊感があるじゃない?
それに似ている。
歩いていたり、ただ立っていたりしているだけなのに、妙にぶれる。一体感がない。
自分の重心の位置が瞬間わからなくなる。

ぼーっとあるくと千鳥足っぽくなってしまうので、翌日は気を入れて歩かなければならなかった。
一日で直ったけどね。

とりあえずソシズノノ2回目の感想はそんな感じ。
とにかく気持ちがいいので、また予約は取るつもり。
ホームページとかに色々精神面での変化だとかも書いてあるけれど、
それに期待するところもないわけではなく、というよりむしろありありだが、それは置いておいてもいいや。
単純に気持ちが良いので行く。


2006年03月14日(火)

昨日に引き続き、リンダリンダのDVD

辛抱たまらず、うっかり副音声で見てしまう。昨日に引き続き、リンダリンダのDVD。
2枚ディスクを両方とも。
休憩前/後なので、約3時間。
昨日の就寝時間は午前四時。止めましょうよ。不摂生は。

と言いつつ。非常に気分はよい。
よーするに楽しけりゃいいということなんでしょう。

いやぁ副音声いいですよ。
どーでもいいゆるい会話も良かったけど、演技については北島マヤの影響が強すぎて、
憑依というか、役になりきって心のままに転げまわる・・・みたいな印象があった。
経験ないもので、あくまでイメージとしてしか、捕らえられなくて。

副音声を聞いて、世界が変わった。
演技とはまさに技で、表現スキルなのだということを知った。
ものすごく緻密な計算、体の向きから会話の間から、その時の自分の気持ちの盛り上がりの調整から、
で成り立っていることがわかって、とても興味深かった。

自分の声とか、写真とか、鏡とかを見るのが、私はすごく嫌いで、恥ずかしいというか、
いたたまれない思いがして、目を伏せてしまう。

自分の表現を売る商売と言ってしまえば、それまでだけど、役者の自分の客体化ってすごい。

副音声を聞いていると、キャラを作っているにせよ、山本さんは特に、
もう自分の気持ちと、自分の体というものが完全に別物になっていて、
テクニックの表現として、自分の演技を評するというか、自画自賛していたことに、かなり感動した。

例えばF1でマシン転がす人が、『このコーナーワークはうまくいったんだよ。』と語るような感じ。

見習いたいって思った。
表現をちゃんと伝えられるように、意識的にやらなければということ。

自分の体の動かし方、目線とか姿勢とか声とか、普段おざなりにして、
無意識でぐだぐだやっていたことを、ちゃんとコントロールする。

思いを垂れ流さず。
かつ、伝えたいことは効率的に伝えられるように。
自分を演出しなければ。
と、客体として扱うことになれれば、自分をもっとちゃんと見られるようになるのではないだろうか?

自分で正視できない自分を、人はがん見することが出来るのだから。
自分で見ておかないほうがやばい。(と、理屈ではそうなのだが、照れるがな)


それにしても、山本さん。
三谷さんが、組!の時に緻密に計算して演技をする人と山本さんを評していて、
評された本人は『全然、計算なんかしていない。』と否定していたが。

自覚がないのか、他の演技者たちはもっとすさまじく計算くんなのか、どうなんだろう。
常に関心が周りの人にあると言っていたので、職業上のこだわりとしての自己表現スキルと、
人の心情への関心で自分のほとんどを使い切っていて、自分の気持ちに目を向ける余裕がないのかもしれない。

と思ったものでした。


2006年03月13日(月)

DVD『リンダリンダ』購入

組!から始まる演劇生活・・・というスレがあったが。
組!から色々なものが芋づる式に入ってきて、まぁ嬉しいのだが金はかかる。

フローを書くとこうなる。
組! → 毎日モーツァルト → 風のハルカ → DVD『リンダリンダ』購入。
『毎日モーツァルト』がBS-hiで朝やっているのだけど、前の番組が風のハルカ。

『毎日モーツァルト』が始まる前につけるので、風のハルカは見ても5分くらいだが、
毎日見ているとなんとなくストーリーがわかってくる。

それだけならまだしも、間抜けなことに、松岡充演じる猿丸さんにうっかりげっちゅーされてしまった。
いかんなぁ・・・。朝っぱらから何やってんだか。
となると、思い出されるのが2004年末の舞台『リンダリンダ』
山本耕史さんも出ていたし、松岡充も出ているとなるとー。あーなんで見に行っておかなかったかな。自分。
過去のことはしかたがないとして。舞台のDVDを売っているのだが。
買う?買う?買っちゃうの? 舞台も見ていないのに? 6,800円するのに?

でも、DVD買うと何度も見るタイプなのが判明している。(要するにしつこい)
だったら買ってしまうか?!

LSOHのDVDだって、10回以上は見ているし。
一番見ているのは、年始の組!!のHDDに撮ってあるやつだが。
これは自分でも驚くが、おそらくリピ20回は超えているはず。あほだ。

主演の2人が好きならば、損にはなるまいー。
冬季のボーナスが少なかった補填としてのボーナスも出たしー。
思い切ろうかー。えぃ!!!

ということで、結論は見えていたのだが。 買いました。
大人って素敵だと思うのはこういう瞬間だ。 

日曜日に届いたので見ました。見ましたとも!

感想は色々あるのだが、もうちょっとまとまってから。
山本さんもかっこよかったが、頭には松岡充が猫みみと猫しっぽをつけて踊るところしか残っていない。

か、か、かわいすぎー。
歳で区分けするのは好きじゃないが、でも、30超えてあのキュートさって、どーなのよ。
やられた。

今晩は副音声で見るぞ。


2006年03月12日(日)

捨てすぎ

捨てられない、片付けられないということを雑誌のTOPICでよく目にする。
が、これは全然実感がわかない。他人事。

気分転換が捨てることと、片付けることなんで、気持ちが分からない。
めちゃくちゃ捨て好き。捨てるとすっきりする。
ものを買う前に、仕舞うことのストレスを思って、気に入っても買わなかったりする。

同じく、ダイエットの記事も。
節制しないと体重が増えるということが、そりゃ意味は分かるけど、さっぱり腑に落ちない。
うっかり食べないでいると、知らぬうちに痩せていたり、貧血っぽくなったりして。
あー食べねば・・・と思うことはある。

が、かなり元気良く食べていると自分で思っている時期に、
ここまで食べれば少しは太っているだろうと思っても、太っていたことがない。

多分、この"片付かない"と"太る"は同じことなんだろう。
よーするに私が唯一片付けなければいけないものは、受け入れることを拒む壁っつーこと。

だから、傍で見ていると思うんだ。
片付かないこと、捨てられないことを嘆くこと無いって。
体重についても。ぷっくらした二の腕とか大好きだ。
地に足がついている逞しさと、異物からエネルギーをがっちり取り込む大らかさを感じられて、あこがれだ。

片付かないくらい、色々なものに広く興味を持って、自分のテリトリーにものを入れようとし、それが行動に移しているって、誇っていいことじゃん。

最近、色んな雑誌で"片付かない"を取り上げてるからさ。
何で否定的に書かれてんのかなーって、不満なんだ。
そんな記事に煽られて、そこら辺の女の子が排除にばっかり向かいだしたら、哀しいし、楽しくないなって思う。

情報過多が病気を作るっていうが、これもそんな類だと思ったのでした。


2006年03月09日(木)

自分の始末

ようやっと金曜日までたどり着いた。
あと一日。気合だ。

山本さん ぷっすまでるんだー。と今日知った。
何のコーナーなんだろう?ちょっとどきどきだが、当面はその日を目指して日をこなす。

ハーモニーベルは来週に予約を入れた。
週イチペースが良いともいうが、やっぱり一ヶ月に癒し系にそんなにお金をつぎ込むのもいかがかと
思う抑制があり、ま、2,3週おきで行ける時にとおいた。

毎週、夕方ダッシュで出るのもそれはそれで疲れるし。


世間は日銀だの金融緩和だの。
最近、報道がうざくて、ニュースはほとんど見ないのだけれども、それでも耳に入ってくる。

預金金利が上がる、物価も上がるという、そういう時期に入りましたっつーことらしいが。
目論見どおりに経済って動くものなのだろうか。

行き過ぎて、昔のドイツみたいにえらいことになったり、しないんだろうか?
きっと誰にもわからんのだろうな。

読めないことばかりで、その中で自分の操縦かんを握っていると、絶対の安全が欲しくてたまらない。
多少の札束では、もちろんあると嬉しいが、日本で考えたって、戦後のインフレを思うと、多少では全然意味なし。
建物は焼けるし、宝石とか美術品は鑑定眼とさばくルートがないと。
土地を持っているには維持費もかかるし。
何を持っていても、知恵が無くては掠め取られるリスクはある。

健康とか、友達とかは、よるべと言えばそうだが。
他の運が全く無いにも関らず、寿命だけはふんだんにというのも、それはそれで痛ましいものだ。
友達もいいけど、よるべとして考えるのは、何かね。
結果そうなっても、それは幸せではあるのだろうけれど、自分がいざというときの支えとして誰かに把握されているのも、興ざめだし、だったら人に対しても、思いたくない。

と、考えると。
多分一番頼れるのは、いざとなれば、これで喉を突いてしまえばいいや、と思える潔さなのだろうな。
でも痛そうだ。

ピストルだったら何とか出来るだろうか。
電車に飛び込むことも、ビルから飛び降りることも、包丁で喉切ることも出来なさそうだけど、
引き金なら引けるかもしれない。
リアリティがないからそう思うだけな気もするけど。

美意識と覚悟。拠り所ってこれしかないって思う。
が、どっちも自分にはなく。
どっかに売ってるものでもないしな。どうしましょうかねぇ。


2006年03月05日(日)

モーツァルトのCDと組!のサントラと

amazonで500円OFFのキャンペーンをやっているので、乗せられている
何か買いたいなー。
5000円以上にしなければなので、モーツァルトのCDと組!のサントラ第二弾をこの機会に買おうかと。
それに、茨木のり子を加えれば5000円は超えるだろう。
どれも欲しかったやつだから、無駄に買いあさったというものでもないし

モーツァルトはね・・・。
あの、楽観性と構成力(感情が破綻しない窮屈さ)というか、印象きれいに表面を磨かれてつるんとしているような、曲が苦手だったんですよ。ずっと。

無難ーって感じがして、聴くのも、弾くのも、別に嫌悪するわけではないけど、好んで手に取るものではなかった。

BSの『毎日モーツァルト』は単純に、山本耕史の声が聞きたかっただけ。
同じ時間にやっているのならば、行動のトリガにもなるしって、それで見始めて。
1月末から。

今は、モーツァルトが心地よくてしょうがない。
つるんとしたっていう印象は変わらないのだけど、
日差しがそのつるんに照り返されて乳白色の反射光が散っている感じが素敵。
逆にあれだけ好きだったショパンからはちょっと離れてきている。
ロマンティシズムが強すぎて、演歌っぽいというか。。。好きなんだけどね。気持ちTOO MUCHな気分。

人の好みって移り変わるもの。
縁って不思議なもの。

組!がなければ、山本耕史のFANにもならなかっただろうし、
ましてや『毎日モーツァルト』も見ることはなかったはず。
(っつーか、BSが見れることに気がついたのも、なんとしても元旦に組!!を見たいばかりに、試行錯誤したが故)
モーツァルトのCDを買うことは無かったのだろうなと、思う。

実は、茨木のり子も組!がトリガ。
この間亡くなったことで、番組とか、活字とかで詩を耳にする機会は得た。
『私が綺麗だったころ』は教科書で読んだか何かで知っていた。が、そっかーという位の思いしかなく。

たまたまつけたTVで『よりかからず』を朗読していて、これは琴線に触れて、ちょっと興味がわいた。
が、最大の一押しは、こばさんの日記。
組!で源さんをやっていた小林隆。彼が好きだという詩がのっていた。

読んで。
これー、好きかも。すっごく好きかも。ほれたかも。
この一押しで、茨木のり子の詩集を買う!って決めた。

色々なものが、色とか音とか物とか人とかが世の中にあって、でも何かしら繋がっているのが面白い。

偶然つながりで、HNK-BSのホームページに山本耕史のインタビューがあって。
(というものも読むというのは、全く・・・)
ジョナサン・ラーソン、土方歳三、モーツァルト。
長期間に渡って自分の人生に関わってきたこの3人が揃って35歳で死んでいるという話が出ていた。

山本さんは死なないでね・・・・。 何か怖いっすよ。
35歳か〜。 彼のホロスコープを見てみよ。
それにしても出生時間を知りたいな。何とかならないだろうか。


2006年03月04日(土)

ソシズノノ1回目

新選組!!のBLOGで片岡愛之助さんのインタビューがUPされていたので、iShuffleに入れて聞きながら散歩。
ときおりにやにやしながら歩く。
妙ではあるけれど、考えてみれば向かいから歩いてくる人が無愛想ならデフォで、にこにこしていたら警戒っつーほうが、よっぽど変だ。
と、社会に突っ込みを入れても受け手はいないので、せん無きことはせず。
まずは自分から。
不機嫌を振りまいて歩くことは、しないとまでは言わないが、出来るだけしないようにしようと思う。

片岡愛之助さんのインタビューは良く響くまったりとした関西弁で、とても品が良い。
気持ちがほっこりする。ずっと聞いていたい声。包まれてるっつーか、広く広がって、でも圧迫感がない。
彼の舞台も見に行ってみたいなー。

歌舞伎といえば、来週は三谷さんの歌舞伎を見に行くんだー。
楽しみ。


ハーモニーベルのセッションは行ったよ。
一応一段階が10回コースで、まずは一回目。

地図を頼りに行った場所は、あんまり綺麗とはいえない雑居ビルで、扉は厚いし。
何か怪しいものを買わないと出してもらえなかったら、どーしよう・・・とか一瞬不安にかられる。
正直インターフォン押すのは微妙に思い切りが要った。予約してなきゃ帰ってたかもしれん。
ちなみに部屋の中は綺麗で、別段怖いこともなく。

気持ちとしては、とりあえず10回はやってみようかと思う。

セッションは、受ける人はベッドの上に横になっているだけ。
うつぶせとか仰向けとか、ヒッポウ(ベルを鳴らす人)の指示で体勢を何回か変える。

ヒッポウは身体の上のあちこちで音叉を叩いている。(らしい。目を閉じているのでわからない。)
目は別に明けていても良いのだと思うけど、目が合ったら照れそうなので、閉じた。
のは、最初の内で、後は明かない。
まぶたが重くて明かない。仕舞いにはがん寝。

音はCDより、身体に響き、筋肉を揉むというか、浸透するように思えた。
終わった後はかなり身体が軽く、いい感じ。
電磁波をアースするマットだか何かを引いているベッドだそうなので、ひょっとしたらその所為なのかもしれない。
(それを買ったほうが早いかーとかも思ったり。)

また行ってみようかと思った動機の一つはこれ。
単純に気持ちよく、足ツボマッサージに行くみたいに通ってみてもいいかな、と。

もう一つは続けることへの興味。
エネルギーっつーか、気というか、そういうものが循環するのを感じたのね。
足は足で回っているのは感じた。ももから足の裏まで縦にぐるぐると。
で、腰の辺りは横回転。で、腹。胸。それぞれの場所で横回転の渦巻き。

気が巡っているなぁーこういう感じなのかーと思いながら、はがゆさというか、座りの悪さを2つほど感じた。
上半身と下半身の気が連動していないことが一つ。
上半身はそれぞればらばらに回っていて、お互いに関連していない。
しかも下半身と繋がってない。

後、もう一つ。
上半身の気のぐるぐるが、繋がっていないなりに、渦から漏れ出てくる気がある。
綿あめ作っている機械で、綿あめが渦からこぼれ出てくる、あんな感じ。
で、それぞれの気が上昇してくるんだけど、額でつかえる。
蓋してあって出られん!!!
というのが、はがゆい。気持ちがもぞもぞとかゆい。

何回かやっているうちに、流れがスムーズになるだろうか。
一応、宣伝にはなると書いてある。
そりゃ宣伝だからそうだろうが、馴れるとほんとにめぐりが良くなるという可能性も否定できない。

気が上半身から下半身に上から下に、下から上に、がーがー流れるととっても気持ちが良いだろうと、
そして額の蓋が割れて、突き抜けられると、快感だろうなーと。

それは効果というより、慣れとか、気の持ちようなのかもしれない。
が、錯覚だって良いではないか。
ジェットコースターだって、映画だって、気分をどーこーしたくてやるんだから、要は一緒だ。
気分を良くしてみたい。

ということで、しばし続てみよう。
思考過程はこんなところ。というわけで次回の予約を入れてみようとしている。


2006年03月01日(水)

ハーモニーベルのセッションを受ける予定

今週の金曜日に、ハーモニーベルのセッションを受ける予定。
どーなんだろうって興味がずっとあって、もう、考えていて面倒だから、とりあえず一回やってみることにした。

西洋占星術は好きで、多少は読むことが出来る。
けど、何かそれとは違うジャンルのものがまず必要なのではと、思ったのだ。

これは私見なのだが、西洋占星術ってHowToを読むのには凄く向いている。

というか、そう使うのが一番使いでがあると思う。
だから、鑑定に行く人にオススメしたいのは、『私はこれからどーすればいいでしょう。』という
問いではなく、『こーしたいが、さてどこから手をつければいいですかね。』という、
聞き方をすること。

例えば。
・事業を起こしたいがジャンルは何がいいか。
・この人を落としたい。彼の感性のどこをつつけばよいか。
・転職には何時がいいか。

その方が鑑定料分のアドバイスを引き出せるはずだ。

イメージはカーナビ。
だから、まずゴールの設定が必要。

となると。
翻って、自分。

現在、ゴールを決める意欲そのものが枯渇している。
あっても、逆切れだったりして、判断自体が捻じ曲がっている気がする。

自分本体が、盆栽のようによじれてる。
針金で締められて、曲がっている。っつーか、巻きつけたの自分。

という状態で考えたことの、HOWを追求しても益はない。
だから、まとわりつかせた、あれや、これやをとりあえず落とそうと思った。
で、一度FLATにしてから、そこから始める。
となると、それに向いていそうなものとして、ハーモニーベルがひっかかってきて、
気になるのだったらやってしまえ。

という状況。
さて、どーでるか。


alain

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