ずいずいずっころばし
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2006年09月14日(木) 木山捷平と井伏鱒二

書庫に、もう本が入りきれなくなってきた。なんとかせねばならない。
もう買わなければよいのだけれど、そうはいかない。

本はよみたし、金欠病。
本はよみたし、時はなし。
本はよみたし、置き場なし。

開高健が谷沢氏の書庫にある本を読みたくて風呂敷を持って通いつめた気持ちは良く分かる。
谷沢氏は開高健と絶交しても書庫は常に開高に開放していた話は実に麗しい。
男の友情というものに嫉妬を感じる。
阿佐ヶ谷文士の面々も友情にあつかったし、佐藤春夫と堀口大學も終生の友情に変わりはなかった。

木山捷平の文が井伏鱒二のに似せていると悪口言われたときは井伏は「捷平と血族をあらそう春の宵 弟たりがたく 兄たりがたし」と色紙に記したのは井伏鱒二の優しさであり、思いやりであり、つまらない噂に配慮した歌だ。

井伏鱒二という人物はあの開高健でさえもその本心を聞き出すのに苦労した人物である。
なにげない会話の中に聞き逃してはならない言葉をさりがねなくいれる人である。

男の魅力は、なにげなさ、さりげなさの中にちらりとのぞくとき、それはいぶし銀のように光る。

※ここで書評欄にかつて書いた「井伏鱒二文集」ちくま文庫の中から木山捷平の人となりを書いたものを転載しようと思う。

本書は「井伏鱒二」が書く「木山捷平」である。

題して「木山君の神経質」。
◇「私は以前から木山君は神経質な人だと見ていました。ただそれに対する迷彩の施しかたが一ぷう変わっているのだと思う」とある。
さて、井伏言うところの一ぷう変わった「迷彩の施しかた」とは何だろう?
木山が満州から郷里へ帰ってきた日のこと、釣りをしていた井伏のところへ挨拶にきた木山は
◇「『ついせんだって帰ってきた』といい、それから屈託なさそうに『このごろ僕のうちでは、僕が地主で女房が小作人だ』と言いました。つまり奥さんが家庭菜園をし、そこへ木山君が満州から帰ってきて奥さんがほっとしているという意味だと解されました。」

さすがに井伏鱒二。この大陸的でちっとも神経質でなさそうな言葉の裏をこう書き表して妙味。
「満州から引き揚げてきたころの木山君は神経質な面を裏返しにして見せるという点では更に年輪を加えているようでした。」とある。
木山の「神経質」を「迷彩の施しかたが一ぷう変わっている」「神経質な面を裏返して見せる点では更に年輪を加えているようだ」と書いていて意味は深い。
さらっと書いているようで井伏鱒二独特のひとひねりが効き、人間を見る目の深さがうかがえる一文である。

この時の事を木山の随筆「井伏鱒二」と比較してみよう。
★ 「私の留守中、私の家内はたびたび井伏氏に手紙を出して、捷平がいまどこにいるのだろうかと井伏氏に筋違いな難問を発して井伏氏を困惑させていたらしい」とある。

そんないきさつを木山は井伏に侘びて感謝したかったのであろう。お陰で今は安穏であるということを「地主と小作人」とユーモラスにしてみせる木山の「神経」。その神経の細やかな気遣いをいち早く察して「神経質な面を裏返して見せる」と表現する井伏。

引き揚げ後のもう一つの「神経質」を井伏はこう書く。
◇「某新聞社の家庭欄用の詩の註文を受け、「女房が放屁した。くさかった。故に離縁するつもりだ」という意味の詩を書いて送りました。
放屁したから妻を離縁する。何という神経質なことでしょう。と結んでいる。

最後にどっと笑わせる「木山君の神経質」。
井伏鱒二の軽妙な文。「神経質」という言葉の裏にひそむ細やかな「木山」の気配りに向ける温かなまなざし。井伏鱒二の人間をみつめる目の深さであり、それこそ井伏自身がなす「神経質=心遣い」の「迷彩の施しかた」なのである。

本書はこのほか坪内逍遙、太宰治の最初の妻にまつわる「琴の記」、鴎外、安吾、菊池寛など思い出の人々を描いた名随筆集である。


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