先日からの続きになります。ランチとデザートを食べ終え、大黒さまがおられる「長谷寺」へと向う。長谷寺は、大きくて、かなり有名なお寺です。(なので拝観料300円)寺伝によれば、天平8年(736年)創建。一説によると奈良時代のもので、十一面観音像を本尊として開山したとか。長谷寺には、何度か来たことがあるけれど、最後に来たのがいつか思い出せないくらいで、(20年以上前のような気がします)かなり新鮮な感じがした。そして、こう思った。こんなふうに古いお寺がいいなんて思うようになったのは今になってだね。以前は、どんなお寺に行っても、興味なかったけど、今は、とても興味深いね~発見があるね~やっぱりこういうものは、人生の後半でないと心に入ってこないんだね、少なくても、私はそうだね~と。そんなことを思いつつ、観音堂で、長谷観音像(十一面観音像)を拝み、その堂々たる姿と美しさに圧倒された。(このお堂の中におられます)この十一面観音像は、木造の仏像としては日本有数のものだそうです。(こちらから見られます→「長谷観音」)続いて、その隣のお堂にある、「大黒さま」のところに行ってみると、明るく朗らかな大黒さまがおられた。しかし、後で調べてみると、この大黒さまは、新しい「出世開運授け大黒天」さまで、本当の大黒さまは、宝物館で、収蔵・公開されているとか。((こちらから見られます→「大黒天」)ちなみに、大黒さまは、商売繁盛、出世、開運などのご利益と言われているので、もちろん、それらをお願いしてきた。長谷寺には、他にも、いくつも、歴史あるものがあるのだけれど、洞窟(弁天窟)の中に、仏像があるのも有名だ。(右の赤い鳥居から入り、左から出てくる)この洞窟には、弁財天さまと、その従者家来である、「十六童子」が彫られている。洞窟の中にはいると、ろうそくがともされており、少しじめじめ感もあり、やや不思議な空間となっていた。16人もの童子がいるので、思ったよりは、広かった。「小さい頃は、ここは怖わくて、 なんかイヤだったわ~」「ここは、子どもの頃には、 なかなか入れないね、 今でこそ、興味深いけど…」などと話し合った。この日も、この洞窟に怖くて入れない子どもたちが、外で待っていた。しかし、長谷寺は、怖いものだけではなく、美しい景色も有名なのだ。そう、このお寺からは、鎌倉の海と街並みが一望できるんですね。この日は天気もよかったので、海がすっきりと見えて、本当に気持ちがよかった。ゆっくりと海と町並みを眺めてから、長谷寺を後にし、最後の神さまのところに向った。最後の「福禄寿さま」は、ちょっとあやしくて怖かったなぁ…この話は、またまたお休みをはさんで書きますね。
昨日からの続きを書く前に…21日に07年8月以来となる皆既日食を見られるということでしたが、当日は、曇りで見れませんでした。でも、その前日のお月様は、こんなで、なかなか幻想的でした。さて、昨日からの続きです。素朴な商店街を通り抜け、次なる七福神「長谷寺」に向いつつ、このあたりで、ランチにすることにした。ウォーキングしていると、ランチも楽しみの一つなんだな。そして、おいしいと評判の由比ヶ浜の「オリヂナルジョーズ」に入った。店内は、落ち着ける雰囲気だったけど、おばさんたちの集団がいてにぎやかだった。私たちは、窓際に席を取り、こんなランチをいだたいた。私は「ポークヒレカツチーズ焼き」ライス、スープ、サラダ、コーヒー付き1200円しいちゃんは「かにクリームコロッケ」ライス、スープ、サラダ、コーヒー付き1200円盛りつけもキレイだし、とてもおいしかった。コーヒー飲み、満足して店を出た。そうなんだけど…「オリヂナルジョーズ」を出て、次なる七福神に向う道々で、大好きな「たい焼き屋」発見!「あ、たい焼き屋だ、 食べていい?」「いいわよ、どうぞ」「鎌倉のたい焼きはどんな味かな?」ということで、たい焼き屋「なみへい」に寄る。一丁焼き(長い鉄棒の先でたい焼きを焼く)で一匹一匹をていねいに焼いていた。一匹150円のたい焼き購入。小ぶりな、やや焦げ目のあるたい焼きだった。この店では、ピロシキ(210円)なども売っていて、少し先の長谷寺に、ほおばりながら向っている人も多いとか。もちろん、私も、たい焼きをほおばりつつ向う。小豆の甘さがちょうどよくて、すぐにもぐもぐと食べきってしまった。ああ、おいしかった~デザートは別腹だね、やっぱり。七福神「大黒天さま」がいる長谷寺に近づくと、楽しげなお土産屋さんも増え、なかなか前に進まないのだったが、なんとか、長谷寺の入り口に着いた。長谷寺は、長谷観音で有名なお寺で、この日は平日だったにもかかわらずとても混んでいた。すごいね~久しぶりに訪れた長谷寺で、いろいろな発見もあったのでした。この続きは、お休みをはさんで書きますね。
昨日からの続きになります。七福神の五福神を回り終えたところで、次の七福神へは、少し距離もあるので、小休止をすることにした。「ね、丸七商店街って知ってる? 古くからある商店街だけど… あまり観光客は来ないところよ」ということで、しいちゃんの案内で、鎌倉駅から3分くらいのところにある、小さな古い商店街に着いた。そこには、にぎやかなメイン通りの小町通りとはまったく違う世界、昭和の雰囲気というか、ノスタルジックというか、レトロというか、そんな雰囲気ただよう、「丸七商店街」があった。中に入ってみるとこんな。(こちらのブログで詳しく紹介されてました↓ 「二人で歩く鎌倉」)「大分、さびれたけど、 昔はにぎやかで楽しかったのよ」「残っているお店は、 がんばっているね」小さなお店が何軒か集まっていて、雑貨、食料品などのお店があり、古き良き時代を感じさせてくれた。さて、この丸七商店街を興味深く見て、この商店街の向かい側の道路にある、「鎌倉市農協連即売所」に向った。「鎌倉市農協連即売所」は、昭和3年からあるとか…お寺ほどじゃないけど、ここにも歴史があるんだね~取れたての野菜などが売られていた。珍しい西洋野菜(ズッキーニやルッコラ)やハーブなども店頭にいっぱい並んでおり、最近では、この野菜たちが「鎌倉野菜」と呼ばれるようになっている。知らない野菜も多かった。また、いろいろな色の野菜も売られていた。欲しい野菜がたくさんあったのだけど、「いろんな野菜があるね。 欲しいな、おいしそうだよ」「でも今、買うと重いよ。 まだ、先はあるし…」「そだね~、でも、欲しいなぁ。 帰りにまたここに寄る?」「寄らない。それに、 夕方になると何もなくなるよ」「じゃ、少しだけ買ってく」ということで、赤い大根と黄色のにんじんを買ったのだった。(この野菜については→「こんな野菜、はじめて見たね」)そして、赤い大根と黄色いにんじんをぶら下げて、駅近くの商店街を通った。(小町通りとは反対側の方)ほら、こんな商店街。すると、またまた気になる路地に、古い物を買っているお店も発見。どんな古いもの買ってるんでしょうね。今度、ゆっくりと見てみたい。それに、ほら、こんなでかでか「ゆず」も発見。(ゆずとは思えないなあ)思わず立ち止まり、まじまじと観察。小ぶりなカボチャくらいの大きさはあるね。右隣にあるのが普通のゆず。このでかでか「ゆず」は、「鬼ゆず」といって、ジャムやマーマレードにしたりするといいそうな。伊豆産で、1個、350円、値段もでかでかだ。こんなものを発見しては、立ち止まり、時に、不思議なお店に立ち寄ってみたり、今度は、路地もお店探索もしてみたいと、思ったりしたのでした。そして、いよいよお楽しみのランチをとることにしたのです。このランチも、おいしかったです。この続きはまた明日書きますね。
先週からの続きになります。「宝戒寺」を出て、路地を入ったりしながら、寿老人さまがおられる「妙隆寺」に向った。(路地などに入らず、まっすぐに来たら、 おそらく5~10分くらいの距離くらい)しかしながら…「あれっ、 この辺にあるはずだけどなぁ… お寺あった?」「あったよ、ちょっと前に、 通り過ぎたよ」「え、あ、そこよ、戻ろ」このあたりが地元のしいちゃんでさえ、見過ごしてしまうほど、小さなお寺で、住宅街の一角にひっそりとあり、目立たないお寺だった。このお寺を見た瞬間、正直なところ、随分お寺の大きさや格が違うね~などと思ったのだった。とはいえ、創建は1385年の歴史ある、立派なお寺なのだった。このお寺のことを、調べてみたけど…何がなんだかむずかしくてよく分からなかった。なんでも、「鍋かむり日新」と呼ばれた傑僧・日新上人ゆかりのお寺だそうです。さて、七福神ですが、欅(けやき)一木造りの鹿といっしょの寿老人さまが祀られているそうなのです。が、残念ながら、扉が閉っており、その姿を見ることはできなかった。残念。(こちらから見れます→「寿老人」)でもね、庭に、ちゃんと、こんな素朴な寿老人さまと鹿がおられました。日だまりの中で、寄り添っておられました。ちなみに、寿老人さまは中国、道教の神様で、身の丈三尺(約90センチ)ほどとか。長い頭に長い白髭、巻き物をつけた杖を持ち、玄鹿(げんろく)と呼ばれる鹿とごいっしょです。鹿は、長寿の象徴とか。ご利益は、「学芸、智慧、長寿」智慧をいただけるように、手を合わせてきました。 「妙隆寺」を後にして、次なる「本覚寺」に向う。 (歩いて5~10分ほど)七福神の中で唯一日本の神さまの恵比寿さまがおられるお寺だ。着いてみると…入り口で職人さん達が、なにやら作業していた。「お正月の準備してるの。 このお寺は、お正月はにぎやかなの。 提灯がぶらさがって。 お正月は楽しいわよ。 小さな時から、このお寺には、 よく来たわ~」としいちゃんは教えてくれた。境内は、お参りする人もまばらで、(お正月はものすごい人らしい)お正月準備だけが着々と進められていた。恵比寿さまが祀られているお堂も、こんなふうにお正月準備で、扉が少しだけ開いていて、中をのぞけたものの、恵比寿さまをちゃんと見ることは出来なかった。元々、小さなものらしく見えづらいらしいです。(こちらから見れます→「恵比寿さま」)この本覚寺は1436年の創建。日蓮さまがここにしばらくとどまったという伝説があるそうです。歴史は…むずかしくて…やっぱりよくわかりませんでしたっ。ちなみに恵比寿さまは、言わずと知れた商売の神さま。もちろん、来年の仕事もうまくいくようにと、手を合わせてきた。「妙隆寺」と「本覚寺」を後にして、次なる七福神に向う前に、鎌倉の市場に立ち寄り、先日書いた「赤い大根」などを買ったのでした。(過去のお話→「こんな野菜、はじめて見たね」)鎌倉にもこんなところがあるのね~と思いました。続きは、また明日書きますね。
昨日からの続きになります。鶴岡八幡宮の弁財天さまと別れを告げ、今度は「毘沙門天さま」に会いに行くことにした。「今度はどこ?」「宝戒寺、ここからすぐよ」「ふぅーん、小町通り通る?」「通らない」ということで、鎌倉で一番にぎやかな通り、「小町通り」は通らないことがわかった。小町通りには、お土産屋さんや鎌倉らしい楽しいお店などもあり、ちょっと見てみたかった。久しぶりだしね。でも、しいちゃんは、通らないと言う。ややがっかりしたけど、今日の目的は、7つの神さまを巡ることだから諦めた。私たちは、鶴岡八幡宮の大鳥居を出て、左の道を歩き始めた。ふとみると、鎌倉名物の人力車がとまっていた。一度は乗って、鎌倉の町を走ってみたいと思うのだけど、料金を聞くといつもひるんでしまって、乗れないのだった。ちなみに、おおよその料金はこんな。どうでしょう?[貸切料金] 2人 1人 30分 8000円 5000円 60分 15000円 9000円 120分 30000円 18000円 さて、歩くこと5分。「宝戒寺」に到着。このお寺には「毘沙門天さま」が祀られている。このお寺の境内に一歩入ってみると、そこは、こんな石畳が美しいお寺だった。拝観料100円を払って中へ。「お堂の中に入って、 お参りできますからね、 毘沙門天さまも中です」と、受付で教えてもらったけど、その前に、宝戒寺の庭を探索。それほど広くない庭ながら、いろいろな木々が植えられ、整備され、その中に、こじんまりとしたお堂があった。このお寺は「萩寺」と言われるほど、萩(9月は白萩の花で埋め尽くされる)で有名。滅亡した北条氏の霊を弔うため、1335年に、後醍醐天皇が足利尊氏に命じてこの寺を建立させたとか。 お堂の中に入る前に、お堂を見ると、やはり…歴史を感じさせる造りだった。そして、お堂の中に入ってみると、左右の扉が大きく開放され、庭が一望でき、すがすがしい空気が流れていた。そのお堂の中の左側に、「毘沙門天さま」がおられた。立派なお姿で、堂々としていた。(写真は撮ること禁止だったので、 撮れなかったけど、こちらで見れます↓ 宝戒寺「毘沙門天」)ちなみに、毘沙門天さまは、「インドの神様で、 仏教の守護神でもあり、甲冑を身につけ、 宝搭(仏舎利を収める器で福をもたらす)と 金剛棒(邪を払う魔よけの力)を持っていて その姿はは、邪鬼を踏む姿されていると 言われている。 財を授け、厄除け、災難除けに 御利益があるとされている」なので、財をいただけるよう、身を守ってくれるように、手を合わせ、お願いしてきた。毘沙門天さまの前で手を合わせていると、不思議な感じがした。ここにずっといたいという気持ちがふつふつとわいてきたのだ。気持ちがすごく落ち着いて…「私このお寺、 ものすごく落ち着くわ~ 気が合うのかも… このお寺なら、ずっと、 座っていたい感じよ」そうしいちゃんに言ったけれど、このお寺でゆっくりしている時間はなかった。私は、9月には、白萩の花を見に来よう、その時には、このお寺でゆっくりしようと心に決め、このお寺の自由ノートにもそう書き込んできた。またね、宝戒寺。宝戒寺を出て、次なる「妙隆寺」に向う。途中で、ステキな路地を見つけた。路地好きの私にとっては、見過ごせない路地だった。(鎌倉には、こんな路地がたくさんある)「私、この路地に入ってみたい」「え、この路地? 何もないと思うわよ」「いいのよ~それでも。 なんとなく古風な感じがして、 いいわ~いいね~ 路地好きの私には、 たまらない路地だわ~」「そ、じゃ、入ってみよ。 私も、こんな路地には、 入ったことないから」というわけで、その奥がどうなっているか、どこかの道につながっているのか、その路地に入り、奥の方まで行ってみた。すると…その路地の先は… 小さな川が流れていて、行き止まりだった。「ほらみて、川の水キレイよ」「ホントだ。 昔は、濁っていたけど、 今は、川もきれいにしたのよ」そうしいちゃんは教えてくれた。このようなステキな路地、(あくまで私にとってですけど…)が、鎌倉の町中にはいっぱいあり、今度は、鎌倉路地探索もしてみたい、と、心から思ったのでした。 そして、いよいよ「妙隆寺」へ。このお寺は、鎌倉七福神の中で、一番小さなお寺だと思うな。この続きは、お休みをはさんで書きますね。
今日も、昨日からの続きになります。笑顔の指さし布袋さまに別れを告げて、次の「鶴岡八幡宮」に向う。浄智寺から歩いて20分くらいの距離だ。天気がよかったので、気持ちよく歩き、すぐに鶴岡八幡宮に着いた。鶴岡八幡宮は、鎌倉でもっとも有名な神社で、昨年は、大銀杏が倒れたことでも有名で、私もいちばんに、しいちゃんに聞いた。「大銀杏倒れたんだよね」「うん、大きな銀杏の木だったのよ」「確か、倒れた銀杏の一部を 植えたんだよね?」「そうよ、倒れた元も残っているよ。 そこから葉っぱが生えてきてるの ひこばえって言うのよ」「ひこばえ?」「うん、ひこばえ、 ほら、あれよ」「どれどれ。 あ、あれかあ、 ホントだ、ひこばえだね」教えてもらったところをみると、元の木とその一部を植えた二つがいっしょに並んでいた。(○のところ。右が倒れた元の木)上から見ると、こんな感じ。両方に芽が出ていて、それが黄色く色づき、生命力がまだまだ残っている、そう感じられた。ただ、元の木の方は、やや元気がないように見えた。まだ再生は始まったばかりで、これからが大事らしいけど、両方とも、元気で育ってほしいと思った。さて、その銀杏を見た後、今度は「弁財天さま」に会いに向った。鶴岡八幡宮の大鳥居をくぐり、右の方に行くと源平池があり、その池の3つの島の一つに祀られている、ということだった。ここの弁財天さまは、「源頼朝公旗上げの際に、 弁財天の加護があったと いわれている」 ということから、「旗上(はたあげ)弁財天」と呼ばれ、旗が寄贈され、その旗がたくさんなびいていた。どんなご加護があったのでしょうね。弁財天さまは、「弁才天」とも書き、「七福神の中で唯一の女神さまで、 インドの水の神。 川の水がさらさらと流れる音色から、 音楽の神とも言われている。 そして、御利益は、子孫繁栄、 智慧、弁才(音楽や芸術)弁財など」だから…えっと、きっと財政面でのご加護だったかも、ね。さて、この道を先に進み、「弁財天さま」をお参りにいくと…意外なことに気がついた。「あれ、弁財天さまいないね」「あら、ホントだ、 閉っているね、残念」赤くて美しいたたずまいのお宮はあるものの、そのお宮の扉はしっかり閉ったままだった。どうやら、今日は、お休みらしい…がっかりなどと、私は、とんでもないことを思ったりしたのだが、後でパンフレットを見ると、弁財天像は、「国宝館」の方に、安置されているということがわかった。(こちらにおられます→「鎌倉国宝館」)失礼いたしました、と思い、気を取り直して、きちんと、このお宮に手を合わせてきたのでした。さて、この弁財天さまをお参りし、次なる七福神に向ったのですが、私は、このお寺がとても気に入りました。この続きは、明日書きますね。
昨日からの続きになります。さて、私たちは、トンネルの先の洞窟で私たちを待ってくれている、はずの、布袋さまに会いにいくことにして、やや足場の悪いトンネルの中に入り、そのトンネルと抜けると…すると、おられました!ほら、このお方です。洞窟の中とあったので、暗い感じを想像していたら、そうではなく、木漏れ日の中に楽しげな布袋さまがおられた。「こんにちは~、 あ、ねえ、しいちゃん、 この布袋さまのお腹さすって いいらしいよ」「え、ホントぉ? あ、みんなさするから、 テカテカしてるね~」何がどうご利益があるかはわからないけど、私たちの前にいた方々もさすっていたし、もちろん私たちも、布袋さまの見事に出っ張った下っ腹をすりすりとさすった。七福神巡りが好きで、あちこち行っているけど、こうして、触れることができる神さまにお会いしたのは初めてだった。ちなみに、布袋さまは、「中国の禅宗の僧侶がモデルで、 肥満体で太鼓腹でにこやかな顔をして、 豊かなくらしと円満な家庭などの 福を授ける守護神です」お腹をさすると、きっと福が授かるのだと思うな。それにメタボ予防にもいいかも…ね。その後、手を合わせてお参りをした。すると、しいちゃんがこんなことに気がついた。「ね、この布袋さま、 どっか指さしているよね? どこを指さしているのかしら?」「あ、ホントだ」そう言われて、よくよく見れば、楽しげに笑っているだけでなく、確かにどこかを指さしていた。ほらね。そこで、二人で指さしている方向を見て、何かを探してみたけど、その先には、植木などがあったものの、他に、それらしきものは、何もなかった。「どこ指さしているのかしらね~」「うーん、何もないね。 どこだろうね?」看板もないし、パンフレットにも触れられていなかった。結局、謎を解くのを諦めて、布袋さまに別れを告げた。そして、しーちゃんが、「ご朱印をもらいたいから、ご朱印帳買う」というので、お札などを売っている社務所に向う。そして、こんな立派なご朱印帳を買う。ちなみに、このご朱印帳は700円。ご朱印を押してもらうのに300円。しかし…買った後で、このご朱印帳は、「しまった!ね。 ちょっとね~」と思うようなものだった。でも、この話はまた後で。さて、このご朱印帳を買いながら、販売していた方にこう聞いてみた。「あの~、あの布袋さまは、 どこを指さしているのですか?」すると、この方は明快に、こう教えてくれた。「あなたの後ろを 指さしているんですよ。 あなたの後ろに、 すでに幸せがあるのですよ、 その幸せを大切にしなさい、 って、言っているんですよ」なるほど…後ろを指指していたのだとわかり、私たち二人は、大きく頷いた。そして、今ある幸せをちゃんと感じて、大切にしなくちゃね、と思いながら、次なる七福神の鶴岡八幡宮に向ったのでした。有名な鶴岡八幡宮にも七福神があったなんて、知りませんでした。でも、ややがっかりだったけど…この続きは、また明日。
昨日は、失礼いたしました。<(_ _)>やっぱり師走になると、ばたばたといたしますね。あっという間に日が過ぎる…という感じです。と、思いつつも…ウォーキングにちょうどいい気候なので、(関東地方は、まだあたたかいのです)どっかに行きたい気持ちもあり、ついに、念願だった「鎌倉の七福神」に行ってきたのです。今日から、そのお話です。実は、昨年の暮れ頃に、友人しーちゃんと食事をしたときに、こんな話をしたのだった。「ね、鎌倉に七福神はないの? 鎌倉にもあるんじゃないかなあ? 毎年、七福神巡りしてるから、 あれば行きたいなぁ~」「え、鎌倉の七福神? そういえば、なんかあったような、 ちょっと調べてみるね。 いいね、行こう」ということになったのだった。しかし、来年早々は…ついに12月になり、実現するまで1年もかかってしまった。(一年あっという間ですね~)しーちゃんは、鎌倉生まれの鎌倉育ちで、今も鎌倉に住んでいる生粋の鎌倉っ子なのだけど、その時には、あまりピンと来ないようだった。でも、その後いろいろと調べてくれて、つい先日、「ねえ、七福神行かない? ウォーキングもしたいし、 今なら紅葉もまだ大丈夫よ」と、お誘いメールが来て、紅葉好き、どっかに行きたいと思っていた私にとっては、「鎌倉の七福神」なんて聞いただけで、ワクワクしてきて、渡りに船で、行くことにしたのだった。そして、鎌倉に行くのは何年かぶりなので、相当張り切り、リュックを背負い出掛けた。そして当日。「北鎌倉」の駅で待ち合わせ。北鎌倉は、小さな駅だけど、「とても風情のある駅で、 まわりの風景景色を損なわないように 配慮がなされて建築されており、 2009年度の1日平均乗車人員は 8518人(JR東日本管内292位)」(ちなみに、1位は新宿の748522人)という駅だということだった。正直なところ、風情があるというより、田舎の小さな駅舎という感じがした。(正式な改札口一つ、臨時改札口が二つある)この駅で、しーちゃんと落ち合い、9時45分頃の出発。「最初はどこ?」「えっとね…北鎌倉からすぐの 浄智寺、布袋さまだって」「浄智寺…知らないなぁ… 楽しみだね~」ということで、北鎌倉の雰囲気を楽しみつつ、ゆったり歩くこと7~10分。天気もいいので気持ちよかった。「あ、ここよ!」と、しーちゃんが言う方をみると、木々に囲まれた風情ある階段があった。とても静かで落ちついた感じがした。そして、この風情ある階段を上っていくと、今度は、こんな立派な門があり、この門をぐくり抜けお寺に向った。「しーちゃん、立派だね~ やっぱり鎌倉のお寺は違うわ。 新宿七福神とは、あきらかに、 大きさも格も違うって感じ」それもそのはず、この「浄智寺」は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の3男である北条宗政の菩提を弔うために、1283年に創建されたお寺で、すごい歴史があるのだった。もっともどんな人かは、よくわからないのだけど…(詳細→「浄智寺」)そのためか、拝観料200円も必要なのだった。「そっか、やっぱり… 拝観料は必要なのね」「そうね、これだけのものを 維持しようとするとね」確かに境内は広々としていて、庭もよく整備されて清潔感あふれ、すがすがしい感じだった。「で、どこに布袋さまは、 いるのかしらね」と、広い境内や庭を歩き周り、やっとこんな看板を見つけた。どうやら、布袋さまは、トンネルの先の洞窟でお待ちらしい…私たちは、道を探しつつ、その洞窟の方へ向った。すると、こんなトンネルがあった。この先にいるらしい…さて、この布袋さま、なかなかお茶目な感じで、そして、不思議なかっこうをして、いたのでした。始めてみました。この続きは、また明日書きますね。
今日は、こんな野菜を見つけて、びっくりしたのでご紹介です。さて、この野菜は、なんだと思いますか?クリスマスカラーみたいな色で、真っ赤なものと、黄色のもの…あまりの色のきれいさに、思わず、買ってしまいましたっ!だって、今まで見たことなかったし、興味津々だったから。そうです、こちらのさつまいもみたいなのが大根。名前はずばり「赤大根」身長 約23センチ胴回り 約30センチずんぐりむっくりで、手にとってみると、みずみずしさが伝わってくる感じ。ゴボウのように見えなくもない、黄色のものがにんじん。身長は、約23~26センチ胴回り、約12センチぐんにゃりさんとまっすぐさんだ。普通のにんじんとくらべると、こんな色の差。オレンジと黄色だね。売っていたお姉さんにどんな特徴があるか聞いてみたら、「おいしいですよ~ サラダにするといいです。 大根もにんじんも千切りにして しゃきしゃきサラダにどうぞ。 え? 味ですか? 大根は、やや苦みがあるかなぁ、 にんじんは、にんじん臭さがなくて、 食べやすいですよ。 ジュースにしてもいいですよ。 甘みもありますから」ということだった。おお、それは食べて見ねば…と思い、そそくさと購入。ちなみに、どちらも200円。でもね、この売っているお姉さんの話とは、おおいに違うということが、食べてみたらわかったのでした。と、その前に、中身がどうなっているかですが、早速、切ってみると…中身は、こんな。大根は、中身は、ごく普通の白い大根。にんじんは、黄金色で、とてもキレイだった。で、味はどうかな?と、食べてみると…あくまで私の感想ですが…「赤大根」は生で食べると、苦みがあるので、サラダにはどうかな。それより、火を通すと甘みが出るので、これは、煮た方がおいしいと思った。皮の色は、赤から紫色に変わる。にんじんは…普通のにんじんより、にんじんの味がする。においも普通のにんじんよりする。つまり、かなりにんじんくさいにんじん。お姉さんが言っていたことと違っていた。サラダに入れると、色がキレイ。火を通すと、さつまいもようなきれいな黄色の色になるので、にんじん嫌いのお子さんには、にんじんじゃないってだませるかも…(小さく切れば、ね)と、思いました。これから、この赤大根と、黄金にんじんをいろいろと料理で使ってみようと思っています。楽しみ~しかし、今時は、大根もいろんな種類があるのですね~ほら。さて、この大根とにんじんを買ったのは、「鎌倉」の野菜市場。この頃「鎌倉野菜」などと言われるものが出回っていて、鎌倉周辺から、変わった野菜たちやいろいろな種類の野菜たちが市場に出ているそうです。で、なぜ「鎌倉」に行ったかというと、実は、「鎌倉七福神」巡りをしてきたのです。やっぱり「格」が違うなぁ…としみじみ感じました。来週は、この「鎌倉七福神」のお話です。
今日も、紅葉の旅の続きです。今日で、旅の話も最後となりました。さて、おいしいおそばも食べて、りんごも買ったので、水戸に戻ることにした。その帰りの道々でのことである。けいちゃんが、突然車を止めた。「どうしたの?」「あのね、ここに今、 ちょっとしたものがあるのよ 見ていこ」「え、なあに?」車を降りると、駐車場の先に、こんな風景が見えた。おっ、何か、いるね?と思って近づいてみると、それは、「かかしコンテスト」のかかし達だった。けいちゃんが言うには、「コンテストはもう終って、 片づける前の最後の展示みたいなもの」らしかった。どれどれ?どんな?と、興味津々で見てみると、大きなかかしなどがいっぱいに並んでいた。今年流行ったものもあって、例えば、坂本龍馬。りりしいね~これは「佳作」もちろん、その隣には、お龍さんがいました。首から上と下が別人のよう…顔、ちょっと怖い…また、もう一つの人気ドラマの「ゲゲゲの女房」もあった。雰囲気でてるね。それとこんなものも。これは「努力賞」だった。「そうだね、 はやぶさを忘れちゃいけないね でも…素朴過ぎるはやぶさだね」と、思いながら見ていると、もちろん、来年の干支の「うさぎ」もちゃんといた。これは、「入選」だ。「そうか、来年は、 丸まるとふとったうさぎ年だね」などと、思ったりした。こんなふうに、流行ったものがんばったもの、時節もののかかし達が多かった。そんな中、私がいちばん気に入って、「大賞」をあげたのがこれ。えっ、これのどこが「大賞」?と思われるでしょうが、タイトルがね、「うちの嫁っこ」誰が造ったのかは分からないけど、うちにきた「嫁っこ」はこんな。手に持っているスーパーの袋と、手ぬぐいマフラーがにくい。思わず、笑って、タイトルに大賞。こんなかかし達を見て、和み、笑って、バイバイをしたのだけれど、かかし達の後ろ姿は、とっても寂しげだった…もう、終りだからね。(旅もね…)「ご苦労さまでした」と、声をかけてきた。それから、また車に乗り、水戸に戻る途中に、3度ほど、道の駅に立ち寄り…段ボールいっぱいの地元産野菜や、こんにゃく、佃煮などを買い込み、水戸に戻ったのでした。水戸に着いたのは、午後6時頃。それから、また高速バスに乗り、東京に戻ってきたのでした。楽しき、充実した旅でした。また行きたくなっています。今日で旅の話も終りです。おつきあいいただきありがとうございました。<(_ _)>
今日も、紅葉の旅のつづきです。さて、私たちは、「月待ち滝」の虹を楽しんでから、姫が滝りんご園に再び戻った。そして、りんごを買おうとすると、けいちゃんがお店の方にこう言った。「先に、おそばを食べてきますね」「どうぞ、どうぞ、 ごゆっくりしてきてください。 虹が見れてよかったですね」「ええ、ラッキーでした。 じゃ、行ってきますね」ということで、りんごを買う前に、おそばを食べに行くということになった。そこで、またりんご園の脇を通り滝まで戻った。「月待ち滝」の横には、有名なおそば屋さん、滝を見ながら一服する「茶屋もみじ苑」があるのだった。(素朴なHPでした)行ってみると、滝のすぐ脇に、カントリー風の建物が建っていた。入り口はこんな。この店に入ると、席から、ゆっくりと滝が眺められるのだった。(前方に見えるのが滝)「絵のようで、 美しいね~」と、感激した。紅葉景色もきれいだし、滝の音も心地いいし、おいしいおそばも食べられるとあって、相当な人気らしく、入って席に座ると、「これから1時間ほどかかります。 それでもいいですか?」と、聞かれてびっくりした。食べてみたかったので、もちろん、1時間待つことにした。もっとも、席に荷物を置いておけば、滝を見たり、この滝の周辺を散歩してもよくじっとお店にいなくてはいけない、というわけではかった。私たちは、再び滝に行き、裏から滝を見て、「ここは、うらみの滝だよ~ 怨みでなくて、裏見だよ~」などと、言いあい、写真を撮ったり、周辺をぶらぶらしたりした。席に戻り、この店のパンフレットを読んでみるとこんなこともわかった。創業25周年。「あんな場所でやったって…」と多くの方に言われつつ、開業。そのころは、この「月待ち滝」は忘れ去れていて、この滝をなんとかしたい、と奮起し、店主が丸太小屋の食堂を手造りして、滝壺コンサートなどをして、この滝を有名にしていったそうです。そして、それが徐々に花開き、こんな人気店になったということでした。そんなわけで、この滝のすぐ側のこんなすばらしい風景の中に、お店があるのでした。ここのご店主がいてこそ、この滝がよみがえったんですね。また、店主厳選の「玄そば」を使い、保存は、無酸素低温貯蔵。新車一台分をかけて掘った井戸の水、信州の醤油、極上の鰹節、ワサビは、静岡産をベースにブレンドし、「のど越しの良いそば」を提供するという、こだわりもあるようでした。そして、待ちに待って出てきたそばがこれ。待つこと1時間強、食べる時間はわずか10分弱。待った甲斐あって、おいしかったですよぉ~「お出しがしっかりきいていて、 おいしい~」と、そば大好きのいーちゃんはとても気に入っていた。その後、この店の人気商品、「そばがき」登場。私は、お腹いっぱいだったので、ほんのちょっとだけ味見した。食べた二人は、「もちもちしてておいしい」と、感激していた。もちろん、完食。ちなみに、価格は、もりそば、ざるそば(八割そば)各800円(十割は 1000円)そばがき 600円でした。滝も十分見て、そばも食べ満足し、姫が滝りんご園に戻り、そこで、りんごを買ったり、送ったりして、りんご園を後にしたのでした。明日は、帰りの途中で見つけた、ちょっとユニークな者たちを紹介します。
今日も、紅葉の旅のつづきです。今日は、りんご園と不思議に思ったお話です。紅葉の美しい「永源寺」を後にして、今度は、りんご狩りが出来る「りんご園」に向うことにした。大子町周辺には、リンゴ園がたくさんあるのだった。私は、「「よかっぺりんご園」が よかっぺ」などと、ネーミングに引かれて主張し、(その他、「いちろうりんご園」 などもあり、やや引かれた)よかっぺりんご園に行ってみたら、残念ながら…「今日は、みんなでりんごもぎを しているのでお休み」などと、言われてしまった。なんでも、今日は、園をあげてりんごもいでいるらしかった。私たちにとっては、全然よかっぺではなかった。そんなわけで、よかっぺりんご園は諦めて、大手のりんご園に向った。着いたりんご園は、「わたしの里姫が滝りんご園」というところで、広々としたりんご園が広がっていた。車を降りて、りんご狩りのことを聞くと、「大人は一人300円。 りんご園の中では、いくらりんごを 食べてもいいけれど、持ち帰りは、 1キロ500円になります」ということだった。私たちは、それほどりんごが試食ができるとも思えなかったので、りんご狩りはせず、りんごを買うことにした。すると、りんご園の方が、「とりあえず、 試食してみて」と言って、素朴な感じで、りんごを持ってきてくれた。ほら、こんな。りんごをむいて食べたら、とてもおいしくて、「おいしいね~」と言いつつ、分け合って食べていた。すると、そこに突然、りんご園の方が駆けてきて、「今、虹が見えるよ~ 見に行った方がいいよ~」と、私たちに言うのだった。すると、茨城県在住のけいちゃんが、いきなり立ち上がり、「虹、だって! いこ、いこっ」と、私たちをせき立てた。一瞬、何のことと思ったけど、とりあえず、けいちゃんの後について「姫が滝りんご園」の脇道を通って、裏の方に出ているらしい、虹を見に行った。いったい、どんな虹があるのか?それは、どんな虹?不思議な気持ちをもちつつ、大急ぎで5分もかからないくらいの道を(足場は悪かったけど)とっとと急いで駆けて行くと…そこには、小さな滝があり、確かに、確かに、小さな虹がかかっていた。ほら。わかりますか?真ん中のあたり。「わぁ~ホントだ、 虹だ、虹だ~!」と、喜んだ。虹は、かなりくっきりと見え、アーチもはっきりしていて美しかった。虹は、しばらくするとすっと消えた。落ち着いてから聞くと、ここは、裏からも滝がみえる裏見の滝で、「月待ち滝」という滝であることがわかった。この「月待ち滝」は、高さ15m、幅10mで、滝の裏の岩盤が大きくけずられているため、滝の裏側に入りこむことが出来、裏から滝を見ることが出来るということだった。そして、「姫が滝りんご園」の裏側にある不思議な滝ではなくて、ちゃんとした、有名な滝であることも分かったのだった。そこで、私たちも、裏から見てみることにした。これが滝の裏側。すると、ラッキーなことに、またまた虹が出来て、裏側から虹を見ることができた。「わぁ~、また虹が出たよ、 嬉しいね~ 虹の内側に入った気分だね、 なんかお願いしよっと」と、大急ぎでとりあえずのお願いをした。そうこうしている間に、虹は消えて、写真はうまく撮れなかったので残念だった。でも、滝の裏側でも虹を見て、マイナスイオンをたっぷりあびて、すっきりした気分を味わったのでした。あとで、調べてみると、この裏見の滝こと「月待ち滝」は、地元の女性たちが二十三夜の月の出を待って安産を祈願したところから、命名された、とか。安産のお願いがよかったんだね、って、もうとっくに必要ないけど…ともかく、私たちは、虹と裏見の滝を楽しんだ。もし、よかっぺりんご園がやっていたら、虹が見れなかったかもしれないから、こっちの方に来て、「よかっぺ、だったね」などと、心でひそかに思った。そして、この場所には、さらなるよかっぺのお楽しみがあったのでした。この続きは、また明日書きますね。
今日も、紅葉の旅のつづきです。私たちは、袋田の滝のトンネルを出て吊橋に向った。ほら、こんな吊橋だった。(左上にみえるのが3段目がみえる「観瀑台」)この吊橋は、ぐらぐらして不安定で、平気でどんどん渡っている方もいたけど、私はこの揺れには弱いので、てすりにつかまり脇目もふらずにとっとと渡った。だって、本当に揺れて怖かったもん。この吊橋を渡り、今度はこんな細い山道を通り、森林の空気フィトンチッドをいっぱいに吸いながら、先のお土産屋通りに戻ったのだった。再び、お土産屋通りを歩いていると、いーちゃんが、「奥久慈しゃもつくね串が、 どうしても食べてみたかったの。 どんなのかしら、 買ってみるわ」と言い、そのつくね(250円)をついに買って、あつあつをパクンと食べた。それがこれ。ちくわみたいだけど、つくね、食べかけ。「あ、おいしいわ~」「どれどれ、あ、ホントだ。 歯ごたえあるね」このつくねは、奥久慈大子町の大自然の中、穀物や青菜などを与えられ、充分な運動をしつつ悠々と育った鶏で肉がしまっているらしかった。けいちゃんも味見していた。私は…まだ、お腹がいっぱいで、(朝、パンを6つも食べてしまい…)とても食べる気にならなかったけど、後で、ちょっと気になった。そして、つくねも食べ終え、少しばかりお土産なども買い、私たちは、袋田の滝を後にし、今度は、大子町(だいご)に向った。私は、タレントのダイゴ君がお気に入りなので、「ふふ、ダイゴだって~ いいよね、自然体でかわいくて」「あ、そのダイゴでないよ~ 大子ね」などと言われつつ、今度は、大子町の紅葉で有名な、お寺に向うことにした。すると、そこには、あっと驚くような、紅葉風景があったのでした。まるで、京都のお寺のような。参道を登ると、キレイに色づいた紅葉がいっぱいに広がっていた。参道の紅葉は、本当に本当に、幻想的に美しかったです。「真っ赤だね~ ちょうど今が盛りで、 散り初めてきたね~」足元をみると、真っ赤なのだった。この赤い道を歩きつつ、本堂に向うと、お寺の門があった。このお寺は、紅葉寺としても有名な、曹洞宗「永源寺」で、本尊は釈迦如来。七福神で紅一点の弁財天がまつられているというお寺であった。庭も整備され、明るくて、きれいなお寺だった。それに、紅葉だけでなくて、こんな石仏もあちこちに置いてあった。「このお寺は、仲良しさん、 なんだね~」と思ったのだけど、どうやら、ご縁(男女、親子、友人など)を大切にしているお寺らしかった。それと、足元に、がんばっている、小さなお賽銭地蔵様なども置かれていて、もちろん、「ご苦労さまです」と挨拶し、お賽銭してきた。この「永源寺」から、大子町が一望できた。美しい眺めだった。「永源寺」の紅葉をうっとり楽しみ、自然体のダイゴ町を楽しみ、満足して、今度は、不思議な所に向ったのでした。この続きは、お休みをはさんで書きますね。どぞ、よろしくお願いいたします。<(_ _)>
今日も、紅葉の旅のつづきです。私たちは、お土産通りを通り過ぎて、坂道を上がり、「袋田の滝」の入り口に向った。(黄色の○のあたり)この「袋田の滝」は、「日本三名瀑のひとつに数えられる、 高さ120m・幅73mの滝。 滝川が岩肌を四段に流れることから、 別名「四度の滝」とも呼ばれ、 その昔、西行法師が訪れた際、 「四季に一度ずつ来てみなければ 本当の良さはわからない」と 絶賛したことからとも言われます。 大子町の代名詞ともいえる、 メインスポット」(※西行のことばが絶賛なのか? と疑問に思うのは私だけかな)だというものだそうだ。(パンフレットから一部抜粋)ワクワクしながら入り口に着くと、入場料300円が必要だとわかった。「滝を見るのに、入場料がいるの?」と思ったら、この滝を見るのに、こんなトンネルの中(5分ほど)を通り、滝がよく見える「観瀑台」にいかねばならないのだった。(すいません、ぼけぼけで…)そして、最初の「観瀑台」に着くと…こんなふうに滝が一面に見えた。「うわぁ~すごいね~ すごい迫力だね~」と、本当に驚いた。堂々たる滝がすぐ目の前に見えて、それが、美しくもあった。仮に西行が絶賛しなくても、間違いなく迫力ある美しい滝だった。写真を撮り、てすりにつかまり、うっとりと滝を見つめていると、けいちゃんがこう教えてくれた。「冬になると、滝が凍って、 ロッククライミングもできるのよ。 あとね、最近、 大沢たかお主演の「桜田門外ノ変」の 映画撮影にも使われたのよ」 滝の下で撮影が行われたらしい。ちなみに、滝を下の方から見るとこんな感じ。(左上に見えるのが「観瀑台」)このどこかで、撮影が行われたらしい。滝の下の方を見ていると、けいちゃんが今度はこう言った。「滝の最上段が見えるように、 もっと上に「観瀑台」が ちょっと前にできたのよ、いこ」この「観瀑台」からは、3段目の滝が見えるけど、最上段の滝は見えない、そこで、その上に最上段の滝が見える、「観瀑台」を最近つくったということだった。そこで、再びトンネルを歩いていくと、なにやら、人の列が長く出来ていた。「なあに?」「あのね、エレベーターで行くのよ。 私も初めてなの」「楽しみだね~」そこで、私たちも列の後ろに並び、エレベーターに乗って、最上段がみえる、「観瀑台」にいってみることにした。(休日は、ものすごく混むとのこと)また、さっきみたいに、目の前に最上段が見えるのかと思い、うんと期待しつつ。15分くらい待ち、エレベーターに乗ると、ぐんぐん、上にあがり(40メートルほど)最上段が見える「観瀑台」に着いた。どれどれ、どんな~と、期待いっぱいでエレベーターを降りると…「えっ… 滝見えないけど…、 どこどこ」とあわてた。もちろん、よく見たら滝はあったのだけど、さっきのすぐ近くの迫力と違って、滝との距離がかなりあり、滝は、小さくしか見えないのだった。期待いっぱいなだけに、ややがっくり。周りの人も、「あれ、滝、小さいね、 さっきの方が迫力あるね」と、いっていたもん。とはいえ、滝の最上段は見えたし、その周りの景色はとても美しかった。これが滝の最上段。(この写真は、望遠で撮ったもの)しばらくこの景色を眺めて、また、エレベーターに乗り下に降りた。(階段はなく、エレベーターのみ)途中で、また、最初の「観瀑台」に寄り、「やっぱり、すごいね~、 迫力あるわ~」と、感嘆した。そして、けいちゃんが、「今度は、あの吊橋を渡るわよ」という吊橋を見た。滝の下の方に、吊橋が見えた。次は、この吊橋を渡るらしい。私たちは、またトンネルを歩き、吊橋に向った。この吊橋…怖かったですよ~この続きはまた明日書きますね。袋田の滝については、こちらのサイトで、動く映像が見られますので見てみてください。きれいですよ~(下の方です)「袋田の滝」また、最上段が見られるエレベーター付き「新観瀑台」は、2008年に出来て、建設費は約5億2000万円。でも、竜神峡のように補助金ではなく、すべて利用料収入から建設したということです。