希望の日記

2010年06月30日(水) 晴れ

医者にきちがいのことを文句言ったら、私が悪いみたいに言われた。医者替えてやろうかと思う。きちがいのせいで何もかもめちゃくちゃになったのに。頭が悪くなったのも目が悪くなったのも、精神状態が悪くなったのも全部あいつのせいだ。今こうして苦しんでいるのも、全部あのきちがいのせいだ。たまらん。どうしてあんなところに勤めないといけないのか。辞めろというのか。きちがいが悪いのに私が薬を飲まないといけないのか。世の中間違っている。
リスパダールのせいで耳鳴りがひどい。あのきちがいは私が許すと欲情してくる。完全に頭がおかしい。どこまで邪悪なんだ。婆というのはこれだから許せないというのだ。何で欲情してくるのだ。何でそこまで頭がおかしいんだ。攻撃するかと思うと欲情してくる。頭がおかしい。
きちがいから身を守る術はないのか。何にでも欲情するきちがいから身を守る術はないのか。
しんどい。実にしんどい。外出したら少し気分が良かった。良かった。人はかわいい。可愛い生き物だ。あのきちがいを除いては。
しんどい。横になっていてもしんどい。完全におかしい。正観さんの本を読んでいてもしんどい。何をしてもしんどい。心が乱れきっている。薬を飲んでもこれだから、どうしようもない。道徳的に非難されても仕方がない。
祈ると少し具合がいい。きちがいが私に危害を加えませんように。私の病気が良くなりますように。
私はきちがいのことを許せているのだ。私は間違ってなどいない。許せてなかったら、同じ空気など吸えない。刺し殺しているだろう。私はいつだって正しい。こんな目にあっても一言も文句を言わずにただ生きている。どんだけ偉いんだ。
もともと仲良くないんだから今仲良くなくて当たり前なんじゃないの。とっくに許しているんだ。偉いんだ。私は。しんどい。
生きていくのはしんどい。後ろめたい。働くことができていないことが何より後ろめたく辛い。私は怠けてなんかいない。必死で回復しようとしている。アスミさんだって、あんなにしんどいのに頑張って働いている。こんなもんだ。われわれは。あんまり働けないのだ。
良くやっている。私は。本当に良く頑張っている。これ以上頑張れない。あんなきちがいのこと誰もどうにもできない。私が何もできないからといって何も嘆くことはない。私は十分良くやっている。きちがいはきちがいだ。本当に良くやっている。ここまで頑張ってこれた。この状況にしても、頑張って断薬しようとしたからこんなことになったので、悪いことをしたり、怠けたりしたわけじゃない。
私は良くやっている。あんなきちがい十分に許しているし、これ以上許しようがない。これ以上許すってどういう状態だ。嘘つくのか。気持ち悪いだけだろう。これでいいのだ。私の考えることはいつだって完全に正しく、あいつの考えることは常に完全に間違っているのだ。
ああ、混乱は収まりつつある。明日は会社にいけるだろうか。このままずっと休みたい。風邪引いているのは確かだが、風邪で一週間休む奴はいない。明日は会社行きたい。私は許している。
私は立派だ。あんなくそみたいな奴を相手にさせられているにもかかわらず立派だ。本当に立派だ。これ以上ないくらいよくやっている。本当にほめてやりたい。
風呂上がった。元気だ。私は元気になった。私は自分をこれ以上頑張らせてはいけない。頑張らせすぎたのでおかしくなったのだ。今回は。薬なしで大丈夫だなんて、欲張ったからだ。せめて徐々に減らしていったらよかった。自分は頑張っている。良かった。自分は立派だ。あんなきちがい相手にここまで良くなったのだ。良かった。頑張った。
良く頑張った。ここまで良く頑張った。いつも自分をほめてやろう。無理を言わないこと。欲張らないこと。頑張りすぎないこと。許しているのに、許していないといって自分を責めないこと。十分頑張っているのに、がんばっていないと自分を責めないこと。
しんどい。頑張って生きてきた。良く生きてこれた。しんどい。体力的にしんどい。会社は悪いところではないが、しんどい。
しんどい。病気は疲れる。長い暮らし。もう持たなくなっている。働くことができない。これではやっていけない。良く頑張った。ここまで良く頑張った。これからも頑張れる。私は良く頑張った。これからも頑張れる。
女が嫌いだ。婆となるともっと嫌いだ。許すことができない。体が受け付けない。仕方ないだろう。体が受け付けないんだから、私が悪いんじゃない。私は責めらるべきところは何一つない。自分を決して責めてはいけない。あのきちがい婆は責めるところはたくさんある。私が病弱であるのに、モラハラをしたということだ。これは許すことはできない。完全におかしい婆。きちがい。
きちがいが襲い掛かってきた。執拗に嫌がらせを受けた。それで発病した。明快だ。これ以上明快なことはない。あのきちがいを視野から遠ざけよ。そういいたい。



2010年06月29日(火) 晴れ

しんどい。会社を休むことにした。しんどい。風邪もひどいし。きちがいのことが腹が立って仕方がない。何であんな奴が、堂々とのさばっているのか。全くわからない。私は精神的に弱い。そういう人間をいじめてきたやつら。私に厳しくしても仕方ないじゃないか。こうして気が狂って使い物にならなくなってしまった。自分がかわいそうでならない。もう人と関わり合いにならない。しんどい。私の人生は何だったのか。今でも傷つけられている感じがする。あのきちがいの存在だけで、自分が傷つけられている気がする。
しんどい。変なやつらばっかりだ。世の中変な奴しかいない。しんどい。思ったより疲れている。薬やめるとあっという間に疲れてしまう。やばいことだ。世の中何なんだろう。やっていけない。働いてこなかった。働くことができなかった。しんどくなってきた。中学生くらいからしんどくなってきた。誰のせいでもなく、遺伝なのかもしれないし。だったら誰も責められないし。親も教師も友達も自分も責められない。なるべくしてなったのだ。でもこうなった以上自分を最大限守らないといけない。こうなっても私を傷つけようとするやつらがいる。断固として守らないといけない。道徳的に非難しようとする奴。暇つぶしにいじめるやつ。何の理由もなくいじめるやつ。それは戦わないといけない。自分を守らないといけない。私の意識は自分を守ることに集中している。
しんどい。寝た。いくらでも寝られるものだ。昼からも寝よう。元気は回復せず。きちがいのことは考えるだけ無駄だ。声がおかしい。
世の中変な奴ばっかりだ。適応できるとか思わないことだ。私には全く適応できない。特に婆。危害を加えてくる。自分が被害者面して危害を加えてくる。
私は自分が好きだ。一生懸命生きている自分が好きだ。神は私を愛している。私も神を愛している。人から嫌われているなんて勘違いだ。あのきちがいだけだ。嫌われているとしても。自分を愛そう。神は私を愛してくれているのだ。だから生きている。寝ていても起きていても、自分を愛している。色々工夫をして、頑張って前向きに生きている。こんな病気になっても絶望しないで、職場に復帰して、頑張って生きている。素晴らしい。大好きだ。きちがいはただのきちがいだ。サリンだ。人間ではない。絶対近寄ってはいけない。許してはいけない。
あのきちがいのことを考えてはいけない。許すとか許さないとか考えてもいけない。忘れなければいけない。医者に行ってきた。薬増やされた。断薬なんかすべきでなかったのか。しんどい。少し落ち着いた。明日はよくなっていると良いな。いいことが起きると良いな。神は私を愛している。私も神を愛している。私は私を愛している。明日は会社にいければいいな。いけなかったら無理しなくても良い。きちがい。きちがいのことなんか考えてはいけない。そんな必要はない。
しんどい。限界だ。何もできない。食欲もない。眠れない。生きていられない。
道徳的に非難されても困る。特に体育会系の奴が困る。全くこの病気に理解がない。理解なんかされなくても良い。徹底的に排除する必要がある。
神は自分を愛している。私は私を愛している。私は神を愛している。婆が喧嘩を売ってくる。婆死ね。何で地上にいるんだ。何でいつまででも生きているんだ。死ね。その一言だ。
しんどい。一生懸命にはやれない。仕方がない。無理することはない。ゆっくりやれば良い。焦りは禁物だ。逆の立場だったらどうするんだ。あの基地ガイドもは相手の立場になることができない。死んだほうが良い。
リスパダールが効いてきたようだ。少し落ち着いた。世の中とは係わり合いになりたくない。婆のこととか全くどうでも良いのに、無理やり係わり合いにされてるじゃないか。全く何の興味もないんじゃ。あるわけないだろう。何社会にしゃしゃり出てきて、無視されたとか騒いでるんだ。宇宙からいなくなれ。この病気は厄介だ。やる気なんかなくなる。興味がなくなる。理解力がなくなる。人に興味がなくなる。道徳なんかどうでも良くなる。俗世間なんかどうでも良くなる。
しんどい。ここを切り抜けないといけないんだろうか。もう限界だ。会社辞めたい。山寺に引きこもりたい。きちがい。あのきちがいのせいで何もかもめちゃくちゃだ。それがわかっているのか。殺したい。絶対許せない。医者に言ったら、私が悪いみたいに言われた。偏った見方しかできなくなっているんじゃないかって。モラハラされたのによく言うよ。何もわかっていない。薬を増やすだけ。訴えてやろうか。モラハラやって精神障害を引き起こされたって言って。モラハラする奴は死ね。途方もなく邪悪だ。殺してやろうか。そんなに邪悪なのが自慢なら。殺すしかないと思う。何で我慢しないといけないんだ。殺した方が良い。



2010年06月28日(月) 晴れ

今日は会社を休んだ。やっぱり、急な断薬はきつかった。人や自分を責め始め、苦しくなってしまった。今日は薬を飲んだ。私も執着するのはやめよう。あのきちがいなんて実在するなんて思わないことにしよう。きちがいに何をされてもきちがいなんだから仕方がない。忘れてしまおう。許すことは到底できない。ならば忘れてしまおう。今日は座禅をいっぱいしよう。座禅と薬の組み合わせで、きちがいを忘れることが何よりの回復の道だ。きちがいが同じ職場にいることが明らかに回復を遅らせている。きちがいは何で罰せられないんだ。何で私だけ苦しまないといけないんだ。スピリチュアルに逃げ込もう。スピリチュアルだけが救いだ。
考えると称して、妄想や悪夢に苦しめられている時間、何かしていたほうがましだ。それがスピリチュアルであれば、なお良い。掃除なんか良いんじゃないのか。スピリチュアルな本を読んでもいいし。ウォーキングでも良い。きちがいの恐ろしいところは心まで破壊してしまうことだ。絶対に相手にすべきでなかった。悪と決別するとは、そういう時間をなくし、きちがいの支配から完全に脱してしまうことだ。今でもきちがいの支配下にあるので、苦しんでいるのだ。仲良くなんかしてはいけない。できるわけがない。完全に心理的に支配から脱するのだ。うまくやる方法なんかないのだ。何で自分から支配下に入るのだ。何を怖がっているのか。あんなくそ野郎と接触してはいけない。人間じゃない。サリンと思え。人にモラハラする奴なんか人間じゃない。
しんどくなってきた。風邪もひどい。何で風邪が治らないのか。きちがいが頭の中を侵略してくる。怒ってもだめだ。きちがいなんだから。私の想像もつかないきちがいの世界がある。許すわけにはいかない。絶対に支配下から脱しないといけない。
薬久しぶりに飲んだら、ものすごくきつい。目がちかちかする。どんだけきつい薬飲んでいたんだろう。ものすごく気分が悪い。明日も休みたい。薬飲んだらいいのかやめたらいいのかわからない。死にたい。風邪もひどい。あのきちがい死んでくれ。我慢ならない。まだ私に危害を加えている。絶対許すことはできない。自分は生まれ変わっている。今は少し苦しいが、我慢すれば生まれ変われる。元気になれる。きちがいのことは忘れよう。
少し寝た。きちがいが病気の原因だったとわかった。悪夢にうなされた。きちがいが私をいびり続けたことが、病気の原因だ。これは許すことができるだろうか。どうしたら優しい気持ちになれるだろうか。絶対無理だ。あのくそきちがい。絶対許すことはできない。夜眠れなかったのも、酒飲んで不安で、いの伝に書けたりしたのも、全部あのきちがいのせいだとわかった。薬をやめたらその怒りが噴出してきた。薬をやめたら良いのか、やめないほうが良いのか、わからなくなってきた。あの姉も私をいびっていた。許すことはできない。私が怒るのは当然だろう。気分が悪い。こんなので、会社にいけるだろうか。しんどい。今まで平穏に過ごしてきたのに、こんなことになって辛い。明日会社で過ごせるだろうか。今起きているだけで辛い。やっぱり薬をやめるべきじゃなかったのか。
楽なほうに行ったら良いんだ。薬飲んで楽になるんだったら、薬を飲もう。薬やめてこんな苦しい思いするんだったら、薬のもう。あまり考えないようにしよう。きちがいが原因だったとしてもそれを考えるのはやめよう。受け止めて何とかなると思ったのが間違いだった。何で何とかなると思ったのか、全くわからない。頭が痛い。あのくそ姉も理由もなく私をいびっていた。理由がないんだから私が反省することはないんだ。
しんどい。あのきちがいが私の人生をここまで破壊しておいて、自分は元気にのうのうと生きている。そして私のほうを窺い、笑っている。許せない。死ぬべきだ。きちがいのことはどうでも良いんじゃないか。考えるだけ無駄なんじゃないか。あいつのことなんか考えて、時間を無駄にすることがばかばかしい。きちがいが後ろ髪を結っていることが腹立たしくてたまらない。私が何か興味を持っていると思っているんだろうか。私が見ているから。どこまで頭がおかしいんだ。
しんどい。元気になりたい。今日はしんどかった。明日は元気になるんだろうか。ここ最近まで調子よかったのに。朝までぐっすり眠れたのに。突然具合が悪くなった。断薬は怖い。明日元気にならなかったら、もう一日休んでいい。ものすごくしんどい。薬はしばらく再開しよう。きちがいのことは考えない。忘れる。あいつが地上に生きてるなんて認めない。きれいに忘れる。きちがいさえいなければこの世は何とか耐えられる。
きちがいのことは考えない。ゆったりした気持ちで、自分や他人を責めない。危険が及んだら、すぐ避ける。善悪とか、正義とか考えない。損得を考える。身の安全を考える。3年間休んでよかった。本当に良かった。自分の安全を守ることができた。今は安全が守られていない。休んでいた方が良かった。安全が守られないといけない。hkとかがうろうろしている職場は安全とはいえない。しんどい。死にたい。生きていけない。
小さい頃から正気じゃなかったのだ。変な奴とばかり付き合うということは変だったのだ。昔のことを思い出す。一度も正気じゃなかったなと思う。でも変な奴と出会わなかったら、もう少しましな人生だったかなと思う。今からでも遅くないので、変な奴とは断ち切ろう。きちがいのことを考えるということはきちがいの支配下にあるということだ。きちがいを理解しようとしているということだ。自分に何が起こったか理解しようとしているということだ。そんなことできるわけがない。いきなり危害を加えられたことを整合的に理解できるわけない。きちがいをこの世に導きいれてはいけない。悪は断固排除しろといっている。悪を理解する方法などない。許すだなんて馬鹿なことはない。



2010年06月27日(日) 晴れ

朝目が覚めた。何も興味がない。自分に興味がなくなった。自分を愛することができないので、人も仕事も生活も愛することができない。脳にダメージを負って、微細な違いがわからなくなったので、物事に興味を失ったんだと思う。もう何もかも面倒だ。年取ってしまった。急速に衰えてしまい、何も理解できなくなった。何も理解できなければつまらなくなるのは当然だろう。また愛されなくなり、不安にもなるだろう。攻撃されて、苦痛も感じるだろう。職場は私の安全な居場所ではない。酒もうまくない。まして人と飲み会なんて全く楽しくない。飲み会連続断っている。セックスも楽しくない。脳梗塞の薬を飲んで、アルコールを飲んだとき、脳細胞が破壊されて、物事が理解できなくなった。これでは生きていくことが困難だ。仕事も人間関係もうまくやっていけない。取り残される。ついていけない。毎日布団にもぐって寝て暮らしたい。引きこもって暮らしたい。ミクシもtwitterも面白くない。誰も絡んでくれない。いつも発展性のない、同じことの繰り返しだからだ。仕事もクビになる。給料に見合った働きができない。人間関係も維持困難だ。人が怖い。何を考えているかわからず、いつ攻撃されるかわからない。基本的安心感は失われていく。脳に欠損があるらしい。そういう脳にふさわしい人生が訪れたんだと思う。それならそれで、とやかく言われたくない。こんな人間だということで、許されたいと願う。人を愛することができなくなっても生き延びたい。
ゆっくりしよう。焦っても仕方がない。また理解できる日が来るかもしれない。愛することができる日が来るかもしれない。今はできない。できないものをできるふりはできない。
ゆっくりしよう。焦らず一歩一歩進んでいこう。ついていけなくても焦らないこと。善と悪を入れ替えてしまうのだ。スピリチュアルに打ち込むのだ。現世に興味はなくなった。スピリチュアルに生きていこう。
スピリチュアルに生きていこう。悪を憎み、決別しよう。私の両親を奪い、私を精神障害に追い込み、人生の全てを奪った悪が憎い。絶対悪と馴れ合わない。今はつまらない人間になってしまった。自分に興味がなくなった。人に興味がなくなった。世の中や仕事に興味がなくなった。会社にいても何も起こらない。寝ないのは軌跡だ。生きていられるのは奇跡だ。やっぱり脳に障害があるからこんなことになったのだ。善悪の区別がつかずに、悪に魅せられ、、人生台無しにしてしまったのだ。人格が荒廃し、情愛もわからなくなってしまったのだ。些細な悪に喜びを覚えて生きるようになってしまったのだ。悪を憎もう。悪と決別しよう。現世とは関係なくなるけど、スピリチュアルの深い世界に入っていこう。焦らなくても時間はある。ゆっくりとスピリチュアルに入っていこう。
しんどい。ずっと寝ている。人生がわからなくなった。生きる力がなくなった。仕事ができなくなった。あのきちがいに人生むちゃくちゃにされた。理系の人間は思った以上に苦手だ。相手にできない。メーカーで働くというのは大変なことだ。全く頭が働かない。きちがいはともかく、人生が頓挫していることは確かだ。立て直さないといけないのは事実だ。今考える力はない。考えない練習とスピリチュアルに逃げ込むしかない。善だ悪だと大騒ぎしていることはできない。スピリチュアルで良いんじゃないか。難しいことは考えなくて良い。私が職場で受けているのは虐待だ。仕事を与えない。会話しないというのは虐待だ。虐待するものは悪だ。悪と馴れ合ってはいけない。悪とは物理的、社会的、心理的に距離を置き、独立しないといけない。依存してはいけない。しんどい。今は苦しいときだ。生みの苦しみだ。1年半良く猶予してもらったものだ。悪は受け入れてはいけない。自分に危害を加えるものは受け入れてはいけない。
しんどい。くうちゃんに会いに行かないといけない。あまり気が進まない。人に会いたくない。元気がない。仕事嫌だ。やる気が全くしない。あのきちがいだけが嫌なんじゃなくて、病気で元気がなくなっているのかもしれない。元気のない私をあのきちがいは攻撃してきた。危害を加えてきた。虐待だ。姉が私に行ったことの繰り返しだ。絶対許すことはできない。自分より弱いとみると攻撃してくる。本当に卑劣だ。人間ではない。サリンだ。宅間だ。暇つぶしに人をいじめに来ているのだ。地上から消えろ。
くうちゃんに会ってきた。意外に楽しかった。一応普通に過ごせたのが良かった。でも疲れているのは確かだ。今日は早く寝よう。
あの姉は何だったのか。私を嫌い攻撃してきた。人は虐待される必要はない。この世がどんなに過酷であろうとも、人は虐待されてはならない。仕事は大変だ。くうちゃんにテキストを見せてもらった。すごい漢字ばっかりで、難しそうだった。目が泳いで、一文字も入ってこなかった。脳がダメージを受けている。これからはスピリチュアルに生きていこう。
思い通りに生きたら良いんじゃないのか。思い通りに生きていれば危害を加えられることは避けられる。我慢なんかする必要はない。善人である必要はない。今日は早く寝よう。
しんどいけど頑張って生きていこう。くうちゃんも頑張るって言ってくれたし。私も頑張らないと。
仕事しんどい。小さい頃から、変な奴オンパレードだった。世の中のダークサイドを見せ付けるきちがいばかりが私の周りに集まってきた。きちがいみたいな奴。サドみたいな奴。ヒットラーみたいな奴。まともな奴は一人としていなかった。そういうのは連鎖して、私の魂を次々汚していった。そして今も絶え間なく現れて、私に危害を加えてくる。絶対に許さない。私をこれ以上苦しめ、傷つけ、侮辱することは絶対に許さない。普通に生きたら良いのだ。受け入れてはいけない奴は受け入れなければいいのだ。危険を感じたら即逃げたら良いのだ。逃げなくとも、普通にかわすことはできる。コントロールすることはできる。世の中のダークサイドに住む連中なんか、怖がる必要ないのだ。何も限界まで耐える必要はないのだ。普通に対処すれば良いだけの話だ。もし無理なら、物理的、社会的、心理的に距離を置き、支配されない、影響下に立たない。それが重要だ。不快感を感じているということは、すでに心理的影響下にある可能性がある。即座に離れないといけない。ダーティーな人間と付き合わないといけない道理なんかないのだ。サリンみたいな奴ら。どうして生きているんだ。今も苦しむ必要なんかなくて、気楽に生きたら良いのだ。何も気にしないで、リラックスして、ゆっくり生きたら良いのだ。どうしてわざわざ自分からきちがいの毒牙にかかりに行くのか。安全な人生を生きよう。永平寺に修行にでも行くか。そして禅僧にでもなるか。放哉も修養団みたいなのに属した時期もあったらしい。奉仕に生きるというのもひとつの生き方かも知れない。苦しむ必要なんかないのに、自ら苦しむことはない。今転換期だ。むしろリラックスして、自分の変化を楽しむのが良い。私はきちがいでも、悪人でもない。スピリチュアルな存在だ。スピリチュアルへと脱皮するのだ。変な奴にこだわって、わざわざ支配下に入り、苦しむというのが、私のこれまでのパターンだ。変な奴なんか相手にする必要はないのだ。まず最初にあの悪がきとであった。それからサディストみたいな奴とであった。それから貧乏人のせがれとであった。それから母子家庭の馬鹿と付き合い、きちがい教師に出会った。それから人付き合いに愛想が尽きて、一人で引きこもって生きるようになった。その頃から日記を書き始め、怪しい世界に入るようになった。すでに前駆症状が始まっていたかもしれない。芥川なんかにはまったのも悪かったかもしれない。それから高校でまたきちがい教師に出会い、大学で、きちがいクラスに入り、発狂した。その前にサドを読んだ。これが決定打になった。きちがいとの付き合いは長い。今はそんな奴らの影響下から脱したと信じている。あのカウンセラーはどうだったのだ。新たなきちがいじゃなかったのか。あのegとかグループはどうだったのか。新たなきちがいとの出会いだったんじゃないかと思う。座禅は脱洗脳になる。仏陀もあらゆる煩悩の虜になり、おかしくなっていたんじゃないのか。それが座禅によって自由になった。自立を勝ち取ったのだ。あんなきちがいから自由になる方法はいくらでもあるんだ。まず受け入れない。相手にしない。自分から影響下に入らない。軽くかわす。見下す。徹底して遠ざける。ご機嫌なんか取らない。変えようとしない。近づかない。希望を持たない。同じ人間だなどと思わない。分かり合えるなどという幻想を抱かない。サリンだと思う。自分の安全を最優先し、関わる義務があるなどと思わない。ダメージを最小限にする。脱洗脳して、考えることをやめる。恐れることをやめる。危害を加えることを許さない。危害を加えられて、支配されない。非暴力を貫き、付け込まれる口実を与えない。同じ空気を吸わない。完全無視する。絶対交わらない。あるときは戦う姿勢を鮮明にする。馴れ合わない。非暴力不服従を貫く。利得を与えない。



2010年06月26日(土)

何かいろんなことがクリアーになってきた。自分のこと、会社のこと、世間のこと。悟り体験か。会社がなぜ居心地が悪いか。それ以前に家族、学校が居心地悪かったか。なぜいじめられたか。病気だったからか。はたらかなかったからか。なぜ人の言うことが理解できないか。私が馬鹿だからではない。会社、軍隊、学校は人を強制して働かせる場所だ。近代国家の成立とともに誕生した。効率よく国民を一定の目的に向けて働かせる装置だ。規格にはめて、教育、強制する必要があるから、規格外のやつは排除される。それが私の感じてきた違和感の根源だ。学校や、軍隊に住む妖怪が、いじめだ。体罰もある。体罰でなくても処罰はある。会社にもある。強制で働かせるための最後の手段だ。後病理現象として、モラハラ、パワハラがある。これは非公式の暴力だ。体育会などにもある。全ての組織にある。モラハラ、パワハラを行うやつを容認したり、奨励さえする場合がある。病理現象だ。人に危害を加えるサリンのようなやつ。ここまで行くと容認できない。私は芸術家だ。会社に居場所などない。精神病院に入院していたとき、学部を法学部から、文学部に替わろうとして、止められた。偏差値の高い、有用な学問である法学から、そうでない文学部に移ることはもったいないという理由だそうだ。しかし、今となっては間違った選択だった。でももう止めようがなかった。何とかなる、何とかなると思い続けて、何十年もずるずると不本意な生活を続けてきて、あまりのストレスに病気が再発してしまった。なぜ耐えるんだろうか、何のために自分を偽るんだろうか。生計を立てるため。社会に参加したいため。
姉は最初のモラハラ野郎だった。理由もなく人を嫌い、攻撃する。そしてすましている悪逆ぶりがたまらなく嫌だった。自分を武装するため、サドを読んだ。その結果、全てを失った。モラハラと戦う勇気を失った。悪と馴れ合ってはいけない。退廃はいけない。生きていけなくなる。精神病院で過ごさないといけなくなる。小さい頃、ちょっとの悪と馴れ合った結果、悪は肥大化し、コントロール不能になった。内なる宅間を飼うようになってしまった。それに反応して攻撃してくるやつら。HKI。私は悪の側だから、攻撃されて当然と組織は見る。だから助けてはくれない。
自由。私が最後のよりどころにするのは自由だ。悪の自由。悪は私のスピリチュアルな部分を蚕食し、住み着いてしまった。悪を追い出すことができなくなった以上、自由のために戦う。それしか残されていない。
後はスピリチュアルだ。心を浄化し、悪を追い出し、退廃から立ち直る最後のチャンスだ。人から強制されたり、脅されたりするのではなく、自分の意思で、退廃から決別する最後のチャンスだ。海外でも働かなかったし、マスターでも働いていない。働かない体質になってしまった。改めてモラハラを受けた。でも私は何が毒かわかっているので、注意深く避けている。馴れ合うことも耐えることもしない。戦い、一定の自由を勝ち取る。兄の家に行ってモラハラを受けた。働かないからだ。またきちがいのサークルに行って、働かないからと迫害を受けた。自由。自由のために、迫害と戦う。それしか生きがいはなくなった。
それと別に脳が動かなくなってしまった。あまりのストレスに薬物やアルコールに依存し、オーバードーズまがいのことをやった結果、かつての明晰さが失われた。これでは生きていけない。戦うこともできない。人の情けにすがって生きていくしかない。だからスピリチュアルしかないのだ。生きる力を回復し、退廃を追い出し、働く意志と能力を回復するのはスピリチュアルしかないのだ。働かないのは自分の意思か、生まれつきか。そうではないだろう。悪のために習慣と化しているのだ。後病気のためにしんどくなっている。ものすごく疲れやすい。統合失調症を発病した小学校教師も、働けなくなって、8年で、早期退職に応じた。今は作業所に通っている。人事ではない。私も長くは働けない状況になっている。モラハラや迫害と、そのつど戦って消耗しても、生き残ることにはつながらない。モラハラは悪ですと訴えても、それを誘発しているのは組織の側だから、見込みはない。正義なんて通らない。資本主義の病理は深い。
今までの延長線上では問題は解決できない。今こそ悪と決別して、スピリチュアルに移行すべきだ。悪は私の本性ではない。悪が本性の奴なんかいない。宅間でさえそうだ。長い時間をかけて、カウンセリングを行い、反省を促せばきっと改心したはずだ。そうすれば償うチャンスもあったのに、むざむざ殺してしまった。日本社会の退廃は深い。スピリチュアルに回帰しよう。悪も善もない。ただスピリチュアル。モラハラや迫害もない。理想の社会。きっと実現できる。自己実現できたら、社会でも実現できる。私が学んだことを社会に還元できたら、きっと大きな力になる。社会は光を求めている。あのきちがいでさえそうかもしれない。家庭で愛されなくなり、愛を求めて社会にしゃしゃり出てきたのだ。完全な勘違い野郎だ。そんな奴でさえ、居場所のある社会を作らないといけない。彼らは邪悪だ。確かに底知れないくらい邪悪だ。それでも被害を受けず、無力化し、社会で使う方法はある。あいつは出世した。あのモラハラ野郎が。社会とはそういうものだ。目的のためには手段を選ばない一番邪悪な人間が出世するのだ。この世は病んでいる。でも加害者じゃなくて良かった。私の魂の純潔は保証された。私は天国に行ける。あいつらは地獄行きだ。あんなやつらがいるからこの世は地獄になる。でも私は身を守る術を知った。簡単なことだ。悪を容認しないこと。退廃と馴れ合わないこと。断固たる態度をとり、隙や弱みを見せないこと。どちらが正しいか、思い知らせること。それが不可能なら、あらゆる手段を使って、物理、社会、心理的距離を保ち、支配から逃れること。今は思ったとおりに行動して、簡単に身を守ることができる。思ったとおりに行動することだ。私は神に愛されている。神は私の側についている。暴力は許さないこと。毅然とした態度を取ること。恐れることはない。神は私の側にいる。
救いはスピリチュアルだ。しかも実践が良い。言葉は頼りない。許しとか言っても、嘘臭い。洗脳だという人もいる。でも瞑想や座禅はそういう退廃とは無縁だ。悪も善も関係なく、自立できる。退廃から自由になれる。強制や迫害から自由になれる。
今まで悪と馴れ合って無為に長い人生を徒過してきたが、今こそ救われるチャンスだ。社会と和解できるチャンスだ。私も和解したくないといっているわけではない。和解して、迫害されない保証が得られれば一番良い。むしろほめられたい。スピリチュアルは最後のチャンスを与えてくれる。しかもそれ以外には方法はない。人はろうそくのように自らを照らして周りを照らす。一隅を照らす存在で良いじゃないか。皆迫害を逃れて、あるいは追放されて、この場所にいる。それでやっていくより仕方ないじゃないか。色々突っ込みたくなるけど、お互い様だ。お互い我慢しあってやっていくより仕方がない。ないものねだりをするのではなくて、あるものでやっていくより仕方がない。サバイバルの思想だ。
私の脳はちょっと変わっているそうだ。神経線維がむき出しになっている。それが何を意味するのかわからない。おそらく兄弟の脳もそうなっているんだろう。皆少しずつ変わっている。変わっているから悪いんじゃない。迫害を受けたるするけど、賞賛に変わるチャンスもある。私はずいぶん大雑把な考えしかできない。理系の奴らの精密な考え方にはついていけない。私の脳の異常がそれに関係しているのかはわからない。でもコンプレックスとは思わない。それを補って余りあるものがあると信じている。
今こうして、長い道程を経て、このような考えに達することができたのであるから、人に劣っているとは思わない。
日本人自体が、アフリカから遠く離れて、迫害や放浪の果てに流れ着いた連中の末裔だ。でも特異な言語を話し、独特の文明を発展させてきた。だから良いじゃないか。卑下したり、自虐に走るのはやめよう。あるもので満足すれば良いじゃないか。日本人は誇りを失っているようだが、そんな必要はない。焦って自爆してはいけない。衰退するにしても、落ち着き払って、優雅に衰退していけば良い。日本人にはその資格がある。今まで散々世界に貢献してきたんだ。疲れて、引きこもっても文句は言われない。
モラハラなんてやる奴は人間ではない。でもそういう奴を温存させるところが企業というところだ。軍隊なんかもっとひどい。経験した人が口をそろえて言う。非人間的な真空地帯であると。でも中には適応して生き延びる奴もいる。出世する奴もいる。そういう奴はモラハラやパワハラを上手にできる奴だ。運動部にも多いタイプだ。体育って言うのが、近代国家形成のために、軍隊を作る必要に応じて生み出されたものだから。
今まで回答を猶予してきたことが、無駄だったとか、時間の空費だったとは思わない。必要な時間だったのだ。自分が居場所を見つけるまでの長い時間。もともと社会の中に居場所を見つけて、居心地が良いと感じる人間ではなかったのだから。こんだけ時間がかかったとしても不思議ではない。それと脳の不調もある。それは生産的ではない。仕方がないことだ。怠けていたのではなく、必死で戦ってきたのだ。今まで費やした言葉は何万言だろう。それは無駄ではなかったといえる。正気を保つためにどうしても必要だった。あんなモラハラ野郎に変身しないですむ、唯一の道だった。モラハラ野郎になって出世していく道は私には無理だ。心優しい私。スピリチュアルに生きよう。ひたすらにひたむきに。スピリチュアルの道は平坦ではない。でも唯一生きる価値のある道だ。感謝され、満足も得られる。退廃や悪からも自由になれ、狂気に侵された奴からの迫害もない。欲は人を狂わせる。それが嫌で、銀行を辞めた。でも製造業だって似たようなものだ。利潤追求は徹底している。欲望は肥大化し、人は病んでくる。モラハラやパワハラがはびこり、私の居場所がなくなっていく。きちがいが大きな顔をしてのさばるようになる。hkみたいなきちがいが。スピリチュアルはそういう奴から逃れる唯一の道だ。私だって、点数や成績の魔力に取り付かれ、競争に勝ち残ろうとした口だ。欲望から、金や権力を求めた一人だった。今はそれらから疎外されている。今はスピリチュアルのときが満ちた。それ以外に道はないことがはっきりわかる。無力でも無防備でもきちがいから身を守れる。思ったとおりに行動して、しかも正しい。非難も迫害も受けない。それがスピリチュアルだ。第三の道だ。権力や金や性への盲従でもなく、悪でも退廃でもなく、真の自己実現につながる唯一の道。学校では教えてくれなかった道。会社でも教えてくれなかった道。
掃除をしたからこんなことに気づいたのかな。これからはもっと掃除をしよう。ヘルパーを断って、自分で掃除しようか。私も学歴という大きな退廃に取り付かれていたのだ。その呪縛から逃れるのに、何十年もかかった。でもその呪縛に一生縛られる人よりもよかったんじゃないのか。東大を出て、栄耀栄華を極める人もいるだろうが、私はこんな人生で満足だ。自由だ。何を考えても自由だし、魂が穢れなかった。あんなきちがいどもとは違うといえる。
でも被害にあって、家は買えない、結婚はできない、給料は安い、友達はいない、趣味もない、人に馬鹿にされる。でもスピリチュアルがある。娼婦と戯れる自由がある。本を読む喜びがある。最近は脳がダメージを受けて、本も読めなくなっているが。
今日は久々に長々と書いた。元気が出てきたんだろうか。服薬をやめてよかった。薬になんか頼っていたら、いつまでも社会復帰できない。化学的ロボトミーだ。私のこの悟りに比べたら、さかしらな会社の奴らのたわごとなんか、屁のようなものだ。私は正しい道を歩んでいる。
何かおかしい気もする。企業の中で生きているのに、働かないで、その結果ほめられず、給料は下げられ、出世もせず、感謝も尊敬もされず、仲間外れにされ、人の言うことが理解できず、何のためにいるのか自分でもわからず、未来に希望が持てず、嫌いな奴ばっかりで、息をするのも苦しいこの状況。明日から変えられるんだろうか。もっと時間がかかるというのだろうか。目の前のこともできなくなっているこの状況から逃れないといけない。掃除から始めよう。長いこと無為に過ごしすぎた。思い切って自己批判に踏み切ることも必要だ。悪のために無駄なスペースをふんだんに使って、仕事ができなくなっている。悪のためにとっておくスペースなどない。悪をかくまってはいけない。寛容であってはならない。悪が趣味であってはならない。これから変えよう。自己批判に転じよう。人を突っ込めるようになってきたということは自己改善できる能力が生まれてきたということだ。セルフコントロールできる可能性が芽生えたということだ。今までは悪を容認していたので、その余裕はなかった。ただだらしなかった。何もできなかった。誰とも会話ができなかった。これからは自己批判をし、自己改善をし、セルフコントロールして行こう。きっとできる。世間の奴らは悪であると思ってきたが、やっぱり世間で生きていこうと思ったら、受け入れないといけない。批判も受け入れないといけない。初めてそういう余裕が芽生えてきた。スピリチュアルの芽生えだ。今週掃除二回もやったということは大きな進歩だ。自己批判しよう。自分いじめではない。自己改善だ。住みやすくなる。生きやすくなる。自己実現できる。若い頃はこんなこと自明だったのに、何でここまで堕落してしまったのか。悪魔は堕落した天使だという。全く、優れた魂を持ちながら、悪いことや無益なことに費やしてしまった。もはや人が何を言っているのかさえ理解できない。末期症状だ。でも望みは捨てない。今からでも大丈夫だ。今からスタートして、行けるところまで行けばそこが終着点だ。ホームレスすれすれだ。でも病気だったのだから仕方がない。悪や無益なことはやめよう。憎しみや恨みは手放そう。きちがいを許すということではなく、ただマイナスの感情を手放し、自分にとって大切なことを始めよう。怠けず、たゆまずやっていこう。きっと希望の灯がともる日が来る。絶対回復できる。
悪のためにとっておける時間もスペースもない。今すぐ行動を起こそう。会社にとっても私のような人間を雇っておける大義名分が立たない。やっぱり自ら変わらないと誰も変えてくれない。薬物は自分を変えてくれない。目の前の苦しみをごまかしてくれるだけだ。もう薬物に頼ってはいけない。自分で変わるのだ。スピリチュアルだ。掃除だ。自己批判だ。悪の在庫一掃だ。悪を手放すと気持ち良い。悪は習慣に過ぎない。無意識にやってしまっている。モラハラやパワハラもそうだ。欲や我に駆られて、思わずやってしまっている。電車で人に暴力を振るう奴。あれは病気だ。何で許されると思っているのか。私は病んでないからわかる。まだ魂は健全だ。スピリチュアルだけが正しいことを教えてくれる。楽しい労働へと導いてくれる。労働の基本は掃除だ。馬鹿にしてはいけない。



2010年06月24日(木) 晴れ

会社が安全な場所だったことは一度もない。そんなことは願望に過ぎない。金儲けのために集められているに過ぎないのに、仲良くなんかできるわけがない。傷つけないという保証なんかあるわけがない。リストラだってありだ。何でもありだ。会社は安全な場所ではない。安全な人間なんかいるわけがない。飲み会なんかで仲良くやっているのは幻想だ。無理して仲良くなんかしなくてよろしい。心を許せる相手なんかいない。人を信じてはいけない。基本的安心感は会社にはない。言葉や感情や道徳なんかでコントロールできる相手などいない。私は現世なんか興味がなくなった。スピリチュアルに生きるのみだ。何で心を許してしまったのか。何で言葉や道徳で何とかなると思ってしまったのか。何で安全だなどと思ってしまったのか。何で信じてしまったのか。話し合えばわかるなどと思ってしまったのか。こちらが何もしない限り何もされないだなどとなんで思ってしまったのか。この世は安全な場所などではない。今まで病んでいたのだ。病から回復している。回復すべきときが来たから回復している。長い時間待った甲斐があった。無駄ではなかったのだ。私は芸術家なので、人の言うことが理解できなくても恥じることはない。誰も理解できないことが理解できる。人はいくつもの言葉を理解できるとは限らない。でもスピリチュアルという言語は全ての言葉を話す人に通じる唯一の言語で、それは体を通してしか、解することができない。言葉は惑わし、傷つけるだけだ。掃除が大事というのはそういうことだ。
そういえば、中学時代、きちがい教師とトラぶったときも掃除と遅刻が原因だったし、前の会社を首になったのも、掃除をしないことのトラブルが原因だった。掃除を甘く見てはいけない。掃除ができなくなったときはやばくなったときだ。
あんりとの関係が変質してきた。すごく甘い恋人同士みたいな関係だったのに、この前ちょっと冷たくしたのをきっかけに、デリヘルとお客の関係に戻ってしまった。残念なことだ。どうして人を愛せないのだろう。女が嫌いなのか。かわいそうだと思わないのか。女を愛さないのは罪だ。心に余裕がなくなって人を傷つけてしまう。もっと愛そう。もう一度アンリを愛そう。アンリがどんな人間であっても愛そう。可愛がろう。この間は少しそういう気持ちがよみがえった。愛はお金で買っても良いと思うくらい優先順位が高い。愛に飢えている。wさんに恋するくらいに飢えている。wさんでなくてもいいんだけど。wさんが良い。
悪と馴れ合い、悪を匿い、悪のために弁明し、悪を容認し、悪を養ってきたけれども、それももう終わりだ。これからはスピリチュアルの道に立ち戻る。悔い改める。ぜひともそういう必要がある。このまま行くとずるずる行ってしまう。これを機会に悔い改めることとする。わかりやすく、行いを改めるようにしたい。内面というのは行いについていくものだ。私は思想家ではなく、商人に過ぎない。行いで示す以外に道はない。悪の人生だった。悪に取りつかれてひたすら悪いことをしてきた。病んでいたから仕方がないのか、悪くないのに、無理やり悪いことをしていたために気が狂ったのか。悪いことをし、今も悪いことをしている。悪いことを考えるだけでも罪だ。言葉にするのも罪だ。こうやって書き連ねたことのなかにも多くの罪が混じっていた。これからはいいことしか書かない。いいことしか考えない。きちがいなのに、きちがいを差別したりしない。きちがいになったら、その利得を貪ろうとする。ヘルパーを雇い、映画館に通う。ろくなもんじゃない。悔い改めよう。人と言葉が通じない理由の最たるものは、心を失っているからだ。悪のために心を譲り渡してしまっているからだ。心が悪に蝕まれてしまって、それについて考えると苦痛だから、考えなくなってしまって、ますますどうしようもなくなっていく。堕落して、生活もできなくなっていく。快楽を貪り、怠け、浪費し、不義理をし、悪を重ねる。友達もいない。それで人によく見せようとばかり考えている。まず悔い改めよう。悪を断ち切ろう。本心に立ち返ろう。惰性で悪の弁明をするのはやめよう。私の本性が悪であるはずはない。悪は狂ったりしない。心にやましいところがあるから、狂うのだ。
カウンセラーにも見放された。カウンセラーに嫌われるとはどういうことだ。お金を払って嫌われる。いよいよ末期症状だ。
自己批判しよう。人に批判される前に、自己批判して、行いを改めよう。薬を断って、人に突っ込めるようになったのはいい兆候だった。自分に突っ込もう。ここが悪い、あそこが悪いと突っ込みまくろう。悔い改めよう。行いを改めよう。悪いことを考えるのもやめよう。悪の見方をするのもやめよう。いよいよ孤独死するしか道はなくなる。もう若くない。今頃になって、ひとりで死ぬのが怖くなって、悔い改めるとは。あのきちがいはいいことをしたのかもしれない。私にこのままでは生きていけないことを教えてくれたのかもしれない。今、誰とも言葉が通じない。カウンセラーさえ、話を聞こうとしない。全く興味なさそうに、嫌々聞いている。疑い、否定してくる。カウンセラーを替えても一緒だ。数十年分の悪を叩き出そう。一切合財、放り出そう。自己を疑おう。確かなものは何一つない。心に浮かぶものは全て迷妄である。座禅に打ち込もう。悪の誘惑から逃れよう。悪から自由になろう。改心して、真の社会復帰を果たそう。
何もできなくなってしまった。脳にダメージを受けて、本を読むこともできない。正しい教えを吸収することもできなくなってしまった。掃除をしよう。心を洗い清めよう。自己批判は苦しいが、スピリチュアルはその苦痛を緩和してくれる。楽に悪から自由になれる。悪に支配されている。悪にのっとられて働くことも人付き合いもできなくなっている。悪のくびきをはずそう。悪は何も生まず、全てを奪う。ただ時間と命を奪い、傷つけ、人を無駄に死なせる。人を苦しめる。悪はやっぱり悪い。悪が良いなんて何で思ったのだろう。無批判に何で悪を受け入れてしまったのだろう。自己批判は苦しいけれども、善行を積み重ねることで、悪から自由にもなれるし、罪滅ぼしもできる。スピリチュアルの道は豊かだ。空っぽの人生を豊かにしてくれる。心を愛で満たしてくれる。魂の渇きを癒してくれる。
しんどくなってきた。一度に何もかも解決しようとしているからだろうか。一度にいろんなものが押し寄せてくる感じ。私は悪くないのに、悪いことを覚え、悪を受け入れ、悪を行い、悪を弁護し、悪を匿ってきたので、頭がおかしくなってしまった。私が悪だったら気は狂わなかったはずだ。悪だったら、悪の道に進み、やくざにでもなっていたはずだ。そうではない。私の本性は善だ。善なので苦しむ。自己批判し、人を責めることを解禁すると、どっといろんなものが押し寄せ、しんどくなってくる。過去数十年の悪の蓄積を一掃するなど、口で言うのは簡単だが、その重圧に心がついていかないようだ。でも手ごたえはある。正しい方向に向かっている、改善している、救われるという希望は見えてきた。だから苦しくても耐えられるし、狂わない。薬も必要ない。悪いことをしていたらそれは不安になるだろう。罪を犯し、悔い改めなかったら、良心の呵責で、頭がおかしくなるだろう。これからはそんな不安からは解放される。脳はダメージを受けたが、こうしてサバイブしている。生き残ってよかったのだ。悪の道をあのまま突き進むことはできなかったのだ。方向転換できてよかったのだ。
それにしてもしんどい。悪を善に一気に置き換えるというのは心に嵐を呼び込むことだ。それでもやらねばならない。悪を追い出し、罪を償い、善を行う。それ以外ない。これは人として生まれた使命だ。空っぽな人生が愛で満たされるときが来たのだ。悪のくびきから解放されるときが来たのだ。しんどい。ふらふらする。じっと寝てられない。といって何もできないくらいしんどい。でも目的と希望が見つかってよかった。まだまだ人生は長い。きっとこれからは実り豊かな人生になるだろう。今は転換期で苦しいが、こういう苦しさは人がきっと応援してくれる。人が見ていてくれる。hkなんか気にならない。自分の道が開けてきたからだ。自分の仕事がいっぱいできたからだ。あんな奴らのことなんか考えている暇はない。私は救われた。私はかわいそうな自分を救わないといけない。悪と戦う。そう心に決めた。悪に親しまない。悪と決別する。スピリチュアルの道を志す。固くそう心に誓う。何があっても志を曲げない。歯を食いしばって頑張る。



2010年06月23日(水)

付き合っていい人間と悪い人間がいる。誰とでも誠意で通じるというのは間違った考えだ。気をつけないといけない人間はいくらでもいる。絶対相手にしてはいけない人間はいっぱいいる。喧嘩するということは相手にしているということだ。本当に相手にしないということは、喧嘩もしてはいけないということだ。無論仲良くする必要もない。ここ数年、あのカウンセラーにそそのかされて、いろんな人間と付き合ってきたが、本当に有害無益だった。取り返しのつかないダメージを負った。だめなものはだめだ。許しが必要ならいくらでも許す。でもだめなものはだめだ。自分に危害を加える人間を許すことは到底できない。人と仲良くするなんて無理だ。自分に危害を加える人間を、きちんと遠ざけられる力を得てから出ないとだめだ。考えることさえ必要ない。有害だからだ。すきさえあれば危害を加えようと虎視眈々、狙っているきちがい。私のすべきことは自分を守ることだ。
今日は6月26日だが、書ききれないのでここに書く。朝からいろんな思いが押し寄せる。改心のときを迎えている。脳はダメージを受けていて、仕事もできない状態だが、スピリチュアルのほうは進んでいく。頭悪くなっても良いじゃないか。仕事が多少できなくなっても良いじゃないか。馬鹿にされても良いじゃないか。人付き合いできなくなっても良いじゃないか。スピリチュアルに正しいこと。悪を取り除くこと。善をのみ行うこと。悪は絶対救いにはならない。続けていくことはできない。若い頃ならごまかしが聞いた。若気の至りでもすんだ。でも50を前に改心を迫られている。このまま悪人として死んで行くのか。悔い改めて、良く働き、善行を積んで生きていくのか。善を選ぶだろう。善は恵み深く、幸せにしてくれる。行うだけで幸せになる。悪は考えるだけで、魂が汚れ、言葉や行いでももっと汚れる。その害毒はやがて、心身を滅ぼす。だから誰も悪には手を染めない。小さい頃から堅く言い聞かされている。私は幼くして悪の魅力に取り付かれ、少しくらいなら良いだろうと、あくに親しんでいるうちに、雪だるまのように膨らんで、取り返しがつかないことになってしまった。悪は魂を蝕み、精神障害まで引き起こした。一度は自殺未遂までやって、死の寸前まで行った。会社にそんな奴はいない。悔い改めないと大変なことになる。あのきちがいは天が私に差し向けた刺客だ。私は自分自身の悪が放つ毒にやられて、倒れたのだ。緊急避難的に物理、社会、心理的に距離をとることは必要である。でも本当にやるべきことは改心することである。悪を追い出し、悪と決別し、罪を償い、思考と言動を改めることである。あの前の席の女もしつこく攻撃するのは私の悪である。あんな風体でも正義感が強いのだ。ここに至って、悪と決別するときが来た。猶予はない。今すぐに始めないと時間がない。あんな気違いは相手にしている暇はない。もう頭が悪くなって、力で自分を守ることはできなくなった。悔い改めるときが来た。悪と決別し、善を行おう。悔い改めて、罪を償おう。天国に行こう。
自分に興味がなくなった。頭が悪くなって、前みたいに魅力がなくなった。悲しいことだ。寝てるしかない。このまま朽ち果てていくのか。考えてもいい考えが浮かばない。おかしくなってしまった。人と会話ができないくらい自分にも人にも興味を感じなくなった。認知症だろうか。何もわからなくなって死んでいくのか。何かわからなくなってきた。何もかもめんどくさい。生きているのが面倒だ。何もわからなくなってしまった。何もできなくなってしまった。人と付き合うこともできなくなってしまった。会話すらできない。仕事ももちろんできない。会社では見放されている。もうじき解雇されるかもしれない。悪が理由ではなく、無能を理由に。実際そうなのだから仕方がない。馬鹿にされても反論できない。生き抜く力がなくなってしまった。
しんどい。まだ寝ている。なかなか回復しない。無理して具合悪くなるくらいだったら、のんびり行った方が良い。仕事より、自分優先だ。ゆっくり作戦に変更しよう。ゆっくりのんびり、スピリチュアル優先。善悪と考えすぎない。ゆっくり路線変更してゆく。それで良いじゃないか。人間そんなに簡単には変われない。ゆっくり変わっていこう。悪より善が良いに決まっている。でもゆっくりに限る。この病気、焦りは禁物だ。数十年、染み付いたものは簡単には取れない。ゆっくり正しい方向に歩みだしていこう。あまり性急に自己批判とかしなくて良い。いつものペースでやっていこう。
少し落ち着いた。以前だったらパニックになっていたところが、薬なしでも乗り切れるようになった。大きな改善だ。こういうときこそ、落ち着いて、のんびり構えて生きていくのだ。改善があったらあったで良いし、なかったらなかったできにしない。私は病気なんだ。朝からずっと横になって寝ている。本当にしんどい。自分や他人を責めてはいけない。人や自分を責める考えは、悪の痕跡だ。悪は簡単には去っていかない。スピリチュアルの積み重ねで、ようやくコントロール可能になる。悪は狂気と同根で、根深い。根絶ということは難しく、共存ということしかできないだろう。それでも良い。一歩一歩歩いていこう。いい方向に進みだしたのだ。今すぐ完全な満足が得られるとは思わない。障害を悪とは考えずに、気長に付き合っていこう。
悪とは決別したいが、そう簡単にはいかない。心と体にしみこんでいる。薄皮をめくるようにはがしていこう。スピリチュアルに打ち込もう。善も悪もない境地に行く。ゆっくり行こう。具合悪くなるとは思わなかった。ゆっくりしよう。悪は良くない。病気を悪化させる。悪を諦めよう。悪が助けになることは決してない。悪い人間が見つけて攻撃してくるか、権力と衝突してまずいことになるかだ。買い物行くのもしんどい。出るのもしんどい。顔洗うのも面倒だ。席の前に座っている奴が、私をいびる。いつものことだ。相手にしない。決して怒らない。考えない。態度を変えない。態度を変えると相手にしていることになるから面白がってもっとやるだろう。何かが通じるとか思ってもいけない。そういう努力はむなしい。あのきちがいも同じことだ。何かが通じたことはないし、これからもない。動じないことだ。あんな人間が存在するという事実に動揺しないことだ。世界は揺るがない。あんな珍化な奴のために世界は揺るがない。暴力を振るったり、危害を加えたりするやつがいる。会社には。病理現象だ。会社が一種の暴力装置である以上、そういうことは日常的に起こりうる。自分を守らないといけない。自分を守ることを最優先に考えないといけない。動じないことだ。非暴力を貫く。物理的、社会的、心理的に距離を保つ。あのきちがいの場合は成功した。何もできないといったら何もできないのだ。何でこんなに苦しい人生なんだろう。何で私だけ、と思う。でも100人に一人はこの病気で苦しんでいる。焦らずゆっくり、付き合っていこう。
基本的信頼感は回復された。後はゆっくり、心と体が動き出すのを気長に待つ。元通りにはならない。でも50%で良いから戻るよう静かに待とう。祈ろう。きちがいはいなくならない。会社が暴力装置である以上、きちがいははびこる。スポーツ出身の強姦野郎はのさばる。邪悪極まりないきちがいはのさばる。非暴力で対抗することだ。正義は勝つ。もう5時半だ。食事にしよう。食事にしてじっくり治そう。そういえば今日は昼を食べてない。どんだけ不調なんだ。こういうときもある。休みでよかった。じっくり休もう。正しい道に動き出した証だ。



2010年06月22日(火) 晴れ

耳鳴りがひどい。酒はほどほどにしよう。今日はきちがいが気になって仕方がなかった。きちがいを許すことは難しそうだ。忘れることはできるかもしれない。忘れよう。サリンみたいなやつ。何であんなやつを相手にしないといけないのか。人に危害を加えるやつ。それだけで、離れる理由になるだろう。
アンリにもっと優しくしよう。何か飽きてしまって優しくなくなっていたかもしれない。でも好きなんだから、大事にしよう。可愛い。
wさんとバスの中で一緒になった。私の好意に気づいてくれれば良いと思う。気持ち悪いかな。結婚したいと思う。子供が欲しいと思う。
自分の中の悪意や攻撃性に手を焼く。人を悪く考えてはいけない。人はかわいい生き物だ。可愛く生まれてきて、更に可愛くなる。基本的信頼感、安心感が回復した。あのきちがいを除いては。
少し落ち着いた。酒のお陰か。悪は避けよう。悪は何も価値がない。悪い結果しかない。善を目指そう。真剣に善を目指そう。善こそ価値がある。



2010年06月21日(月) 曇り

今朝は二日酔いで苦しかった。風呂に入って、座禅やったら、少し楽になった。きちがいのことがまた腹が立つ。でも忘れよう。サリンみたいなやつ。相手にしてはいけないし。忘れることだ。許すといってもどうしたらいいのかわからない。
怒りをコントロールできなくなっていた。中学生の頃から。怒り狂って、社会に教師に親に兄弟に、怒り狂っていた。私に危害を加えたからだ。危害を加えるやつを許すことはできない。きちがいが何が腹が立つといって、私にターゲットを合わせて、危害を加えてくるからだ。何もしていないのに。自衛のために怒る以外にないだろう。でも今は自分をコントロールできるようになった。スピリチュアルに生きることにした。そうすればあんなきちがいを相手にしないで生きていくことができる。
アンリに会ってきた。赤ん坊の頃の写真を見せてくれた。どうしてそんな写真を持ち歩いているのかの方が興味ある。結婚したい。子供が欲しい。
しんどい。二日酔いが夜まで残っている。何もする気がしない。働こうという気がしない。人と付き合おうという気がしない。これからどうなるんだ。目がかすむ。本が読めない。スピリチュアルに打ち込もう。座禅が一番良い。



2010年06月20日(日)

今日は朝からテレビを見ている。体調はまずまずだ。人に対する基本的安心感が回復した。良かった。昨日来ていた滋賀からの人は面白かった。不安や恐怖を覚えるのは自分が心に攻撃心や悪を抱えているからだ。悪は排除できないが、善がそれを上回れば良い。愛が上回ればいいのだ。人がかわいく思えてきた。人はかわいくうまれてきて、愛を受けて、更に可愛く育つ。本人も可愛がられようと必死に生きる。それが可愛さを醸し出す。前は人が憎くて、嫌いで仕方がなかったが、今は本当に好きだ。基本的信頼感が回復した。
ヘルパーが帰った。何となく腹が立つ奴だ。表面は卑屈なように見えて、すごい攻撃的。気分が悪くなる。
脳がダメージを受けて本が読めない。何も仕事ができない。人より優れていないといけないのに、人並みですらない。これで残りの会社員人生、まっとうできるのだろうか。



2010年06月17日(木) 晴れ

脳のダメージがいつ起こったかよく覚えている。それをカウンセラーに話しても聞き流されるだけだ。あのカウンセラーはおかしい。替えた方が良い。脳のダメージはもう戻らない。酔っ払っているのと勘違いされたこともある。それきり、相手にしてくれなくなった。仕方がない。考えても考えられないのだから仕方がない。あのきちがいに恨みはあるが、許す以外あるまい。この病気になる前は、こんなんじゃなかった。もっと頭が良かった。このまま生きていくしかない。もう回復することはない。脳梗塞と騒いで、医者に行くのはもうやめた。諦めて静かに生きるしかない。交通事故にあって、能に後遺症を負ったのだと思うしかない。



2010年06月16日(水) 晴れ

今日は変な女の嫌がらせにあった。絶対に挑発に乗ってはいけない。女なんか絶対相手にしてはいけない。座禅も板についてきた。自分がコントロールできるのはいいことだ。仕事も軌道に乗ってきた。怒りは100%損だ。余りにも周りが理解がないので、怒り狂ったりしていた。でも本当に怒りは有害無益だ。周りが言うことを聞くのは錯覚だ。そんなことは長く続かない。職場にもそんなやつがいる。ろくなもんじゃない。
あのきちがいのことはほとんど気にならなくなってきた。許すのはいくらでも許してやろう。でも相手にする必要はないわけだ。あんなサリンみたいなやつ。



2010年06月15日(火)

梅雨に入った。辛いな。会社を休んだ。私は過去の罪から言って、最高の道徳を目指さないと浮かび上がれないことがはっきりした。親殺しの罪、働かない罪、女への罪。最高の道徳を目指そう。キリスト教、仏教、東洋思想のエッセンスを取り入れた最高の道徳を希求し、実践することに残りの命を捧げよう。
自分を憎むやつの幸せを祈れるようになろう。いいやつになることを恥ずかしがってはいけない。そんな年ではないし、残された時間は少ない。
人間は可愛い。可愛い上に可愛がられようとしているから余計に可愛い。
頭を使いすぎないようにしよう。病院に行って、薬をやめることを宣言してきた。ストレスがかかると再発するとか、仕事にミスが出るとか警告されたが、結局押し通した。あのやぶ医者ともお別れだ。
脳にダメージを受けて、考えられなくなって良くなった。考えない方が良い。
恋の行方はどうなるだろう。恋というより結婚したい。誰かに見取って欲しい。切実な願いだ。身の回りの世話を焼いて欲しいし。性的な欲求はあまりない。心の安らぎが欲しい。小さな家庭を築いて、できれば子供が欲しい。今からでは遅いかもしれないが、忘れ形見として、この世に残したい。



2010年06月12日(土) 晴れ

気分はまあまあだ。回復への道筋を見つけたからだ。心も体もぼろぼろになったが、真実を見つけたし、強くなったから良しとしよう。長い戦いは終わった。座禅とヨガをやろう。考えることをやめることが最良の特効薬だ。悪との戦いはそれからだ。頭で考えたことは全て間違いだ。有害無益だ。体でわかったことだけが真実だ。初女さんの言葉は全て体から出た言葉だ。だから間違いがない。私も考えないで従おう。体に従おう。体の求めに従って素直に生きよう。ただ生きよう。頭で考えることは直ちにやめよう。もうふらふらになっている。考えすぎてふらふら。どんどん間違った有害な考えがわいてくる。しまいには妄想になる。再発を避けるには直ちに考えることをやめるしかない。



2010年06月07日(月) 晴れ

今日は会社を早退した。良かった。昨日眠れなくてしんどかったから仕方がない。初女さんの本を読んだ。面白かった。実に素晴らしい。女を知るということは人生を豊かにするかもしれない。女の立場でものを考えたことなどなかった。ヨガと座禅のお陰だ。どんな困難も越えていける。アダルトチルドレンらしい。またワークをやらないといけないのか。人と距離を保つこと。安全を保つこと。人のご機嫌なんかとらないこと。強く生きること。自分を愛すること。



2010年06月06日(日) 晴れ

神戸に行って来た。神戸は美しい街だ。楽しい。港付近を散策した。神戸に住みたい。
自転車行って来た。頑張って生きていこう。ヨガと座禅やった。座禅はもうちょっと時間が延びるといい。



2010年06月05日(土) 晴れ

変な夢を見た。エレベーターで変なやつを捕まえる話。私が自分を健常者だと思う瞬間。私はまともじゃない。少なくともまともかどうか自信がない。まともとは思われていない。それと健常者の中にもおかしな人間はいる。パワハラモラハラ、dvをやる連中。境界線上にいる。そういうやつは許すべきでない。放置してはいけない。フランスではつかまる。少なくとも離れるべきだ。直ちに関係を終わらせることだ。今きちがいを許せないのはモラハラをやった人間だからだ。関係を終わらせるためにはやむをえないことだ。今は自在にコントロールできる。そんなやつがいても付け込まれないで、抵抗できる。やめさせることができる。
仕事ができるというやつのほとんどは、ワーカホリックだ。勝間もそうだ。あんなことを唱える人間を許してはならない。きちがいではないが、基地外字みた人間、人を狂気に追いやる人間は確実にいる。私は犠牲者だ。狂った人間がおかしいとは限らない。狂わせる人間の方が邪悪で狂っている。第二次大戦中、指導者は狂っていた。会社だって人を狂気に追いやるマシンといえなくもない。私がこうなったことに反省のかけらもない。ヨガや座禅をやることで、こんなことにもすばやく気づけるようになった。
完全に回復すればいいが、それを待っていたら何もできない。かといって、パワー全開というわけにはいかない。そもそも仕事を満足にできていた時期というのはない。あってもごくわずかで、長続きしなかった。仕事をころころ変えてもうまくは行かない。なれるのに時間がかかる。
何とかやっていけそうな気がしてきた。これは大事なことだ。5年やれたら万々歳だ。5年はじっと我慢してやってみよう。馬鹿きちがい、役立たずと罵られようと、屈辱に耐えて再起を期そう。



2010年06月03日(木)

生きていくのは大変なことだ。普通というのがわからない。健常者にはついて行けない。早く会社辞めたい。10年長い。貧しくてもいいから望んだような生き方をしたい。何のために生きているのかわからない。生きていくのは辛い。楽でないのは確かだ。きちがい婆と一日一緒にいないといけない。
人と離れて生きて行きたい。そんなにくっついて生きていかなくてもいい。私には無理だ。女と暮らせるだろうか。難しい。独りが気楽だ。仙人のように生きて行きたい。
しんどい。生きていくのはしんどい。会社辞めたい。女が特に嫌だ。一緒にいるのが苦痛だ。わけもなく憎しみがわいてくる。向こうも嫌いらしい。仲良くはできない。仲良くできないなら離れていようと思った。自分を嫌いな人間に好かれようと努力するのはむなしい。理に反している。損得は関係なく、嫌な人間と一緒にいるのは根本的によくないことだ。
瞑想している。座禅、ヨガもやっている。キリスト教もいいが、まだるっこしい。入信するのが怖い。瞑想は簡単だ。神や仏を信じていてもいなくてもできる。瞑想は科学だ。
私は虐待を受けやすい。無抵抗と思われやすい。非暴力もいいが無抵抗とは違う。それで何のためかわからない。非暴力を言うなら逆に自分の主張を曲げないことだ。ガンジーのように、キングのように。そのために殺されてもやむをえないと思えるくらい徹底することだ。今は非暴力だが、陰湿な暴力をやめさせることもできる。かなり成長した。いじめとか差別とかいいと思っているやつもいる。でもだめだといってしまえば筋が通るし、気持ちがいい。心がきれいになる。きれいな心で生きたいものだ。
一生懸命働こう。やっとその準備ができた。最近は肩や腕が痛くなるくらいよく働いている。今日はしんどくて休んでしまった。疲れがたまっている。疲れやすい。瞑想が上達すれば、疲れないし、疲れが取れやすくなる。



2010年06月02日(水) 晴れ

今朝、早く目が覚めて、本を読んだら、やっぱり昼間寝て困った。やっぱり寝てた方がいい。でも読んだ本自体は良かった。やくざが、更生して、牧師になる話。心うたれた。こんな強いメッセージはない。私も世の人に生きるメッセージを与えられたらいいなと思う。簡単なことだ。一生懸命生きれば、人にメッセージが伝わるだろう。

あの婆のことは許せたと思う。腹が立たない。スピのお陰だ。間違いない。完全におかしいことは間違いない。危険な生き物に気を使うことは普通のことだ。許すこととは別のことだ。許した上で、二度とこういうことがないよう注意する。当たり前のことだ。
今日も頑張ったが、明日も頑張る。少しやる気が出てきた。スピのお陰だ。婆が怖くなくなって、許せるようになった。頑張る。



2010年06月01日(火) 晴れ

今日は仕事をした。というか希望を持って仕事ができた。昨日よく眠れたので、何か目の調子も良かった。目の調子がよければもっと頑張れるんだが。目というより、脳の具合が悪いと思う。
スピのお陰で、落ち着きが出てきた。人が怖くなくなってきた。人とすれ違うときも体のかわしがうまくなってきた。体の使い方がわかってきたのだろう。希望が持てる。リラックスして頑張ろう。


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