とある町で
DiaryINDEXpastwill


2017年01月30日(月) 異質であるということ

アメリカの
移民受け入れをめぐるニュースが
次々飛び込んでくる。

読みながら
少し苦しくなる。

何をもって異質であると定義するかはさておき
異質なものを受け入れることで生じる事様々は
私にとっては決して他人事ではないからだ。

私自身
幼少時を外国で過ごし
若干の人種差別を
私も両親も経験した。

そして
下の子が障害を持って生まれたので
教育機関、地域、肉親その他の受け入れに関しては
これまた
しんどさを何度も経験している。

もちろん
素晴らしい出会いも
たくさんあるのだ。
それらに支えられて
私達は生きてきた。

それでも
異質であるということは
異質なものを受け入れるということは
しんどいのだ。
特に
既得権益を削られる場面が生ずれば
人は修羅にもなる。
なりうる。

よくよく
異質とは何かを考えれば
私達の、そして自分の
起源、行方を考えれば
目が覚めもするのだけれど
皆、必要に迫られるまでは
考えない。
とりあえず
異質なものは排除すれば
「元通り」
考えなくて済む
身を削らなくて済むから。
その心理を
私は何度も見てきた。
そして私は
それを責めることはできない。
私もまた
その立場に立った時
そうならないという保証は
どこにあるだろう?
私は
私の心の狭さを
よく知っているから。。


AppleのCEOのメッセージ
“アップルはオープンな会社です。
どこから来ても、
どの言語を話していても、
誰を愛していても、
どの宗教を信仰していても、
誰に対してもオープンです。”
は、だからこそ私の胸に響く。
”多様性は我々のチームをより強くしています”
と。

自分の中に
しんどさを自覚する時
すでに新しい世界
新しい価値観に
自分は気づいていたのだ、と
今は分かる。

異質であること
異質を受け入れることは
強さでもあると思いたい。

アメリカの人々の生活が良い方に向くと良いなと
思う。
そして
多様性は強さであることを
私も自分の生活の中で
あらわしていきたい。


2017年01月14日(土)

撫でてくれ、と催促する
かわいい猫ちゃん達の動画を見てたら
涙が出てきてしまった。

素直に撫でてくれと言えて
そしてそれが満たされる。

しみじみと
いいな、と思えて笑


久美

My追加