2010年04月30日(金) |
『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』 『ブラッド・ブラザーズ』 |
『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』 2007年 デヴィッド・イェーツ監督
これまでのシリーズと毛色が違う印象のオープニングだった。
ハリーたちの成長にともなって、リアルな現実社会のニュアンスを
取り入れたのかも。もしくは監督のカラーか。もしくはその両方か。
『マトリックス』と何かを足して2で割ったようなニュアンスを感じた。
『マトリックスに』あんまり良いイメージを持ってないないから
何だか違うよなあ、っていう感じ。
相変わらずシリーズをぶっ続けで見ているので
この作品も他の作品と区別がついていないところがある。
原因は、構成とか作品上にもあると思う。
興味と客観的な視点で再見をする。
そして(他の作品との違いを)理解する。
むふ。楽しみな作業じゃ。
『ブラッド・ブラザーズ』 2007年
ジョン・ウーがかんでいる期待とチャン・チェンの期待でレンタルしてみる。
ジョン・ウーは製作で関わっているらしい。
映像はソツがない感じで、好感が持てたが
なにぶんキャラクターがビックリするくらい描き分けられていない。
だから、どこにも、自己投影も感情移入もする余地がない。
チャン・チェンの魅力が生かされていないのはもったいないなあと思った。
殺し屋になりきれてないんだもん。素の感じの良さが透けて見えちゃってる。
スー・チーとの禁断の恋の関係を見せられても全然心動かされなかった。
結局、この物語が何に向かっているのかよくわからないのだ。
視点が一杯有り過ぎて収集がつかなくなっている。
ジョン・ウー初期の血沸き肉踊ったチョウ・ユンファ出演の
一連のノワール作品のニュアンスを現代版にごく薄ーく再現した感じ。
当然、演出や脚本の問題が大きいと思う。
2010年04月29日(木) |
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』 『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』 |
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』 2004年 アルフォンソ・キュアロン監督
ずいぶん前に安価だったので購入してあった
『ハリー・ポッターと賢者の石』と『ハリー・ポッターと秘密の部屋』を
最近何となく再見したことで、その後のシリーズもレンタルして見る。
そしたら突然、心の導火線に火が点いたように(ちと表現が臭いかね)
ハリー・ポッターシリーズの映画のことで頭がいっぱいになる。
まさに寝ても覚めてもハリー・ポッター状態だ。
『ハリー・ポッターと賢者の石』と『ハリー・ポッターと秘密の部屋』を
久しぶりに再見した時は、どちらかと言えば冷めた目で見ていたので
自分でもびっくりしている。
短期間にシリーズを続けて見たので作品がごっちゃになってる。
作品を構成とかキャラクターの掘り下げの面で見てみると
☆5つの評価ではないと思う。
作品の区別がつかない理由はそこだと思う。
だが、細部まで繊細にこだわった美術、琴線を揺さぶるアイデアの数々が
全てをねじ伏せる。全てを圧倒する。
キラキラ光るおもちゃ箱がひっくりかえる。
光が超高速で天空を駆け巡る。
光に包まれてため息をつく。
興味と客観的な視点で再見する。
そして(他の作品との違いを)理解する。
『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』 2005年 マイク・ニューウェル監督
シリーズの中では一番好きかもしれない。
情感豊かに描かれた映像と心情が、心の琴線を揺さぶる。
一連のダンス大会のシーンは、ホントに可愛らしく胸がキュンとなる。
2010年04月28日(水) |
『ジョンとメリー』 『蒲田行進曲』 『ダイエット・ラブ』 |
『ジョンとメリー』 1969年 ピーター・イエーツ監督
ずいぶん前に一度見たことがある作品だ。
ニューウェイブ的なエッセンスを
どこか覚めた目で見たような記憶がある。
久しぶりに再見して、初めて見た時とは違って
琴線に触れながら見ている自分がいた。
ダスティン・ホフマン演じる男のさわやかな?粘着気質、
ミア・ファロー演じる女のかわいらしい無防備と計算、
状況や心情がすごくリアルに胸に響いてくる。
もっさり不器用な成り行きが、
ホントの恋の始まりだったりするのかな〜なんて胸キュン。
『蒲田行進曲』 1982年
頭の一隅にあり続けた作品で、やっと見ましたという感じだ。
個人的好みの問題として深作欣二監督の作品は肌にあわん。
ただ物語として、風間杜夫が前面に出る運びなのかと
勝手な漠然としたイメージがあったから、
それは良い形で裏切られたと思う。
どちらかと言えば、平田満を軸に銀ちゃんを描いている作品だったのだ。
銀幕スターを取り巻く愛すべき屈折、だからこそ輝く銀幕の世界、
その描かれた世界観を覚めた目で見てしまっている。
女性が男性目線で描かれているところも好きじゃない。
映像も音楽も好きじゃない。
が、ラストシーンの風間杜夫の演技に心情が揺さぶられる。
『ダイエット・ラブ』 2001年 ジョニー・トー/ワイ・カーファイ監督
どうしようもなく愛すべき香港映画のB級テイスト。
日本が舞台だったのにはちょっと驚いた。
好き嫌いはあるだろうが、アンディ・ラウはかっこいい俳優さんではないか?
終始特殊メイクをして太ったアンディ・ラウを
見なくてはいけない必然性はどこにあるのだ。
ラストのラストに本来の姿(ダイエットをして痩せたという設定)で
1分ばかし登場するアンディ・ラウを観賞する暇もなくエンドロール。
物語の最後まで、特殊メイクで太った人になったアンディ・ラウを
見る必然性がよくわからん。
ダイエットがテーマだったり、太った人が登場する物語自体はよいのだ。
かっこいい俳優が特殊メイクでわざわざデブ男君を演じる必然性が
わからなかったということだ。
ま、それもこれも香港映画テイストってことか。
2010年04月27日(火) |
『容疑者』 『レイダース 失われた聖櫃〈アーク〉』 『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』 |
『容疑者』 2002年
レンタルDVDのパッケージの紹介文に引かれレンタルしてみた。
ロバート・デ・ニーロが出演したいたことが大きい。
んが、作品冒頭から非常に居心地の悪さを感じる。
タイトルから喚起されてたイメージと
実際目にした映像と音楽にちぐはぐな印象を受ける。
冒頭の印象が内容を示唆していたかのように、説明台詞の多い作りだった。
それも高度な(?)説明台詞なので聞き逃したらさあ大変。
例えば、妻のいとこのおじが1959年に・・・みたいな言い回しだったりするので
余計に無駄に複雑に感じてしまうのだ。
そんな中、ロバート・デ・ニーロの演技は心に訴えかけてくる。
しかし、自分が今まで知っていたキレキレ演技のロバート・デ・ニーロの
その比較として余計思ってしまうのだが
小太りの体型とあいまって、なまぬるい演技(と言っては言い過ぎか)がショックだった。
物語り自体は、惹かれるものがあるけど
作品に貫かれるべき芯というか、イメージがあやふやで
佳作とは言い難いと思う。
『レイダース 失われた聖櫃〈アーク〉』 1981年
『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』 1984年
自分自身意外だったのだけど初めて見るインディ・ジョーンズシリーズなのだった。
『レイダース 失われた聖櫃〈アーク〉』はともかく
『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』は、あざというか
西欧人が香港映画テイストを取り入れた座りの悪さが露骨で
ちょっと鼻白むわ、くらいの勢いで見たのだが
これもまた自分自身意外や意外、
時間が経つほどに再び見たい衝動に駆られているのだ。
ハリソン・フォードの定番キャラクター、
そして、愛や勇気や冒険をあからさまに振りかざすわかりやすさ
何だかよくわからないけど、胸にどすんと響いたあとがある。
あ、女子のジャジャ馬キャラクターはすごく好きだ。
そして、鼻白んだ理由のひとつは、個人的に西部劇が
好みじゃないことが関係しているんだと思う。
ほとんど西部劇作品を見たことがないので想像で物申すだけど
西部劇テイストなんだよね、たぶん。
ただ、スティーブン・スピルバーグの世界観に変換されているわけだがら
味わい方を慣らしてみたいとも思う。
たぶん、DVDを購入する。
4月28日(水)
『ジョンとメリー』 1969年
『蒲田行進曲』 1982年
『ダイエット・ラブ』 2001年 ジョニー・トー/ワイ・カーファイ監督
4月29日(木)
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』 2004年
『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』 2005年
4月30日(金)
『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』 2007年
『ブラッド・ブラザーズ』
5月1日(土)
『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』日本語版二分の一くらい
5月2日(日) 『ジャコ萬と鉄』
5月6日(木)
『ハリー・ポッターと謎のプリンス』
『ディセンバーボーイズ』
5月7日(金)
『ハリーとトント』
5月10日(月)
『ダーク・ナイト』
『バッドマン・ビギンズ』
5月11日(火)
『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』 1989年
『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』 2008年
2010年04月26日(月) |
『刑事ジョン・ブック 目撃者』 |
『刑事ジョン・ブック 目撃者』 1985年 ピーター・ウィアー監督
リバイバルされていた映画館に何度見に行ったことだろう。
それから幾年経つも、ずーっと心の中にある続けていた作品だ。
レンタルビデオ屋さんでDVDを見つけた時は胸がきゅうっと鳴った。
久々にDVDを再見して、表現された情感に心震えたのはかつてと同じだった。
ただあえて言うなら、丁寧に作られていることが
あまりにもキレイに並び過ぎている印象を与えているようにも思う。
無味無臭で無機的と言っては言い過ぎなのだけど
もっとざらっとした質感を感じたくもある気がする。
なんてね。
客観的な目を持つ(持とうとする)ことは
何かを捨てる代償として、何かを得ることななのか。
2010年04月23日(金) |
『グロリア』 「坊っちゃん」読了 |
『グロリア』 1980年 ジョン・カサヴェテス監督
昨日の「刑事コロンボ ビデオテープの証言」の
ジーナ・ローランズを久々に見た余韻で『グロリア』を見る。
この作品はずっと見ることを封印していたフシがあるのだ。
気持がぐらぐらし過ぎちゃうから。恋する気持がこわいから。
ジーナ・ローランズの登場シーン。
ドアスコープに魚眼気味に映る煙草をふかすジーナの格好良さ。
もうホントしびれる。
上辺の表現ではない、大人の女の格好良さを感じさせてくれる。
様々な感情が胸に迫ってくる。
顔の表情だけで、バックボーンや複雑な心情が伝わってくる。
ジョン・カサヴェテス監督と夫婦での共同作業だから
可能なのかもと思う。
再見して改めて感じたのはラストがちょっと解りづらいオチ(?)だと
いうこと。
ただ、その他の要因を差し引き考えると許容範囲かなとも思う。
そして、ジョン・カサヴェテス監督の作品としては
すごくエンターテイメントを意識して作られた作品だなと思う。
もう一度言わせて。
ジーナ、しびれる。
対極にある感情全て内包していると思わせる大人の女を描いた作品を
もっと見たい気分になる。
日本でかっこいい女優さんといえば樹木希林さんかなあ。
「坊っちゃん」夏目漱石著 読了。
青空文庫の縦読みソフトをダウンロードして読む。
思いの他、使い勝手がよくてびっくり!
一度、学生時代に読んだことがあるとは思う。
たぶんその時より今が自分の読み時だと思える。
超、面白かった!
2010年04月22日(木) |
『ラブソングが出来るまで』 「刑事コロンボ ビデオテープの証言」 |
『ラブソングが出来るまで』 2007年
NHK-BSで録画したのを見る。
ああ、どうでもよいものを見てしまったというフラストレーションが沈殿。
連日、駄作と言っては言い過ぎではあるが、決して佳作ではない作品を
たぶんそうだろうなあという予感のもとに見たがゆえに
余計、そういう自分にイライラしている感じ。
ヒュー・グラントは魅力的だと思うよ。
だけど、説明台詞ばっかりとか、登場人物の動機がどうのとか、
そういうことを解釈する労力を使いたくない感じ。
それにしても仏像とコラボしちゃう西欧人ってスゴイと思った。
逆に、キリスト像をああいう風にアレンジされても何とも思わないのだろうか。
「刑事コロンボ ビデオテープの証言」 1975年
ジーナ・ローランズが出演していた!ああ胸キュン!
そういえば番組紹介されていたっけ、忘れてた。
超うれしいサプライズだ。
ああ、やっぱりかっこいい。上手いなあ。
動きの少ない役だけど、ジーナの表情を見ていると
胸に感情がこみ上げてくる。
心なしか、ピーター・フォークとの掛け合い(?)にも
演技上の相乗効果(?)を感じた。
作品自体、気持にひっかかるところがあって面白かったと思う。
2010年04月21日(水) |
『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』 『モンキー・ビジネス』 『コールガール』 |
『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』 2002年
NHK-BSで録画したのを見る。
複数の視点が混在している感じ。
結果、何に焦点が当っているのかよくわからい物語になってる。
製作者の言わんとすることはわかる(ような気はする)。
だけど、民族の誇り、あるいは結婚問題、どちらかにもうほんの少し
比重を置く構成にした方が観客には伝わったと思う。
そして、何故あの男性がトゥーラ女子に突如接近して
恋に落ちたのか動機がよくわからん。
かっこいい?男が、突然クセある容貌の女子の前に現れ
一目惚れ?して尽くすという動機を
もっと納得できるように進行してくれって感じ。
『モンキー・ビジネス』 1952年 ハワード・ホークス監督
NHK-BSで録画したのを見る。
肩肘張らずに気楽に見るタイプの作品なのかも。
アメリカの観客の笑い声が入ってるタイプのドラマの雰囲気がした。
面白くないことはないけど、何か動かされるといったタイプでもなく。
この手の作品が続いてイライラしてくる。
『コールガール』 1971年 アラン・J・パクラ監督
NHK-BSで録画したのを見る。
イライラを払拭したくて(気分を盛り返したくて)
佳作の印象だった『大統領の陰謀』の
アラン・J・パクラ監督の作品を見ることにした。
とはいえ、期待半分イヤな予感半分といったところだったから
かなり見るのを迷った。
結果、アラン・J・パクラ監督の硬質でタイトな作品は
やっぱり好きだし、心地が良いということを確認できた。
ただ、ラストで犯人がペラペラしゃべっちゃうネタばらしの展開は興醒めだ。
淡々とした展開の中の意表をつかれる表現に引きつけられていた
終着点がそこなの?と、別の意味で意表をつかれる。
そして、そして、そして! 声を大にして言いたい。
絶対この邦題はちがう。
『コールガール』ではこの作品の魅力が半減する。
なんで『コールガール』なんてタイトルにしてしまったのか。
ああ、もったいない。
2010年04月20日(火) |
『ハリー・ポッターと秘密の部屋』 再見する 『幸せのレシピ』 |
『ハリー・ポッターと秘密の部屋』 2002年
昨日に引き続きハリー・ポッターシリーズを再見する。
昨日見た『ハリー・ポッターと賢者の石』と同じく
ストーリー的に一見解ったようで、実は何を言ってるんだかよく解らない。
けむに巻いてるなあという印象だ。
しかし『ハリー・ポッターと賢者の石』と同じく映像の力が勝っているのだ。
二作続けて見てふと思った。
この作品は映画というより(もちろん映画なんだけど)
ディズニーランドのような魅力的なアトラクションを
ハリー・ポッターの視線になって、ひとつひとつ
ドキドキしながら巡るアドベンチャーではないか。
そう思って見れば、作品の中心人物であるハリー・ポッターが
終始受身であることや、ストーリー的に辻褄が合ってないところなど、
一旦横に置いておく理由になる。
そういう視点で見ると納得が行くというか、割り切れる。
『幸せのレシピ』 2007年
NHK-BSで録画したのを見る。
良い作品はシンプルに物語を語ることが出来るものだと思う。
(黒澤明監督の言葉にあった。その他、指南書でも読んだ。
なるほどと強く思った事だ。)
その点、この映画を要約して語ろうと思っても
一体何についての物語なのかよくわからない。
料理店に勤めるワーカーホリックの女性シェフが
身辺に紆余曲折ありながら恋人とめぐり合う話・・・
と言えなくもないが、そこが一番フォーカスされてる感じでもないし
ホントに何を言いたいのか全体的にボケボケだ。
まず登場人物たちの動機がわからない。
人間関係においてそれぞれの着地点が不明のまま。
例えばキャサリン・ゼタ・ジョーンズに気のある階下に住む男性への扱いが
失礼過ぎるのでは、と思う。
ただそういう印象を残してしまうだけの場面の存在意味がわからない。
全ての登場人物たちとの関係が確立していないのだ。
ただ、ロマンチックなエッセンス、雰囲気があるから
憮然としつつも、何か見ちゃうってのはある。
(人物描写よりシーンありきが先行したからではなかろうか)
皮肉な言い方をすれば、オトコが添え物的に扱われている
アメリカはやっぱ進んでるねって感じ。
2010年04月19日(月) |
『ハリー・ポッターと賢者の石』 再見する |
『ハリー・ポッターと賢者の石』 2001年
ハリバを再読、神話という箇所を読んでいたら
ハリー・ポッターが見たくなった。
超、久しぶりに再見する。
キラキラ光るおもちゃ箱をひっくり返したみたいに
次々あふれ出てくるワンダーランド。
刺激された好奇心で一時も目を離せない。
んが。けむに巻いている。
芯が通ってないというか、芯が無いというか。
よくよく考えてみても、賢者の石自体なんなのかよくわからない。
この物語において重要なモチーフらしいのに
だいたいラストのラストに突然ハリーのポケットに
石が入ってましたっていうオチは一体なんなのだ。
まあ、そういうストーリーの曖昧さを補って余りあるほどの
映像表現がこの映画の存在意味だと思う。
全てをねじ伏せてしまう?ワンダーランドな映像の力は
それはそれで凄いと思う。
2010年04月17日(土) |
『予感』 『紳士協定』 |
『予感』
NHK-BSで録画してあったのを見る。
イラン製作の映画だ。
宗教や国の違いは関係なく、良いものは良いと感受できるものだけど、
この映画は、国や宗教観の違いが根本にあるので
共感するという観点で見るのはちょっと厳しい。
例えば、男性の女性の扱い方であるとか
表現上そうなっているのではなく、根本的に考え方が違っていると思われるので
距離を置いた見方をするしかなくなってしまう。
他に何か感じる点があれば、それも差し引きになるかもしれないが
映像や表現など平板な印象だった。
日本でさえも(?)、その高さのハードルはもう障害になってないよ、
という所が深刻に扱われている。
色々な意味で印象には残る作品だとは思う。
『紳士協定』 1947年 エリア・カザン監督
あまり期待していなかったせいかなあ、面白かった。
というか、戦後間もないこの時代に
今の日本が未だ追いついてないような思想や
パートナーとの関係のあり方が、
もうすでにアメリカでは表現されていた、という驚き。
先に見た『予感』は前近代的であり
この『紳士協定』は近代的であり、
くしくも対比を考えさせられるようなチョイスをしたのだった。
作品的には、シーンの並べ方が、同じ力関係になってしまっているのか、
おしなべられた印象になっていると思った。
それぞれのシーンは面白いと思うので、
ちょっとした対比(?)のさせ方で見え方が違ってくかも、と思う。
『ローマの休日』を見たところというのもあり
グレゴリー・ペックの魅力を再認識。
まー、かっこいいこと。
2010年04月16日(金) |
『リトル・ミス・サンシャイン』 『木村家の人びと』 再見する |
『リトル・ミス・サンシャイン』再見する。
面白いと作品はシンプルに説明が出来る、
つまり基礎工事(?)ありきってことを改めて感じつつ見る。
『木村家の人びと』 1988年
NHK-BSで録画してあったのを見る。
確か、ずいぶん前に見たことがあるはず。
今の時代を先取りした題材を扱っているようにも思える一方、
作品自体、すごく時代を感じさせられるというか、
過去の遺物になってしまっているような、
良くない意味で古いものを見せられているようで
最後まで見るのが苦痛だった。
つまり普遍性という概念に存在していないのだ。
そして『おくりびと』と同じ監督だったのだ。
『木村家の人びと』に比べると
ずいぶんと叙情性のある表現に発展(?)されたなあとは思うが、
『木村家の人びと』も『おくりびと』も不快な男性目線であることは同じだった。
たぶん自覚症状はない方なのだ。
感銘を受ける作品の製作者は、
俯瞰の観察眼、意識を持っていると感じる。
その作品の表現対象、テーマに関わらず、だ。
何なのだ。男のロマンVS悪あるいは取り巻き、みたいに仕立てた構図は。
全く鼻白むわ。
2010年04月10日(土) |
『ローマの休日』 再見する |
『ローマの休日』
再見する。
これも予想外だったことだけど見直したくなる作品だったのだ。
ディティールが丁寧で情報量が豊富だから
スイッチを入れ替えて見ることが出来るのだと思う。
面白い。構成に重心を置いて見る。
2010年04月09日(金) |
『ローマの休日』 再見する |
『ローマの休日』 1953年
NHK-BSで録画してあったのを見る。
ずいぶん前に何度か見たことのある作品だ。
日本で本作品においてのオードリー・ヘップバーンの人気が根強いせいか
何かにつけ目に触れる機会が多いので、常に身近にある感じがあって
久々に見る感じがあまりない。
それだけに『アパートの鍵貸します』みたいに、再見しても
あまり代わり映えのしないどころか、イヤな見後感が残るのはやだなあと
思って見るのをかなり迷った。
しかし、結局『或る夜の出来事』を見たことで
この作品のリメイクだということがわかったので
その辺のことを検証してみたい気持で見ることにしたのだ。
予想外にめっちゃ面白く見れてびっくり!
エンターテイメントを基軸にエピソードが丁寧につづられていて
オードリー・ヘップバーンの清々しさで物語が進んでいく面白さ。
カフェで通信記者のジョーが自分の正体とと王女の正体をごまかすために
友人のカメラマンを事あるごとに、足踏んだり、突き飛ばしたりするシーン、
往年のドリフのベタなコントみたいだけど、声を出して笑ってしまった。
通信記者と王女の気持の移り変わりを注意してみたのだが
結構ラスト近くまで、感情のゆれよりエピソードの面白さが勝っちゃてるのね。
琴線に触れるような感情のあやの表現は、
やはり『或る夜の出来事』が秀逸だと思う。
けれど『ローマの休日』の存在感は別の視点で余りあるほど補われているのだ。
好みの問題だな。
個人的には『或る夜の出来事』がスゴイとは思うけど。
2010年04月08日(木) |
『狩人と犬、最後の旅』 「刑事コロンボ 毒のある花」 |
『狩人と犬、最後の旅』 2004年/仏=カナダ=スイス=独=伊
NHK-BSで録画したのを見る。
大自然の中、敬意と畏怖の念を抱きながら
山に暮らす狩人とパートナーそして犬たち。
そして自然の恵みに感謝し狩をする。
自然の姿そのものが、この映画のいわば芯だから
物語性は最小限に見せるよう、配慮されているのだと思う。
かといって、登場人物たちのキャラクターが希薄かというと決してそんなことはない。
自然が猛威を振るう中、ソリを牽く犬たちがどうなっちゃうのかと
ハラハラして気が気じゃないシーンが幾場面かあったけど
欧米は、良くも悪くも動物愛護を声高に叫ぶところがあるから
無茶な場面展開はないはずだ、なんて妙な納得の仕方をしながら見た。
犬達がふっさふっさしっぽを振りながらソリを引く姿は本当にかわいらしい。
いわゆるフツーの(物語性で見るタイプの)映画とはちょっと毛色が違うけど
佳作だと思う。
見てよかったなあという気持がじんわりこみ上げる。
大自然を劇場の大きなスクリーンで見てみたいものだ。
「刑事コロンボ 毒のある花」 1973年
NHK-BSで録画したのを見る。
すごく興味の持てる設定だと思ったけど
(化粧品会社社長の、しわ伸ばしクリーム開発をめぐる事件)
例のごとくコロンボ刑事のあーだこーだの捜査の挙句、
落とし処がこれなの??? と拍子抜けしてしまった。
事件解決の決定打がそれなんだったら、
そんなに紆余曲折しなくてよかったじゃん、という気分になる。
2010年04月07日(水) |
『ブルグ劇場』 『あるいは裏切りという名の犬』 |
『ブルグ劇場』 1936年/オーストリア ヴィリー・フォルスト監督
NHK-BSで録画したのを見る。
「ガラスの仮面」や『イヴの総て』を思い出す。
舞台での喝采と賞賛と背中合わせにある代償の無常感。
演じることに魅入られた人間は、舞台から逃れようとしても逃れられない。
舞台に生きる役者を描いた作品。
70年以上前の作品とは思えない。全然時代の差異を感じない。
琴線にふれるとか、ぐっとくるとかいうのとはちょっと違うけど
それこそ「ガラスの仮面」のように、
ストーリーを面白く追って見るタイプの作品だった。
それにしても、若造君にしろ、老?役者にしても
ピントはずれっぷりなキャラクターにちょっとイライラ。
欲を言えば、もっと納得したかった感じ。
かっこいいと思わせてくれる要素がもう少しあるとか、
あるいは逆に、このイライラキャラクターをもっと突き詰めてくれるか
そのどっちか。
『あるいは裏切りという名の犬』 2004年
何だか全体的にだらだらシーンが羅列してる印象だった。
キレイ事じゃ済まない裏社会のドロドロした警察内部事情やら
それに伴う、危ないかけ引きによって引き起こされる暴力、殺人、
そういう状況的なものは理解できたけど
登場人物が何考えてるのか、対立している理由がイマイチわからなかった。
これが動機なんだろうなあと、わかったつもりで見たとしても
あまりにもチャッチク感じてしまう。
渋く訳あり気な雰囲気で決めた?描写が余計に鼻白む気持を倍化させる。
つまり芯が通ってないのだ。メリハリを感じない。
後から思い起こそうとしても印象に残るシーンがないもの。
北野武監督作品の方向で頑張ってみたけど・・・的な作品、
そんな感じがした。
2010年04月05日(月) |
『女人、四十。』 『或る夜の出来事』 再見する |
『女人、四十。』 1994年 アン・ホイ監督
ビデオをハードディスクに落としつつ見る。
ダビングしたのが結構ハイグレードランクのビデオテープだったせいか
かなり時間が経っているにもかかわらず状態は良かった。
値段を張り込んだだけのことはあったってことだ。
何年ぶりに見るだろう。
ずっと心のどこかに有り続けていた作品だ。
再見してみて、やはり作品の内容からして
少なからず胸に響いてくる重みは違っていたことを感じた。
老親、介護、家族、などの問題テーマを
コミカルに、と言っても本質の追求からは外れることなく
そのコミカルな要素で見せているこの作品の功績、
そして、家族と介護と仕事の中で葛藤する女性を
賢く、強く、軽やかに演じたジョセフィン・シャオの功績は大きいと思う。
コミカルな要素があるとはいえ、やはり胸に刺さるテーマだ。
このようなテーマを、ポジティブマインドで受け入れられる
間口を広げる切り口、視点はあると思う。
見つける。
『或る夜の出来事』 を再見する。
4月2日(金)〜4月4日(日)3日間で「虎」本の再読、読了。
2010年04月02日(金) |
『或る夜の出来事』 再見する |
3月27日(土)以降〜
ハードディスクに落としてからというもの『或る夜の出来事』を再見する日々。
恋におちる二人をこれほどキュートに切なく、
そして可愛らしくコミカルに描いた映画を他に知らない。
キラキラと光の粒が見えるようだ。
胸がしめつけられる。
涙がこぼれる。
クラーク・ゲーブル×クローデット・コルベールの強烈に魅力的な演技。
クラーク・ゲーブルの豪胆と繊細さ。
クローデット・コルベールの(相手の反応を)受けの演技の細やかさ。
小気味のよい色香に包まれるのだ。
|