2006年04月29日(土):恋はコロコロよりも溢れてると思ってたけど、ボンボンより見つけられな い。
待ち合わせ時間より2時間早く着いてしまい、
することもないので本屋で立ち読みにて時間潰し、
マンガ誌を片っ端から斜め読みする。

朕が立ち読みする際のマンガのセレクトは以下のようなもの。

『マガジン』より
「一歩」のみ。
ちょっと前まで「チェンジングナウ」も見てたけど、いつの間にか打ち切られてた模様。

『チャンピオン』より
「バキ」の為のチャンピオン。マガジンは朕の嗜好的には一歩以外必要がないけど、世間的には需要があるんだろうと思う。が、チャンピオンは「バキ」以外を必要としてる人間がいるか非常に疑わしい。
そして一応「ドカベン」。
しかし、である。なんとこのチャンピオンにて今週から「聖闘士星矢」が新連載! 正美繋がりと思われる。
3作を立ち読みしたい気にさせてくれる雑誌は稀。

『サンデー』より
目次を見たけど読みたい物はなかった。

『ウルトラジャンプ』にもう1〜2作品読みたいものがあれば毎月購読したいかも知れない。「スティールボールラン」と「忍空」見たさ故、最近ページをめくるようになった。

そして「キン肉マン」みたさで『プレイボーイ』を…

ふと気づくと、ジャンプサイズになった『コミックボンボン』が目に付く。
『ボンボン』かぁ、BB戦士に夢中だった頃は良く買うてたよ、あと「アホーガン」と。相変わらずプラモシミュレーターみたいなんで戦うてるんかねぇ、とか思いつつページをめくると…

「ボーイズビー」の低年齢版みたいなんがやってた。
なんか他にも料理マンガ(「オーマイコンブ」とは似ても似つかない)とかすっかりマガジン入門編みたいになってしまってて、ときた洸一が「騎士ガンダム物語」を描いてたころとは別物の雑誌だよ。


朕が子供の頃は皆『コロコロ』か『ボンボン』派かに分かれてて、一部金持ちの子だけどっちとも買うてもらってたんだよな…
ぶっちゃけ子どもの喜びそうなマンガ(「おぼっちゃまくん」とか「ハゲ丸」とか「四駆郎」とか「キヨハラくん」…はどうなんかいな)を揃えてるあたりコロコロの方が強かったと思うんだけど、
ボンボンは売れてなさ故(これも子供の頃は両者に越えられない壁があるなんて知らなかったが)の自由があったからね。「どんぱ」とか隠れて読んだろ?


そんなこんなで時が過ぐ。


〜今日のハンバーガー:チーズバーガー+ポテトM(コンビ)〜
2006年04月28日(金):夜中にこっそり玄室に忍んでくる吉村作治と、YES/NO枕で応じるフ ァラオ
こんな記事書いておいてなんですが、
あれは朕個人の感想、好き/嫌いであって批評では無い。

またAよりBが上だ/下だ、などと順位をつけるつもりもない。


いや、昨日の記事を書いて、世間の他の人はジャンプをどう思うてるんかな、とあちこち巡ってみたが…。
一番目についたのがA派対B派の論争と言う形、「A>Bだ、いやB>A」と言うもの。

こんな、塩ラーメン・醤油ラーメン・味噌ラーメン(五十音順)のどれが優れているか、て言ってるようなもんよ。

「Aは商業主義だからダメ」とか「Bの絵は描き込みがすくないからダメ」とか…。

そら作者にとってマンガって何か、と言う点でも違ってくる。
作品に込めたメッセージを伝えたいやつもいれば、自分が好きだから好きなように描きたいやつもいるだろうし、生活の糧なだけのやつもいるだろう。
それは漫画家に限らず、クリエイターと括れるもの全て同じ。
だから例えば「商業主義だ」と評されても、作者自身も商業的成功のみ念頭において創作してるなら、それは正しい結果が出ているとしか言いようがないわけで。

先のブログにて朕も「小学生なら喜ぶかも」などと書いたものもあるが、それも作者がターゲットを小学生に絞っているのかも知れないし、それで小学生がその作品を楽しんでいるなら、それは幸せな結末であり、言い換えれば朕が楽しめるかどうかはどうでも良いわけだ。

なのに何故、人は他人の嗜好にまで強制を行いたがるのだろうか。
「自分が好きなものは皆も好きになって欲しい」、これは心情的には許容範囲であろうが、
「自分が嫌いなものは皆も嫌いになって欲しい」、
この意識が発露することには懸念を禁じ得ない。

これはまるで、
米国の思想と同じでは無いか。

そこで、以下の文を引用する。

彼の国の思想根底にある宗教は、中世期に日本にまで訪れた宣教師など歴史の事実を見るまでもなく広げることを目指す、言わば世界の思想の統一である。
対して、例えばムスリムは布教活動は極めて控え目である。自分たちは深くその教えを守るが、それを強引に他者に勧めることはしない。

また、他の例として捕鯨なども挙げてみよう。また同じくこの国の動物愛護団体は、鯨を殺すのは可哀相だとのたまう。我々日本人は文化として捕鯨を行う。
我々はだから彼らに捕鯨を勧めたりも強制したりもしない、彼には彼らの、我らには我らの文化があると知るからだ。しかし彼らは、我々にも「可哀相だと思え」と思想を押し付ける。

我々はそれでも、そこから派生する「争い」そのものを避けようとする、言わば仕方なく「可哀相そうだと思っているフリをする」。

しかしこれがムスリムだと、「自分たちの思想を押し付けはしない、だがその思想が冒されそうな時は断固抵抗する」、依って衝突が生まれるのは必然。

何かを強制されれば、抵抗するか帰順するかしか無いのだから当然である。

衝突の回避が、イコール平和だとするなら、平和の最もシンプルな獲得方法は、「他者への無関心」である。

     (玄田牛一『コミュニケーションの否定が生む、円滑な異文化コミュニケーション』.2002.民明書房)

また、同著で筆者は、『世界最大の宗教ですら高々10億人、6人に1人の人間しか同じ思想を持ち得ていない』ことにも触れ、『極論すれば、この考えさえ誰かに強制する気は無い。あくまで私はこう思っている、と言うだけである。』と述べている。
要するに、思想を含め趣味嗜好を統一することは不可能と言うことだ。
なら他人のことはほっとけよ、と。

「ほっとかない自由」を主張することも自由?それもそうだ。だが、それだと衝突を生む可能性があるということを忘れないで欲しい。
「平和の為の積極的無関心」と言えば良いのか。
なんにせよ、朕もこの「無関心のススメ」を人に強制することなく広まっていくことを願う一人である。



ハンバーガーは好きだけどね。


〜今日の男塾名物、犯刃亜牙阿:ビッグマック+馬鈴薯M+コークM〜 2006年04月26日(水):去り行く君が幸せであるなら
a href="http://www.enpitu.ne.jp/usr10/104933/diary.html" target="_blank">先日25日のブログへの追記になる。


「(T_T)」これはAAや顔文字、または絵文字と呼ぶそうだ。
特定のコードの組合せで意味づけを行う、語呂合わせのような物か。

ポケットベルが普及し始めた頃、数字の組合せを送信することで語呂合わせ的に表現する(例えば「4649」は「よろしく」の意)、などと言うことが流行った。
田舎のヤンキーが当て字を用いるのにも近いかもしれない(ex.夜露死苦)
万葉の時代から、日本人はそういったものが好きである。

先の「(T_T)」は、「悲しみの様子」を表現しているらしい。
若者の間では盛んに用いられているということも知った。

しかしである、それを文化面などで若者の間での流行として紹介する、と言う形ならば問題はあるまい。
しかしそれが一般紙で、通常の情報表現手段として用いられるべきものなのだろうか。200万人の読者である、その層も老若男女多岐に渡ろう。
若者の間での流行は、全ての日本人の常識なのだろうか。

これは読者のリテラシー能力の欠如であり、「知らない者が悪い」と片付けられる問題なのであろうか。
「社会的責任などはない」と先日は述べたが、少なくとも”200万の読者に対しては”平等に情報を伝える責任があるのである。

本来なら最も多くの人間が理解できる表現を用いるべきだと思うのだが、
こういう形で老人などを社会生活から排除しようとする姿勢には感心できない。



朕はもう長年産経新聞(を含む数誌)を購読している。今回は批判的意見を述べさせていただいたが、それは購読の停止を宣するものではない。今回の失敗を機により良い紙面づくりを目指してくれることを期待する。


〜今日のハンバーガー:ダブルチーズバーガー+ポテトM+カフェオレ〜 2006年04月25日(火):愛がひとりぼっち
松井秀 左投手に(T_T)

これは本日4月25日付の産経新聞朝刊16頁のスポーツ面に載った一文である。


新聞の役割とは、なんであろうか?
無論それは会社によりどういった役割を持たせているか、意味付けをされているかは多少異なるだろうし、何が第一義とされているかも違うだろう。
が、どの新聞にも共通することは「情報の伝達」をその役割に含む、という事だ。
ここではそれを前提として話を進める。

「伝達」を役割とするなら、媒介となる「文字」に、「他者に伝わる形で」、「情報が含まれている」必要がある。
(「情報とは何か?」、この解釈も多少異なるだろうし、伝達されたものが情報であるとする定義も出来ようが、今回はそういった部分は割愛させていただき、一般に捉えられているであろう意味と思われる語を用いる。)

極端に言うと、この世で一人しか理解できない言葉で書かれていたとしたら、言葉には意味はあっても、「新聞としての意味」は無い。
それは「伝達」が不可能だからだ。


さて、もう一度冒頭の引用文に注目していただきたい。

松井秀 左投手に(T_T)

松井秀が左投手に…?
誤植であろうか、その後の内容が伝わってこないのだ。

T→アルファベットのティー
_→下線
T→ティー

括弧は直前の文なり語なりへの注釈を付け加えるものであるから、「左投手に」に掛かる語であることは間違いない。
しかしそうすると、「左投手に」と言うのは文として完結していないから(完結していない文を載せると言う時点でおかしいのだが)、では「T_T」は接続助詞「に」を説明する語と言う事になる。

接続助詞の修飾語、と言うのは通常考えられない。
ではやはり、「左投手に」に続く通常の文章なのだろうか?

そうすると、括弧「()」までを含んでの単純な誤植ということも有り得る。
いや、あってはいけないことだ。校閲作業が行われていないのかもしれない。
どちらにせよ、これでは情報を決定付ける一番肝心の部分が省かれた状態になってしまっているので、「情報の伝達」と言う役割を果たせていないのである。

松井秀は左投手に…なんなのだろう。
強い/弱い等、相反する語が続く可能性がある、真逆の情報になる可能性がある。
強い/弱いも、スポーツ面ということと有る程度の野球知識という前提から出てきた言葉で、ひょっとすると
松井秀は左投手に激しい性的興奮を覚えた、のかも知れない。


産経新聞は発行部数が200万部であるらしいが、少なくとも今回の場合200万人の読者が不確定な情報の為に代金を払ってしまっているわけである。
新聞社が自ら「社会的責任」を標榜するのはそれはそれで危険なことである、それは新聞本来の役割としては無い。
だが、200万の読者に不利益を与えていることは確かであるのだから、その点に関しての責任は深く感じて欲しいところである。
「情報を伝達する」、我々読者はその役割を新聞に求めているのであるから、その紙面でその役割が果たせるかどうか、それを意識して記事をもう一度見直してから発行すると言う当然のことを行うよう、産経新聞編集部の諸氏には猛省を期待する。


〜今日のハンバーガー:マックチキン(単品)〜 2006年04月24日(月):大人の階段を数えたところ13段あって、昼間より一段増えてることに驚 きガラスの靴を落とすシンデレラ
ジャンプがつまらなくなった。
まぁそれでも毎週買うてるんだが、なんというか、読み飛ばし率が高いと言うかね。
朕は漫画はとりあえず前から興味のあるモノだけ読んでいって、2周目に残りを読むタイプなのであるが…。

10分ほどで編集後記まで辿り着くのよ。
時間潰しにもならぬ。


よく毎号のジャンプの感想を書いてるサイトを見かけるが、朕も今電車内で暇よって、そういう視点でひとつひとつの漫画を評してみる。
とはいえ朕は毎週書くわけでないので、あくまで「今号の話」では無く、「今載ってる漫画」の感想だと思ってつかあさいや。
ジャンプの掲載順は人気アンケートの順で並んでるそうだが、今回は先述の読み飛ばしを行って朕が読んだ順番で。


・ブリーチ…小手先のスタイリッシュさを狙うてるあたりがね、サブタイを全部英語にすな。でも朕らはすぐマンガの影響を受けるので腹の立つことがあるたび「卍解」「卍解」言うとったよ。

・ナルト…第1話は泣けた。それ以降はジャンプの王道、友情・努力・勝利もの。昔に比べると、今はシンプルな線の絵の方が流行るのかね、このナルトに限らず全体的に描き込みが少なく画面すっきり。

・アイシールド21…ジャンプ的スポーツマンガの王道、ルールもわかりやすく描かれてるので、キャプ翼が生んだサッカーブーム、スラムダンクが生んだバスケブーム、ヒカルの碁が生んだ碁ブーム、大好王が生めなかったハンドボールブーム…に続けるかどうか。

・メゾンドペンギン…「うんこちんちん」と言うギャグが一番おもしろいと感じる年齢層てのがある。その辺りがターゲットなのなら、非常にニッチ産業的な成功を生むのかも。

・テニス王子…最高に面白い。最初はつまらんスポーツ漫画だと読み飛ばしてたんだが、ギャグマンガだったと言うことに気付いてからは非常に面白く感じるようになった。

・デスノート…読み切り時は良かった。基本は勧善懲悪のバトルマンガが好きなんだが、前から読むとそればっかりが続く中、多少他作品とはベクトルが違うからお口直しには良い。

・ボーボボ…絵の上手い小学生の作だと思う。ここで笑わそうとしてるんだろうな、と思うあたりがことごとくスベる。ナンセンスギャグと言うものを履き違えてるのかも。

・みえるひと…週刊には向かないんだろうか、毎週山場を作ることが出来ない感じ。で、やっぱりジャンプ特有のバト(以下略)

・Mr.フルスイング…小ネタが、ボーボボよりかはうまく使われてて、世代的にパロディーとしてはおもしろいと思うけどね。俊足選手の名前が「ぴの」とか、今の子にはなんのこっちゃなんだろうけど。野球部分は侍ジャイアンツとかアストロ球団みたいな…あ!つまりはジャンプの伝統を受け継いでたのか!なるほど、そこまで含めてのオマージュだったのね。そういう目で見るとおもしろいのかも。

・ツギハギ漂流作家…初期ワンピース的、作風もストーリーも。

・太臓もて王サーガ…パロディを入れることが始源目的なのだろう。出元が好きなマンガなんで、あぁそんなのあったねぇ、って。「フーゴ?あぁそんなのあったねぇ。」

・べしゃり暮らし…多分小学生はこれを「つまらないギャグマンガ」だと思うだろうから自然と後方に追いやられる、本質を把握してもらえる媒体を選ばないと損をする典型。

・ワンピース…わああああ、とか、ぎゃああああ、とか騒がしいだけでストーリーは遅々として進まない、その冗長さにイライラ。ジャンプで読んでて何もおもしろくない、単行本で読んでも変わらず。ただこないだ総集編みたいなのを読んだが、それくらいのスパンで見るとわりと面白い。ムダ・ムラが多いからトヨタには嫌われるだろうけど。

・ムヒョ…ジャンプ的には珍しいクセのある画風。

・ネウロ…いろんなとこでいじられてるけど、ストーリー以外の部分がおもしろい、良い意味でね。表現のセンスが好き。探偵マンガとしては粗いけど、別にそんなんを求めてるわけじゃないからいいQ。

・銀魂…技術的には未熟さを感じるも、個人的には雰囲気など好印象。でもジャンプでは続かないだろうな、と思うてたら意外に人気。今の読者もまだ見る目が残ってたか。好きな割には飛ばし読み。

・リボーン…読み切り時が一番良かった。なんでもかんでもバトルマンガ化しないと続けさせてもらえないのかね。

・タカヤ…マガジンとかでやってそう。

・謎の村雨くん…いとうみきおは技術的な部分はもはやベテランなのだが…永遠の若手芸人みたいなもんか。

・こち亀…昭和末期〜平成初期(単行本で言うと60〜80巻くらい)はおもしろかった。

・ToLOVEる…サンデーとかで(以下略)

まぁ、なんということも脈絡も無い話をしてしまったが勘弁してつかあさいや。
とりあえずジャンプはハンター×ハンターが掲載されてれば得した気分になります。
好き/嫌い、おもしろい/ろくない、
そういう点でなく、

単に確率の問題で。

ガリガリ君の当たりみたいなもんよ。


〜今日のハンバーガー:ビッグマック+ポテトM+コークM〜 2006年04月23日(日):死んでもリセットボタンを押せば生き返ると思う(リセットボタンをおしながらでんげんをきってください)
電器屋でレジに並んでいて、ふと気配を感じ振り向くと、突然100人規模の行列が。

そんなつっかえるほどレジ遅くもなかろうに、と思いきや、

「ニンテンドーDSライト緊急入荷です!」とか言って見る間に朕の後方に列が伸びる伸びる。


朕はライトさにはこだわらない。
むしろ、ゲームボーイは最初期のでっかいやつだし、ファミコンもコントローラーのABボタンがゴム製の四角いバージョンであるからして、
昨今の何もかもが軽薄短小な流行にはうんざりしておる。
また、通常のDSを所持しておるため不必要であると言う思いが強い。


しかしながら、である。
(おそらくは)朕の後につきこの行列をなす民は、皆がDSを買わんとしておるのだろう。
親子で並びながら、子供に「決して列を離れるでないよ」と言い含めひとり周辺機器やソフトをついでにピッキングアップに行った母は、まだ幼き子に結局後を追われ、再度永き旅を余儀なくされる。
嗚呼、まさに地獄絵図だ。
欲望、怨念、嫉妬…そういった負の感情が場を支配する。

まあそんなわけで、朕が手にしていたのは「絶体絶命都市2」だったのだが、いざレジの番になり「どの色になさいますか?」とDS専用の行列に自分が並んでいたかのような錯覚に陥る。

大和民族の鑑たる私が、よもや「NOと言う日本人」になるわけにもいくまい、「水色で…」。

また無駄なモノを買ってしまった、と多少の後悔はあるも、
しかし勝負事には確率だけでは表せぬ流れや、場の空気と言うものが確かに存在する、

まあ要するに「空気を読む」と言うのは大事なこと。
小学生でも出来ることである。

ゲームの与える悪影響なんかを主張したい記事や番組なんかで、
・命の大切さを分からない現代っ子
・それはゲームのせい
みたいな流れの時に、


とある小学生へのインタビュー
Q、人が死んだらどうなると思う?
A、死んでもリセットボタンを押せば生き返ると思う

この解を出した小学生は(大人によって作られた回答でなかったなら)天才としか言いようが無い。
質問の背後にある意図を理解し、どう答えれば相手を喜ばせられるか、という点にまで深く思慮が及んでいる。

これが
A、タンパク質の固まりになる
とか
A、魂の救済が云々、業(カルマ)が…六道輪廻が…
だと、使いモノにならない。

解答と言うものは一つに絞られる。
字面だけの質問への回答としては、後に挙げた2つも間違いでは無いが、
質問とは常に字面の裏に意図を含む。
この意図を見抜くことが「空気を読む」と言うことである。
ではここで再度天才小学生の回答を検証してみる。


死んでもリセットボタンを
(ゲームの与える影響を感じさせる言葉をここで使う。またリセットボタンと言う言葉はスーファミ以降のゲーム機にはあまり搭載されていないにも関わらず、大人が分かりやすく、且つこの場合最も喜ばれると思う言葉をチョイスしている)

押せば生き返る
(現実と真逆の現象をこれ見よがしに用いている。また、生き"返る"と言う表現が先のリセットボタンと言う語との対応で、文章としても正しい。)

と思う。
(思う、と言う言葉も大事。断定を避け、死と言う概念をあやふやで理解していない小学生像を表現する。)


日本の将来は明るいな、と思った。
〜今日のハンバーガー:テリヤキバーガー+ポテトM+コークM+抹茶シェイク 〜
2006年04月22日(土):神の御前で my kind of Cadillac
オタクになりたい。

友人に“誰が見てもオタク”と評されてるやつがいるんだが、彼が趣味についてしゃべってる様子とか見てると、なんかスゴい楽しそうに見えるのよ。
そういう夢中になれることって最近無いなぁ、と思うてね。無趣味人間と呼ばれ久しい朕、最近はすることが無さ過ぎて、床に就く時間も8時台であるよ。

オタクの定義を調べたけど、周辺を含む意味が多く本質の定義がイマイチわからんかったんだけど、「何らかの趣味に傾倒する度合いが高い人」て言うのが数ある定義に共通する概念で良いかね。
マニアとの違いは1つのものへの偏りが緩やか、とか、消費性向より心理性向に依存とか、その辺が微妙に違うらしいけど。

そういう話を皆でしてて、とりあえず周囲の人より「好き度合いが高い」と思えるものを挙げてみた。

・野球…阪神ファン、ほぼ毎日見てるし、年に2桁は甲子園行くよ。

大阪的にはノーマル?そうですね。

・マンガ…割と読むぞ、一番好きなのは「島耕作」。

違う?あ、そう。

・ゲーム…これはいけそうだ!ゲーヲタとか言うフレーズがあるくらいだし。でも「ゲームを買うのが好きだけど、プレイはしない」てのは心理性向の偏りになるのかなぁ、パワプロしかしないけど。

微妙?プレイしてたら良いのかいな、とりあえず保留。

・健康…最近びっくりするくらい怠ってたから、ジム通いを再開した!健康オタクって言わない?

違いますかそうですか。

・鉄道…御堂筋線なら端から言える!

使ってるから覚えただけですね、自分でも多分違うと思いました。

・読書…実用書以外、小説とか割と読むよ!知ってる知ってる、ライトノベルって言うんだろ?「西村寿行」が好きだね。

これも、違う?

部屋に貼ってるポスター…カレンダーならある、銀行でもらった。

ダメ?


なんだよ、もう。
かわいい女の子が主役のマンガとか限定なのかよ!
「あずきちゃん」なら見てたよ!


今日のハンバーガー:てりやきバーガー+コークM 2006年04月20日(木):旅の指さし会話帳・韓国編「キムチーオイチー」/ロシア編「ハラショー ピロシキ、パルナスパルナス」
テトリスDSを買うた。

朕はテトリスフリークよって、携帯電話に付いてた時も、操作性に不満を垂れながらも充電が切れるまでやり続けたものよ。

とはいえ、テトリス愛好家の内では腕前の自慢などは無意味、レベルがいくつとか点数がなんぼとか、そういうのは意味を持たない。
基本的に死なないよって、永久に続けることは皆が可能であるからだ。

だからその「好きさ」をアピールするためには、
理論上の永久ではなく実際にどれだけ長時間、体力と精神の限界に迫れたかが問われる。
その際に「電池が切れるまで」は表現として優れている。「まだ出来るけど、電池が切れたから仕方ないね」と、永久性を保持しながら、かつ未熟さの否定をしながら、プレイの終焉を受け入れることが出来る。

かく言う朕も毎晩他のゲームをやり疲れ、眠くなってきたあたりでおもむろにテトリスを始める。
そしていつの間にやら眠ってしまうのだ、朕は男、泣き通すなんて出来ないよ。

腕前や技術を誇ることは出来ないが、しかし掛けた時間と愛情なら負けぬ自負もある。

なにせ朕のテトリス棒は、
のだから。


〜今日のハンバーガー:フィレオフィッシュ+ガーデンサラダwithゴマドレッスィン+コークM〜 2006年04月13日(木):夢を忘れ重力に縛られてる古い日本人よ、朕は。
僕らが若い頃は「オタク」とかそういうのはちょっとマイナスイメージがあったもんなんだけど、
今ではすっかり市民権を得た、というか、ちゃんと社会に溶け込んで、仕事してて、その中での趣味の一環として…程度の認識なんだろうね。

JCBカード

そうじゃないと、例えば俗に言うニートとかだと、これは不可能(もらえない)なわけでしょ?

一昔前は銀行に預金に行って「ちょ」をもらえるだけで衝撃的だったけど、
そのうち選挙に行ったらなんか、こう、ガンプラとかもらえるようになるんじゃねえかな。

まあこの国の行く末は心配ではあるけども。


〜今日のハンバーガー:チキンフィレオ+ポテトM+コークM〜 2006年04月10日(月):お習字、全然怖くない
続きまして携帯版「風来のシレン」を始める。
店が無いのがなぁ…。

〜今日のハンバーガー:ダブゥチーズバーガー+ポテトM+コークM〜 2006年04月09日(日):友達100人てのは幻想
子供の時から思っていた。
町に住んでいると
それはたくさんの人と出会う。
しかし普通の人たちは
一生で真に気持ちがかよい合う人が
いったい何人いるのだろうか。。。?

小学校の○○くんのアドレス帳は
友人の名前と電話番号でいっぱいだ。 五〇人ぐらいはいるのだろうか?
一〇〇人ぐらいはいるのだろうか?

母には父がいる。
父には母がいる。

自分はちがう。
TVに出ている人とか
ロックスターはきっと何万人といるんだろうな。

自分はちがう。

自分には一生誰ひとりとしてあらわれないだろう。




例えば、
ポケモンで151匹(やったっけ?)を集めるのは無理だ。

例えば、
ポケステのどこでもいっしょでたまたま電車の向かいの座席に座った人と名刺交換をするなんて無理だ。

例えば、
どうぶつの森ですれ違い通信…これは出来るかも。


友達がいないわけでないけど、
年を取ると外でゲームはしなくなるし、相手の家にお邪魔して対戦…なんてこともあまり無くなる。まして、見知らぬ誰かとたまたま同じゲームを持ってるだけで話しかけられようか?


ポケモンが流行したころ、一種のコミュニケーションツールとしての役割も評価されていた。
極めて低年齢な層なら、そこから始まるコミュニケーションもあるやも知れぬ。
子供でもある程度の年齢ならば、コミュニケーションの深化としての役割の方が多かろう。

では、大人ならどうか?
もともとある程度の深さの関係ならば、ゲームをすることもあろうが…


このサイト内でも過去に幾度も述べてきたように、歳を取るとゲームを持ち寄って対戦するということは無くなるんですよ。


国内で何千万本と普及しているならともかく、そんな状況下の人間達に「100人と通信する」と言う条件を付けるのは酷いと思います。

カイリキーをゴーリキーにするためにポケモンの赤と緑を両方買う人間の方が、見知らぬ人との通信でユンゲラーをフーディンにしてる人間より多いはずです。


というわけで、みんな買うて下さい、パワプロポータブル。
発売日に本体を購入して以来、初めてカセット買うたよPSP

…あ!?メモリーカードとかいるの!?


〜今日のハンバーガー:チーズバーガー+ポテトM(コンビ)〜 2006年04月07日(金):ゆとり教育の弊害、さくまドロップス以降
〜先日の日記にて、表題にある「『竜王は生きていた』とは?」とご質問を頂きました。〜

なんというか、最近の小中学生は幼稚になったと言うか、
(いや、確かに朕らの幼少の砌に比べ早熟化した部分もあるが)
それでもやはり機転や情緒、精神的な成熟度に於いては低下したと言わざるを得ない。
分かりやすく言うと「一休さんを見ておもしろいと感じるべき部分が判断できない」といった状態であろうか。

食通が集まるからこそ料理人はより旨い料理を作られるわけであり、畜生どもに喰わせるのは餌であり料理ではないと味平でも納得するところ。

まぁ、天才の出現する確率自体が下がったのかも知れんし、もしくは確率は同じであるならばそれに出会うことは母数の多寡に比例すると言うことか。
そしてその才を磨く環境、切磋琢磨がより大きな成長を生む。
無論、仰木監督がいてこそのイチローしかり、その才能を見いだし用いる指導者自身の能力も肝要であることは言うまでもない。


〜今日のハンバーガー:ビッグマック+ポテトM+コークM〜 2006年04月01日(土):リク(ームウルトラファイティング)ナビ
想の上司を問われれば、朕はやはり「フリーザ」様を推す。
彼は上司の鑑である。

まず、部下に対しても敬意を持ちながら接する。
「ザーボンさん、ドドリアさん」と、決して目下の者だからと言って傲慢な態度を取らない。

それは幹部クラスだけに限らず、そして社員一人一人の名前をしっかりと把握している。アプールなどのようなヒラ社員ですら名前を覚えられており、直接声を掛けてもらえるのだ、これは嬉しい。

そして社員の能力を把握し、かつそれに見合った職場を与えられる。戦闘力の低い社員は敵の弱い惑星へ。
誰もがやりがいを持って仕事に打ち込める、これは実に仕事に対するモチベーションを保ちやすい配慮ではないか。
もちろん意欲に対する会社のサポートも充実している、エネルギー波が撃てなくても、光線銃の支給が行われるなど能力に引け目を感じることなく仕事に打ち込める。

そしてその能力の把握は単純な成績の優劣のみで判断されるのでは無い。
グルドさんを見れば判るように、一見能力が劣っていようと特化した才能を見抜き、抜擢する。
部下に目を配っているからこそ出来うることだ。

勿論甘さだけではなく、「一時間以内にベジータさんを連れてこなければ、この私があなたを殺しますよ」と発言する。
最終責任は自分が持つから、出来うる限りの努力をしろ」とハッパを掛けるわけだ。

2代目でありながら、その地位が決して七光りによるものではないあたりも親近感が持てようと云うもの。

朕自身は

〜今日のハンバーガー:ダブルチーズバーガー+ポテトM+コークM〜

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