鮭肉色のカーニヴァル INDEX
ミュンヘン、ミュンヘン! 2005年07月28日(木)
貴婦人なら紅茶が飲みたいわと思うような時間に起きてそのまま味の素スタジアムにいきバイエルン・ミュンヘン対FC東京を観戦。自由席アウエーにはドイツ人の熱狂的バイエルンサポーターが二十名ほどいらっしゃって信じられないような団結と声量を轟かせていた。それがあんまり衝撃だからついつい彼らの隣に席を移して本場の熱気を頬に感じつつ試合を楽しむことができた。
浮世離れ 2005年07月27日(水)
最近読んでいる本は、と聞けば、アリストテレス、と答え、このまえ酔って目を覚ましたら、新宿駅だったよ、と言えば、詩的だね、と返す、そんな、そんな人たちに、なにか愛しいものを感じたよ、やさしい気持ちですごせそうだね。
考古学に似た行い 2005年07月26日(火)
ウラジミール・ナボコフは中毒性の作家だ。あらゆる場面になんらかの仕掛けが施してあって、流し読みをすればいっきに飛ばしてしまい印象に残らないのだけど、丁寧に読んで幸運にもその緻密な隠し絵に気がつくと忘れがたい興奮に包まれるという希有な、ナボコフでしか味わえない深みにはまると他の作家は作家に思えなくなる。これほど考古学にちかい読書はないのではないだろうか。地層をこつこつと叩き、なにかの化石を細かく掘り出していく狂気のような作業。そして精密さだけが優れているのではないのが恐ろしいところで、作品を支配する大胆な構図にも感動があるのだ。まだ今の段階ではぼくにはナボコフのナの字も読めていないことが素直な実感としてあるのに、素敵なことに絶望ではなく将来にとっておく幸せな料理みたいに思える。
重なり合う水のイメージ 2005年07月25日(月)
最後のさいごでどしゃ降りになってつま先まで濡れて帰ることになる東京ヴェルディ1969がレアル・マドリードを3-0で下した歴史的試合を味の素スタジアムにて観戦したあとでモントリオールのレーンを泳ぐ競泳者たちを髪をふきながら自宅で見ているとなんだみんな濡れてんじゃんと思え、さらにそのときに聞いたMr.Childrenの新曲もポカリスエットのCMに使われていたことに依拠するイメージ喚起の渦によってずぶ濡れに濡れている印象すらあって世界に雨が平等に降ったことを確信した。
ぴょんぴょん 2005年07月24日(日)
答えが出ているのなら、跳べ。
ないことの心地よさ 2005年07月23日(土)
朝起きると新宿駅だった。実際には新宿だとわかるまでに数分要するわけだが。荷物はなにひとつ持っていない。怪我はしていない。靴は履いていない。財布はあるが千円を残してお札が消失している。ケータイには着信が一件。昨日の夜、一緒に飲んでいた友達からだ。それにしても、ふらつく身体は思考する、バックはどこへ消えてしまったのだろう。買ったばかりのハードカバーと読みかけの文庫本が入っていたのに。
職業ガイド 2005年07月21日(木)
希望を与える仕事がしたい!
鳩 2005年07月20日(水)
公園のベンチで本を読んでいたら鳩がいちゃついていた。片方が首の周りをつっついて、そのあとくちばしを互いにくわえて握手のような動作をシンクロさせていた。
いちばん美しい音は休符 2005年07月19日(火)
半年以上そのままにしてきた洗濯場の水漏れをついに修理してもらった。というのも近くのコインランドリーがクレーン車に破壊されていたから。蛇口ひとつを取りかえるのに一万五千円もかかった。昼は怒濤の洗濯合戦。これでもかこれでもかと洗って干した。洗濯機も復活したし、あとは来週に無印良品の通販で買ったアイロンが届くのを待てばシャツが着れるようになるわけだ。
むしゃむしゃ読む 2005年07月18日(月)
サイゼリヤでキャベツが半分くらい煮込んである料理を食べながら、ヴィ・ド・フランスで失敗作のようなブルーベリー・ティーを飲みながら、ジョナサンでドリンク・バーに通いながら、ポール・オースターを読む石のようにじっと読む。休憩や移動を抜いても計七時間半。『リヴァイアサン』を読了、『鍵のかかった部屋』と『空腹の技法』を齧りはじめる。
物語の解体の物語 2005年07月17日(日)
祖父たちとホテルのフランス料理店で会食。三キロ先に厨房があるのではないかと思えてくるほど気の遠くなる料理の間隔に六人は苛立った。
デザートにカレー 2005年07月15日(金)
国立西洋美術館へドレスデン展を見にいった。序盤は理系芸術というのか天文学や測量につかう機材が真鍮の輝きを添えて並べてあった。中盤は絶対王政の時代のわかりやすい装飾品がならぶ。そしてオスマン・トルコとの闘いの記憶。日本でいえば黒船に襲撃を受けたようなものなのか、衝撃はすごかったに違いない。さいごは絵画で締めくくられている。自然を愛で、満月にこころ洗われる日本人の感覚に近いものを感じた。
小麦粉と水で溶く 2005年07月14日(木)
デートの日がくるのを待っているのが好きだ。誰か五年先とか二十年先にデートする約束してくれないかな、そしたら幸せを小麦粉と水で溶いて薄くのばして焼いたようなお菓子ができあがるだろう。ぼくは毎朝それを食べながらコーヒーを飲む。ニュースを見る。幸福な感じだ。
散らばる 2005年07月13日(水)
小学校から中学まで一緒だった友人と会食をしに渋谷へ。友人とは、もともと同じ人間ではないから仕方ないことなんだけど、ずいぶんと価値観が違ってしまっていた。小学校の机はみんな同じ大きさだったことが思いだされるけれど悲しくなることはない。悪くとらえるとぼくは友人のことを軽薄な人生だなと思い、彼はぼくを子供だなと思ったのだと思う。だって彼が詳しいのは、酒、女、日焼けサロンなんだもの。逆にぼくはそんなことに興味がなくて。でも人格の連続性への信頼からぼくらは仲良しなんだ。時間の経過とともに価値観は散らばっていく。それだけ。ソフトもハードもかわっても記号はかわらない。骨になった恋人を愛するのと同じこと。
犬 2005年07月12日(火)
朝五時からお散歩。お茶を飲みながら桜並木をのぼった。周りを見ておもう、けっこう犬をつれて歩いてるひとがいるもんだ。ぼくも誰かに散歩に連れてってほしい。従うのって清々しいから。とくにこんな朝は何も考えずに主人についていきたい。部屋にもどって昼寝してデュマの『椿姫』を読む。これもまあ高級娼婦につかえる犬=男の物語だ。夜はジョナサンで耽読。
失礼な大人 2005年07月11日(月)
初対面のメールでいきなり罵倒された。妙ないいがかりをつけてきた相手はさいごにこう言う。私には「学生だから」といういいわけは一切通用しませんのであしからず、と。なんだかそれを言えばいいみたいに思っている悪臭が漂っているぞ、こいつ、と思った。この際「初対面で相手のことを馬鹿にするのは失礼ではないでしょうか。大人だからといういいわけはいっさい通用しませんのであしからず」と送ってみようかと思ったけれど話がこじれるだけだからやめた。
天国製のマッチ 2005年07月10日(日)
風邪をひきずりながら横浜にルーブル展をみにいった。肝心の美術館は人だかりでまともに鑑賞できなかった。絵が傷みそうなほど多量の視線がそこにはあった。
恥部 2005年07月09日(土)
ひとは個人的な部分を隠すためにパンツをはきブラジャーをする。日常的で自然なことだ。だけど突然、裸になりたいという衝動に駆られることがある。たとえば留守中に。たとえば外泊先のホテルで。
霧と煙 2005年07月08日(金)
目覚まし時計のリリリリリが鳴る寸前に起きることがあるけれど、それはアラーム音をじっと待っている細胞があるからだそうだ。そのときが来るまで身を焦がして待つ、不安細胞とでもいうべき存在がぼくらの中にあるのだ。いまの自分もそれに似ている気がする。なにか人生のアラーム音をこころを細くしながら待望している感じ。こうしている今も霧のような不安に包まれている。
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