2013年09月30日(月) |
あ〜悔しい、ってか? |
≪朝日新聞社説≫ 君が代義務化―本当に大切なことは 特定の歌を歌えと命じられる。口を動かしているかチェックされ、歌っていないと罰を受ける――まるで時計の針を戻すような動きだ。 卒業式などで教職員が君が代を起立斉唱するよう、全国で初めて条例で義務づけた大阪府の教育委員会が、実際に歌っているかどうか、口元を確認、報告するよう府立の全学校長に通知した。 国の学習指導要領は、式典で国歌斉唱を義務づけており、他の教委でも指導を強める動きがある。だが実際にはチェックの対象は起立で、口元の点検まで指示したのは異例だ。 大阪府での義務づけは、橋下徹・大阪市長の考えにもとづく。公務員はルールを守るべきだとの判断から、指導の徹底をはかってきた。 府教委の中原徹教育長は、条例づくりを主導した橋下市長の友人で、府立高校長だった昨年、卒業式で教員の口元をチェックして議論を呼んだ。今回も、「起立斉唱」を義務づけた条例のもとで当然のことを書いたまでだと説明する。 スポーツの国際試合では、選手を鼓舞したり勝利をたたえたりする観客が君が代を歌う風景が当たり前になった。ただ、かつて君が代は、軍国主義教育のなかで戦意高揚に使われた。その反省の思いから、式典での起立を拒否する先生がいるのも重い事実である。 世間の反応は鈍い。学力低下やいじめなど様々な問題を抱える公教育への不信も、「ルールを守らない」先生への厳しい視線につながっている。今回の動きも、そんな空気を読んでのことかもしれない。 不起立教員そのものも激減している。いずれ、君が代に反対した先生がいたことも知らない子ばかりになるだろう。これはよいことなのだろうか。 時の流れとともに、戦争を知る世代が減っていくが、戦後の日本の歩みを方向付けたあの戦争は、決して遠い過去の遺物ではない。 日本が無謀な戦争への道を進んだとき、先生たちはなぜ止められなかったのか。痛恨の体験が、君が代を歌わない先生の思いをかき消していく末に、忘れ去られてよいはずがない。 中原氏は昨年、口元チェックが問題になった後のブログで、この問題では「君が代賛否の人々の意見を、根拠のある史実と合わせて若者に紹介し、人材育成に生かすことが肝要」と述べた。そのとおりだと思う。 教育長として、そのことにこそもっと力を注いでほしい。 ≪終了≫
「特定の歌」ときた。国歌だよ〜 「君が代を歌う風景が当たり前になった」困りましたか? 「式典での起立を拒否する先生がいるのも重い事実である」戦後生まれの先生が何故そういう思想になるのか!そいつらを教えた日教組の先生の責任だろ!それこそ思い事実じゃないのか! 「君が代に反対した先生がいたことも知らない子ばかりになるだろう。これはよいことなのだろうか」先生方にはいい事じゃないの?だって後世にそんな先生がいたこと自体が「痛恨の体験」と言われるより。 とにかく悔しいみたいだね。
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