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慈悲のまなざし


慈悲のまなざし







時折見せる、すももの表情。
大抵アタシに向けられるのだけれど。
アンタ、バカでも、そのままでいいよ。
とか。
アンタ、肝心なところで役立たずだよね〜。
とか。
会話ができたなら。
きっとこんなカンジ。
でも今回は違う方向に慈悲のまなざし。
たまたまカメラを手にしていたので、はい、パチリ。
こうして写真にしてよくよく眺めても。
やっぱり、慈悲のまなざし。
もう高齢犬だし。
人生を達観してるんだろうか?
まさか……、ね?


すももと別れることは辛い。
考えるだけで涙がでる。
どちらが先に逝っても。
きっと。
すももが先に逝ったら立ち直れない。
けれど、アタシが先に逝たら、すももは?
すもものキモチが伝わればいいのにな。





2011年11月29日(火)



もうそんな季節なのね


今年初めてのツリー







六本木。
おさる、と。
待ち合わせして、サントリー美術館。
観たかった、南蛮美術の展覧会へ。
待ち合わせの時間、授業のせいで30分以上も遅れてきたおさる。
アタシってば。
今日の東京はとても寒かったのに。
外で待ち合わせて、とても寒かったのに。
あら、凍死寸前?
居眠りながら、待っておりました(爆


その待ち合わせ場所には大きなツリー。
ああ、もうそんな季節なんだなあ……。
六本木っていうおされ(?)な場所柄なのか。
とってもおされ(?)な親子ちゃんやカッコイイ外人さんがいっぱいいて。
着いた当初はマンウォッチング、楽しんでいたのだけれど。
一歩家からでれば。
素敵な光景が沢山あるね。
これからはちゃんとカメラを持ち歩こう。
携帯、もう古いから。
腕のせいは棚に上げて。
キレイに撮れないのは携帯カメラのせい、ってことにしよう。


南蛮美術は。
美術そのものも凄いけれど、アタシ的には歴史背景に興味がある。
信長、秀吉、家康、と。
同じ郷土の香りを纏う三英傑の。
寛容と厳格の流れの渦。
脈々と受け継がれていった信仰の証。
当時の踏み絵も三枚飾られていて。
一枚は象られた形も崩れているほどのもの。
実際に、その時代、多くの人がこの絵を踏んだのかな? ……、と。
感慨にふけっていたところ。
近くにあった説明書によると、それは初めからそのように作られていたのだ、と書かれてあった。
はて?
なぜ初めからあたかも摩擦によって摩耗したように作ったのかな?
その説明は書かれていなかったので。
今を。
現代(いま)を生きるアタシの浅はかな知恵で考えてみた。
その、あたかも大勢が踏んできたような踏み絵を見せるだけで、本当は。
効果があって、教科書で習ってきたように、役人の目の前で踏んでみせるようなことはしなかったのかな? なんて。
思ってみたりした。
真実は。
わからないけれどね。


今年のクリスマスイヴも。
ひとり(あ、すもも、いるけれど)かな?
青春時代まっただ中のおさるはきっと。
お友達(それともそれ以上?)と過ごすんだろうな。
クリスチャンでもないくせに。
聖夜は特別みたい。
子どもでもないくせにね。

2011年11月18日(金)



他に方法がない


昨日と今日と。
続けて宗教がらみのニッキになってしまうけれど。
ヤフーニュースで読んだチベットの僧、11人もの焼身自殺。
目を疑った。
こころがしくしくと痛んだ。
他に方法がない。
本当にそうだったのだろうか。
遠く離れている地で考えても、どうしてもわからない。


まだ子どもたちが幼かった頃。
ゆきのと同じクラスの男の子のお母さんが。
子ども共々、灯油をかぶり焼身自殺をした。
マンモス団地、そのいっかくにある広場、で。
アタシの住んでいた棟の近く。
もの凄い人の叫びに驚いて。
慌てて外へ飛びだしたこと、今でも、今でも鮮明に覚えている。
生きたまま人が燃えていくとは。
こんなんなんだ。
燃えさかる人の炎を前に、誰もが立ちすくんでいた。
あの時、いったい何ができたというのか。


子どもさんは何とか助かった。
きっと。
お母さんがやはり。
火を付けることを躊躇った瞬間があったのだろう。
走って逃げた。
けれど。
自分に火を付けることには全く躊躇いがなく。
あっという間のできごとだった。
消防車も救急車も間に合わず。
そして、アタシたちも何もできず。
命の炎が燃えるのを呆然と見つめることしかできなかった。
近づくことなどできなかった。
それくらい人というものは激しく燃えるのだ、と知った。


チベットの僧は、本当に、他に方法がなかったのか。
本当に、他に方法がなかったのか。
本当に、他に方法がなかったのか。
わからない、けれど。
あの、お母さんも。
他に方法がなかったのだ、と。
今更ながらに考えた。
アスファルトの上だったので。
倒れ込んだ状態の黒い影がくっきりと残っていた。
あの人形(ひとがた)のすすを。
もう二十年くらい経つというのに、どうしても流すことができない。


そんな個人的な理由もあって。
チベットの僧が次々と焼身自殺をしてまでも抗議する姿、が。
アタシのこころを動揺させるんだろうな。
本当に、本当に、他に方法がないのだろうか。
安穏とした生活を送っているアタシに答えはない。
あの時だって。
カノジョは子どもを巻き添えにしてまでも。
自らを焼いて抗議するしかなかったのだろうか。
答えは、ない。

2011年11月16日(水)



目標のある生き方


朝、洗濯物を干していたら。
女性に声をかけられた。
ふたり、連れ。
とても優しそうな雰囲気。
あ。
来たな、と心を固める。
「目標のある生き方についてお話ししませんか?」
穏やかな声。
きらきら眩しい笑顔。
本当に優しいヒトなのだな、と思う。
そして、真剣なのだな、とも思う。
けれどアタシは。
「お話しすることは何もありませんし、聞くこともいたしません」
と。
普段、もにょもにょ話すジブンにとって、鋭利な言葉を返す。
それは本当に話すことはないから。
そして、聞く耳も持たないから。
いろいろな宗教を否定する気は1ミリもない。
むしろ真剣なのはスゴイな、って思う。
けれどアタシはアタシの中にある、何かを信じているから。
聞く耳を持たないのに、ムダに話をさせてしまっても申し訳ないから。
ドアを叩く布教の方々へはいつになく強い口調になる。


「お顔を合わせただけでも何かの縁ですから」
と。
優しい雰囲気の方々はとても押しが強い。
玄関先でなく、玄関の外だったので。
ぐいぐい押しつけられる冊子を突き返すことができず。
はあ……とため息とともに受け取った。
目標のある生き方ねえ……。
と、いつになくぺらりと冊子をめくると。


オリンピックを目指してがんばっている人は必死です。胃に穴があいても、まだ頑張っています。目標のない人は、毎日うつ病のような顔をして、バカらしいバカらしいと思って働いています。目標のない生き方をしていると、その時は楽でも、サメのいる海へながされているようなものかもしれません。


とある。
なんてうつ病の方へ失礼な言葉だろう。
サメだってニンゲンの言葉がわかれば、ムカツクよなー。
悪いけれど。
まったくこころに響かない言葉だった。
むしろ。
こんなことを平気で言えることが不思議だった。
それを信じられるキモチも理解不能だった。
もちろん。
信じている方々をどうのと言うつもりは全くないけれど。
それを押しつけるのは止めて欲しい。
信心や敬意をはらうことは強要されてのことじゃない。
アタシは。
空がとても美しい時、自然と手を合わせる。
季節を移ろう風の香りを感じた時、感謝の言葉をこころで詠う。
コンクリートの隙間から必死に伸びる草花を見ると、どうしたって頑張る勇気を頂く。
アタシのこの考えが正しいとは思わない。
間違っていると言われても変えることはしない。
ヒトに押しつけたりもしない。
説いて回ったりもしない。
けれど、これがアタシなのだと思う。


中学生の頃はキリスト教に興味を持ち、高校生の頃は仏教に惹かれ。
けれど今のアタシは無宗教だ。
神、のような存在は。
すべてに宿ると思っている。
目に見えるものでなくても。
あまり宗教的なことを書くのはいろんな意味で諍いのもととなるので。
なるべく書かないでおこうと思っているのだけれど。
今日ばかりは思いの丈を綴ってしまった。


少しだけ。
疲れているのかな?

2011年11月15日(火)



すもも


今日のすもも







すもも。
昨日の夜、深夜0時ごろベッドに入って。
今朝。
ちっとも起きてこない。
時折もぞりと布団の山が動くので。
ああ大丈夫、と心配はしていなかったのだけれど。
夕方、4時。
まだ起きだしてこない。
さすがに心配になり。
布団の山をひょいと覗くと、そこに顔。
なんだかおまぬけな顔をして。
半寝している姿。
気付かれないようそっとパシャリとし。
驚かせないように、ゆっくりと手を伸ばし、「トイレ、しようね」って。
水も飲みたいよね?
ご飯は昨日も全然食べなくて、今日もこの調子だと食べないのかなあ。
こうして少しずつ少しずつフェードアウトしていくのだろうか。
そのときが訪れたら。
アタシは正気でいられるだろうか……。

2011年11月14日(月)



もし、ね?


眼、耳、口。
どれも一度、さらになって。
でもって、ひとつだけ。
どれかひとつだけを選べるとしたら……。


アタシ。
幼い頃からひとり遊び。
も、バリバリの妄想癖、あり。
甲状腺の腫瘍が大きくなると、声帯にも影響があるって。
先生から言われてたとき。
ふっ、と。
そんなことを妄想していた(先生ごめんなさい)。
で、アタシだったら。
どれかひとつを選ぶのなら、眼。
景色が見えれば、風の声は聴こえるし、言葉にしなくとも。
胸の内でひそやかに、ささやくこと、できる。
なんとはなしに。
おさるに。
あんただったらどれをとる? って聞いてみたら。
おさるは耳をとるんだって。
耳が聞こえれば、目の前にあるものを想像することはできるし、点字を覚えれば会話だってできるから、なんだって。
でもさ。
点字って、相手もその点字を知っていなくっちゃダメだよね?
少し意地悪く聞いてみた。
でもそれでもいいんだって。
会話をしたいと思ってくれる相手なら、点字を覚えようとしてくれるから、らしい。
ふ〜ん。
なんだか、そんなふうに、チビすけだったおさる、も。
誰かに言われたからではなく、自分のこころでちゃんと意志を持つほど大人になってんだなって、ツーンと嬉しくなった。


アタシは、眼。
聞こえなくても話せなくても。
聴こえるし、言葉を紡ぐこと、できるから。
よくばりは言わないから。
眼、だけは。
アタシから奪わないで欲しいな。
もしも、のはなしなんだけれど、ね。

2011年11月13日(日)



JAM


昨日の、金曜日。
おさると待ち合わせして、カラオケ。
2時間パック。
それ以上はすももが気になるから。


このところ。
一週間に一度くらい。
おさるとカラオケへ行く。
来週は、サントリー美術館、「南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎」を観に行く予定。
身体の調子が悪くなければ。


おさるはおさるなりに。
きっと気遣ってくれているのだ、と思う。
そんなふうに。
気遣いをさせてしまうことを申し訳なくも思うのだけれど。
それが、楽しい。


ひとりで暮らした一年はそれで。
とても気楽でほよほよしてて、こころが平坦で。
良かったのだけれど。
子どもと暮らすのも、それはそれで悪くない。
男の子だから。
こっちが気にしてあげないといけないところもあるけれど。
女の子のゆきのだったら。
もっともっと違う楽しさがあったのだろうと思うのだけれど。
けれど。
悪く、ない。
生きていられるのが半年先なのか、または二十年後か、わからないけれど。
今が楽しい、ってキモチはとても大切なのだ、としみじみと想う。


で、JAM。
はい。
THE YELLOW MONKEYの、名曲、アタシが大好きな曲。
久々に歌いました。
声、全然でなかったけれど。
でも。
カラオケなんて全然行ける距離になかった日々があまりにも長すぎて。
声、ホント、全然でなかったけれど。
またマイクを持ってJAMを歌えて、本当に嬉しかった。


それで先週見つけた、「アンパンマン 演歌ヴァージョン」
これを一発目に歌うとテンションあげあげに、なる。
聞かされるおさるは、盛り下がりらしいけれど。


その日の夜は。
金曜ロードショー、で。
「BACK」の放送日。
カラオケの帰り路。
ワインとチーズを買って。
近くの宅配ピザ店で、持ち帰りにして(金額が半額になるんだよー)







スパイシー



シーフード






クリスピー生地のピザを2枚かって。
カウチポテト状態。
おさるとふたり、「BACK」を観て。
アタシはアニメで観ていたのだけれど。
おさるは全然知らなかったみたいで、映画見て「原作を読んでみたい」なんてそういうことをしないおさるが、久々に呟くのを聞いて。
それはそれで嬉しいことだったなあ。


癌の転移は全然怖くない。
治療もしない。
命がいつまでもつのかもわからない。
けれど。
不思議とちっとも怖くなくて。
本当に、本当に。
今、生きている、今、この時間を。
ゆるゆると楽しめたらいい、心からそう想う。

2011年11月12日(土)



やりたいこと、やっておきたいこと


なんだろう、って考えてみた。
しばらくじっと想ってみた。
けれど。
ピカッって光るモノはなにもなく。
ああ、アタシってばやりたかったことのほとんどを。
やっていたのだな、と。
そう思ったらふっと楽になり。
なにも考えずに。
このままぶらぶらふらふらと。
気ままに日々を過ごしてもいいのか、な? と。


ん−、でも。
サイト、書きかけの小説だけはちゃんとENDをつけておかなくっちゃ。
うん、でも。
憧れの一眼レフを買って。
もっともっと花の写真、撮らなくっちゃ。
でもって。
レッドウィングのエンジニアブーツを履いて。
颯爽と、街、歩かなくっちゃ。
そうそう。
これは自分ではどうしようもないことなのだけれど。
十二国記の新作を。
泰国の行方を読みたいし。
そうしたら、ガラスの仮面も気になるし。
そうだよ、タクミくんシリーズだって、まだ終わっていない。


アタシ。
意外に欲張りだね。
欲があるってことは。
まだまだ生命力がある、ってことだね。

2011年11月07日(月)



年の瀬間際のお楽しみだと思っていたのに


毎年。
クリスマスに浮かれる街の頃の、お楽しみで。
そろそろ情報なんか探ってみるか、と。
覗いてみたらそれはすでに。
発売されておりました。
















このセカイを知ったすぐ後に。
どっぷりと浸かったこのシリーズ。
いったい何年続いているんでしょう。
それでも。
付いていくアタシも、ま。
たいがいなのね。

2011年11月04日(金)



オシャシャシャマ


アタシ。
どうも「サ」行が上手く発音できない、らしい。
サ行に破裂音なんてきたら、壊滅的状況。


近所で。
ホント、歩いて3分くらいの処で。
ひっそりと店を開けているネパールのカレー屋さんを見つけ。
初めは。
おさるとドキドキしながらドアを開けたのだけれど。
ランチ。
夕方の4時までタイムで。
ナン(またはバターライス)&5種類の中から選べるカレーとささやかなサラダ、で。
550円。
高いか安いかは判断ぎりぎりのラインなのだけれど、味がね、味がこれがまためさ美味しい。
ナンなんて(アレ?)ぷくぷくふわふわどっか〜ん、だし。
カレーもまた香辛料の香り高くてめさ美味しい。
そんでもってネパール人ご夫婦のやりとりが、また面白い。
買い物ででた釣り銭をちょこちょことため。
1100円がたまるとおさると「ブッダ」へgo!
アタシ、お肉が苦手なので、唯一食べられるのは「豆カレー」。
でもまたこれが美味しいのなんのって。
ある日。
ここのランチはテイクアウトが出来ることを知り、ンで、テイクアウトにすると値段が500円になることも知り。
以降は家でまったりあぐらかきながら、すももの猛攻撃を避けながらナンを頬張る楽しさに溺れ……。
屋号が「ブッダ」なので、アタシとおさるは「おしゃかさま」と呼ぶ。
けれどアタシはその「おしゃかさま」がどうしても言えず、「オシャシャシャマ」に、なる。
どう頑張っても「オシャシャシャマ」
だからいっそもう「オシャシャシャマ」
おさるもまねして「オシャシャシャマ」
今日も「オシャシャシャマ」の豆カレー&ナン、お持ち帰りで、優雅なランチをば。







豆カレー&ナン






インドのカレーとは香辛料とかの使い方が違うのかな?
よくわからないけれど。
この豆カレーの味。
アタシの好き好きゾーンにビンゴ♥


優雅(というか堕落した?)ランチを終え。
昼の3時におさると待ち合わせてカラオケに。
11月4日に、もしかしてゆきのがこちらへ来るかもしれないから。
そん時は三人でオケ屋へ行こうという話になっているので。
歌の上手いゆきのへ一泡吹かしてやろーぜ、と末っ子同盟のアタシとおさる。
練習のつもでくりだしたのだけれど。
あえなく沈没。
あ、でもね。
アタシ。
すんごい隠し球見つけたの。
それは。
アンパンマンのマーチ、演歌ヴァージョン。
まず一曲目にそれを歌って先制パンチ。
楽しみだ〜。
ってか。
一番歌いたかった、ダーティの「桜川」は見事というか予想通り。
沈没しました、ハイ。
オシャシャシャマで、もりもりパワー貰ったのに、な。
難しいんだよ、この歌。
でも、楽しかったから。
うん、オシャシャシャマ、だね♥

2011年11月01日(火)




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