★神主の遠吠え日記☆

2010年06月14日(月) いつもの「自由」


≪朝日新聞社説引用開始≫
ザ・コーヴ中止―自由社会は見過ごせない
 言論や表現の自由にとって、深刻な事態がまた起こった。
 和歌山県太地町のイルカ漁を告発した米国のドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」の上映を予定していた東京、大阪の3映画館が中止を決めた。作品を「反日的」と糾弾する団体が「抗議活動」を予告したため、近隣への迷惑を考え「自粛」するという。
 問題は、この映画の内容が妥当かどうか、質が高いかどうかとはまったく別のことだ。たとえ評価が割れたり、多くの人が反発したりする作品や意見であっても、それを発表する自由は保障する。それが表現や言論の自由であり、自由な社会の土台である。
 「客に万一のことがあっては」という映画館の不安はわかる。しかし、こういう形での上映中止を、自由な民主主義社会が見過ごしてはいけない。
 この映画は、太地町でのイルカ追い込み漁の様子を隠し撮りして作った。今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受けたが、地元などからは、その手法も含め強い批判が出ている。
 同町と同町漁業組合は、登場する住民の肖像権を侵害し、虚偽の事項を事実のように示しているとして、配給元に上映中止を求めた。このため配給元は住民の顔にモザイクを入れたほか、町側の主張を作品の末尾に字幕として加える対応をした。
 作品のクライマックスでは、漁師がイルカを殺し、海が赤く染まるシーンが映し出される。イルカ保護の観点から「残虐」行為として描こうとしたのは明らかだ太地町のイルカ漁は長い伝統がある。もちろん合法だ。地元出身でなくとも、作品に抵抗を感じる日本人は少なくないかもしれない。
 だが、イルカについてまったく異なった見方があることはわかる。何がどう違うのか。なぜアカデミー賞を受けるほど評価されたのか。
 強い反発を覚えながら、自分と異なる価値観と向き合う。そして、自分はなぜこの作品に批判的なのかも考えてみる。それは自身の価値観を相対化したり、どんな偏見や誤解が異文化間の理解を阻んでいるのかを考えたりするきっかけになるだろう。
 だからこそ、人々が多様な意見に接する機会を封じてはならないのだ。
 同じような事態は一昨年、中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」をめぐっても生まれ、上映中止が相次いだ
 今回も上映中止の連鎖が懸念されるが、上映予定の全国の約20館には踏ん張ってほしい。万一、業務を妨害する行為があれば、警察は厳重に取り締まるべきだ。
 上映の「自粛」が続くことは、日本が自由社会を自任するなら恥ずべき事態である。上映館を孤立させないよう声をあげていきたい
≪引用終了≫


『「残虐」行為として描こうとしたのは明らかだ』、『隠し撮りしてつくった』とわかっていながら、言論や表現の自由をいう。
まさにアサヒの書き方。
地元民は『虚偽の事項を事実のように示している』として、配給元に上映中止を求めた。
『町側の主張を作品の末尾に字幕として加える対応をした』だけならいいの?
「靖国 YASUKUNI」も同様。
『どんな偏見や誤解が異文化間の理解を阻んでいるのかを考えたりするきっかけになるだろう』偏見や誤解があると思うなら、天下のアサヒが率先して理解を求めるようにすればいい!
ただし相手が理解しようとする“こころ”があると思っているなら。
『太地町のイルカ漁は長い伝統がある。もちろん合法』なんでしょ!
『声をあげていきたい』
声をあげるところが違うわい!!


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