おうち鑑賞

2010年10月31日(日) 『17歳の肖像』


『17歳の肖像』An Education 2009年 ロネ・シェルフィグ監督


何かあると思わせる、そしてそれを微妙に裏切るズラシ感が

ちゃんと成立している面白さがある。気の効いた小作品という感じで好きだ。

ピーターとその一味(?)を演じた俳優さんたちは胡散臭過ぎてもNGに

なってしまいそうな微妙なキャラクターを上手く表現していると思った。

細かいことを言えば、ジェニーのお父さんの存在感に違和感があったというか

作品の中で浮いているというか、お父さんのリアリティだけちょっと違う場所に

あるように感じてしまった。だけど許容範囲かとも思う。




後から検索して知ったのだが、16歳の女子高生を演じた

キャリー・マリガンという女優さんは『プライドと偏見』のキティを

演じた人だったのだ。キティといえば、男子をゲットするためなら

火の中、水の中。小ざかしく立ち振る舞う小娘といった役柄だった。

全然この作品の女子高生と結びつかなかった。

マイケル・マン監督の『パブリック・エネミーズ』にも出演とあった。

こっちの作品の登場シーンは覚えておらず。

作品や役柄によって俳優さんは魅力が最大限に

生かされていたり、そうじゃなかったり、作品ごとに変化していて面白い

つくづく思う。

『17歳の肖像』で初めて見た女優さんじゃなかったことにちょっとびっくりだった。





丁寧に描かれた面白い作品ではあったのだけど

ラストシーンに身体の力が抜けてしまった。

腑に落ちないオチだったのだ。

ここまで見てきた解決がこれなの?

ジェーンが足蹴にした男子高校生君とのペイを期待していたので

清算場面がなかったことも拍子抜けだった。

ただ原題を改めて見てちょっと考えが変わった。

邦題の『17歳の肖像』のつもりでエンディングを見るのと

『An Education』のエンディングとして見るのではイマジネーションの

広がって行き方が違う。

『An Education』として見たらわかった気がした。

これも人生さ、という皮肉とエスプリの効いたエンディング(かな)。





ロネ・シェルフィグ監督は

ずいぶん前にインディペンデントな面白さを感じてDVDを購入した

『幸せになるためのイタリア語講座』を監督した人だったのだ。

好きはつながってるのね。

時間を置いて『幸せになるためのイタリア語講座』見てみよう。









2010年10月29日(金) 『クレイマー、クレイマー』


『クレイマー、クレイマー』 再見する。



2010年10月28日(木) 『ラブソングができるまで』 『モーリス』 


『ラブソングができるまで』Music and Lyrics 2007年 マーク・ローレンス監督


『モーリス』の影響で再見する。

この映画はNHK-BSで録画したのを一度見てかなりイマイチな印象だったから

再見するつもりなどサラサラなかったのだが、近年のヒュー・グラントを

再確認したくなったのだ。

再見してもやはりイマイチであった。

設定が取って貼り付けたように不自然だし、説明台詞で進行してるし

登場人物の感情の変化が丁寧に描写されていないし。etc。

ただこの手のエンターテイメント(お気に入りのスターを見て楽しむ?)に

あーだこーだ言うのは野暮なのだろう。

にしてもだ。仏像をショーアップした場面は東洋人として不快に感じるわ。

ヒュー・グラント今昔物語。

『モーリス』のヒュー・グラントと近年のヒュー・グラントは別人種にさえ思える。

メリル・ストリープは年を重ねたその時々が魅力的だ。

年齢を重ねた今が魅力的だと(キレイごとじゃなく)思うのだ。

そういう意味で『モーリス』のヒュー・グラントが演じたクライヴの美しさは強力過ぎる。



ヒュー・グラントは良くも悪くも作品を軽く通俗的に見せる力がある。

別にファンでもないのに結構出演作品を見てるのは、その辺に理由があるのでは?と思う。

魅力的な俳優さんではある。

在り方がちょっとレスリー・チャンとオーバーラップするな。





『モーリス』 再見する。









2010年10月27日(水) 『クレイマー、クレイマー』 


『クレイマー、クレイマー』 再見する。



2010年10月26日(火) 『クレイマー、クレイマー』 『モーリス』 


『クレイマー、クレイマー』 再見する。

『モーリス』 再見する。



2010年10月25日(月) 『クレイマー、クレイマー』 『理想の結婚』


『クレイマー、クレイマー』Kramer vs. Kramer 1979年 ロバート・ベントン監督


無性に見たくなって再見する。

丁寧に作られたいい映画だなあと改めて思う。

30年以上前の日本で、このような作品を作る意識を持った男性が存在したか。

現代においてだってあやしい。この時代の日本はまだニュースを読む

女性アナウンサーの存在さえ認められていなかったという話を聞いた。

(女性アナウンサーは信憑性を感じさせないという理由だったと思う。)

アメリカは、玉石混淆で極端が混在する国なのかもしれないけど

こと男女の関係に関しては(女子の立場から見れば)意識が進んでる。



メリル・ストリープは何て上手い役者さんなんだろうと改めて思う。

もしも、それなりの女優がジョアンナを演じたら

子供を捨てて家を出たひどい母親、ひどい妻にしか見えず

その後の物語は、単なるテッドとビリーの父子物語になってしまいそうだ。

ダスティン・ホフマン演じるテッドと息子のビリーの登場場面が中心だけど

ジョアンナの存在感は絶妙だ。卑近な言い方だけどテッドに食われていない

どころか、ジョアンナに重心を置いて見る事さえ出来る。

ジョアンナの(一見理解し難い)行動に感情移入させ、理解させる

メリル・ストリープの演技はホントに凄い。

もちろんダスティン・ホフマンの演技も。

そしてビリーの素晴らしさ!

ひとつひとつのシーンが胸に沁みる。






『理想の結婚』An Ideal Husband 1999年 オリバー・パーカー監督


再見する。

『アナザー・カントリー』のルパート・エベレットを見たくなった。

とても好きな映画だ。

しかし何度見ても、メイベルを演じたミニー・ドライヴァーという女優さんに

あまり魅力を感じないな。ルパート・エベレット演じるゴーリング卿と

物語の設定上、恋愛感情を抱きあう関係なのだが、全然響いてこないのだ。

その辺だけ惜しいと思うことだ。

ゴーリング卿の執事役の俳優さんが味わい深い。

登場場面は多くなかったけどすごく印象に残った。

登場人物の端々までそんな雰囲気を感じさせてくれる作品だ。

スターの華々しさというより、演技の上手い俳優さんたちが出演しているところが好き。









2010年10月24日(日) 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』 『幸せになるための27のドレス』


『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』Catch Me If You Can 2002年
                   スティーブン・スピルバーグ監督

タイトルを見て面白そうだと思ってレンタルしたのだが

以前に一度見たことのある作品だった。

イマイチ響いてこなかった作品だったので記憶が飛んでいたみたいだ。

追いかけ再生のようにシーンの進行と同時に場面々の記憶はよみがえった。

だから初見感覚で見た感じではなかった。

ルパン三世のように、刑事と指名手配犯人の追う者と追われる者の

関係の背後にある機微をもっと感じさせて欲しかった。

登場人物たちの表面的なキャラクターは華やかで面白いと思うけど

内面の描写がイマイチ浅薄な印象だった。

ドライなんだかウェットなんだか曖昧な感じがする。

世紀のスティーブン・スピルバーグ監督が製作する作品なので

それなりの制作費が付いてしまう?のかもしれないが

物語に対するスケールが大き過ぎるのではないか。

この物語はもっと小作品として製作した方が生きるような気がする。

個人的好みの問題として、作品云々を抜きにしても

あまり好みのタイプじゃないかも。







『幸せになるための27のドレス』27 Dresses 2008年 アン・フレッチャー監督


他の作品のDVDに収録されていた予告編を見て面白そうだと思ったのでレンタルした。

『プラダを来た悪魔』の製作スタッフが贈る〜という宣伝文句も引かれた要因のひとつ。

あんまり期待していなかったのだが、期待以上の減り込みだった。

全てが噛みあっていないのか何なのか、とにかく出演俳優の

誰ひとりとして魅力を感じることが出来なかった。

あーだこーだ言いながら、普通どこかしら引っかかるものだ。

しかし気持ちがピクリとも動かず。

レニー・ゼルウィガーやコリン・ファース、ヒュー・グラント等を想定した

あて書きのように感じた。そりゃあ、これらの俳優が演じたら

多少不自然な設定があっても魅力的な作品にはなるだろう。

基本的に人間の本質に関わる部分において登場人物の行動が受け入れられない。

人間だもの、そういうこともあるよね・・・とはならないのだ。

ラブ・コメ命のドキドキを感じることもなく。

物語の設定や人物の描写が浅薄な脚本を演じるから

俳優の魅力を感じないのか、俳優に力がないから魅力をかんじないのか。

たぶん両方だ。

おかげでアドレナリンが活発に。









2010年10月23日(土) 『モーリス』 


『モーリス』 再見する。



2010年10月22日(金) 『マイ・ビューティフル・ランドレット』


『マイ・ビューティフル・ランドレット』My Beautiful Laundrette 1985年 スティーブン・フリアーズ監督


検索をして同性愛が関係する作品だと知ってから見たので

心構えがあったにしろ、二人の関係性を明らかにする地点が

ちょっとした衝撃だった。ドラマ的で、よい意味でわかりやすい

好感の持てる構成だなあと思った。

気の利いた小作品の佳作という感じだ。

イギリスの労働者階級(?)を舞台にした物語なので

青年達が背負うのは雑多な社会環境だ。

コインランドリーの経営を任され、野心を抱く青臭さの残るオマルと

オマルを助けるジョニーは貧困の中にいる。

英国の田園風景を背負った王子様たちではない。

だけど二人のラブシーンはとても美しいものだった。

ジョニーを演じたダニエル・デイ=ルイスという俳優さんを見て

ひと回り小さくなったアーノルド・シュワルツェネッガーみたい

なんて思ったんだけど、その後の出演作品でも高い評価を得ている

俳優さんだということを後から検索して知った。

自然でさりげない演技が魅力的な俳優さんだ。

『モーリス』を監督したジェームズ・アイヴォリー監督の

『眺めのいい部屋』はとても見たいと思っていた作品だ。

この作品にも出演しているそうだ。ますます見たくなった。

『マイ・ビューティフル・ランドレット』も時間を置いて再見したい作品のひとつだ。




あ、そうそう思い出した。以前見た窪塚洋介と小雪さんが出演している

『Laundry<ランドリー>』がオーバーラップしたのだった。

この作品とビジュアル的に同じだと思った。確かに「コインランドリー」はくすぐられますな。









2010年10月21日(木) 『モーリス』 『いつか晴れた日に』


『モーリス』 

再見する。

昨日の今日の再見なので心奪われ状態で見る。

腑抜けであり唐突に恋に落ちた状態。(タイプしていてはずい)





『いつか晴れた日に』Sense and Sensibility 1995年 アン・リー監督


アン・リー監督作品は気がつけばほとんど見ている。

自分であまり意識していなかったのだがアン・リー監督は好きらしい。

『いつか晴れた日に』はジェーン・オースティンとヒュー・グラントの検索で先に引っかかった。

アン・リー監督作品と知って見たい気持ちが余計高まっていたのだが

アマゾンでずっと品切れ状態だった。入荷を知ってDVDを購入。

先に見ている『エマ』や『プライドと偏見』の印象がオーバーラップする。

同じジェーン・オースティン原作の作品を別の角度、別の切り口で見る面白さがある。

『いつか晴れた日に』の人物や背景は、ある意味粗野で現実味のある

リアリティを感じさせるものだった。

ケイト・ウィンスレット演じる次女のマリアンヌに思いを寄せる

ブライドン大佐を見ると、どうしてもハリー・ポッターシリーズの

スネイプ先生の印象の方が勝ってしまう。アラン・リックマンという俳優さんだったのだ。

『高慢と偏見』は未見だけど、コリン・ファースがダーシーをいかに

演じているかは想像できる。(たぶん見たら骨抜き状態になると思う。)

やはりジェーン・オースティン作品のこのポジションの登場人物を演じるなら

コリン・ファースが一番のはまり役ではないか?

あくまでジェーン・オースティンの小説の登場人物を体現するという意味で

『いつか晴れた日に』ではスネイプ先生ことアラン・リックマンの存在が

最善だと思う。

たぶん噛めば噛むほど味が出る系(面白さを発見できる)作品だと思う。

時間を置いて再見する。









2010年10月20日(水) 『ゴスフォード・パーク』 『モーリス』


『ゴスフォード・パーク』Gosford Park 2001年/英=米=独=伊
            ロバート・アルトマン監督


ジェレミー・ノーザムの出演作品を検索していてこの作品の存在を知った。

とっかかりはジェレミー・ノーザムだけど、作品的にもすごく面白そうだったから

喉から手が出るくらい見たいと思ったのだが、レンタル店に置いていなかったし

アマゾンや他のネットショップをチェックしても販売してなかった。

ユーズドDVDはあったけど、ユーズドはどうかなあと購入をためらいながら

日々思い出した時に、時々アマゾンのチェックをしていたら

それまでずっと販売表示のなかった画面に突然1点のみ在庫ありの表示が現れた。

当然、即購入手続きをした。その1点を購入すると、また数種類ある

『ゴスフォード・パーク』のDVDの販売の表示は元通り販売なし状態に戻っていた。

どこから出た在庫なのだろうか?DVDのパッケージが微妙に波打っていた。

ま、そんなことはどうだっていい。超うれしい。



オチとして『ゴスフォード・パーク』は見たことのある作品だった。

かなり以前だと思われる。レンタルしたのか深夜の映画劇場で見たのか

記憶が定かではない。漠然と覚えているのは気持ちに引っ掛かりなく見たという感覚。

今の自分はこの作品をすごく面白がっている。

自分の引き出しの在りようが変化したのだろうか。

もしそうだとしたらうれしい。

よくわかってないながらだけど、構成方法が面白いと思った。

再見する。再見して作品の分解、理解の覚書を書く。








『モーリス』Maurice 1987年 ジェームズ・アイヴォリー監督

この作品のタイトルはずっと頭の隅にあった。

ひょっとしたらずいぶん前に一度見たことが

あるかもしれないと思ったりだったが記憶が曖昧だった。

結果、初見だった。



体の芯からしびれるような衝撃だった。

同性愛を描いた作品は何作品か見ているけど

そのほとんどはその登場人物達が背負う社会や人生とリンクした描写だったと思う。

『モーリス』はストレートにテーマが同性愛なのだ。

古き良き時代の英国の上流階級の社会の中の登場人物を描いているのではなく

登場人物たちのための上流階級社会の描写であり風景なのだ。

そこがびっくりしたところ。比較するのはおかしいかもしれないが

その点において『アナザー・カントリー』は純文学で

映画の『モーリス』は通俗的な小説といった趣になっていると思う。

モーリスを演じたジェームス・ウィルビーという俳優さんは

最初イマイチに思えたが、再見するとモーリスの素朴さや人柄の良さが不思議と

じわじわ感じられるようになった。

そしてヒュー・グラントのあまりの美しさにびっくりした。(ホントびっくり!!!)

作品的には(構成など)傑作という枠には入らないかもしれないけど

胸に心に刺さる作品だ。

セクシャルな恋愛や性的衝動は人間の本質を突くからだ。

そして英国の美しい風景。

ひとつのテーマのための贅を凝らした美術や映像だと思うとため息が出る。









2010年10月19日(火) 『アナザー・カントリー』


『アナザー・カントリー』 再見する。



2010年10月18日(月) 『アナザー・カントリー』


『アナザー・カントリー』Another Country 1984年 マレク・カニエフスカ監督


初見は気持ちが小劇場の芝居にどっぷり浸っていた頃だったと思う。

だからずいぶん前のことだ。軽い衝撃と退屈を感じながら見た記憶がある。

その頃の自分に比べたら引き出しの数はどうだろう。

あきらかにあの頃の自分より「面白がって」見る。

『理想の結婚』に出演していたルバート・エヴェレットが主演していることを知って

ますます興味を持ったし、コリン・ファースが出演していることにも驚いた。

興味の二乗!



この覚書を書いている今現在は11月4日。

映画を見てから約2週間経っているわけだけど

物語のあらすじはレビューを確認しないとパッと出てこなかったかわりに

ルバート・エヴェレット演じる同性愛に傾倒していくガイ・ベネットと

コリン・ファース演じる共産主義に傾倒するトミー・ジャッドのシーンは

強烈に記憶に焼きついていることを再認識したのだった。

この二人はゲイの関係ではなく、パブリックスクールでの友人関係で

二人の行動や台詞に表面的にはセクシュアルや煽情的な表現はないのだけど

体の芯からしびれるような空気を二人から感じるのだ。

よく分からずに思うことだけど、役者として行間まで演じきっているということではないか。

この作品以降の二人の出演作品を見て魅力をわかっていることが

この作品での二人の魅力を解釈する手助けになっているとは思う。

静寂の中の強烈なセクシャルを感じたのだった。



ラストシーンに思ったこと。

ああいうのをカットオフっていうのだろうか?

突然ブッた切って終わってしまったという印象だった。

カットオフ?前のガイ・ベネットの台詞がイマイチ決まっていないというか

スマートじゃない気がしたな。

丁寧に美しく撮影された映画だと思う。

覚書を書きながら映画が脳裏に浮かんでドキドキしてきた。

再見する。









2010年10月17日(日) 『ミリオンダラー・ベイビー』


『ミリオンダラー・ベイビー』Million Dollar Baby 2004年 クリント・イーストウッド監督


『ミスティック・リバー』の釈然としない気持ちから

クリント・イーストウッド監督作品を再確認したくなって再見する。

『ミリオンダラー・ベイビー』はずいぶん前に見て胸打たれた記憶がある。

初見の時は、このラストに向かうための長い道程(前半〜中盤)があったのだと

胸に熱いものがこみ上げきた。

しかし今回再見して、登場人物の背景、キャラクター、

人生が丁寧に描かれていて確かに物語に引き込まれはするのだが

初見の時より、発端部〜中盤の物語の在り方が軽いと感じた。

たぶんクリント・イーストウッドが

(言い方が良くないけど)いい所取りみたいなポジション

(あるいはナルシスト的)に見えてしまう所も一因のように思う。

そしてダメ押しのようにラストに突きつけられた尊厳死の場面。

クリント・イーストウッド演じるトレーナーのフランキーの行為に

すごく違和感を感じてしまった。尊厳死に対する是非を問うというより

この重い選択につながるまでの、説得力が足りなかったか

あるいは「感動的」にすら感じさせられてしまうことへの違和感か。

どちらにせよクリント・イーストウッド監督作品は、問題提起を受けたというより

ナルシスト的なものを傍観させられる感覚に陥る、気持ちの悪さが後味に残る。



ハリウッドスターのプライドなのだろうか? 

若々しい役を演じている老齢のスターを見ると痛々しい気持ちになる。

(ロバート・デ・ニーロあなたさえもか、と思った。)

その点、クリント・イーストウッドの実年齢と向き合った老いを隠さない姿勢は

毅然としていてカッコイイ。それはクリント・イーストウッド監督作品共通して思うこと。

作品的に感じることは、個人的な相性の問題もあるんだろうか。









2010年10月16日(土) 『名もなく貧しく美しく』


『名もなく貧しく美しく』1961年 松山善三脚本・監督


見たいと思っていた矢先NHK-BSで放送されたので録画して見る。

冒頭「不適切と思われる表現がありますが、作品の意図を尊重し

最小限の訂正?にとどめ放送します」みたいな但し書きがあった通り

ろうあの登場人物たちへの差別の表現がある意味直接的だった。

現在の作品はもっと配慮された(本当の配慮とは何かという疑問はあるが)

言い回しや行動で表現されている。

どちらが人間の本質を突いているかという見方もある一方、

やはり、現在と差別のハードルの高さの違いを感じた。

徐々にではあると思うが、障がいはその人の個性という考え方が

約50年前と比べれば、出来てきているのではないだろうか。

そういう価値感の視点から言えば、普遍性がある作品とは言い切れないが

登場人物のキャラクターや物語が丁寧に紡がれていて、よい映画だと思う。

(もしこの日記を目にする人がいたらネタバレになって申し訳ない。下記記述内容注意。)



ただちょっと疑問に思ったのがラストシーンだ。

高峰秀子演じるろうあ者の秋子が車(トラック?)に轢かれて亡くなってしまうという結末。

登場人物たちの困難な人生、そしてその困難を乗り越える人生を見てきた。

物語として十分清算されていると思う。

そこへ、秋子に対するダメ押しのようなラストは必要だったのだろうかと疑問に思う。

自分的には意味をなしてないように感じた。

その辺の検証を意識して時間を置いて再見してみたいと思う。









2010年10月15日(金) 『マグノリア』 『恋に落ちたシェイクスピア』 再見


『マグノリア』 再見する。

レンタル店にVHSテープはあるのにDVDを置いてないのが口惜しい。

是非、DVDのツルッとした画面で見てみたいものだ。




『恋に落ちたシェークスピア』 


前回はダビングしたVHSテープで見たので

今回はレンタルしたDVDで再見する。

そのせいでストレスが減ったせいか、前回より丁寧に見ることが出来たと思う。

グウィネス・パルトロウ演じるお嬢様とシェイクスピアは

結ばれなかったわけだけど、これでよかったのだと

未来に希望を感じる結末になっていることを前回見た時より感じた。

新天地で逞しく生活を築いていくであろうヴァウイラ(お嬢様)、

そして無理々結婚させられた感のあるコリン・ファース演じる

ウェセックス卿との夫婦の関係に、未来へのイマジネーションが拡がっていく。

コリン・ファースはホントに上手い俳優さんだなあと思う。

ウェセックス卿は、態度も台詞も見た目的には何のフォローもない

かなり感じの悪い男だが、それだけに留まらない複合的な魅力を感じさせてくれる。

ラストにイマジネーションを拡げてくれたのはコリン・ファースの存在が大きいと思う。

シェイクスピアがクイーンのボーカルの人みたいだという印象は再見しても変わらないけど

やっぱり佳作だったなあと思う。









2010年10月14日(木) 『妹の恋人』 再見


『妹の恋人』Benny & Joon 1993年 ジェレマイア・S・チェチック監督


『ギルバート・グレイプ』のジョニー・デップつながりで見たくなる。

ジョニー・デップつながりではあるが、一番のお気に入りは

ジューンの兄ベニーとルーシーを演じたジュリアン・ムーアとの

ぎこちない恋愛の場面。何気ない日常会話を交わすふたりの心情が

伝わってきてドキドキする。ふたりのシーンをリピートしてみる。

ジュリアン・ムーアは上手い女優さんだなあ。

キャラクターが伝わってくる動作にドキッとする。


「そこ」に行きたいがための、早急過ぎる都合良い運びが不自然、

という印象は再見しても変わらないけど、

そこに目をつぶってもいいかな、と思わせるくらいキュートな作品だ、

と思ったことも変わらず。









2010年10月13日(水) 『野のユリ』


『野のユリ』Lilies of the Field 1963年 ラルフ・ネルソン監督


NHK-BSで録画したのを見る。

黒人男性が主人公を演じていることにまず驚いた。

それも差別などの要素が全く絡まないハートウォーミングな物語である。

近年になってさえ黒人差別の話を見聞きするくらいなのに

1963年当時の情勢は想像に難くない。

アメリカ社会は振り幅の大きい国なのだなあと思いながら見る。

後から検索すると、主人公を演じていた黒人男性はドニー・ポワチエという

俳優さんで、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞したということだった。

複雑な社会背景を背負いながらも、黒人スター俳優として黒人俳優の

地位を向上させた功績は大きいとあった。

作品の社会的意義を心底実感出来たら見方や感じ方も

多少違ってくるのかもしれないが、正直黒人差別についてよくわからないので

(日本人にとって異文化圏についての差別意識の実感は薄いと思う。)

だから作品に対して感じたことは、よく言えば先入観なく感じたことだ。



物語の在り方や、登場人物の設定などすごく魅力的だと思った。

だけどあまりにも品行方正過ぎるというか堅い。

なぜこうも息が詰まる思いになってしまうのか理由を考えるに

セクシュアルな匂いが全くしないことが一因ではないかと思った。

別にメイクラブの存在を言ってるんじゃない。

作品には醸し出す色香というものがあると思う。

作品から色気を感じないことが、琴線に触れそうで触れない原因かと思う。

細かいことを言えば、古株の修道女のキャラクターが

偉そうにしている人にしか見えなかったのが口惜しい。

修道女の語気強い言葉とは裏腹に

ジーンと胸に響くキャラクターを感じさせてほしかった。

頭の中で(『テルマ&ルイーズ』くらいのトーンを意識して)

場面を翻訳しながら見る。

もう少しエンターテイメントの要素で色づけしたら

すごく面白くなるだろうなあと思いながら。

佳作の映画には違いない。









2010年10月12日(火) 『ギルバート・グレイプ』


『ギルバート・グレイプ』What's Eating Gilbert Grape 1993年 ラッセ・ハルストレム監督


NHK-BShiで録画したのを見る。

家族の関係が、すごく面白い視点で表現されていた。

一番の印象はそれだ。

ジョニー・デップ演じる長兄のギルバートが支える一家の状況は重い。

それをサラリというか淡々というか、ごく当たり前の日常として

扱っているところが新鮮だと思った。

その重い状況が、おとぎ話のようにさえ見えるのは

ジョニー・デップの味のある奇妙な魅力の力でもあるのだと思う。

知的障害を持つ弟を演じたレオナルド・ディカプリオに胸打たれた。

スター性と演技力を兼ね備えた俳優さんなんだと改めて思う。



よい作品の部類に入るとは思うけど

全体的に茫洋とした印象にまとまってしまっているというか、作品から感じる力が弱い。

あとスプーン一杯ほど、ギルバートが背負うものの重さや閉塞感を

リアルに感じたかった。

おとぎ話のままフェードアウトしてしまった見後感は、悪くはないけど

ベストでもないと思える。

後から検索して『エイプリルの七面鳥』の監督・脚本の

ピーター・ヘッジスという人がこの作品の脚本だとわかった。

『エイプリルの七面鳥』の物語の詳細は覚えてないけど

とてもよい小作品だったという記憶はある。

『エイプリルの七面鳥』のニュアンスから

『ギルバート・グレイプ』の目指したかった方向がわかった気がした。

たぶん監督と作者の意図は合致してないと思う。

たぶん、作者が表現したかった描き方ではなかったはず。

脚本を執筆したピーター・ヘッジス自身が監督したなら

もっと核心を突いた作品になったのだろうと想像する。

すべてのベクトルが内に向かうような、小さなスケールが

もっとこの作品を生かしたのではないかと思う。









2010年10月11日(月) 『ミスティック・リバー』


『ミスティック・リバー』Mystic River 2003年 クリント・イーストウッド監督


こんなラストに向かうための2時間(138分)だったのかと

幕切れに怒りさえ覚えた。

作品の在り方が間違っていると思う。

評価の高い作品らしいが納得できない。

ハッピーエンド、バッドエンド、結末がどうだったのかが問題じゃない。

ひとつの方向性を持った構成で進行していた物語が

ラスト間際になって、全くタイプの違う物語にすり替わってしまった。

「北海道行き」と明言されて乗ったはずの列車が到着間際

「北海道じゃなくてもいいじゃないか」と支離滅裂なことを言ってきた、そんな感じ。

俯瞰の視点と一人称の視点が都合よく選択されて、ごっちゃになっている印象だ。

全体的に人間関係をもっと俯瞰の視点で描かないとラストが生きないと思う。

こういう居心地のよろしくなさは、クリント・イーストウッド監督作品を見て

結構感じてきたことだ。

理性的に(理論的に?)カッチリ組み立てて進行していたのに

ラスト近くになると途端、抒情の隠れ蓑に隠れて流してしまう、そんな印象だ。

この作品で、ショーン・ペンがアカデミー主演男優賞、

ティム・ロビンスが助演男優賞を受賞したそうだ。

ジミーを演じたショーン・ペンは熱演していたと思う。

上手い役者さんなんだろうなとは思うが気持ちにイマイチ響いてこない。

個人的な好みの問題なのだろうか。

検索すると脚本(脚色?)を書いたのは『L.Aコンフィデンシャル』と

同じブライアン・ヘルゲランドという人だった。

ある事件を軸に交錯する多人数を描くトーンに共通項を感じる。なるほどね。

『L.Aコンフィデンシャル』のカーティス・ハンソン監督に、

違った顔ぶれの役者さんたちでベスト版の『ミスティック・リバー』を作ってほしいとさえ思う。

物語は胸に刺さってくる、よい物語だと思うから。









2010年10月10日(日) 『アイランド』 再見


『アイランド』 再見する。



2010年10月09日(土) 『アイランド』


『アイランド』The Island 2005年 マイケル・ベイ監督


ユアン・マクレガーとスカーレット・ヨハンソンが出演しているので見ることに。

まず思ったのは、なんて大掛かりなセットなんだろうということ。

そして作品的には、どこかで見たことがあるストーリーだと思った。

設定はブレード・ランナーぽい。

センシティブなことを求めず、娯楽作品として割り切って見れば面白いと思う。

ただ、湯水のごとく惜しみなくお金を使って製作しているのに見合ったものを

観客が受け取っているかというと比率はアンバランス。

マイケル・ベイ監督のカラーなのだろうか。在り方は下品だ。

だからハリウッド的思考の娯楽作品と割り切る必要がある。

そしたら楽しめる。



この作品は興行的にこけてしまったらしいのだが

びっくらこいたのは映画サイトだったかで、製作スタッフ(?)が

こけた理由は、主演の二人のスター性の欠如にあり

とくにスカーレット・ヨハンソンの責任だ、みたいなことを語ったという

ニュース記事を目にしたことだ。

記事の真偽のほどはわからないけど、語ったことが事実だとして

ハリウッドってコワイところだわーと思った。

なぜならスカーレット・ヨハンソンの存在感が

いかにも「ただの大作」風作品を、微妙な面白味のあるカラーに引っ張ってる

その功績は大きいよなあ、と思いながら見たんだから。

こういう記事を目にすると、この作品に関わる諸々の程度が透けて見えてしまった感じがする。



そしてスティーブ・ブーシェミという俳優さんの演技が面白くて

登場場面をリピートして見る。

作品全体よりこの俳優さんの魅力の印象が強かったくらい。

(それが良いことなのかどうか置いといて)

上手い俳優さんだなあと思う。

他の作品で見たことがあるらしく記憶にある俳優さんだったけど

初めて引っかかって(?)マジマジ見た感じだ。

今度、他作品も意識して見てみよう。

総合的に考えてDVD購入してもいいかなあとも思う。









2010年10月08日(金) 『ナイトウォッチ』


『ナイトウォッチ』Nightwatch 1998年 オーレ・ボールネダル監督


ユアン・マクレガーが出演している作品なので見てみることに。

しっかりした作り(構成?)だと思った。

物語の設定や人物の設定にも不自然さは感じなかった。

だけどプラスαを感じない映画だったと思う。

ああ、そうですか、みたいな感じ。

細かいことを言えば、ユアン・マクレガーが法律を勉強している

学生のようには見えない(キャラクターが弱い?)。

作品の人物のキャラクターではなく、ユアン・マクレガーの魅力で引っ張っている感があるので

イマイチ深みを感じない、つまり何が何でもこの人物は

ユアン・マクレガーでなくてはという説得力をあんまり感じない。

魅力的な俳優さんなのにもったいない。

一見、おいしそうな料理で不味くもない。

だけど微妙に一味足りない。

これって「不味い」より致命的ではないか?

ジェレミー・ノーザムが出演しているから超見たいと思っていた

『ミミック』もこの映画の監督らしい。イマイチな予感。

怖いジャンルは自分の範疇外だから

(何だかんだ言いつつ)指の間から見てしまった感じもある。

だから作りを理解するところに視点を置いて、再見してもいいかなあと思う。









2010年10月07日(木) 『JUNO ジュノ』 『蝶の舌』


『JUNO ジュノ』Juno 2007年 ジェイソン・ライトマン監督


超キュートな映画だった。

16歳の女子の妊娠、出産、養子縁組・・・という一見ぶっとんだ話が

キュートにやんちゃにハートフルに描かれていた。

登場人物たちのドライで割り切った考え方(少なくとも日本人にはそう感じるはず)が

アメリカでは常識的な価値観になっているのかどうか知らないが

この作品は、そこを是か非か問うことを第一義に置いていないから

普遍的な心情にフォーカスして見ることが出来るのだと思う。

日本でもしこのようなテーマの映画が製作されたとしたら

「超えられない壁」的ニュアンスで捉えた

斜に構えたモードになるのではないかと思う。

重いモノも軽いフリして持ちあげてみる、

そんな軽やかな視点、価値観が日本にもっとあるようになればいい。

ジュノのボーイフレンド(?)ポーリーを演じた

マイケル・セラという若男子の俳優さん、作品中ほとんど台詞がなかったのだが

物語のその後の展開までイマジネーションさせてくれる

ポーリという人物のキャラクターをすごく感じる演技だったと

後からその実感がこみ上げてきた。

ラスト、ジュノがポーリーに対して言った

「何でもないように見えるけどあなたはすごい存在」

(ニュアンスとして。実際の台詞はかなり違っているはず)

という台詞があったが、ホントこの台詞を体現する存在感だったと思う。

面白い魅力的な役者さんだ。

面白く可愛らしい映画だった。DVD購入するかも。






『蝶の舌』La Lengua de las mariposas 1999年/スペイン 
     The Butterfly's Tongue
     ホセ・ルイク・クエルダ監督


ラスト、この物語はこのシーンに向かうためにあったのかと

わかった瞬間、涙が溢れた。泣いて嗚咽した。

(正直中盤ダレながら見てる感じがあったのに。)

リアルに戦場を描いた作品もその罪、愚かさを伝えるが

むしろそれ以上に胸に刺さった。

村の老教師と少年の関係を通して語られた戦争に

いたたまれない気持ちをどうしたらよいのかわからないまま

しばらく泣いているしかなかった。

この映画の存在を知ってよかったとしみじみ思う。

VHSテープで見たので(レンタル店にDVD置いてなかった)DVDで見たい。

時間をおいて再見する。









2010年10月06日(水) 『心の旅』 『マネートレーダー 銀行崩壊』 「でぶ」


『心の旅』Regarding Henry 1991年 マイク・ニコルズ監督


心に響くテーマだと思う。最適な形で表現されていたらの話。

ハリソン・フォード演じる辣腕弁護士が

強盗にピストルで撃たれる不慮の事件に巻き込まれ

ハンディキャップを負ったそのリハビリの過程で

家族と共に人間らしさを取り戻していくという物語だ。

あまりにも「弁護士」悪 VS 「仕事を離れる=家族と共に生きる」善

という単純な構図が、物語り全体の説得力を削いでいる。

登場人物の気持ちの変化にイマイチ説得力が感じられない。

多角的な視点が欠落していると思う。

ラストのキレイな落とし処に、そんな簡単なもんじゃないでしょ、と

思ってしまうのは中身の問題なのだ。

とりあえずハリソン・フォードが格好良く見えればOK的なスタンスの作品だったら

あーだこーだ言うのは野暮なんだろう。








『マネートレーダー 銀行崩壊』Rogue Trader 1999年=英 ジェームズ・ディアデン監督


ベアリングス銀行を破綻させた銀行トレーダーの

手記をもとに製作された映画らしい。

実録映画なのだそうだ。(と、後から検索して知った。)

ユアン・マクレガー演じるザ・西洋人の銀行とレーダーと

東洋人スタッフたち。ビジュアル的に水と油。

事件の現場となったのが東洋だったからなのだ。

何でわざわざユアン・マクレガーと東洋人を組み合わせる必然性が

あるのだろうと思っていたのだが、それで合点がいった。

外国で作られた変な日本紹介のビデオを見せられているようだ。

いくら実録ったって、もうちょっと映画にオーガナイズする意識が

必要なのでは?と思ってしまう。

何の物語かよくわからないままスタートして、何となくラストになってしまった

物語の芯も、登場人物のキャラクターも、魅力もヘッタクレもない

B級とも呼びたくないタイプの映画だった。

おかげでアドレナリンは活発に。






「でぶ」 

レイモンド・カーヴァー傑作選
レイモンド・カーヴァー著 村上春樹編・訳

収録された短編、読む。









2010年10月05日(火) 『抱擁』 『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』


『抱擁』 再見する。





『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』Interview with the Vampire 1994年 ニール・ジョーダン監督

よく見聞きするタイトルだったし、トム・クルーズ、ブラッド・ピットら

出演者の顔ぶれにもワクワクしていた。

そして何よりリバー・フェニックスが生きていたら出演するはずの作品だったと知って

余計見たいという気持ちが高まっていたのだが、ちょっと肩透かしをくらった感じ。

まるでテレビのワイド劇場を見たようなサックリ、チープな見後感だった。

ヴァンパイアの心情が突き詰めらているかというと、そうでもないし

エンターテイメントに徹しているかというとそうでもない。

ヴァンパイアの心情、苦悩の描写は、感情移入できるほどではなかった。

もっと映像的にヴァンパイアを演じた役者の「美」を表現してもらいたかったなあ。

溜息が出るほどの美しく妖しい肢体の映像はこの作品のテーマに則していると思うから。

唯一、血が通ったシーンとして印象に残ったのが

トム・クルーズ演じるヴァンパイアと少女クローディアとの掛け合い場面。

コミカルな可笑し味の中にキャラクターが感じられて面白かった。

そこの場面だけリピートして見る。

ラストの落とし方も何だか腑に落ちない。

もしインタビュアー役をリバー・フェニックスが演じていたら

ラストの先に何か違う展望を感じながら

エンドロールを見ることになったのだろうか?









2010年10月04日(月) 『抱擁』 『マグノリア』


『抱擁』Possesion 2002年 ニール・ラビュート監督


『エマ』で共演していたグウィネス・パルトロウとジェレミー・ノーザムが

別の作品ではどう変貌して演じているのか想像するだけでワクワクしていた。

一方、グウィネス・パルトロウの演技の幅がわかった感もあり、

作品的にはあんまり期待していなかったからだろうか?

予想外と言うべきか面白かったし良い作品だと思った。

アーロン・エッカートって(NHK-BSで録画したのを見た)

『幸せのレシピ』に出演していた人だ。

この映画は超イマイチだった印象があるけど

『抱擁』のアーロン・エッカートは比べ物にならない位、悪くなかった。

やっぱり生かすも殺すも監督や作品なんだなあ。

ジェレミー・ノーザムは古典的人物がホントに似合う。

ジェレミー・ノーザム演じる詩人と恋に落ちるラモットを演じた

ジェニファー・イーリーという女優さん、メリル・ストリープ

もどきに見えてしまうところが損していると思う。

上手い女優さんなんだろうけど見ている側の意識がそっちの方に行ってしまうのだ。

あとスパイス的(?)な配置の人物の設定が

作品全体の質から見ると、卑近過ぎるというか予定調和過ぎると思った。

何だかんだ言ってDVD検索しまくりで購入した。








『マグノリア』Magnolia 1999年 ポール・トーマス・アンダーソン監督



ちょっとなにコレ! 超面白かったんだけど!!

188分の長編だけど全然長いと感じなかった。むしろもっと見ていたいくらい。

レンタル店でレンタルできたのがVHSテープ。(DVDは置いてなかった)

前編後編2本組みのカセットを前編が終了するやいなや

瞬時に入れ替えて見るという原始的な作業を久々に行った。

後から検索すると長編がネックになったのか興行的には失敗だったそうだ。

まあね、映画館に出かける人の最大公約数が「娯楽」嗜好だとしたら

わからないではないけど、それにしても信じられない、もったいないと思う。

今は作品を面白がるスイッチで見てる感じだから

作品を分解して理解したい。

時間を置いて再見する。









2010年10月02日(土) 『エニグマ』 『世界で一番パパが好き!』TV放映版


『エニグマ』Enigma 2001年/英=独=米 マイケル・アプテッド監督


ジェレミー・ノーザムが出演していることがわかって以来

ずっと見たいと思ってた。レンタル店で発見した時は小躍りした。

すごく密度の濃い作りだなあと思った。

だけど物語の芯がどこにあるのかイマイチわからない。

まるで『L.Aコンフィデンシャル』のダメバージョンのようだ。

戦時下のイギリス、暗号解読の職務に就く人々が大勢いて

国家に尽くしていた?こと、そしてその事実はつい最近まで

明らかにされていなかったことなどがラストの〆で感傷的に語られていた。

ということは、その辺りを物語のキーに据えているのだな。

にしたら、やはりブレていると思う。

ミーハースイッチonで見るぶんには目がハートになるが

ジェレミー・ノーザムが演じる人物だって

一体何者なのかがイマイチ伝わってこない。

ケイト・ウィンスレットやマシュー・マクファディン(『プライドと偏見』に出演してた人)など

面白い俳優さんが結構出演しているのにもったいない、という感じ。





『世界で一番パパが好き!』Jersey Girl TV放映版 2004年 ケヴィン・スミス監督


TV放映の映画をリアルタイムで見ることはまずないし

まして晩ごはんを食べながらなんて余計ないことだけど

BS-TBSだったか日テレだったか、フッと見た瞬間

気軽そうな印象だったので(事実そんな感じ)つい見てしまった。

こういう映画にあーだこーだ言う労力を使うのもどうかと思うが

登場人物の気持ちの変化に説得力を感じない、

物語の要である父娘との関係がもっと深く伝わってくるような表現があるべきところ、

修復不可能に思える(DVの関係で使うような)台詞のチョイスにダメだこりゃと思う。

そして何と言っても物語の着地方向が間違っていると思った。

何の物語なのかわかって作ってるんだよね、と問いたい気分。

むかっ腹さえ立った。



娘と息子の違いはあるけど、父子の物語ということで

『クレイマー、クレイマー』を思い出す。

『クレイマー、クレイマー』がどんなに素晴らしい映画だったか

そして演じていたダスティン・ホフマンやメリル・ストリープ(坊やも)らの

演技が素晴らしいものだったかを思う。

タイピングしているだけで胸にこみ上げてくる感じ。

時間を置いて『クレイマー、クレイマー』再見する。

『世界で一番パパが好き!』TV放映版を見た一番の意義はこれだったのかなあ。








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Barbara [MAIL] [バイオトープの庭]

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