俳優ユースケ・サンタマリア氏を個人的趣味で鑑賞...いえもと(改名しました)

こちらでは、ユースケ氏の出演作品の中から、後世に残したいとまで気に入った作品&ここまでこのドラマを食い入るように観てるのって私だけだろうと思ったドラマを、筆者が勝手に必要以上に評価させて頂いています。ネタバレ有です。
ドラマのあらすじを知りたくない方にはお勧めできません。
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映画「ピノッキオ」日本語吹替 声の魅力  - 2006年02月27日(月)

「ピノッキオ」 イタリア・アメリカ ロベルト・ベニーニ監督・主演 2003年日本公開

映画公開当時、確か春休みだったと思う。子供が実家に遊びに行っている間にチャンスとばかり、字幕版と吹替え版を交互に何度も観てしまった。
まあ、春うららかな昼下がりに、暗い映画館にこもってそんなことをやってる主婦も、東京23区内で私一人いるかいないか、かもしれなかったが。

最近、私事(それ以外になにもない)が忙しくなり、TVの前に座る時間が少なくなってしまったけれど、トリノ五輪も終わったことだし、イタリアつながりでその懐かしいDVDを観かえしてみた。そして聴きかえしてみた。

大体、こんな妙なピノッキオは、私は今までに見たことがなかったので。原作に相当忠実なストーリーの、哀しかったりむごかったりすることもそうだけれど、何よりも、
「木で作られた、少年の人形」を、見かけはおよそ清らかとは言いがたい50代の男が演じるなんてねえ。
たとえば世界で最初に納豆を食べてみて美味しいと思った人ってすごいよね。っていうくらい、大胆なことするよなあって思ったし、実際観た人の批判的な意見も多いようだ。が、
私は、魔法にかかったほうのクチだ。(多分に、許容範囲が広いんだ。)
誰が何と言おうと、観ていくうちにホントに、人形に見えたし、少年に見えたんだもの。可愛い瞳に「子供」のエキスが満タンだった。
たとえば歌舞伎で女形が演じる娘の役に、本当の女よりももっと女っぽさを見るような感じ。
なるほど、子役を出さなくても絵本の世界をつくることって出来るんだなあと、感心する。


可愛い「人形」が本当の「人間」になってゆく時に、・・・言い換えれば、
自己中心で好奇心のかたまりで、ボールみたいにどこに飛んでいくかわからない、愚かで騙されやすくて、もらう愛ばかり望んでいる「子供」。・・・が、現実を見きわめて賢く折り合いをつけつつ、与える愛を知り、社会で一つの役割を果たせる「大人」になってゆく時に、
やっぱりどうしてもぶちあたってしまう様々な壁。そして乗り越えるべき何か。
そんな普遍的なテーマをベースに、何を捨てつつ何を残して人は生きていくのかと考えさせられる仕掛けの、奇妙なファンタジー。
で、人生のずっと後半までも「子供」が残ってる役者の、濃くって、ぶっとんだ演技を味わうことで、不思議な気分にさせられる。
・・・こんな自分もあんなみんなも、もしかしたら、いくつになっても「子供」じゃないか?と思っちゃうような。実年齢なんて、そんなの、世を忍ぶ仮の姿じゃないか、と。大人だって、ある瞬間は、時によって、「子供」じゃないか。心の奥にいて、たまにふと顔をのぞかせるのが「子供」の自分じゃないだろうか。

そして、このベニーニにユースケ氏が吹替を当てている。
なんてモノのわかったキャスティングなんでしょう。だってそうですよ。実年齢からはるかに離れた「子供」の部分を彼は持っている上に、その「子供」を、可愛らしく・しかもオジサンっぽさと矛盾しないで融通無碍に出せる人、
それこそユースケ氏の、人柄に裏打ちされたチャーミングな演技のような地のような魅力なので。しかもそれを声だけの演技でも出せる人なので。
このベニーニの声に彼がぴったりだ。
ちょっと舌足らずでザラっとした感じが妙に可愛いと思った。全編通してずっと一定の高音を保ちながら。
楽しさ、無邪気さ、浅はかさ、素直さ、無防備さ、自分勝手さなど、「子供」の持つ様々な表情(それも、まだ人間=大人になりきれない、人形という哀しき「子供」ならではの演技)を聴かせてくれていた。
どんなに馬鹿でずるいことを言っていても、この声のなかから決して憎めない純粋さが消えないから、妖精も観客もピノッキオに愛想つかすことなく見守っていられる。
ラストで利他的な情愛が深まってきて、人間に進化するころのピノッキオの声も、ときどきハッとするくらいきれいで胸をゆさぶるものがあり、言っちゃなんだけどホントにユースケ氏が発声してるんだよね?と信じられないくらいである。

※エンディングのテーマソングも吹替でユースケ氏が歌ってるが、ハッピーな雰囲気がとってもいい。ちょっとヘタウマな歌い方が功を奏して、ピノッキオのイメージ通りだった。




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