月に舞う桜

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2011年08月21日(日)

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「30代は生き易くなるよ」と、何人かが言っていた。


でも、そんなことは、ない。

確かに、20代特有の生きづらさや絶望感は、なくなった。息苦しくなくなった。20代の頃よりは、楽になったのかもしれない。

けれど、底にこびり付いて離れない「絶望」というものがある。
楽になってもなお消えない影は、むしろどんどん色濃く、存在感を増していく。


普段は脳内に点在している無数の小さな影が、何かの拍子に互いを呼び合い、一つの大きな塊となる。

一度集合体となってしまうと、ばらばらに切り分けて元の破片に戻すことが、なかなかできない。

こんにゃくゼリーみたいだ。


私はそのゼリーを、どこまでうまく飼い慣らしていけるのだろうか。


2011年08月17日(水) とんだとばっちりと、その後

小学校2年のとき、肺炎で入院した。
そのとき、まずい粉薬をたくさん飲まなければならず、少しでも苦みを緩和するために、薬を飲んだ直後にお菓子の「小枝」を口に放り込んでいた。
そうして一週間の入院生活を終え、退院すると、なんと小枝を食べられなくなっていた。
小枝を見ると、私の脳があのまずい粉薬を勝手に連想してしまうのだ。今でも、小枝の味そのものは好きだ……ろうと思う。でも、食べたくない。食べたいという気が起きないのだ。

それから、入院中、水分をたくさん取りなさいと言われて、ポカリスエットをよく飲んでいた。そしたら、ポカリも飲めなくなった。あの憂鬱な入院生活を思い出すから。
それ以外のスポーツドリンク(アクエリアスとか)は飲めるのに、ポカリは飲みたくない。

小枝だって食べようと思えば食べれるし、ポカリだって飲もうと思えば飲めるのだ。でも、いまだに進んでは口にしない。

小枝もポカリも、とんだとばっちりである。


なでしこJAPANが優勝した直後、彼女たちのニュースを見るのがしんどかった。

TAIJIの訃報を知ったのが17日の夜、なでしこが優勝したのは翌18日の朝だった。
だから、なでしこのニュースを見ると、TAIJIを思い出す。

18日、起きると両親はなでしこの優勝で盛り上がっていた。ニュースもその話題ばかり。
日本中が、喜びに沸いていた。それは当然だ。震災と原発事故で先が見えなくなってしまった日本において、久しぶりに手放しで歓喜できる話題なのだから。
私も、一緒に盛り上がりたかった。大声で彼女たちを讃えたかった。

けれど、自分の悲しみとテレビの中の熱狂があまりに乖離していて、ついていけなかった。

TAIJIは死んじゃったのに、どうしてみんなこんなに喜んでいられるんだろう。
みんながこんなに喜んでるのに、どうして私はこんなに悲しくて悔しいんだろう。

連日、私がテレビを見る時間帯は、どこかの局に必ずなでしこメンバーが出演していた。
両親、特に父は、喜んで観ていた。
私は、歓喜できない自分が疎外された気になるから、見たくなかった。もう出てこなくていいよ、と思った。

なでしこJAPANにしてみれば、とんだとばっちりである。


気持ちが切り替わったのは、TAIJIの逝去となでしこの優勝から一週間が経った日のこと。
HEY×3にモーニング娘。のOGが出ていて、「LOVEマシーン」を歌っていた。

「日本の未来は 世界がうらやむ〜」

今のこの日本の状況下でこんな歌を歌うとは、KYも甚だしいか、よほど勇気があるかのどちらかだ。

最初はそう思っていた。
が、聴いているうちに、涙が溢れてきた。
私にとって「LOVEマシーン」は、「カラオケに行ったらみんなで盛り上がる曲」という位置づけであり、間違っても「泣ける曲」ではない。
笑顔を振りまきながら歌い踊るモー娘。OGたちと、それを見ながらテレビの前で泣く私。どう考えても不釣り合いである。
でも、涙は流れ続けた。

うちの会社も、直接的ではないものの、震災の影響があった。そして、その影響はいまも続いている。
このHEY×3の日はSV研修に参加して、他のセンターの人たちと「本当に大変でしたね。いつまでこの状況が続くんでしょうね」なんて話していた。
そんなこともあったからだろう、「LOVEマシーン」を聞きながら震災を思い出していた。

この歌は、希望の歌なのだ、と思った。
今の日本を、世界がうらやむわけがない。
だけど、いつか、そんな日が来るといい。
別に、本当に世界がうらやまなくてもいいんだ。
ただ、日本の中で、「今の日本、いい感じだよね。絶対、世界中がうらやんでるよね。私たち、ここまでよく頑張ったよね!」って、見当違いな思い上がりでもいいから、お互いにそう言い合える日が来るといい。

今さらながら、気付いた。
その日に向かって歩む上で、なでしこJAPANの優勝は大きな力となったのだ。
彼女たちが日本にもたらしたもの、その意味、偉大さをやっと理解した。

私たち、まだまだいけるんだよ! これからだよ!
そう思わせてくれたのだ。


そんなことをいろいろ考えて、泣いた。


そもそも、「LOVEマシーン」が流行ったときだって、日本は不況で就職難で、お先真っ暗な雰囲気が漂っていて、世界がうらやんでるなんて本気で思えるわけがないような状況だった。
でも、開き直って、アホみたいに笑いながら、楽しくこの曲を歌ったのだ。

モー娘。が好きなわけじゃない。「LOVEマシーン」だって、特別愛着があるわけでもない。
それでも、たったワンフレーズが未来を考えるきっかけになったり、希望を持たせてくれたりする。

音楽は、それがどんなジャンルのものでも、偉大だ。
ね、TAIJI。

そして、正直なところ私はあまり普段は実感がないけれど、スポーツも同様に偉大なのだなあ。


2011年08月13日(土) 憎き敵のはずが

私ははO型である。
科学的根拠があるのかどうか知らないが、O型はよく蚊に刺されると聞く。
実際、私もよく刺される。

蚊は憎い。

まず、あの音だ。「ぶーん」ならまだしも、妙に軽い「ふぅ〜ん」という、人を小バカにしたような耳障りな音。
人間を苛立たせるポイントをよく知っていると感心してしまうくらいだ。

次に、何と言ってもあの痒み。
蚊を満腹にするくらいの少量の血ならくれてやるから、痒みは勘弁してほしい。

というわけで、蚊にはぜひとも絶滅してもらいたい。


……と長年思っていたのだが、最近かわいい蚊のキャラクターと出会ってしまって困っている。

その名も、「ちーすい丸」。
土曜日の午前11時55分〜12時に日テレで放送している同名アニメの主役である。

「ちーすい丸」公式サイト↓
http://www.chisuimaru.com/

サラリーマン「ノブオ」と、彼の血を気に入って追いまわしている蚊「ちーすい丸」の戦いを描いたアニメだ。
先週、何を見るでもなくつけていたテレビで流れていて、このアニメを知った。

ちーすい丸は、本物の蚊とそっくりな音を立てる(あのいやーな音がテレビから聞こえてくるのですよ!)。
執拗にノブオを追いかけ、何が何でも血を吸おうとする。
そして最後はノブオの頭皮に止まり(ノブオは、いわゆるバーコードヘアである)、ぶすっと刺して生意気な表情で血を吸うのである。

まさに、憎き蚊である。

…のはずが、どうにも憎めない。
絵の単純さと体の小ささに騙され、何とかノブオの血を吸ってやろうと飛び回る姿に、思わず顔がほころんでしまうのである。

とうとう、携帯の待ち受け画面をちーすい丸にしてしまった。
完全に私の敗北である。
その前は、Xのメンバーを待ち受けにしていた。
あの、天下無敵のXJAPANを蹴落として、まんまと待ち受け画面の座を手に入れたのだ。
恐るべし、ちーすい丸!

さらにイタイことに、私は現実の蚊をも「ちーすい丸」と呼ぶようになってしまった。

いかん、このままでは戦意喪失しかねない。

今日は土曜日。偶然ではなく、観ようと思って「ちーすい丸」を観た。
何だか負けた気がする。


そして今日も、リビングを飛ぶちーすい丸に血を吸われるO型の私であった。


2011年08月12日(金) 遠く、あまりに遠く

自由は、遠い。

これだけ科学技術と医学が進歩し、とりあえずは民主主義が確立され、生存権が保障されていようとも、それでもなお、自由ははるか遠い。


求めれば、それはさらに遠のき、代わりに黒い影を与えてよこす。

やっと手にしたと思って、離すまいと握りしめても、手を開いてみればそこには何もない。


何もないのは寂しかろうと、絶望がやって来る。


大きな岩よりも、小さな石ころ、あるいはほんの砂粒の方が、よほど絶望を引き寄せる。

辿り着いたと思えば、それは残酷な蜃気楼。
そして代わりに現れ立ち塞がるのが巨大な岩ならば、諦めもつくだろう。

けれど、足元にあるのはただの小石。

なぜ、進めないのだろう。

進めないのに、なぜ、中途半端な慈悲を与えられたのだろう。


「人間は自由という刑に処せられている」なんてのは、夢想家の戯言だ。
そんな刑に処してくれるなら、喜んで13階段を駆け上ろう。


2011年08月07日(日) 儀式と覚醒

わりと、周りから「桜井さんは大丈夫」と思われている…らしい。

あたしは、変にプライドがあって、実は負けず嫌いで頑固だ。
だから、「大丈夫な顔」を見せる。
そりゃあ、気の置けない人たちには「大丈夫じゃない顔」も見せて、愚痴を吐くことだってあるけれど、最終的には「大丈夫な顔」を見せていたい。


だけど、本当は、プレッシャーに押しつぶされそうになるときが、ある。
新人が入るたびに、「この教え方で問題ないだろうか。理解してくれるだろうか。ドロップアウトしないで一人立ちしてくれるだろうか……いや、ちゃんと一人立ちさせなくちゃ」と、プレッシャーに襲われる。

誰に何を言われたわけでもない。
ただ、勝手にプレッシャーを呼び込んで、最初の1,2日は実は逃げたくなる。

それに、あたしは人見知りをするタイプだし、人に対する好き嫌いが結構あるほうだ。
だから、どんな新人が来るのか不安にも、なる。「手に負えないような奴が来ちゃったら、どうしよう」とか、「どうしても自分とそりが合わない人だったら、2ヶ月間どうやって乗り切ろう」とか考え始めればキリがない。
「立場上、こちらから積極的にコミュニケーションを取らなきゃ」とも思い、それがまたプレッシャーを呼ぶ。


もともと、新しい環境に入っていくのは得意じゃない。

クラス替えの時期、大学に入るとき、就職したとき……環境が変わるときには決まって、夜になるとさめざめと泣いていた。
別に、新しい環境が嫌なわけではなく、深刻に思い悩むほど不安なわけでもなく、泣くのはある種の儀式なのだろう。

泣くことによって、あたしは気持ちを新たにし、覚悟を決めるのだ。

儀式なのだと分かってからは、むしろ積極的に泣いてみることにした。

泣いて、「あぁ、あたしはやっぱり不安がってるし、プレッシャーなんだな」と自覚すると、少しすっきりする。


すっきりして、それから思い出すのは、YOSHIKIだ。

ライブで観た、ドラムソロのYOSHIKIの姿。
肉体的な痛みも精神的な疲労や苦しみもすべて振り切って、一心不乱にドラムを叩き続けるYOSHIKI。
「うわぁーーーーーっ!!!」と魂の叫び声を上げて、汗を飛び散らせながらスティックを振り下ろす、あの姿。

自分の内側に意識を集中させると、奥の方からYOSHIKIの姿が浮かび上がってくる。

それで、あたしは覚醒する。

そうだ、あたしは無敵だったんだ。
YOSHIKIが限界を超えてドラムソロをやり切るように、あたしだって、やればできるんだ。

自分に言い聞かせれば、いつしかそれは確信になる。

そうして、「大丈夫な顔」に戻る。
プライドも自信も過剰で、負けず嫌いで頑固。それが、あたし。
このあたしに、できないはずがない。


桜井弓月 |HomeMail


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